著者
近藤 康久
出版者
東京大学
雑誌
東京大学考古学研究室研究紀要 (ISSN:02873850)
巻号頁・発行日
vol.21, pp.1-82, 2007-03-20

縄文遺跡から出土する石錘・土錘は,多くの場合漁網錘として解釈されるが,他にも釣り用の錘や独木舟の碇,編物用の錘など,さまざまな用途が提案されており,決着をみていない。このような問題をふまえ,本稿では,武蔵野台地・下末吉台地および多摩丘陵において縄文時代錘具および錘具出土遺跡の全数調査を実施した結果に基づいて,地理情報システム(GIS)を用いて報告点数・器種・コンテクスト・重量など錘具の諸属性をマッピングし,錘具の出土した「空間」の特性を人間活動の「場所」として評価することによって,その「場所」で用いられた錘具という考古遺物の性格ならびに用途を再検討する。分析の結果,(1)錘具は古東京湾岸と多摩川下流左岸・野川一帯に集中しつつ,武蔵野台地や多摩丘陵にスポット状に分布する傾向があることと,(2)縄文中期中葉の勝坂II式期より中期後葉の加曽利EIII式期にかけて土器片錘が爆発的に普及すること,(3)海岸ゾーンに近づくほど土器片錘の比率が増し,遠ざかるほど石錘の比率が増すこと,(4)中期中葉には東京湾に近づくほど阿玉台式土器片錘の比率が高まること,(5)後期に切目石錘の比率が高まり,晩期には切目石錘・有溝石錘・有溝土錘を主体とした器種構成になること,(6)石錘の方が土錘よりも重い資料が多いが全体としては両器種ともよく似た重量分布を示すこと,そして(7)土錘・石錘ともに包含層・住居趾からの出土を基本としながら低湿地の水成堆積層からも出土することなどが明らかになった。これらの現象を総合的に考察すると,縄文時代の錘具は,打欠石錘も含めて,一般的には漁網の沈子として用いられ,300gを超える大型石錘も水域での活動に用いられた可能性が高いと結論することができる。
著者
近藤 康久
出版者
農村計画学会
雑誌
農村計画学会誌 (ISSN:09129731)
巻号頁・発行日
vol.39, no.2, pp.104-107, 2020-09-30 (Released:2021-09-30)
参考文献数
6
被引用文献数
1 1
著者
小口 高 近藤 康久
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2013, 2013

オマーン内陸部のワディ・アル=カビール盆地は、大規模な山地であるハジャル山脈の南麓に位置する。盆地には涸れ川(ワディ)が分布しており、とくに東から流入するワディ・アル=カビールと、北から流入するワディ・フワイバが顕著である。本地域は1988年にユネスコの世界文化遺産に登録された「バット、アル=フトゥム、アル=アインの考古遺跡群」の一部を含み、石積みの墓などの完新世中期の人類遺跡で知られる。さらに旧石器時代の遺物も発見されており、日本、米国、ドイツなどの考古学者が近年活発に調査を行っている。 演者らは2013年初頭にワディ・アル=カビール盆地とその周辺の地形と地質を調査した。その結果、興味深い斜面地形、河川地形、表層堆積物が確認された。その一例は、盆地の北東部に位置する比高300 m程度の山地と山麓の地形(図1)である。山地の中部~下部の斜面には、基板岩の構造を反映する帯状の凹凸がみられ、凸部(図1の暗色部、A)には石器の材料となる良質のチャートが含まれる。山地斜面の谷の両脇には開析された崖錐斜面(B)が分布する。山麓の一部には扇状地がみられ、相対的に古いもの(C)と新しいもの(D)を識別できる。さらにその下方にはワディ・アル=カビールが形成した氾濫原が分布している(E)。崖錐斜面や扇状地の地表面および堆積物から、中期旧石器などの考古遺物が発見された。 既存研究によると、中東地域の開析された崖錐斜面は氷期~間氷期の気候変化を反映する。現地観察によると、扇状地や氾濫原における完新世中期以降の地形変化は概して不活発であり、それ以前に大規模な堆積を含む顕著な地形変化があったと考えられる。今後、地形変化の実態と人類史との関係を、さらなる現地調査を通じて詳しく検討する予定である。
著者
米田 穣 阿部 彩子 小口 高 森 洋久 丸川 雄三 川幡 穂高 横山 祐典 近藤 康久
出版者
東京大学
雑誌
新学術領域研究(研究領域提案型)
巻号頁・発行日
2010-04-01

本研究では、全球大気・海洋モデルによって古気候分布を復元し、旧人と新人の分布変動と比較検討することで、気候変動が交替劇に及ぼした影響を検証した。そのため、既報の理化学年代を集成して、前処理や測定法による信頼性評価を行い、系統的なずれを補正して年代を再評価した。この補正年代から、欧州における旧人絶滅年代が4.2万年であり、新人の到達(4.7万年前)とは直接対応しないと分かった。学習仮説が予測する新人の高い個体学習能力が、気候回復にともなう好適地への再拡散で有利に働き、旧人のニッチが奪われたものと考えられる。
著者
近藤 康久
出版者
東京大学
雑誌
特別研究員奨励費
巻号頁・発行日
2008

研究課題である縄文時代網漁の再評価に向け、第2年度は地理情報システム(GIS)によるデータ解析を中心に、以下の通り研究を実施した。1縄文遺跡・漁網錘データベースの拡充を図った。これは今後の考古学の研究基盤を整備したという点において重要な意義を有する。この中から、これまでに少なくとも354遺跡から11,657点の漁網錘が出土している東京湾西岸帯を重点分析対象地域に選定した。2上記の数量は、(1)遺跡ごとの発掘面積のちがいと(2)自治体間の調査頻度のちがいに起因するバイアスを被っている。そこでまず(1)を補正するために、遺物検出率と遺跡の未掘面積・発掘面積比から遺跡あたりの遺物存在期待値を求める方法を考案した。次に(2)の問題を空間的自己相関分析の手法を用いて検証した結果、存在期待値は報告実数にみられた自治体間のバイアスを低減する方向に作用することが明らかになった。3対象地域内の自然遊歩道でGPS歩行実験を行い、その結果に基づいて分析地域に適用する移動コスト推定式を設定した。この式を用いて錘具出土地点から谷筋沿いに最寄りの大規模集落を特定するアロケーション分析を行い、大規模集落の漁撈活動領域を推定した。その上で、集落領域ごとの錘具の特徴を調べたところ、海岸に近づくほど土器片錘の比率が増し、上流にさかのぼるほど石錘の比率が増すというパターンを明確にとらえることができた。4解析結果を総合的に検討した結果、時間的には土器型式の細別段階レベル、空間的には1kmメッシュレベルの精度で、縄文時代網漁業の時空間動態を復元することに成功した。特に西南関東では、縄文前期の黒浜式期以降段階的に発展した網漁業が、中期中葉の勝坂I式期から中期後葉の加曽利EII式期にかけて極相に達し、後期初頭の称名寺式期の一時的な落ち込みと後期前半堀之内I式期の回復を経て、低調に転じることが明らかになった。