著者
石川 達夫
出版者
専修大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2022-04-01

地政学的・歴史的条件などによって固有の精神風土が形成された中欧のチェコでは、深刻なものと滑稽なもの、悲劇と喜劇が混合した独特のグロテスクと笑いが発展したが、それは現代チェコ文学と中世チェコ文学に顕著に見られる。本研究は、特にグレーヴィチの中世グロテスク論とチェコの最新の中世の笑いに関する論考を参照しつつ、①現代および中世チェコの文学作品の具体的な分析を通じて独特のグロテスクと笑いを解明し、②両方の時代におけるグロテスクと笑いの共通点と相違点を明らかにすると共に、人間存在の真相を開示するものとしてのグロテスクと笑いの時代を超えた機能と意味を探求する。
著者
橋本 隆夫 内田 正博 小紫 重徳 光末 紀子 石川 達夫 三木原 浩 平野 雅史 石光 輝子
出版者
神戸大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
1998

冷戦構造の解体後の新たなナショナリズムのうねりの中で、ユーロ通貨統合に象徴される統合体としてのアイデンティティを模索するヨーロッパの文化の交錯をめぐるわれわれの研究は、これまでの成果を深めさらに一層の広がりと深みの地平を獲得し、ここでひとまず4年の区切りをつける。今年度は各自が4年の研究活動の集大成として、研究会の発表を基に、また、ある者は海外より持ち帰った最新の文献資料を駆使し、それぞれの研究を論文に結実させた。個々の活動としては、1 研究会としては11月30日に橋本隆夫氏が「新石器革命と大地母神信仰」と題して、ヨーロッパの基層にある大地母神信仰について考古学的知見とホメロスやヘロドトスの文献的研究をクロスさせた学際的発表を行った。2 7月12日に立命館大学教授西成彦氏を迎え、「小説の一言語使用」の題目で講演会および討論会を行い、ポーランド生まれのイギリス作家ジョセフ・コンラッドの言語的アイデンティティのゆらぎを中心に活発な意見が交わされた。3 12月7日には静岡文化芸術大学専任講師小林真理氏による講演会「ヨーロッパの文化権と文化法について」が行われた。文化芸術振興基本法についての議論が進められる中、文化の中心地として長く君臨したヨーロッパの現在の文化支援や文化政策について多くの知見が得られた。研究会、講演会、海外調査研究を通じて、わたしたちはヨーロッパにおける文化の交錯とアイデンティティの複雑さ、強靭さの一端を垣間見ることができた。地域研究=個別文化研究の枠組みにおさまりがちだったヨーロッパ研究の守備範囲を少しでも広げられたのではないかと小さな自負を感じるしだいである。
著者
石川 達夫
出版者
神戸大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
1996

まず、プラハの成立の事情を探ってゆくと、プラハはヨーロッパでもかなり特殊な地位にある町であることが明らかになった。「プラハ」の名の語源に関しては様々な説があるが、極めて信憑性の高い説によれば、「プラハ」は「プラヒ」(浅瀬)という言葉に由来する。ヨーロッパの中央に位置する町プラハは、エルベ川支流のヴルタヴァ川の浅瀬(プラヒ)でヨーロッパの東西南北を結ぶ道が交差する地点にできた町であり、古来ヨーロッパの十字路だったのである。しかし、人口に膾炙した伝説によれば、「プラハ」は「敷居」に由来するという。これは、プラハを創設したチェコ最初の王妃リブシェにまつわる伝説であり、この有名な伝説は時代と共に変容しながら、チェコのみならずドイツの様々な芸術作品を生んでいった。このように、プラハの様々な固有名詞に関する一連の研究によって、プラハの極めて興味深い文化史を掘り起こすことができた。プラハは、町の成立当初から、単にチェコ人だけの町ではなく、ユダヤ人とドイツ人の町でもあった。プラハの文化史を辿ることによって、その特徴を成す複数文化的な性格を明らかにすることができた。特に、ヨーロッパの様々な民族の人々がプラハにやって来て、チェコ人以外の芸術家たちが壮麗な宮殿や見事な彫刻を造ったバロックの時代、やはりヨーロッパの様々な民族の人々がプラハにやって来て、国際色豊かな文化を形成した両大戦間の時代など、プラハはヨーロッパの文化の十字路と呼ぶにふさわしい性格を有してきたことが分かった。一九三〇年代にプラハに移住した、チェコ語の姓を持つオーストリアの画家・劇作家オスカル・ココシュカが言ったように、プラハは「ヨーロッパが最後に辿り着いた、コスモポリタン的な中心地」になっていたのである。
著者
諌早 勇一 MELNIKOVA Irina 服部 文昭 三谷 惠子 石川 達夫 楯岡 求美 松本 賢一
出版者
同志社大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2003

1)ロシアと汎スラヴ主義a)スラヴ民族は、しばしば互いの協力と連帯を求める「スラヴ主義」を唱えてきた。b)「スラヴ主義」には親ロシア的な汎スラヴ主義と反ロシア的な複スラヴ主義がある。c)汎スラヴ主義は正教徒の擁護を唱え、ロシアを中心とする拡張主義的傾向が強い。ドストエフスキイはその代表的論客である。d)複スラヴ主義は多くの場合、反ロシア的か反カトリック的だった。チェコスロヴァキアとユーゴスラヴィアはこの思想を体現した国家だが、複スラヴ主義の破綻とともに、国家としても消滅した。e)ソヴィエト映画では「スラヴの兄弟」という概念がしばしば謳われているが、この概念はロシアの拡張主義と深く結びついている。2)亡命と文化の越境a)第一次ロシア亡命者はスラヴ諸国に多く移住したが、受入国の亡命者への態度はさまざまだった。b)受入国が亡命者に好意的だった国では亡命文化が開花したが、非好意的な国では開花できなかった。c)亡命したロシア人演劇関係者は、西欧世界にスタニスラフスキー、メイエルホリドらの最新の演出方法を知らせるのに貢献した。d)チェコスロヴァキア・アヴァンギャルドのブックデザインは、ロシア構成主義の影響を色濃く受けているが、やがてその影響を克服し、独自のスタイルを生み出した。3)ナショナリズムとスラヴ語a)スラヴ諸国においては、近代文章語の成立はナショナリズムの高揚と密接につながっている。b)国家として独立できなかった民族の言語(たとえば上下ソルブ語)は絶滅の危機に瀕しているが、同時に少数言語として保存させるためのさまざまな方策が今日採られている。4)以上の成果は成果報告書「スラヴ世界における文化の越境と交錯」(2007)に掲載されているが、同時にホームページhttp:///www.kinet-tv.ne.jp/~yisahaya/Kaken-2.pdf上にも公開されている。