著者
宮崎 和夫 原 清治
出版者
神戸親和女子大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
1997

この研究の主な目的は、阪神・淡路大震災で避難所になった学校で(1)校長や教員がどのように避難所の運営に当たったか(2)教員・避難民・行政間のトラブルや連絡調整などの諸問題(3)避難所内における教員の仕事と授業などの教育活動との両立の諸問題等を実証的に明らかにすることである。研究の方法として(1)質問紙法による大量調査と(2)事例研究の2つの方法を採った。(1) 質問紙法では、阪神・淡路大震災で避難所になった285校の全教員約8,200人を調査対象とし、3,221名を抽出し(39.0%)質問紙郵送法で調査した。有効回答者数は904名(28.3%)であった。調査結果の主な点は、(1) 地震当日、学校へ出勤できた教員は49.9%、その交通手段はマイカー56.2%、自転車16.3%、徒歩13.7%、自動二輪12.2%。そして26.1%の教員が「勤務校にこだわらず、自宅近くの学校へ出勤した方がよい」としている。(2) 授業の再開は地震後2週間で63.3%、4週間後には94.3%と比較的速い立ち直りを示している。(3) 児童・生徒への特別な配慮では、「精神的支援」がトップで42.7%、次いで「学習の遅れ」が20.2%、生徒指導が13.7%の順。これらの数値は8ヶ月以上を経過しても減少せず、地震による学習の遅れがなかなか挽回できないこと、避難所暮らしなどで子供たちの生活が安定しないことを示している。(4) 避難所の運営における教員の主な仕事は、「来訪者や電話の取り次ぎ」16.9%、「救援物資の仕訳や保管」16.5%、「各種情報の収集と伝達」14.5%など。(5) つらいことは、「トラブルの仲裁」で38.5%、(6) 教員が感じたストレスの主な原因は「上司との人間関係」81.2%、「自分や家族の被災問題」55.7%、「授業や学習の遅れ」41.3%、「避難してきた人たちとのトラブル」36.8%、「生徒指導」33.9%となっており、教員は自分自身も被災者でありながら、授業の遅れを取り戻さなければと責任を感じる教育者であり、さらにまた避難所の運営者でもあるという三重の役割を課せられた苦悩の状況が出ている。(2) 事例研究では、神戸市立神戸商業高校を抽出し、面接法で調査取材し、また報告書や多くの記録や文書を提出いただいた。それらをもとに教員や避難民、生徒の状況と声が取材できた。避難民が生活している講堂での卒業式や入学式、生徒のボランティア活動、教師は遺体の収容や管理、水が出ず数百人の溜った糞尿の処理などに追われ、一方では24時間体制で行政と避難民の種々のトラブルの仲裁に苦悩する教職員の姿が浮き彫りにされた。
著者
宮崎 和夫
出版者
筑波大学現代語文化学系
雑誌
言語文化論集 (ISSN:03867765)
巻号頁・発行日
no.65, pp.237-239, 2004

グラナダ奪取祭は、1492年1月2日にイスラーム・スペイン最後の王朝ナスル朝の首都であったグラナダがカトリック両王によって征服されたことを記念して、現在に至るまで毎年行われている。正装したグラナダ市長や市会議員や県知事らが ...
著者
亀長 洋子 飯田 巳貴 西村 道也 宮崎 和夫 黒田 祐我 櫻井 康人 堀井 優 佐藤 健太郎 高田 良太 澤井 一彰 齋藤 寛海
出版者
学習院大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2014-04-01

多文化が交錯する世界である中近世の地中海世界を、東洋史・西洋史の共同研究として再考した。中近世のグローバリゼーションのなかで、アラブ、マグリブ、トルコのイスラーム諸勢力、ビザンツ、西洋カトリック諸勢力、ユダヤ教徒などが地中海世界の各地で政治、経済、宗教、社会の様々な面において対峙する様相を各研究者は個人研究として進め、その成果を海外研究者の協力も得つつ互いに共有した。それにより研究者たちは西洋史・東洋史のいずれにも偏らない視野を育くみ、一国史観を超えた歴史叙述を充実させた。その成果を含んだ研究報告書を作成し多くの研究者に配布し、また共同研究の成果を公開シンポジウムの形で広く人々に公開した。
著者
深沢 克己 高山 博 羽田 正 松嶌 明男 勝田 俊輔 千葉 敏之 宮崎 和夫 樺山 紘一
出版者
東京大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2001

本研究では、近世・近代のヨーロッパにおける宗教的寛容と不寛容の生成・展開について考察することを主たる目的としながらも、イスラム世界・ヨーロッパ中世の専門家を交えることで、この問題を比較史的にも検討することを課題とした。この研究テーマについて各研究分担者がそれぞれにおこなった調査研究の成果を年二回の研究会において全体で討議し、その結果として、次のような共通理解に到達することができた。宗教改革を契機として成立した近世ヨーロッパの宗教的寛容は、国家の役割に従って分類するならば、宗派別の住み分け、法令による異宗派の共存、法律の制定を伴わない実質的な寛容の三つに類型化できる。しかし寛容の堅固な基礎は日常的次元での共存と相互理解にあり、それを可能にする社会の意識改革あるいは文化変革にある。宗教的寛容の歴史的研究においては、この問題への国家による対応のみならず、社会的次元での寛容の実践のあり方、またそれを支える人々の内面的根拠にも分析のメスを入れることも重要であり、両者を総体として論じることが要請される。このように考えるならば、歴史としての宗教的寛容という問題は、近世近代のヨーロッパのみならず、イスラム世界やアジアをも含めた世界史の問題として、あるいは古代・中世という近代的寛容の精神をいまだ知ることのない歴史世界についての考察にも応用可能であるばかりか、まさに宗教的不寛容が蔓延する現代社会において、その解決法を歴史的に探るという意味でもまた有益である。
著者
中塚 次郎 竹中 克行 横山 正樹 ヒガ マルセーロ 立石 博高 金七 紀男 山道 佳子 宮崎 和夫 川上 茂信 砂山 充子
出版者
フェリス女学院大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2001

地域の形成にはたんに経済的要因や地理的要因だけではなく、その地域に流入してきた人間集団の存在や、そこから出ていった移民たちの意識などが重要な役割を果たしている。たとえば、EU内を移動しそこを生活空間とする一方で、EU外の集団との差異を経験することで、人々はEUをひとつの「地域」と認識する、といった具合にである。このことは、国家内の「地域」にもあてはまる。本研究は、こうした観点を生かしながち、イベリア半島を対象にして、「ヒトの移動」と「地域」形成の関係を、歴史的に分析しようとするものである。共同研究の前提として、まず、大西洋をはさんだ、現代におけるイベリア半島とアメリカ大陸間のヒトの移動を中心にして、統計的な研究、地域意識の形成、移民先での移民の社会的地位といったテーマについて検討した。その後、対象を近代以前にまでひろげ、さらに移動の地域をピレネー山脈をはさんだ、イベリア半島とほかのヨーロッパ地域とのあいだの人の移動にまで拡大して、宗教意識の変容や言語の変化を含む、幅広い視,点から検討を行なった,また、強いられた移動である「亡命」についても、人々の帰属意識の変化の側面から分析を進めた。共同研究の最後に、アジアにおける人の移動を比較検討の対象としてとりあげ、いかなる分析方法が地域研究にとって有効であるか、といった総括的な作業を行なった。