著者
片岡 啓
出版者
日本南アジア学会
雑誌
南アジア研究 (ISSN:09155643)
巻号頁・発行日
vol.2008, no.20, pp.142-159, 2008-12-15 (Released:2011-08-17)
参考文献数
34

日本の「印哲」-東大・京大などにあるインド学・仏教学の研究-は欧米のIndologyとは性格を異にする。歴史を見ても印哲は「仏教学」とくに教理・教学の研究を中心に成立してきた。伝統的・護教論的な仏教漢文の講読から、インド学の文献学的手法を加味した教理・思想研究へと展開し、そこから文献学の手法による客観的・実証的な思想史研究へと方向を定め、対象も方法も多様化してきた。中村以後を見渡すとき、極端な専門化が進行しているのが分かる。そしてそれは資源の集中という形で「学問的」には大きな成功を収めてきた。そこに抜け落ちたのは現代インドへの関心である。結果として、サンスクリット文献と現代を繋ぎ、そのギャップを埋めんとする情熱は低い。国際的な発信という成功の影で、国内一般向けの成果還元や他分野研究者との交流への意欲が減退しているかに映る。「中村元以後」の印哲、日本のインド学をどう方向付けていくのか、これからの課題である。
著者
片岡 啓
出版者
一般社団法人 日本科学教育学会
雑誌
日本科学教育学会年会論文集 37 (ISSN:21863628)
巻号頁・発行日
pp.96-99, 2013-09-06 (Released:2018-05-16)

旧制中学校における,立体幾何と投影図法を融合させた円錐断面の探究教材に学び,電卓の簡単な利用によって,高校程度の数学で厚紙から円錐の切断模型を作製する。
著者
片岡 啓
出版者
日本印度学仏教学会
雑誌
印度學佛教學研究 (ISSN:00194344)
巻号頁・発行日
vol.67, no.1, pp.374-367, 2018-12-20 (Released:2019-09-07)
参考文献数
10

When describing the sākārajñānavādipakṣa, i.e., the thesis of those who hold that cognition is endowed with images, Kamalaśīla explicitly states that manifold images (ākāra) are unreal (asatya) and not absolutely true (pāramārthika). His statement can be interpreted as a negation of the theory of citrādvaita common to the Sautrāntikas and the Yogācāras from the higher perspective peculiar to the Yogācāras, particularly in relation to the asallakṣanānupraveśopāya in which grāhya is denied. In other words, this statement should not be taken as an expression of the alīkākāravāda, i.e., the view that images are false. Therefore, we do not have to abandon our common presumption that the sākārajñānavāda is equivalent to what is later called satyākāravāda. Kamalaśīla’s statement is acceptable in the well-established framing of our theoretical understanding. The value of asatya can vary according to whether the contrast is between parikalpita and paratantra, or between paratantra and pariniṣpanna. The issue that Funayama 2007 raised can be solved in this way. Otherwise, we would have to completely give up our common understanding, because what Kamalaśīla calls sākārajñānavāda would correspond to the alīkākāravāda.
著者
中江 利孝 片岡 啓 宮本 拓
出版者
公益社団法人 日本畜産学会
雑誌
日本畜産学会報 (ISSN:1346907X)
巻号頁・発行日
vol.45, no.6, pp.347-351, 1974-06-25 (Released:2008-03-10)
参考文献数
16
被引用文献数
1

バター脂肪やマーガリン脂肪の融点測定には,従来毛細管法が用いられているが,著者らは連続的な恒温条件下の温度勾配装置を用いて,その融点測定の可能性に検討を加えた.試料は市販のバターおよびマーガリンを用い,透明融点,上昇融点および温度勾配法による固液臨界点を測定した.固液臨界点は,9°Cから50°Cの温度勾配下で下固相と液相の間にできる安定した境界層の相当温度をもって表わした.その固液臨界点の再現性,従来法の透明融点および上昇融点と固液臨界点との比較,ならびに試料の固化条件について調べた結果,温度勾配法による固液臨界点の相当位置は,試料封入管挿入後約2時間以内に現われるが,安定した固液臨界点は10時間後に得られ,約±1°C以下の誤差範囲で再現性のある測定が可能であった.実際のバターおよびマーガリン試料の分析結果から,温度勾配法による固液臨界点は,従来法の透明融点とほぼ一致する結果が得られた.また,固液臨界点に及ぼす冷却法の前処理の影響はほとんどみられなかった.以上の結果,一定条件下のバターおよびマーガリン脂肪の試料を温度勾配装置に設定することによって,所定時間後の固液臨界点の測定からそれらの融点を求め得ることがわかった.
著者
片岡 啓
出版者
日本南アジア学会
雑誌
南アジア研究 (ISSN:09155643)
巻号頁・発行日
vol.2008, no.20, pp.142-159, 2008

日本の「印哲」-東大・京大などにあるインド学・仏教学の研究-は欧米のIndologyとは性格を異にする。歴史を見ても印哲は「仏教学」とくに教理・教学の研究を中心に成立してきた。伝統的・護教論的な仏教漢文の講読から、インド学の文献学的手法を加味した教理・思想研究へと展開し、そこから文献学の手法による客観的・実証的な思想史研究へと方向を定め、対象も方法も多様化してきた。中村以後を見渡すとき、極端な専門化が進行しているのが分かる。そしてそれは資源の集中という形で「学問的」には大きな成功を収めてきた。そこに抜け落ちたのは現代インドへの関心である。結果として、サンスクリット文献と現代を繋ぎ、そのギャップを埋めんとする情熱は低い。国際的な発信という成功の影で、国内一般向けの成果還元や他分野研究者との交流への意欲が減退しているかに映る。「中村元以後」の印哲、日本のインド学をどう方向付けていくのか、これからの課題である。
著者
桂 紹隆 吉田 哲 片岡 啓 志賀 浄邦 護山 真也 能仁 正顕
出版者
龍谷大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2015-04-01

平成28年5月28日・29日に龍谷大学において国際ワークショップ「Bhaviveka and Satyadvaya」を開催した。京都大学の出口康夫教授の基調講演"Bhaviveka on Negation from a Contemporary Viewpoint"のあと、米国のDavid Eckel, Mark Siderits教授、中国の葉少勇、何歓歓、李生海博士、日本の一郷正道、斎藤明教授他8名、合計15名の研究発表が行われた。Eckel, Siderits, 一郷教授の発表は「インド学チベット学研究」第20号に既に掲載されている。李博士の研究は、Journal of Indian Philosophyに掲載される予定である。近年斎藤教授を中心に進められているBhaviveka(清弁)研究の国際ワークショップを引き継ぐものであり、上記の研究成果は、ラトナーカラシャーンティの『般若波羅蜜多論』の内容理解、とくに対論者である中観派の学匠の見解を同定するの大いに貢献した。『般若波羅蜜多論』を読解するための定例研究会を引き続き行い、平成29年3月には全編を読了することができた。主として関係文献へのレファレンスからなる詳細な和訳研究は一応完成することができた。ただし、梵語原典の校訂者である羅鴻博士の来日が実現しなかったため、「和訳研究」の出版には、もう少し時間をかけることとした。平成29年3月には、タイのマヒドン大学で開催された「ジュニャーナシュリーミトラ研究会」に参加し、『般若波羅蜜多論』の梗概を紹介すると同時に、ハンブルク大学のIsaccson教授の「有相証明論」の読書会に参加し、ラトナーカラシャーンティの「無相論」の理解を深めることができた。
著者
片岡 啓
出版者
九州大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2011

インド仏教論理学における語の意味の理論については,近年,資料状況が変わりつつあり,それに伴い従来の研究を見直すべき時期に来ている.報告者は,仏教の伝統の外側から仏教の意味論を見直すために,報告者自身がサンスクリット語写本に基づき批判校訂した『論理の花房』(紀元後9世紀後半頃)というバラモン教文献に基づきながら,そこにおける仏教説批判を詳細に検討することを研究課題とした.研究成果の中心となるのは,『論理の花房』における語意論,特に,仏教説批判の箇所である.三篇の訳注研究を発表するとともに,関連する研究論文五篇,および,批判校訂一篇を学会誌・紀要に掲載した.