著者
梶原 洋
出版者
東北福祉大学芹沢銈介美術工芸館
雑誌
東北福祉大学芹沢銈介美術工芸館年報 (ISSN:21862699)
巻号頁・発行日
no.12, pp.43-50, 2021-06-23

1933 年に伊東信雄により樺太で発見された2 領のアイヌ鎧は、主としてその構造が古墳時代の挂甲に類似していることから、平安初期(9 世紀)の所産と推定されていた。しかし、11 から12 世紀に生まれ、鎌倉時代以降に盛んに用いられた「腹巻鎧」との構造的な類似性をもつと推定される。そして、鎧自体の特徴は、北東アジアのチュクチ族などの前合わせ式鎧と共通していて、その伝統に倣った上で、日本式鎧の縄目縅、菱縫などの製作技法を取り入れて作られた可能性が高い。また、サハリンに残されたアイヌ鎧に見られる巴文が、南北朝以降の型式であり、新たに確認された松皮菱文は、武田氏に関連することから、15世紀に蠣崎氏(武田氏)を中心とした道南の和人勢力とアイヌ民族との間で繰り広げられた戦いとの強い関連も推定される。したがって、この鎧は、平安時代9 世紀の所産ではなく、室町時代の15 世紀頃に奥州以北などで製作され、サハリン(樺太)にまでもたらされたとの説明が最も有力となり、従来の年代感は訂正されなくてはならないだろう。
著者
梶原 洋
出版者
東北福祉大学芹沢銈介美術工芸館
雑誌
東北福祉大学芹沢銈介美術工芸館年報 (ISSN:21862699)
巻号頁・発行日
no.12, pp.43-50, 2021-06-23

1933 年に伊東信雄により樺太で発見された2 領のアイヌ鎧は、主としてその構造が古墳時代の挂甲に類似していることから、平安初期(9 世紀)の所産と推定されていた。しかし、11 から12 世紀に生まれ、鎌倉時代以降に盛んに用いられた「腹巻鎧」との構造的な類似性をもつと推定される。そして、鎧自体の特徴は、北東アジアのチュクチ族などの前合わせ式鎧と共通していて、その伝統に倣った上で、日本式鎧の縄目縅、菱縫などの製作技法を取り入れて作られた可能性が高い。また、サハリンに残されたアイヌ鎧に見られる巴文が、南北朝以降の型式であり、新たに確認された松皮菱文は、武田氏に関連することから、15世紀に蠣崎氏(武田氏)を中心とした道南の和人勢力とアイヌ民族との間で繰り広げられた戦いとの強い関連も推定される。したがって、この鎧は、平安時代9 世紀の所産ではなく、室町時代の15 世紀頃に奥州以北などで製作され、サハリン(樺太)にまでもたらされたとの説明が最も有力となり、従来の年代感は訂正されなくてはならないだろう。
著者
梶原 洋
出版者
東北福祉大学
雑誌
東北福祉大学芹沢銈介美術工芸館年報 = Tohoku Fukushi University Serizawa Keisuke Art and Craft Museum annual report (ISSN:21862699)
巻号頁・発行日
vol.1, pp.57-80, 2010-06-23

小札は、アッシリアに始まり、内陸アジアを通して東西に広がった。本論では、ユーラシアに分布する小札について、アルファベットや記号、数字を用いて簡単に小札の縅孔、綴孔などの配置を表現し、それに基づいてA-Hの形式分類と細分を行った。小札鎧は、ユーラシア全体の分布をみると、内陸アジアを中心に西はヨーロッパから東は日本まで分布している(表1)。編年的には、5-6世紀を中心に古くは紀元前から新しくは19世紀まで用いられたことが分かる。(表2)。日本列島における小札鎧もユーラシアに広範に分布する小札鎧文化伝統の最東端に位置するものである。鎧文化における大陸との関係は、古代ばかりでなく中世もしくは近代にまで続き、大鎧の成立や北海道、樺太のアイヌ民族の鎧の存在にも大きな影響を与えたことが考えられる。 Lamellar armor, constructed of hundreds of small rectangular lamellae of wood, hide, bone, antler, bronze, or iron, has been widely used across Eurasia, from Europe to Japan. Rectangular lamellae with holes for lacing one to another with straps or cordsf irst appeared in Assyria in the eighth or seventh century B.C., then spread through central Asia to Siberia, Mongolia, China,Korea and finally Japan in the fifth century A.D.
著者
梶原 洋
出版者
東北福祉大学
雑誌
東北福祉大学芹沢[ケイ]介美術工芸館年報
巻号頁・発行日
vol.1, pp.57-80, 2009

小札は、アッシリアに始まり、内陸アジアを通して東西に広がった。本論では、ユーラシアに分布する小札について、アルファベットや記号、数字を用いて簡単に小札の縅孔、綴孔などの配置を表現し、それに基づいてA-Hの形式分類と細分を行った。小札鎧は、ユーラシア全体の分布をみると、内陸アジアを中心に西はヨーロッパから東は日本まで分布している(表1)。編年的には、5-6世紀を中心に古くは紀元前から新しくは19世紀まで用いられたことが分かる。(表2)。日本列島における小札鎧もユーラシアに広範に分布する小札鎧文化伝統の最東端に位置するものである。鎧文化における大陸との関係は、古代ばかりでなく中世もしくは近代にまで続き、大鎧の成立や北海道、樺太のアイヌ民族の鎧の存在にも大きな影響を与えたことが考えられる。
著者
梶原 洋一
出版者
公益財団法人 史学会
雑誌
史学雑誌 (ISSN:00182478)
巻号頁・発行日
vol.128, no.4, pp.34-58, 2019 (Released:2021-08-26)

一三世紀以来ドミニコ会は大学と緊密な関係を保っていたが、一四世紀半ばはその転機となった。従来ごく限られた大学にしか設置されなかった神学部が各地で新設され、ドミニコ会士の学位取得が格段に容易になったためである。結果、適性に欠ける学位保持者や取得を巡る不祥事の増加に直面したドミニコ会は、修道士の学位取得を厳密かつ中央集権的に管理する体制を一五世紀を通じて構築した。本稿ではこうした新しい制度的環境における、ドミニコ会士による学位取得に関わる規範と実践の関係を解明することを試みた。このためアヴィニョン大学神学部に注目し、学位取得のための修道士の大学派遣を記した修道会総会の決議記録や総長の書簡記録簿といったドミニコ会史料と、アヴィニョン大学の会計簿を対照することで、学位取得を目指した修道士たちについてプロソポグラフィ的分析を行った。一五世紀末のアヴィニョン神学部は、北フランスに広がっていたフランス管区出身のドミニコ会士をとりわけ引きつけたが、アヴィニョンでの学位取得を修道会から命じられた修道士の多くが、より格式の高いパリ大学における取得を望み、この任命を辞退した。修道会が指定する派遣先に不満を抱いたとき、修道士たちは上層部と積極的に交渉し、より有利な任命を引き出そうとした。フランス管区の修道士たちにとってアヴィニョンでの学位取得は、必要な課業について大幅な免除が受けられるという意味において安易である反面、パリでの取得と比べれば魅力に欠けていた。しかし反対に、アヴィニョン修道院を包摂するプロヴァンス管区のドミニコ会士たちにとっては、重要な出世コースとして機能し、修業の期間も長期化した。地方大学が代表するこうした多面的な役割、修道会や地域の情勢に応じ揺れ動く一つの神学部に対する評価は、中世末期の社会ヒエラルキーの中に大学学位が深く埋め込まれていた証左である。
著者
梶原 洋子 樽本 つぐみ
出版者
文教大学
雑誌
文教大学教育学部紀要 (ISSN:03882144)
巻号頁・発行日
no.32, pp.23-31, 1998-12

更年期をよりよい状態で生存するための方策として、日常の運動習慣が如何なる影響を及ぼしているのかを検討するために、ランニングを取り上げ、更年期に当たる女子ランナーの不定愁訴や気分の特徴などを、同年齢の一般女性と比較し、以下の結果を得た。 更年期にあるランナーは年齢に有意差のない健常な一般女性に比べて、更年期障害およびその中等度以上の有症状の発症頻度は有意に低値で、POMSからみた気分の状態もランナーの方が良好とされる典型的な氷山型のプロフィールを示し、メンタルヘルスも良好なことが窺われた。また、更年期の女性ランナーは低年齢の実業団選手に比べて「憂鬱」の尺度が有意に低値で、POMSのプロフィールもエリートランナーと同様に、良好なプロフィールとされる氷山型を示した。すなわち、現在のライフスタイルの中にランニングという身体活動を習慣化し、じょうずに構築している女性ランナーは心身ともに健康的で、ランニングがquality of life (QOL)の向上に好影響を及ぼしていることが明らかになった。