著者
木下 衆
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.64, no.1, pp.73-90, 2013 (Released:2014-09-10)
参考文献数
21

本稿は, 認知症を患う高齢者を介護する家族 (介護家族) から聞かれる, 「要介護者の本当の姿を知っていたのは自分だけだった」という発言を, 「特権的知識のクレイム」 (Gubrium and Holstein 1990=1997) として分析する. 介護家族による特権性の主張は, 近年の認知症理解とは一見矛盾する. 近年の医学的議論は, 認知症患者の相互行為能力を認め, その主体性を尊重することを求めている. 介護家族の発言は, 要介護者の相互行為能力を無視し, 一方的に自身の「リアリティ定義」 (天田2007) を押し付けているように見える. しかし本稿は, 介護家族のクレイムは, 「認知症」という概念を参照することで初めて成立すると指摘する. 認知症患者の病態は, 環境や周囲の人の対応によって大きく変化する. そのことはしばしば, 「要介護者の病態について, 関係者の判断が異なる」事態を招く. このとき介護家族は, 要介護者の (「昔話をする」といった) 反応を「病気の症状」として解釈することを求める. さらに介護家族は, 「家族の関係性」といった要素を織り込みながら, 自分たちの判断の正当性を主張する. つまり介護家族は, 「認知症」という概念を日常生活にどう当てはめ, 要介護者の病態を推論するかについて, 自分たちの知識の特権性を主張しているのだと読み取れる. ここには, 「新しい認知症ケア」 (井口2007) 時代の家族介護の秩序問題がみられる.
著者
井口 高志 木下 衆 海老田 大五朗 前田 拓也
出版者
東京大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2020-04-01

本研究は、「地域包括ケア」「地域共生社会」が目指される時代に、地域において障害や病い、または、生きづらさなどを抱える人たちがどのように支援と関わりながら日常生活を送り、それを支える人たちがどのように支援実践や居場所を形成してきた/いるのかを、領域横断的な研究者の経験的調査によって明らかにする。この作業を通じて、現在、政策目標とされている地域包括ケアや地域共生社会に向けた課題の明確化を目指す。中心となる研究領域は認知症ケアおよび障害者支援であり、これらの研究を中核として、さらに他領域の支援実践に関する研究の知見を付き合わせていく。
著者
木下 衆
出版者
日本保健医療社会学会
雑誌
保健医療社会学論集 (ISSN:13430203)
巻号頁・発行日
vol.22, no.2, pp.55-65, 2012-01-31 (Released:2016-11-16)
被引用文献数
2

本稿は、介護家族が「認知症」という専門的概念を学ぶことで、どのような道徳的規範を身につけていくのか、概念分析の手法を用いて検討する。家族会(高齢者を介護する家族のセルフヘルプグループ)とそのメンバーへの調査からは、次の点が指摘できた。第一に、「認知症」という概念は、介護場面のトラブルを修復する上で要介護者を徹底して免責する。第二に、会のメンバーにトラブル修復の責任が帰属される場合、彼らは「(要介護者は)理屈は通じないが、感情はわかる」という前提のもとで対応する。それにより、「説得/否定の禁止」と「笑顔」という具体的な行動の指針が設定される。第三に、以上二点の帰結として、認知症を患う要介護者本人は、悪意や敵意のない無垢な存在として扱われる。第四に、「認知症」概念は「何が介護のトラブルか」を巡る新たな解釈枠組みとなり、会のメンバーはこれに基づいて自身が直面しているトラブルを記述する。
著者
木下 衆
出版者
関西社会学会
雑誌
フォーラム現代社会学 (ISSN:13474057)
巻号頁・発行日
vol.13, pp.45-57, 2014

「認知症」という医学的なラベルが付与されることで、患者の周囲の人びとはどう振る舞うようになり、また患者本人の行為はどう意味づけられるのか?現在の日本は「新しい認知症ケア」時代にある。「新しい認知症ケア」とは、患者とのコミュニケーションを重視する介護観を指す。この介護観のもと、介護者達は患者への「道徳的配慮」を常に行い、何らかの反応を期待して「はたらきかけ」をすることになると、指摘されていた(井口2007)。そこで本稿は、「認知症」を患うLと、その家族とのやり取りを集中的に分析する。Lの家族は、患者への「はたらきかけ」を強く志向している点で、「新しい認知症ケア」時代において特徴的な事例だと考えられるからだ。本稿では、Lに対する家族の「はたらきかけ」に、ある種の基準が存在することを指摘する。家族は、彼女が認知症を発症する以前の生活の様子を基準に、「はたらきかけ」をする。この基準を、老年精神科医の小澤勲(2003)に準え、「人生」と呼ぼう。しかし認知症の特徴である「記憶障害」「病態失認」ゆえに、患者本人に「人生」を尋ねることは難しい。そのために、「介護者が自分たちの知識を総動員しなければならない」という事態が生じる。相手がどんな過去を背負い、何を好み、何を望んでいるか、そういった患者の「人生」は、人びとの「あいだ」(西阪1997)でなされる相互行為(はたらきかけ)の中で発見され、再構築されている。
著者
木下 衆
出版者
日本保健医療社会学会
雑誌
保健医療社会学論集 (ISSN:13430203)
巻号頁・発行日
vol.23, no.1, pp.28-37, 2012-07-20 (Released:2016-11-16)

本稿は、「査読」を一つの制度的場面と捉え、「査読される側」にどのような振る舞いが求められるのかを分析する。そのために本稿は、日本保健医療社会学会・2010秋の関西定例研究会での、拙稿「家族による『認知症』の構築-『認知症』カテゴリーに基づくトラブル修復」を用いた模擬査読を例に、査読過程をエスノグラフィックに記述していく。筆者は、天田城介(Field note 10.9.18)にならい、査読を「コミュニケーション」と「評価」の二つの側面を持つものとして分析する。その上で筆者は、査読される側にとって重要なのは、査読者のコメントを徹底的に評価項目に還元し、それに答えていくことだと主張する。これが査読において投稿者に求められる振る舞いであり、査読における倫理問題はこのように技術的に解消されるべきだと、筆者は主張する。
著者
木下 衆
出版者
日本保健医療社会学会
雑誌
保健医療社会学論集 (ISSN:13430203)
巻号頁・発行日
vol.23, no.1, pp.28-37, 2012

本稿は、「査読」を一つの制度的場面と捉え、「査読される側」にどのような振る舞いが求められるのかを分析する。そのために本稿は、日本保健医療社会学会・2010秋の関西定例研究会での、拙稿「家族による『認知症』の構築-『認知症』カテゴリーに基づくトラブル修復」を用いた模擬査読を例に、査読過程をエスノグラフィックに記述していく。筆者は、天田城介(Field note 10.9.18)にならい、査読を「コミュニケーション」と「評価」の二つの側面を持つものとして分析する。その上で筆者は、査読される側にとって重要なのは、査読者のコメントを徹底的に評価項目に還元し、それに答えていくことだと主張する。これが査読において投稿者に求められる振る舞いであり、査読における倫理問題はこのように技術的に解消されるべきだと、筆者は主張する。
著者
木下 衆
出版者
社会学研究会
雑誌
ソシオロジ (ISSN:05841380)
巻号頁・発行日
vol.57, no.1, pp.93-109,177, 2012-06-30 (Released:2015-05-13)
参考文献数
14
被引用文献数
1 2

In this article, the subject of my analysis is “how does the category become relevant, initially, at different times, and in different ways, in the life of a person?” (See Lynch2001: 249 about “dementia”.) Sociological studies on early dementia (Deguchi 1999; Amada 2007; Iguchi 2007) focus on conflicts among family members. The early symptoms of dementia are always vague (e.g., forgetfulness, character change). Therefore, family members may differ in regarding whether certain “troubles”(Emerson & Messinger1977)can be termed dementia symptoms; this will lead to conflicts among the family members. While considering the abovementioned studies, I examine how Ms. J and Ms.I define their mother, Ms. K, as being demented, despite the inconsistency in their early decisions. I emphasize the following two points. First, considering the accountability of family members regarding the “deviances” in the elderly, a family member’s perception of “deviance” in the behavior of an elderly person does not necessarily imply that the elderly person is demented, because there are many possible interpretations of such behavior besides dementia; the behavior could result from non-dementia illnesses or factors such as family discord. So family members attribute the elderly person’s “deviance” to dementia and disregard other possible causes for such behavior, only when the context of social interaction suggests it. Second, considering the importance of acknowledging social settings, the mere “deviances” noticed in behavior cannot be categorized as the symptoms of clinical disorders such as dementia. As suggested above, family members’ decisions regarding the symptoms of dementia should always be based on an elderly person’s pattern of everyday life and the context of any specific interaction. Therefore, they must consider the social settings that form the context of social interaction.