- 著者
-
村上 昇
- 出版者
- 一般社団法人 日本考古学協会
- 雑誌
- 日本考古学 (ISSN:13408488)
- 巻号頁・発行日
- vol.14, no.24, pp.1-20, 2007-10-10 (Released:2009-02-16)
- 参考文献数
- 152
九州は旧石器時代終末から縄文時代初頭にかけての変化を考える上で,また,草創期土器編年研究の上で重要な地域である。しかし,研究者ごとに土器資料の新旧を判断する基準が異なるため,近年,九州を含む日本列島西部の草創期土器編年における研究者間の共通認識は崩れつつある。これに対し,本稿では,南九州における雨宮編年を踏襲し,施文手法の違いを時期差と捉えると同時に,遺跡内の地点差や「遺跡の引き算」からより短い編年上の時期幅を抽出することで,編年の時間軸を明確化し,改めて南九州を含めた日本列島西部の草創期土器編年を示すことを目的とする。南九州の隆起線文土器は【隆起線に押圧が加わる土器→隆起線上に矢羽根状に連続する摘み痕を残す土器】と変化し,その後,口縁部に密に爪形文を配する土器が出現し,南九州の草創期土器は岩本式まで続く。以上の南九州における土器編年との併行関係と前後関係を検討し,日本列島西部の草創期土器編年を組み立てた。日本列島西部の草創期土器編年は概ね5期に区分でき,全体としては,時期が下るにつれて,地域色が顕在化する傾向が認められる。特に本稿V期には,九州と本州との間の繋がりが土器からは伺いにくくなる。以上の編年作業によって得られた先行研究と異なる知見としては,主に以下の2点が指摘できる。第1には,本州東部方面の「厚手爪形文土器」の影響を受けて,九州で爪形文土器が発生し,南九州を含めて爪形文土器単純期(本稿IV期)が認められる点が挙げられる。また,第2には,九州における最初期段階の隆起線文土器の底部形態は平底が主流であると考えられる点が挙げられる。本稿における土器編年作業は,縄文時代草創期における日本列島東西の併行関係を考える上での足掛かりとなる。また,土器編年が示す細かなタイムスケールは,旧石器時代終末から縄文時代初頭にかけての日本列島史を理解する上で有効であり,多方面の応用と活用が可能である。