- 著者
-
尾崎 孝宏
- 出版者
- 日本沙漠学会
- 雑誌
- 沙漠研究 (ISSN:09176985)
- 巻号頁・発行日
- vol.33, no.1, pp.9-15, 2023-06-30 (Released:2023-06-30)
- 参考文献数
- 20
モンゴルの遊牧という生業を規定するのはステップの自然環境である.しかし,遊牧民も社会や国家の中で生きており,人文社会的な事象が彼らの遊牧実践に大きく影響している.例えば近現代においては,社会主義化や民主化といった政治経済体制の変化が大きな影響を与えてきた.本稿では,科学技術や社会制度から波及する要素,主として諸インフラを取り上げて論じる.モンゴルにおける近現代に発生した質的変化として,セメントや重機を使った建築や井戸などの構造物の出現が挙げられる.例えば1950年代末から本格的に始まるネグデル期のインフラ構築は,学齢期の子供や高齢者の越冬地としての定住集落と,遊牧民の労働場所としての草原の双方を睨みながらの季節移動や営地選定といった,現在まで続く新たな空間利用の形態をもたらした.また移動技術と結びついたモータリゼーションも近現代の質的変化の一つである.2000年以降には季節移動の手段としての自己所有の自動車の普及や,放牧を含む近距離移動手段としてのバイクの利用などが頻繁にみられるようになった.また同時期に及した生活用具の中で,特に大きな影響力を持っていると思われるものは,発電機と蓄電池のセット,携帯電話,プラスチック容器などである.プラスチック容器は従来,世帯レベルでの商品化が困難であった乳製品を容易に運搬可能とした点で大きな意義があるが,その背景として携帯電話の普及によるコミュニケーションの簡便化,さらには携帯電話の利用を可能とする電力へのアクセスによってもたらされた変化である.現状ではインターネットが遊牧実践に及ぼす影響の更なる増大が予測される.近年,スマートフォンの普及に伴いSNS利用の拡大などが見られ,その結果インターネットへのアクセス可否が営地選定に大きな影響を及ぼしている.この新しいインフラの普及は過去の社会制度の変化や災害と同様,再び彼らの牧畜戦略を変化させる可能性がある.