著者
松王 政浩
出版者
神戸大学倫理創成プロジェクト
雑誌
21世紀倫理創成研究
巻号頁・発行日
vol.1, pp.109-128, 2008-03

近年、特にヨーロッパを中心として、環境問題や食品の安全性をめぐる政策的指針あるいは法的判断の根拠に、「予防原則」(precautionary principle)という考え方を適用しようとする傾向がますます強くなってきたと見られる。しかし、こうした実際上の適用拡大が認められる一方で、予防原則が「原則」として必ずしも確立された一定の内容をもつものではないため、またその適用の仕方についてもケースごとにバラツキがあることから、予防原則についてのアカデミックな議論の場では実に多様な論点、視点が生まれることになって、予防原則を捉えるための一貫した問題意識が持ちにくい状況になっている。とりわけ、一般に自明視されがちな、予防原則適用の「合理的根拠」について、これをどの議論がどのような視点で擁護しているのか、合理性を否定的に見る議論に対してどの程度擁護として成立しているのかが、その論点の多様さゆえに見通しにくくなっており、合理性を重んじたい哲学者には非常に歯がゆい状況にある。概ね、否定的な論者の掲げる論点は明確で、かつ論者にかかわらずおよそ論点は集約されるのに対して、擁護派の議論がこれとどう噛み合い、果たして十分な反論になっているのかどうかが分かりづらい。小論では、この予防原則の合理的根拠について、これまでなされてきた関連の議論のうち、筆者が主要な議論と考えるものについてその要点を整理する中で、最終的に、現在擁護論として最も有力と見なしうる議論がどの程度批判に耐えうるものなのかを考えてみたい。
著者
松王 政浩
出版者
日本科学哲学会
雑誌
科学哲学 (ISSN:02893428)
巻号頁・発行日
vol.27, pp.97-109, 1994-11-18 (Released:2009-05-29)
被引用文献数
1
著者
林部 敬吉 阿部 圭一 辻 敬一郎 雨宮 正彦 ヴァレリ ウイルキンソン 松王 政浩
出版者
静岡大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2003

心理学的視点と教育工学的視点から、日本伝統工芸技能の修得過程の分析、外国の技能研修制度と修得過程の分析および両者の修得過程における異文化間比較、さらに暗黙知である技能の修得を促進するわざことばの調査を通して、伝統工芸技能修得の認知的なプロセスの特徴を明らかにし、この認知的モデルに依拠した効果的な技能修得の方法と支援について提案することを目指した。陶磁器、指物、筆、硯、染色、和紙、漆器、織物など主に伝統工芸産地指定を受けた親方と弟子に対しての面接と取材調査、ドイツのマイスター制度とデュアル制度の現地調査、浜松の楽器製造産業における技能の継承についての取材調査、さらにすべての伝統工芸産地指定約220箇所の伝統工芸士に対して、「わざことば」のアンケート調査を実施した。伝統工芸士に対する取材調査では、実際の工程でのもの作りをビデオおよび3次元ビデオに録画すると共に、主要な「わざ」の手指の型を3次元カメラで取得した。企業については、工芸技能の世代間継承の方法、実態について調査した。これらの調査と分析の結果、次のことを明らかにできた。(1)「わざ」の伝承は、一種の徒弟方式である「師弟相伝」で行われる。技能伝承の基本は、技能の熟練者(親方)の模範を継承者(弟子)が観察・模倣するにあり、また継承者の技能習得を助けるものとして「わざことば」が存在する。技能伝承を効果的にするには、伝承者と継承者との間に信頼にもとつく人間的な紐帯が形成されることが大切である。2)日本の徒弟制度とドイツのマスター制度を比較すると、日本のそれの良い点は、極めて優れた技能保持者を生み出せるのに対して、ドイツのそれは、一定の技能水準をもつ技能者を育てることができることにある。徒弟制度の悪い点は、技能の修得過程が明文化されていないことで、教え方が親方の独善的なものに陥りやすい。デュアル制度の短所は、名人といわれるような技能の伝承が行われにくく、獲得した技能が一代限りで終わる点である。(3)企業における「わざ」の伝承でも、「師弟相伝」方式が採用され、技能の熟練者と継承者が相互信頼に基づき相互啓発しながら行われる。この場合、弟子の技能習得を助けるものとして「伝承メモ」(熟練者)と「継承ノート」(継承者)を介在させることが重要である。(4)「わざことば」は、技能の枢要な事項を比喩的あるいは示唆的に表現したもので、それ自体が技能の内容を余すところなく記述したものではないが、しかし技能上達のヒントともなるべきものである。
著者
松王 政浩
出版者
The Philosophy of Science Society, Japan
雑誌
科学哲学 (ISSN:02893428)
巻号頁・発行日
vol.50, pp.71-84, 2017-12-20 (Released:2019-05-02)
参考文献数
24

Recent arguments in philosophy of science concerning artificial intelligence seem to heavily concentrate on social or ethical issues, such as ‘Singularity' problem or harmonious coexistence with AI. But the meaningful relationship between philosophy of science and AI is not limited to that of this kind. The Bayesian network (BN) is one of the central issues in the research of AI, and this has a lot to do with traditional arguments in philosophy of science, since finding the single best definition of causality has been one of main themes in philosophy of science. In this paper, I will consider possible ways for philosophers to be deeply in touch with AI regarding ‘the methodology of BN', ‘the definition of causation', and ‘the elimination of causation'.

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著者
松王 政浩
出版者
The Philosophy of Science Society, Japan
雑誌
科学哲学 (ISSN:02893428)
巻号頁・発行日
vol.51, no.1, pp.79-83, 2018-07-31 (Released:2019-05-02)
著者
松王 政浩
出版者
科学基礎論学会
雑誌
科学基礎論研究 (ISSN:00227668)
巻号頁・発行日
vol.27, no.1, pp.25-30, 1999-12-25 (Released:2009-07-23)
参考文献数
16

時間に関する哲学的議論の一つの大きな焦点は, 果たして時間に関する「事実」がテンスを含んでいるのか, 含んでいないのかという問題にある。(これはマクタガートが時間の非実在性を証明する上で用いたA系列の時間とB系列の時間の区分注1において, いずれが時間にとってより本質的であるか, と問うことに相当する。) この問題についてA.N.プライアはかつて, 以下に述べるような, テンス論を擁護するある有名な主張を述べた。その後, この主張をめぐってテンス論者, 非テンス論者の間で賛否の議論が展開されたが, これまでの議論を見る限りでは, テンス論者の提示した擁護論にはどれも非テンス論者の議論を退けるほど強力なものはなく, 非テンス論者の議論によってほぼプライアの示した問題には決着がつけられたような感がある。この非テンス論の核になる議論は, D.H.メラーが後にM.マクベスの批判を受けて修正を加えた議論である。本稿では, いかにも決定的解答を与えたかのように見えるこのメラーの議論の中で見落とされていると思われる点を明らかにし, この議論によっては非テンス論者は, いまだプライアの問題への十分な解答を与えることができないことを示し出したいと思う。
著者
松王 政浩
出版者
日本科学哲学会
雑誌
科学哲学 (ISSN:02893428)
巻号頁・発行日
vol.30, pp.43-58, 1997-11-10 (Released:2009-05-29)

Scientific methodologies in 17-18th centuries are very important when we think of the relation of philosophy and science in this period. Particularly interesting among them is that of Leibniz's philosophy. His method of finding laws of natural sciences was a so-called hypotheticodeductive method. What is quite remarkable in his methodology is that he not only shows empirically valid criteria for finding laws, in spite of his extreme rationalistic tendencies on one hand, but also delves into the grounds for the hypothetico-deductive method in terms of God's perfection. In this latter point, we can recognize one of the proper roles of philosophy, very clearly distinguished from but united very organistically with those of science.
著者
藏田 伸雄 新田 孝彦 杉山 滋郎 松王 政浩 石原 孝二 伊勢田 哲治 黒田 光太郎 調 麻佐志 金光 秀和
出版者
北海道大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2006

リスク管理については熟議民主主義的な社会的意思決定の枠組みが必要である。またリスク-費用便益分析の「科学的合理性」とは別の「社会的合理性」があり、参加型の意思決定がそれを確保する手段となる。またリスク評価や社会的なリスクの軽減のために専門家(特に技術職)の果たす役割は大きいが、非専門家にも意思決定への「参加義務」があると考えられる。