- 著者
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浅岡 邦雄
- 出版者
- 国際日本文化研究センター
- 雑誌
- 日本研究 (ISSN:09150900)
- 巻号頁・発行日
- vol.27, pp.201-214, 2003-03
本稿の目的は、鈴木貞美編『雑誌『太陽』と国民文化の形成』に掲載の論文、原秀成「近代の法とメディア―博文館が手本とした一九世紀の欧米」を批判的に検証することにある。 原論文における中心的論点は以下の通りである。出版社博文館が発行した雑誌『日本大家論集』は、米国で刊行された『ハーパー新月報』を手本にしたものである。その根拠は、『日本大家論集』創刊から七年半後、雑誌『太陽』創刊の広告に記載された九誌の欧米雑誌のなかで、米国の『ハーパー新月報』が『日本大家論集』と同様の無断転載雑誌であったからだという。また、『ハーパー新月報』が他誌から無断転載が可能であった要因として、米国はベルヌ著作権条約に加盟していなかったこと、さらにベルヌ著作権条約自体が必ずしも雑誌記事の無断転載を禁じていなかったことをあげ、博文館は『ハーパー新月報』と同じやり方で『日本大家論集』を出版し、複製の仕方が、欧米から複製されたのだと述べる。 しかしながら、前述の中心的論点は、次の理由で根本的に成立しないということができる。(1) 広告に記載された欧米の九雑誌は、雑誌『太陽』の創刊に参照された雑誌であり、『日本大家論集』はその七年半前に創刊されたのであるから、欧米の九雑誌とは何ら関係がないこと。(2) 原論文自身そのことを明らかにしているように、『ハーパー新月報』は一八五〇年代末には無断転載雑誌ではなくなっているのであるから、一八八七年創刊の『日本大家論集』が参考にできるはずがないこと。 この問題についての筆者の見解を述べれば次の通りである。 『日本大家論集』の構想は、長岡で書店を経営していた大橋新太郎によって着想されたものである。その書店で、学術雑誌などの販売の経験を通じて、彼は新しい雑誌出版の発想を得たものと考えられる。彼が扱った雑誌の中には、『日本大家論集』のモデルともいえる他雑誌から無断で記事を転載する雑誌もあった。以上のことから、『日本大家論集』の出版の発想は、新太郎の雑誌販売の経験から着想されたことは間違いない。 このように原論文には、論証作業の不備、その時代の特性に対する感受性の欠如、さらには資料を正確に読み取れていないこと、などの欠点があると指摘できよう。本稿ではこのほかにも、歴史的研究論考としていかに多くの欠陥と問題点があるかを具体的に論証した。