著者
鈴木貞吉 著
出版者
鈴木貞吉
巻号頁・発行日
vol.湖東会戦編, 1938
著者
鈴木 貞美
出版者
国際日本文化研究センター
雑誌
日本研究
巻号頁・発行日
vol.42, pp.187-214, 2010-09-30

日本の一九二〇年代、三〇年代における(狭義の)モダニズム文藝のヴィジュアリティー(視覚性)は、絵画、写真、また演劇等の映像だけではなく、映画の動く映像技法と密接に関係する。江戸川乱歩の探偵小説は、視覚像の喚起力に富むこと、また視覚像のトリックを意識的に用いるなど視覚とのかかわりが強いことでも知られる。それゆえ、ここでは、江戸川乱歩の小説作品群のヴィジュアリティー、特に映画の表現技法との関係を考察するが、乱歩が探偵小説を書きはじめる時期に強く影響をうけた谷崎潤一郎の小説群には、映画的表現技法の導入が明確であり、それと比較することで、江戸川乱歩におけるヴィジュアリティーの特質を明らかにしたい。それによって、日本の文藝における「モダニズム」概念と「ヴィジュアリティー」概念、そして、その関係の再検討を試みたい。
著者
鈴木 貞美
出版者
国際日本文化研究センター
雑誌
日本研究
巻号頁・発行日
vol.43, pp.237-260, 2011-03-31

本稿では、第二次大戦後の日本で主流になっていた「自然主義」対「反自然主義」という日本近代文学史の分析スキームを完全に解体し、文藝表現観と文藝表現の様式(style)を指標に、広い意味での象徴主義を主流においた文藝史を新たに構想する。そのために、文藝(literar art)をめぐる近代的概念体系(conceptual system)とその組み換えの過程を明らかにし、宗教や自然科学との関連を示しながら、藝術観と藝術全般の様式の変化のなかで文藝表現の変化を跡づけるために、絵画における印象主義から「モダニズム」と呼ぶ用法を採用する。印象主義は、外界を受けとる人間の感覚や意識に根ざそうとする姿勢を藝術表現上に示したものであり、その意味で、のちの現象学と共通の根をもち、今日につながる現代的な表現の態度のはじまりを意味するからである。
著者
鈴木 貞美
出版者
国際日本文化研究センター
雑誌
日本研究 : 国際日本文化研究センター紀要 (ISSN:09150900)
巻号頁・発行日
no.2, pp.139-170, 1990-03-10

文芸作品を研究の対象とし、また他の分野の研究の素材として用いるに際して、不可欠なのは、作品を作品として対象化する態度の確立である。かかる態度の端緒は、時枝誠記『国語学原論』によって開かれているが、その基本は、言語を人間の活動性において把握しようとする立場にある。この活動論的契機を芸術一般論に導入し、作品を作家の主観へ還元する近代人格主義的芸術観を批判しつつ、芸術活動の本質をなすものは、虚構を美的鑑賞の対象として扱う鑑賞的態度であると仮定する。次に、時枝言語論を芸術論へと拡張し、表現を認識の逆過程とする三浦つとむ「表現過程論」を批判的媒介とすることで、芸術活動の目的が鑑賞者の美的規範に働きかけるものであること、作品制作過程に「作者と鑑賞者の相互転換」の運動が成立していること、及びその運動の成立する"表現の場所"における転換構造の分析を行う。さらには時枝言語論、吉本隆明『言語において美とは何か』の根本概念について活動論的な検討を加えて、文芸表現活動の特質が、芸術活動と言語活動の二重性をもつ以上、作品を作品として対象化する態度の基本は、その虚構性と文体性を結合する表現主体の「方法」の把握にあると主張する。

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著者
鈴木 貞吉
出版者
一般社団法人 日本物理学会
雑誌
日本物理学会講演概要集 72.1 (ISSN:21890803)
巻号頁・発行日
pp.1, 2017 (Released:2018-04-19)

元東京理科大学大学院教授今村喜夫先生の見掛けと云う概念、つまり地球は何時も動いているから、地球上での観測は全て見かけの値となると云う鉄則から出発して、50回目で湧き出しを理論的に説くことに成功した。湧き出しという概念を、誰が発明したか?私は知らないが,磁気の湧き出しが左手モータ右発電の中指とすると、私の湧き出しは親指になる。運動エネルギーの湧き出しで、脱原発文明をきずいていきたい。
著者
鈴木 貞美
出版者
国際日本文化研究センター
雑誌
日本研究
巻号頁・発行日
vol.38, pp.315-348, 2008-09-30

和辻哲郎(一八八九―一九六〇)の『ニイチェ研究』(一九一三)は、彼の哲学者としての出発点をなす書物であり、同時に、日本における初めてのまとまったフリードリッヒ・ウィルヘルム・ニーチェ(Friedrich Willhelm Nietzsche, 1844-1900)の研究書として知られている。また、そこに示された考え方は、その後の彼の歩みに、かなりの意味をもつものとなった。
著者
鈴木 貞美
出版者
国際日本文化研究センター
雑誌
日本研究 (ISSN:09150900)
巻号頁・発行日
vol.40, pp.377-391, 2009-11

福沢諭吉ら明治啓蒙思想家たちは、明治維新を「四民平等」を実現した革命のように論じたが、黒船ショックが引き起こした倒幕運動は、開国か、尊皇攘夷かが争われ、紆余曲折を経て、尊皇開国に落ち着いたもので、その過程で政治の自由や四民平等がスローガンにあがったことはない。すでに、江戸時代のうちに、いのちの自由・平等思想がひろがり、身分制度も金の力でグズグズになっていたため、デモクラシーは至極当然のことのように受けとめられたのだった。明治新政府は、一八三七年一月に徴兵令の告諭を発し、国民の自由・平等を認め、それと引きかえに「国家の災害を防ぐ」ために、西洋でいう「血税」として、二十歳に達した男子に三年の兵役義務を課した。「国民皆兵」制度は、国民各自が自分の権力の一部を国家に提供し、秩序を維持し、各人の安全の保証を得るという自然権思想に立つものだが、明治啓蒙家たちの思想においては、自由、平等が未分化で、自然権思想や社会契約説の定着が見られないことが、すでに指摘されている。しかし、その理由については、これまで恣意的な分析しか行われてこなかった。 その理由は、ヨーロッパやアメリカにおけり各種の「自由・平等」思想をひとくくりにして、天賦人権論として受けとめたこと、それらのリセプターとして、江戸時代に公認されていた朱子学の「天理」や、ひろく流布していた天道思想が働いたことに求められる。そして、江戸時代の通念では、いのちの自由と平等とがセットになっていたため、天賦人権論者たちは、あらためて自由と平等の関係について、それぞれを社会や国家と関係づけながら考えようとしなかったのである。それゆえ、個々人の諸権利についても、いのちにおける、社会における、国家におけるそれが切り分けられないまま、個人、社会、 国家の相互の関係についての考え方が、時どきの状況により、また論者の立場によって、たえず変化することになった。ここでは、まず「自由」「平等」が、どのように受け止められたのかについて検討し、そのうえで個々人の社会論、国家論を考えてみたい。外来の概念とその「リセプター」となった伝統概念とをあわせて考察すること、また、「自由と平等」のように、複数の概念を組み合わせて、個々人の概念形成を解明することは、社会的に流通する概念組織(conceptural system or network)の形成を解明するために有効かつ不可欠な方法である。
著者
鈴木 貞吉
出版者
一般社団法人 日本物理学会
雑誌
日本物理学会講演概要集 71.2 (ISSN:21890803)
巻号頁・発行日
pp.34, 2016 (Released:2017-12-05)

前回の東北学院大学では、ニュウトンの万有引力の法則の分母の半径、rをゼロにしても、Fは無限大にならないことを説明した。すなわち、測地線が無限大になるのである。そこまでは、時間の制限で語れなかったので、今回説明する。
著者
鈴木 貞美
出版者
国際日本文化研究センター
雑誌
日本研究 = NIHON KENKYŪ
巻号頁・発行日
vol.56, pp.173-210, 2017-10-20

スティーヴン・ドッド『青春のことども――梶井基次郎の時代の生と死』(ハワイ大学プレス、2014)は、国際的な展望に立ち、梶井基次郎の世界を高く評価する論考と、ほとんどの作品の翻訳を収めた英語による初めての書物である。その論考部分は、欧米の諸分野の理論を援用し、国際的学際的な視野に立ち、日本のモダニズムをめぐる重大な課題を提起し、鋭い指摘に満ちている。創造的であろうとするあまり、理論の適用限界や文芸文化史の見渡しに問題が見受けられるが、それは決してドッド一人が抱える問題ではない。とくに1980年代までの日本の文芸批評の歴史的限界がはたらいている。本稿は、ドッドの広い視野に立つ挑戦を真に意義あるものにするために、文芸批評の方法を検討し、日本モダニズム研究に新しいステージを拓く試みである。
著者
鈴木 貞美
出版者
国際日本文化研究センター
雑誌
日本研究 (ISSN:09150900)
巻号頁・発行日
vol.43, pp.237-260, 2011-03

本稿では、第二次大戦後の日本で主流になっていた「自然主義」対「反自然主義」という日本近代文学史の分析スキームを完全に解体し、文藝表現観と文藝表現の様式(style)を指標に、広い意味での象徴主義を主流においた文藝史を新たに構想する。そのために、文藝(literar art)をめぐる近代的概念体系(conceptual system)とその組み換えの過程を明らかにし、宗教や自然科学との関連を示しながら、藝術観と藝術全般の様式の変化のなかで文藝表現の変化を跡づけるために、絵画における印象主義から「モダニズム」と呼ぶ用法を採用する。印象主義は、外界を受けとる人間の感覚や意識に根ざそうとする姿勢を藝術表現上に示したものであり、その意味で、のちの現象学と共通の根をもち、今日につながる現代的な表現の態度のはじまりを意味するからである。 従来用いられてきた一九二〇年代後半から顕著になる新傾向には、「狭義のモダニズム」という規定を行い、ここにいう広義のモダニズムの流れに、どのような変化が起こったことによって、それが生じたのかを明らかにする。従来の狭義のモダニズムを基準にするなら、ここにいうのはモダニズム前史ないし"early modernism"からの流れということになる。 本稿は、次の三章で構成する。第一章「文藝という概念」では、日本および東アジアにおける文藝(狭義の「文学」、文字で記された言語藝術)という概念について、広義の「文学」の日本的特殊性――ヨーロッパ語の"humanities"の翻訳語として成立したものだが、ヨーロッパと異なり、宗教の叙述、「漢文」と呼ばれる中国語による記述、また民衆文藝を内包する――と関連させつつ、ごく簡単に示す。その上で、それがヨーロッパの一九世紀後期に台頭した象徴主義が帯びていた神秘的宗教性を受容し、藝術の普遍性、永遠性の観念とアジア主義や文化相対主義をともなって展開する様子を概括する。日本の象徴主義は、イギリス、フランス、ドイツの、それぞれに異なる傾向の象徴主義を受容しつつ、東洋的伝統を織り込みながら、多彩に展開したものだったが、その核心に「普遍的な生命の表現」という表現観をもっていた。これは国際的な前衛美術にも認められるものである。 第二章「美術におけるモダニズム」では、印象主義、象徴主義、アーリイ・モダニズムの流れを一連のものとしてとらえ、その刺戟を受けながら、二〇世紀前期の日本の美術がたどった歩みを概観する。 第三章「文藝におけるモダニズム」では、二〇世紀前期の日本美術と平行する文藝表現の動向を概観する。そして、それと狭義のモダニズムの顕著な傾向である表現の形式と構成法への強い関心との連続性と断絶を示す。ただし、広義のモダニズムの中には、もうひとつ、表現の即興性にかける流れも生まれていた。小説においては「しゃべるように書く」饒舌体で、それが一九三五年前後に、狭義のモダニズムに対して、ポスト・モダニズムともいうべき「この小説の小説」形式を生んでいたことをも指摘する。
著者
鈴木 貞美
出版者
国際日本文化研究センター
雑誌
日本研究 (ISSN:09150900)
巻号頁・発行日
vol.42, pp.187-214, 2010-09

日本の一九二〇年代、三〇年代における(狭義の)モダニズム文藝のヴィジュアリティー(視覚性)は、絵画、写真、また演劇等の映像だけではなく、映画の動く映像技法と密接に関係する。江戸川乱歩の探偵小説は、視覚像の喚起力に富むこと、また視覚像のトリックを意識的に用いるなど視覚とのかかわりが強いことでも知られる。それゆえ、ここでは、江戸川乱歩の小説作品群のヴィジュアリティー、特に映画の表現技法との関係を考察するが、乱歩が探偵小説を書きはじめる時期に強く影響をうけた谷崎潤一郎の小説群には、映画的表現技法の導入が明確であり、それと比較することで、江戸川乱歩におけるヴィジュアリティーの特質を明らかにしたい。それによって、日本の文藝における「モダニズム」概念と「ヴィジュアリティー」概念、そして、その関係の再検討を試みたい。