- 著者
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森 紀子
- 出版者
- 奈良大学史学会
- 雑誌
- 奈良史学 (ISSN:02894874)
- 巻号頁・発行日
- no.2, pp.62-78, 1984-12
万暦四十六年(一六一八)、巡塩御史竜遇奇の奏により提出された塩政綱法は、実際のところ両准塩法疏理道哀世振の提言にかかるものであり、その実行も「丁巳年(万暦四十五年)の塩法をもって疏理の始めとなす」ものであったことはよく知られている。この綱法は、これによって「商専売の制度が確立し、それが清代に継承された」ものとして、すなわち、「商人には永久に塩引占有権が認められ、子々孫々にその権利を継承させることが許された」点をもって、塩法史上に画期的な意味をもつものとされている。しかし、この効果はいわば結果論的なものであり、綱法成立の意図はあくまでも、万暦年間に積滞した塩引を消化することにあったことは、先学も指摘し、何よりも裳世振自身がその議論において詳述しているところである。綱法実施の前年、やはり衰世振の起草にかかる戸部十議の疏が、戸部尚書李汝華によって奏上されている。この戸部十議の提案が、そのまま綱法として成立実施されたわけではないが、目前の塩政上の問題点に詳しく、我々が当時をうかがうよすがとなる。本論ではこれらの議論を参照しつつ、綱法成立前の、とりわけ嘉靖、万暦期における両潅塩政上の問題を整理しようとするものである。