著者
谷本 晃久
出版者
北海道大学大学院文学研究科北方研究教育センター = Center for Northern Humanities, Graduate School of Letters, Hokkaido University
雑誌
北方人文研究 = Journal of the Center for Northern Humanities (ISSN:1882773X)
巻号頁・発行日
vol.7, pp.109-121, 2014-03-31

Dr. Yoshishige Hayashi (1922-2013) is an agricultural economic history researcher who had taught at Hokkaido University for a long time. His area of research is traditional agricultural culture of the Ainu. He is well known for his detailed field work conducted from the 1950s to the 1960s on Ainu society across Hokkaido. Also known for his research style which is heavily influenced by the interdisciplinary method of study at the Research Institute for Northern Culture, he was engaged in the compilation of Hokkaido history along with Dr.Shin-ichiro Takakura. This transcript, which is a recollection of research activities conducted by Dr. Hayashi in 2006, is arguably a valuable record that recounts in detail a side of Ainu and the northern culture studies developed out of Hokkaido University between the 1950s and 1980s.
著者
谷本 晃久
出版者
北海道大学大学院文学研究科北方研究教育センター
雑誌
北方人文研究 (ISSN:1882773X)
巻号頁・発行日
vol.11, pp.95-109, 2018-03-31

近世・近代移行期に札幌市中心部にみられたアイヌ集落の地理的付置については、従来ふたつの見解があり、判然としなかった。本稿ではこの問題につき、おもに開拓使の公文書を用いた検討をおこなった。その結果、1965年に山田秀三の唱えた見解に、より妥当性があることを考察した。 また、1935年に高倉新一郎の記した見解を支持する大きな根拠となっていた「偕楽園図」所載の「土人家」については、1879年に札幌を視察した香港総督ヘンネッシー卿(Sir John Pope HENNESSY)の要望に応じて札幌郡対雁村の樺太アイヌをして急遽作成せしめられた復元家屋であったことを実証した。 その背景には、札幌中心部のアイヌ集落が開拓政策の進展に伴い移転を強いられた経緯があったこと、ならびに対ロシア政策に伴い札幌近郊に樺太アイヌが移住させられていた経緯があったことを指摘した。くわえて、復元家屋設置の経緯は、ヨーロッパ人による当該集落墓地盗掘の動機と同様、当時欧米人がアイヌに向けていた関心がその背景にあった点も指摘した。
著者
吉成 直樹 永瀬 克己 藤井 貞和 橋尾 直和 谷本 晃久 島村 幸一 安江 孝司 本田 優子 佐々木 利和
出版者
法政大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2004

本研究は、「日本」の両端に配置されているアイヌと沖縄のふたつの社会が、いかにヤマト社会と対峙しながら、そのアイデンティティを形成、維持してきたかという点に最終的な目的がある。ある社会のアイデンティティの核心にあるのは、言語および言語表現である。その素材として、アイヌ口承文学、琉球(首里)王府が16世紀〜17世紀に編纂した古歌謡集『おもろさうし』を主に扱った。特に、それらのテキストから、文字の無かった時代の「歴史」の復元を行う作業に労力を注いだ。たとえば、アイヌ口承文学から復元される「歴史」とは何か、『おもろさうし』から復元できる「歴史」とは何か、という問いである。「歴史」の復元の方法として、言語表現ばかりではなく、絵画や図像から「歴史」の復元を試みた。絵画、図像は、どのような社会や文化(精神世界を含めて)であったかを知るうえで重要な手がかりになるばかりではなく、文字の無かった社会の歴史復元においてはきわめて有効である。また、民俗、言語の立場から、アイヌ、沖縄の双方の社会を視野に入れた成果を得た。これは、現在のアイヌと沖縄の文化、言語を比較しようとするものでなく、それぞれの文化のさらに基層にある民俗、言語を明らかにしようとするものである。本研究を展開していく過程で、琉球社会・文化の形成に関する、大きな研究の転換期を迎えた。奄美諸島社会の古代〜中世並行期にかけての考古学的状況が明らかになるにつれ、琉球社会が従来、考えられていたような内的な発展のみで形成したとは考えられなくなったことである。この問題は、言語にかかわる分野のみならず、さまざまな分野の見直しを迫る可能性があり、また本研究の課題にも深くかかわっていたため、最終年度には、その調査・研究も手がけた。
著者
谷本 晃久
巻号頁・発行日
pp.162-167, 2012-03-31

新しいアイヌ史の構築 : 先史編・古代編・中世編 : 「新しいアイヌ史の構築」プロジェクト報告書2012
著者
谷本 晃久
出版者
北海道大学文学研究科北方研究教育センター
雑誌
知里真志保 人と学問 : 生誕百周年記念シンポジウム予稿集
巻号頁・発行日
pp.17-26, 2009-02-22

知里・小田『ユーカラ鑑賞』(昭和31年)に関する思い出(石森延男/藤女子大学)同書所収「松前の若殿が所作しながら歌った神謡」の最近の評価(佐藤2007)・「知里は、この神謡が歴史的事実を反映して語られていると考えている」「知里は、アイヌの口頭伝承からアイヌの歴史を読み解くということを、説いたのである」「『松前の若殿が所作しながら歌った神謡』は、和人の侵略が始まって以降の神謡であることは明確であるし、その物語の具体性から、この神謡が実際に起こったことをモデルにしていると考えることは不自然なことではない」・「松前の若殿が所作しながら歌った神謡」は「ホロベツに伝承された神謡」(『ユーカラ鑑賞』)。知里氏の幌別をフィールドにした研究は、『アイヌ民譚集』などの口承文芸のみではなく、佐藤三次郎との協業を含む民族(民俗)誌研究や山田秀三との協業を含む地名(地誌)研究にそのウイングが広がっている。・報告者は、口承文芸研究の歴史性に関する見識を持つものではないため、文献史学の側から直接参考とした知里氏の民族誌研究、とりわけ漁場儀礼に関するそれを取り上げ、お話し申し上げたい。
著者
保谷 徹 松井 洋子 柴山 守 谷本 晃久 岡 美穂子 五百籏頭 薫 原 正一郎 原山 浩介 須田 牧子 小野 将 山田 太造 横山 伊徳 佐藤 雄介
出版者
東京大学
雑誌
基盤研究(S)
巻号頁・発行日
2014-05-30

本研究では、東京大学史料編纂所の海外史料マイクロフィルム約150万コマ等をデジタルアーカイヴ化し、国内採訪史料とともに学術資源として閲覧公開をはかる。また、在外日本関係史料の調査・収集を進め、マルチリンガル、マルチアーカイヴァルなプロジェクト研究を推進する。①デジタルアーカイヴ構築の面ではマイクロフィルム全2739本からのデジタル画像データのサーバ登録を完了し、このうち約85%については簡易目録ベースでの公開を開始している。今年度は新規収集分を含めて約38万コマを公開データに追加し、累計185万コマとなった。②社会連携・地域連携の試みとして、英国外務省文書FO46(TNA原蔵)に続き、横浜開港資料館所蔵FO262(英国外務省駐日公館文書)マイクロフィルム(約20万コマ)をデジタル化した。史料編纂所と開港資料館でのFO262全体(28万コマ)の検索・閲覧を実現する。③ロシア国立歴史文書館長らを招聘した「日露関係史料をめぐる国際研究集会」をした(5月、東京本郷、日本学士院・東京大学史料編纂所で共催)をはじめ、計3回の国際研究集会を実施して研究成果を発表・発信した。④『ロシア国立海軍文書館所蔵日本関係史料解説目録2』を刊行し、ロシア国立歴史文書館所蔵東アジア三国関係史料解説目録の作成・提供を受けた。⑤各重点プロジェクトで日本関係史料調査と目録研究を実施し、とくに、ロシア両文書館での継続的な史料収集やロシア国立サンクトペテルブルク図書館での史料画像データ収集、ハワイ州立文書館での新規撮影約3500コマなど、さらに古写真史料集『高精細画像で甦る幕末・明治初期日本―ブルガー&モーザーのガラス原板写真コレクション―』(洋泉社)の刊行などの成果があった。⑥前項の海外史料調査・収集の成果に対する社会的反響は大きく、今年度も毎日新聞・読売新聞・朝日新聞・NHK報道などで大きく取り上げられた。
著者
宇仁 義和 櫻木 晋一 岸本 充弘 田島 佳也 谷本 晃久 石川 創
出版者
東京農業大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2014-04-01

日本の近代捕鯨の沿岸時代について、東洋捕鯨の社内文書や株主総会資料、同時代の写真などから明らかにした。国内の事業場と捕鯨船の8割を得た東洋捕鯨は、黄海と千島に事業場を新設し事業を拡大し、事業場の一体運用や役割分担が見られ、人員と捕鯨船を通年で効率的に運用したことが史料的に裏付けられた。捕鯨船によっては年度内に台湾から北海道の網走、黄海へと回航していた。ノルウェー人砲手の着業は1930年代初めに終わり、その割合は朝鮮では高く、本州や北海道では低くかった。シロナガスクジラとナガスクジラの呼称は、東洋捕鯨の社内名称が定着したものである。
著者
谷本 晃久
出版者
北海道大学大学院文学研究科北方研究教育センター
雑誌
北方人文研究 (ISSN:1882773X)
巻号頁・発行日
no.11, pp.95-109, 2018

近世・近代移行期に札幌市中心部にみられたアイヌ集落の地理的付置については、従来ふたつの見解があり、判然としなかった。本稿ではこの問題につき、おもに開拓使の公文書を用いた検討をおこなった。その結果、1965年に山田秀三の唱えた見解に、より妥当性があることを考察した。 また、1935年に高倉新一郎の記した見解を支持する大きな根拠となっていた「偕楽園図」所載の「土人家」については、1879年に札幌を視察した香港総督ヘンネッシー卿(Sir John Pope HENNESSY)の要望に応じて札幌郡対雁村の樺太アイヌをして急遽作成せしめられた復元家屋であったことを実証した。 その背景には、札幌中心部のアイヌ集落が開拓政策の進展に伴い移転を強いられた経緯があったこと、ならびに対ロシア政策に伴い札幌近郊に樺太アイヌが移住させられていた経緯があったことを指摘した。くわえて、復元家屋設置の経緯は、ヨーロッパ人による当該集落墓地盗掘の動機と同様、当時欧米人がアイヌに向けていた関心がその背景にあった点も指摘した。
著者
佐々木 史郎 小谷 凱宣 荻原 眞子 佐々木 利和 財部 香枝 谷本 晃久 加藤 克 立澤 史郎 佐々木 史郎 出利葉 浩司 池田 透 沖野 慎二
出版者
国立民族学博物館
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2005

本研究は、北海道内の博物館に収蔵きれている、アイヌ民族資料の所在を確認し、その記録を取るとともに、その資料が収蔵された歴史的な背景を解明することを目的としていた。本研究で調査対象としたのは、北海道大学北方生物圏フィールド科学センター植物園(北大植物園)、函館市北方民族資料館、松前城資料館である。この3つの博物館が調査の対象とされたのは、資料の収集経緯に関する記録が比較的よく残されていたからである。3年にわたる調査の結果、北大植物園が所蔵する2600点に及ぶアイヌ文化関連の標本資料全点と松前城資料館が所蔵する320点余りの資料の全点について調書が作成され、写真が撮影された。また、函館市北方民族資料館では約700点(総数約2500点の内)の資料について、調書作成、写真撮影を行った。その結果、総計約3500点を超えるアイヌ文化の標本資料の詳しい調書と写真が作成された。本科研での調査研究活動では、標本資料の熟覧、調書作成、写真撮影にとどまらず、当該資料が各博物館に所蔵された経緯や背景も調べられた。植物園の資料の収集には、明治に北海道開拓指導のためにやってきた御雇外国人が関わっていたことから、彼らに関する史料をアメリカの図書館に求めた。調査の過程で、これらの博物館、資料館の資料が、明治から大正にかけての時代に収集されていたことが判明した。それは時代背景が明らかな欧米の博物館に所蔵されているアイヌ資料の収集時期と一致する。本科研の調査により、以上の3つの博物館のアイヌ資料は、すでに数度にわたる科研で調査された欧米の博物館の資料に匹敵するほどの記録と情報を備えることになった。それは、記録がない他の国内の博物館のアイヌ資料の同定、年代決定の参照に使えるとともに、アイヌ文化の振興と研究の将来の発展に大きく寄与することになるだろう。
著者
榎森 進 七海 雅人 谷本 晃久 七海 雅人 谷本 晃久
出版者
東北学院大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2007

江戸時代に「サンタン人」と呼ばれていたアムール川下流域の人々は、ウリチ民族だけでなくニヴフ民族他の民族で構成されていること。また、彼等は、15~19世紀にサハリンの諸民族と活発に交流していた。