著者
氏家 等 村上 孝一 出利葉 浩司 小林 考二 矢島 睿
出版者
北海道開拓記念館
雑誌
一般研究(C)
巻号頁・発行日
1987

積雪地帯における伝統的有形民俗資料の比較研究調査は, カンジキと除雪具を対象に青森県, 岩手県, 福島県, 秋田県, 山形県, 富山県, 石川県, 福井県, 長野県, 北海道を中心に調査を行った.カンジキは, いわゆる竹を曲げた単輪型が本州における共通した形態であった. 中でも新潟県山間部, 北陸地方を中心に分布するスカリとその類似型は最も大型のカンジキであり, スカリの上にさらに小型のカンジキをはくといった重複型は, 豪雪地帯における最も大きな特色であった.これに対し, 北海道では前輪と後輪で構成するいわゆる複輪型のカンジキが主流であった. また, 新潟県山間部から移住した人々の場合も, 単輪型のカンジキよりも複輪型カンジキを使用している. このことは, 両地域における雪質の相異が最も大きな要因と考えられる.北海道アイヌが使用したヒョウタン型カンジキは, 岩手県北部, 青森県南部にも分布していた. しかし, この関連性については, 今回の調査でも解明できなかった. また, 八戸市是川遺跡出土のカンジキは, カンジキであるかどうかが問題であり, これらの問題を解明するてがかりにはならなかった. 本州における除雪具は, 一枚板で製作する雪ベラ, コスキ(木鋤)が主流であった. 柄が2m前後ある長いものは, 岩手県から北陸地方の山間部にみられ, 屋根の雪おろしに使用するものであった. また, 日本海沿岸部, 山間部の雪ベラは, ブナ材を使用することも大きな特色であった.これに対し, 北海道では, 箱型状の雪ベラが主流であった. また, 1枚板のコスキを使用していた人々も移住後は箱状の除雪具を使用している. これらの要因もやはり雪質の相異によるものと考えられる.
著者
小谷 凱宣 FITZHUGH W.W 新美 倫子 出利葉 浩司 切替 英雄 西本 豊弘 佐々木 利和 FTIZHUGH William W KENDALL L. POSTER A. G KATZ A. H FITZHUGH W. KREINER Jos POSTER A.G. KATZ A.H. OELSCHELEGER エッチ.デー KREINER J.
出版者
名古屋大学
雑誌
国際学術研究
巻号頁・発行日
1994

本研究計画に関連するアイヌ・コレクションは、北米と西ヨーロッパに所蔵されている。このほかに、アイヌ資料はロシア各地の博物館に所蔵されていることは広く知られている。平成7年度より、ロシア国内のアイヌ資料調査が千葉大学・荻原眞子教授らのグループにより開始され、その研究成果がまとめられつつある。ロシア資料の調査結果と北米・西欧における研究成果と合わせることにより、海外のアイヌ・コレクションの全体像とアイヌ物質文化に関する新知見が得られよう。この一連の研究はさらに、北方地域の一民俗に関わる博物館資料の悉皆調査という初めての試みであり、現代文明の影響を受けて変容した北方狩猟民文化に関する研究資料の再検討という意味で、優れて現代的意義を有する。本研究計画による研究成果に、とくに北太平洋地域の研究者が一致して注目しているゆえんである。そして、本研究計画は、欧米の北方文化研究者が立案している「ジェサップ2計画」の先駆的役割を果たしつつある。西欧と北米のアイヌ資料との比較の試みを通して、欧米の研究者がアイヌ研究と資料収集に特に関心を抱いた知的背景が明確になってきた。西欧のアイヌ文化の研究者は、広義の自然史学(基礎科学)の枠組みの中で知的訓練を受けていることが指摘できる。このことが、アイヌ文化の伝統が維持されていた時期に調査収集が行われた事実と相まって、学術的に質の高いコレクション収集を可能にした背景である。さらにフランツ・フォン・シ-ボルト以降、「高貴な野蛮人」、「失われたヨーロッパ人」、「消滅しつつある狩猟民」としてのアイヌ民族文化への関心が、アイヌ研究を推進した。19世紀半ば頃から提唱された「アイヌ=コーカソイド仮説」は、欧米諸国民と研究者のアイヌ文化へ関心をいっそう高め、ドイツとアメリカにおけるコレクション収集を加速した。アイヌ文化を含む北方狩猟民文化研究の動きは、第一次大戦勃発とそれにともなう社会変化のために停止した。日本人研究者による本格的なアイヌ文化研究とコレクション収集の努力は、第一次大戦以降にはじまったことが浮き彫りにされてきた。前年までの在米アイヌ資料の調査の遺漏を補うために、シカゴ(シカゴ大学とフィールド自然史博物館)とニューヨーク(アメリカ自然史博物館)で補充調査を実施した。なかでも、シカゴ大学図書館特別資料部所蔵のフレデリック・スターのコレクションにふくまれる映像資料(スライド類)お精査し、さらに、写真類も入手したことにより、スターが収集したアイヌ関係資料の全容がほぼ判明してきた。すなわち、スターは明治末の10年足らずの間に、アイヌ資料を約1,200点、アイヌ関係映像資料を約100点、そのほかに膨大な量の未公表フィールドノートと往復書簡類を残していることが解明できた。スターが収集したアイヌ資料の数は北米の総資料の約40%を占め、世界的にもきわめて大きなアイヌ・コレクションの一つといえる。また、彼の残した未公表資料は貴重な背景資料であり、アイヌ文化研究史においても重要である。スターのアイヌ関係資料の集大成が緊急の課題である。最後に、スミソニアンの極北研究センターにおいて、アイヌ文化に関する特別展覧会の準備が開始されたことは注目に値する。これは本研究計画の成果が展覧会企画の契機になったもので、研究成果の相手国への還元につらなる。また、ジェサップ北太平洋調査開始から百周年を記念する国際学会が1997年秋にアメリカ自然史博物館で開催される予定であり、また、「ジェサップ2計画」(1897-1903に行われたF・ボアズによるジェサップ北太平洋調査時に収集された未公表の諸資料の整理公表の事業)が始まる予定である。新たなる眼で北方諸文化の資料を再整理し、変容しつつある先住民文化の理解の促進とアイデンティティ確立に資するものである。これは、本研究計画、アイヌ資料悉皆調査の目的と一致するものである。
著者
出利葉 浩司 宮武 公夫 財部 香枝 矢口 祐人 宮武 公夫 財部 香枝 矢口 祐人
出版者
北海道開拓記念館
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2006

明治年間に北海道を訪問し、アイヌの人びとに出会った西洋人とくにアメリカ人が残した記録類について、「出会い」という視点からながめてみることが本研究の目的である。日記、書簡類などのうち、ハイラム・ヒラー書簡、ロミン・ヒチコック講演草稿、セントルイス万国博覧会におけるフレデリック・スター収集資料記載情報については、翻刻、翻訳し、公表することができた。また、セントルイス万国博覧会、ロンドン万国博覧会をめぐる人類学的問題について、調査された資料をもとに、それぞれ論考をまとめることができた。
著者
佐々木 史郎 小谷 凱宣 荻原 眞子 佐々木 利和 財部 香枝 谷本 晃久 加藤 克 立澤 史郎 佐々木 史郎 出利葉 浩司 池田 透 沖野 慎二
出版者
国立民族学博物館
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2005

本研究は、北海道内の博物館に収蔵きれている、アイヌ民族資料の所在を確認し、その記録を取るとともに、その資料が収蔵された歴史的な背景を解明することを目的としていた。本研究で調査対象としたのは、北海道大学北方生物圏フィールド科学センター植物園(北大植物園)、函館市北方民族資料館、松前城資料館である。この3つの博物館が調査の対象とされたのは、資料の収集経緯に関する記録が比較的よく残されていたからである。3年にわたる調査の結果、北大植物園が所蔵する2600点に及ぶアイヌ文化関連の標本資料全点と松前城資料館が所蔵する320点余りの資料の全点について調書が作成され、写真が撮影された。また、函館市北方民族資料館では約700点(総数約2500点の内)の資料について、調書作成、写真撮影を行った。その結果、総計約3500点を超えるアイヌ文化の標本資料の詳しい調書と写真が作成された。本科研での調査研究活動では、標本資料の熟覧、調書作成、写真撮影にとどまらず、当該資料が各博物館に所蔵された経緯や背景も調べられた。植物園の資料の収集には、明治に北海道開拓指導のためにやってきた御雇外国人が関わっていたことから、彼らに関する史料をアメリカの図書館に求めた。調査の過程で、これらの博物館、資料館の資料が、明治から大正にかけての時代に収集されていたことが判明した。それは時代背景が明らかな欧米の博物館に所蔵されているアイヌ資料の収集時期と一致する。本科研の調査により、以上の3つの博物館のアイヌ資料は、すでに数度にわたる科研で調査された欧米の博物館の資料に匹敵するほどの記録と情報を備えることになった。それは、記録がない他の国内の博物館のアイヌ資料の同定、年代決定の参照に使えるとともに、アイヌ文化の振興と研究の将来の発展に大きく寄与することになるだろう。