著者
大塚 浩通 緒方 篤哉 寺崎 信広 小岩 政照 川村 清市
出版者
Japanese Society of Veterinary Science
雑誌
The journal of veterinary medical science (ISSN:09167250)
巻号頁・発行日
vol.68, no.2, pp.175-178, 2006-02-25
参考文献数
20

炎症性疾患に罹患した乳牛においてオゾン自家輸血(OAHA)が白血球ポピュレーションの変化に影響するかどうかについて調べた.11頭の慢性炎症性疾患(炎症群)と3頭の健康な乳牛(対照群)を用いた.炎症群では.OAHA後, 3から4日にかけて投与前に比べCD4^+/CD8^+比の明らかな上昇が見られ, CD14^+細胞数は徐々に減少して4日後には明らかな低値を示した.MHC class-II^+細胞はOAHA後に炎症群で徐々に減少し, 対照群では徐々に増加して14日には炎症群に比べ明らかな差が認められた.これらの知見からOAHA後の感染症の乳牛における免疫活性は健康な乳牛とは異なることが示唆された.
著者
川村 清志
出版者
国立歴史民俗博物館
雑誌
国立歴史民俗博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Japanese History (ISSN:02867400)
巻号頁・発行日
vol.165, pp.175-204, 2011-03-31

本稿は、近代日本の地域社会において、「民謡」が生成する一事例として、「こきりこ」を取りあげる。ただし、ここで扱う「民謡」は、前近代から伝えられてきた口頭伝承の一分野ではない。「こきりこ」は、富山県五箇山地方に伝わる民謡として、全国的に知られているが、近代以後にいったん廃れたものが、戦後になって再発見されたという経緯をもつ。その後、この民謡は、地域の保存会によって歌詞や踊りの形態が整えられ、多くのイベントに出演して知名度を増していった。つまり、「こきりこ」は、「伝統の創出」、あるいはフォークロリズム的な側面を色濃くもっているといえるだろう。しかし、ここで注目しておきたいのは、このような「創出」の過程でどのような人的な資源、文献や口頭の資料、多様なメディア網が駆使されたのかということである。それら近代的な諸制度の配置のなかで、この「民謡」にどのような言説が付与され、錯綜し、さらに剥離していったのかを検証することで、「民謡」の近代を考えていくことにしたい。以下では、まず、民謡が生成する背景、あるいは資源として存在していた近世の地誌類などの文献資料と、それらを再解釈して地域の「歴史」を構成しようとする郷土史家の存在に注目する。次に再発見の過程で生じた「民謡」という象徴資本を巡る地域間での競合的な側面を明らかにしたい。逆説的なことだが、これらの競合を通じて、「こきりこ」の踊りや歌詞、由来についての言説は、一貫した歴史性や物語性を獲得していったと考えられる。そのうえで、郷土史家のような地域の側の主張に呼応する中央の研究者の視点や、両者を巻き込みながら展開していった全国規模での民謡のリバイバルを促す運動についても確認することになるだろう。
著者
川村 清志
出版者
国立歴史民俗博物館
雑誌
国立歴史民俗博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Japanese History (ISSN:02867400)
巻号頁・発行日
vol.199, pp.143-169, 2015-12

本論は,近代日本において生地からの移動によって見いだされた故郷の物語が,現代においてどのように変貌し,実体と言説の境界面においてどのようなゆらぎを抱えているかを検討する。故郷を巡る物語は,様々なメディアのなかに表出され,出郷や離郷,場合によっては故郷喪失の経験をもつ多数の都市生活者の内面に刻み込まれてきた。そのような物語はいくつかの定型を構成しつつ,地方にとどまった者や地域間を往還する者たちにも受容され,変奏されて紡ぎだされていった。これまで故郷観や故郷の物語についての研究の多くは,都市に住む出郷者たちの社会組織や心性の問題として論じられてきた。しかし,本論では表象される側であった故郷において内在的に,あるいは相互交渉的に語られる故郷の物語に注目する。同時に現代において故郷からの移動の経験を身体化し,故郷と新たな生活の場としての「第二の故郷」との距離をはかりつつ生活する人びとによってどのように再構成されているのかに焦点をあてる。以上の目的を検証するために石川県輪島市門前町七浦地区にあった七浦小学校の同窓会の会誌を取りあげる。この同窓会は明治の終わりに成立して以来,本部を七浦地区におき,地元の卒業生と出郷者との交流を目的とした会誌を発行してきた。ここでは質量ともに会誌がもっとも充実していた1980年代中頃から90年代にかけての誌面に登場する記事の検証を行う。近代初期に移動によって生み出された故郷の物語が,世代を超えて続く地域間の往還の経験や,世帯や家格に関係なく生じる離郷経験のなかで,物語そのものの解体,ないしは内破にむかう可能性について考えていく。現実の故郷はひたすら過疎化し,高齢化していくなかで,故郷の物語がどのように語られていくのか,その徴候をこの時期の会誌から読み解いていきたいと考える。This paper analyzes how the hometown memories of emigrants who left their homes in modern Japan have changed in the present times and what differences exist between the memories and reality. Hometown memories have been expressed by various media and imprinted in the minds of many urban residents who left or lost their homes. While evolving into different forms, these memories have also been accepted and adapted by people who continued to live in their hometowns and who migrated between regions.Most prior studies on people's perceptions and memories of their hometowns focused on the social organizations and views of urban residents who emigrated from their homes; this paper is centered on how the people who continue to live in their hometowns create hometown memories by themselves or in interaction with emigrants. At the same time, this paper embodies the experience of emigration in the present times to analyze how people who are living in new places while keeping the balance between their original and second homes remember their hometowns.This paper examines some bulletins published by the alumni association of Shitsura Elementary School in Shitsura District, Monzen-machi, Wajima City, Ishikawa Prefecture, to analyze the above-mentioned points. Since its establishment at the end of the Meiji Period, the alumni association has placed its headquarters in Shitsura District and issued bulletins to facilitate communication between local alumni and those who emigrated from the district. This paper examines the articles of the alumni bulletins at their peak in quality and quantity, from the mid-1980s to the 1990s. The results are used to analyze the possibility that hometown memories created by migrants in the early modern times will be broken or imploded by the experience of migration between regions over generations or the experience of emigration that occurs regardless of the family rank or household they were born into. This paper analyzes the bulletins published when the population of the district was declining and aging to reveal how hometown memories changed in parallel with the process.
著者
赤間 亮 川村 清志 後藤 真 野村 英登 師 茂樹
雑誌
じんもんこん2004論文集
巻号頁・発行日
vol.2004, pp.259-267, 2004-12-09

このパネルディスカッションは、デジタルアーカイブに「人文系からの視点が欠けている」という本シンポジウムの問題意識を受け、その人文科学における意義を改めて問い直し、「真の活用」の道筋をさぐるための議論を行うことを目的とする。本稿は最初の師による問題提起に続けて、各パネリストのポジションペーパーを五十音順でならべている。
著者
大塚 浩通 渡辺 知香 小比類巻 正幸 安藤 貴朗 渡辺 大作 増井 真知子 林 智人 安部 良 小岩 政照 佐藤 繁 川村 清市
出版者
社団法人日本獣医学会
雑誌
The journal of veterinary medical science (ISSN:09167250)
巻号頁・発行日
vol.68, no.11, pp.1161-1166, 2006-11-25
被引用文献数
7 35

周産期における乳牛の栄養状態と細胞性免疫機能の関係を明らかにする目的で,異なる2つの飼養内容にあった2群の乳牛の免疫状態を観察した.免疫解析としては末梢白血球ポピュレーションおよびreal-time RT-PCRによる末梢血単核球のIFN-γ, TNF-α, IL-4およびIL-10のmRNAを計測した.乾乳期の飼料内容は1群(N=6)では非繊維性炭水化物が不足しており,II群(N=6)では充足していた.I群の血糖値はII群にくらべ分娩前12週から分娩後16週にかけて有意な低値を示した.1群の総コレステロール値はII群に比べ分娩後2週から10週まで有意な低値を示した.I群のCD3^+T細胞およびCD4^+T細胞数はII群に比べ分娩後6週および14週に有意な低値を示した.またI群のCD21^+B細胞はII群に比べ分娩前の16過と12週および分娩後の2過と10週で有意に低かった.一方,I群におけるCD4^+/CD8^+比は分娩後2週から14週までII群に比べ有意な低値が見られた.分娩後6週ではI群のIFNγ/IL-4mRNA比がII群に比べ明らかな低値を示した.周産期において低栄養にある乳牛では分娩後に細胞性免疫の低下のあることが明らかとなった.