著者
山口 真 小川 哲生
出版者
一般社団法人 日本物理学会
雑誌
日本物理学会誌 (ISSN:00290181)
巻号頁・発行日
vol.69, no.6, pp.386-391, 2014

半導体に適当な波長のレーザー光(励起光)を照射すると,価電子帯の電子は伝導帯に励起され,励起電子とその抜け孔である正孔は,Coulomb力により励起子と呼ばれる束縛状態を形成する.この励起子は光を放出して再結合し,その光が再び励起子を生成する.このような過程で形成される励起子と光子の複合準粒子は励起子ポラリトンと呼ばれる.GaAsやCdTeなどの材料系の結晶成長技術の進展により図L2のように鏡に相当する2つの層(微小共振器)の間に半導体量子井戸をサンドイッチした系が作られ,そこでの励起子ポラリトンの振る舞いが注目されている.この系では,半導体の励起子のエネルギーに相当する光は鏡の間に閉じ込められ,いわゆるキャビティ(共振器)状態になっている.(山本喜久ら:日本物理学会誌第67巻第2号「解説」参照.)この系に励起光を照射すると励起子ポラリトンの密度が増えていくが,その過程で励起子ポラリトンを構成する電子,正孔,光子は,お互いの相互作用に起因して様々な興味深い特徴を示す.まず,密度が増えてくると熱平衡統計力学に基づいて励起子ポラリトンのBose-Einstein凝縮(BEC)が起こる.この変化により,観測される発光強度は大きく増大する.この点は第1閾値と呼ばれる.さらに密度を上げていくと,再度,光強度が急激に増加する領域-第2閾値-が存在する.従来,この第2閾値は,励起子ポラリトンの構成粒子である励起子が電子と正孔に解離することで,非平衡状態である半導体レーザーへ移行する現象と解釈されてきた.しかしながら,励起子の解離によって非平衡性を生じるという論理には必然性がない.このため,第2閾値の起源としては,冷却原子系でも話題になっているように,熱平衡状態を維持したまま電子や正孔のFermi粒子性が高密度領域で顕在化し,これらが"Cooper対"を組んで凝縮している可能性,つまり,Bardeen-Cooper-Schrieffer(BCS)状態のような秩序相が生じている可能性も指摘されてきた.これまで第2閾値について多くの実験的な検証が行われてきたが,その起源については統一的な見解は得られていなかった.その理由の一つには,電子や正孔の束縛対の形成や解離といった物理を含み,かつ,熱平衡領域から非平衡領域にまでわたるBECやBCS状態,半導体レーザーを統一的に記述できる理論が存在しなかったことが挙げられる.そこで我々は最近,系を準熱平衡とみなせる状況ではBCS理論に,非平衡性が重要となる状況ではMaxwell-Semiconductor-Bloch方程式(半導体レーザーを記述できる方程式)に帰着する理論を提案した.この枠組みに基づいて解析を行うと,BECからBCS状態や半導体レーザー発振にいたる諸状態を一つの枠組みで記述でき,これらの関係性を明らかにすることができる.その結果,現在知られている実験では,確かに励起子ポラリトンBECは非平衡領域である半導体レーザーへ連続的に移行し,これにより第2閾値が生じていることが分かった.さらにその場合には,第2閾値においては励起子の解離が生じるわけではなく,束縛対の形成機構が変化していることが明らかになった.これらの結果は,今回提案した統一的な理論の重要性を示しているだけでなく,今後,密接な関連をもつ高温超伝導や冷却原子系などの研究分野に新たな知見を与える可能性も秘めている.また,熱平衡領域とそれから遠い非平衡領域をつなぐという意味において,非平衡統計力学などへの領域を超えた波及効果も期待される.
著者
勝木 渥
出版者
一般社団法人日本物理学会
雑誌
日本物理學會誌 (ISSN:00290181)
巻号頁・発行日
vol.49, no.6, 1994-06-05
参考文献数
5
被引用文献数
1

私は小谷正雄先生とは実はあまりご縁がない.ただ1977年6月15日に物性研究史の「聞書き」でお話をうかがったことがあり(その記録と補遺が『数理科学』No. 365-369,1993.11-1994.3に掲載されている),その「聞書き」を準備する過程で,先生に手紙を差し上げ,お返事を頂いた.以下に述べることは,その時のお話,および頂いたお手紙に書かれていたことに基づいている.「聞書き」のとき,語り手として犬井鉄郎先生も小谷先生のお誘いで同席された.[上記「聞書き」記録の発言には,すべて番号が振ってある.以下の文章の随所に現れる( )付きの数字および(補遺-n)は,その記録の発言番号,および補遺の番号を示す.なお,以後,敬称を省く.]また,東京理科大学の定期刊行物「SUT Bulletin」に高木佐知夫・目黒謙次郎による「聞書き」記録が8回にわたって連載されている(1990.9-1991.3および1991.5)が,随時この記録も援用する[(B-n)は同誌連載n回目の記事に基づくことを示す].
著者
呉 健雄 永宮 正治
出版者
一般社団法人日本物理学会
雑誌
日本物理學會誌 (ISSN:00290181)
巻号頁・発行日
vol.52, no.9, pp.660-666, 1997-09-05

C.S. Wu氏が今年2月中旬に亡くなられた. 原子核物理学者として偉大な業績を残されただけでなく, 女性科学者として, また近隣の中国人科学者として, 戦後の日本の研究者に与えた影響は大きい. Wu氏がいかにパリティ非保存の発見をなしえたのか, 御自身が仁科記念講演会において語られた記録を再録し, 追悼にかえたい.
著者
藤森 淳 吉田 鉄平
出版者
一般社団法人日本物理学会
雑誌
日本物理學會誌 (ISSN:00290181)
巻号頁・発行日
vol.62, no.11, pp.815-821, 2007-11-05

高温超伝導の舞台は強い電子間クーロン相互作用がもたらす異常な金属状態である.なかでも異常な「擬ギャップ」は,超伝導転移温度T_cを超えた高温からフェルミ準位上の状態密度が減少する現象であるが,その起源はまだ明らかではない.最近の角度分解光電子分光(ARPES)実験により,擬ギャップ状態で残ったフェルミ面の一部が「フェルミ・アーク」として観測されている.固体物理学の常識では考えにくいこの現象を理解するため,理論・実験両面で精力的な努力が行われている.本稿では,興味深いフェルミ・アークに関するこれまでの研究状況を整理し,この異常な電子状態の理解が超伝導発現機構の解明にどうつながるか展望を述べる.
著者
坂下 健 西村 康宏 南野 彰宏
出版者
一般社団法人日本物理学会
雑誌
日本物理學會誌 (ISSN:00290181)
巻号頁・発行日
vol.69, no.4, pp.204-212, 2014-04-05

素粒子の一種であるニュートリノは,フレーバーと呼ばれる3つの種類(ν_e,ν_μ,ν_τ)に分けられる.これら電荷を持たないニュートリノは,電荷を持つ電子・ミューオン・タウの3つの素粒子と対応し,合わせてレプトンと称されている.「ニュートリノ振動」は,ニュートリノが質量を持つため,あるフレーバーから別のフレーバーに変化する物理現象である.この解明は素粒子物理学において重要な研究テーマの1つである.東海-神岡間長基線ニュートリノ振動実験(T2K)は,3種間のニュートリノ振動のうち,ただ1つ未発見であったν_μとν_eの間の振動「ν_μ→ν_e振動」の長期測定を2010年から開始した.茨城県東海村にある大強度陽子加速器を用いて生成されたν_μが,295km先の岐阜県神岡町にあるスーパーカミオカンデでν_eとして出現する事象を探索する.このν_μ→ν_e振動の確率は,ニュートリノのフレーバー混合具合を表す3つの混合角のうちの1つ,θ_<13>の大きさでほぼ決まる.もしθ_<13>がゼロでなければ,まだレプトンでは知られていない「粒子・反粒子と空間対称性(CP)の破れ」が探索可能となり,ニュートリノ振動の測定によって宇宙創生の謎を解き明かす可能性を秘めている.しかし,θ_<13>は他の2つの混合角より値が小さく,どこまで大きさを持つか詳細は不明であった.T2K実験では,2013年4月までに6.39×10^<20>個の陽子から生成されたν_μビームから,28事象のν_e出現事象候補を測定し,背景事象数はθ_<13>=0の時に4.6事象と見積もられた.ここから,7.5σの有意度でθ_<13>がゼロでない大きさを持つ結果となり,ν_μ→ν_e振動の発見となった.一方,原子炉から生じる反電子ニュートリノ(ν_eの反粒子)が別のニュートリノになり消失する量を測定する3つの実験グループが,2011年のT2K実験最初の結果に続いてθ_<13>の測定値を報告した.これらの実験はCP対称性の破れの大きさに依存せずにθ_<13>を測ることができるため,ここ数年で混合角θ_<13>は精度よく分かってきた.残された課題であるレプトンCP対称性の破れの探求には,原子炉ニュートリノ実験によるさらに精密なθ_<13>の測定と,CP対称性の破れの大きさにも感度を持つ加速器ニュートリノ測定の双方が重要となる.また,T2K実験ではこれに加えて,ν_μの反粒子ビームを使い,単独でもCP対称性の破れを測定する予定である.T2K実験では,ニュートリノ振動でν_μからν_τやν_eへ変化しなかったν_μ残存量も測定して,他の混合角θ_<23>などを詳細に決定できる.2012年6月までの3.01×10^<20>個のビーム陽子数のデータを解析して,sin^2θ_<23>=0.514±0.082,|Δm^2_<32>|=2.44^<+0.17>_<-0.15>eV^2と世界最高レベルの精度を達成した.
著者
筒井 泉
出版者
一般社団法人日本物理学会
雑誌
日本物理學會誌 (ISSN:00290181)
巻号頁・発行日
vol.69, no.12, pp.836-844, 2014-12-05

ベル不等式とベル定理の物理的な意義について,その歴史的背景と今日における影響を含めて解説する.EPR論文で提示されたアインシュタインの量子論に対する懐疑的立場は,ベルによって局所実在性を持つ隠れた変数の理論として体現されて,実験的にその可否が検証可能な形となった.それが2者間の相関に関するベル不等式であり,これまで数多くの検証実験が行われてきたが,本稿ではこれらの実験に共通する問題点と近年の展開を概観し,その物理的意味を吟味する.実験的に明らかとなったベル不等式の破れは,物理量の実在性がアインシュタインが想定したような局所的なものではなく,非局所的にも測定の状況(文脈)に依存するものであることを示唆している.
著者
松本 元
出版者
一般社団法人日本物理学会
雑誌
日本物理學會誌 (ISSN:00290181)
巻号頁・発行日
vol.48, no.7, pp.535-542, 1993-07-05
被引用文献数
1

科学技術文明をきづく礎は「人とは何か」を明らかにすることである.脳神経科学の立場からの人の理解の鍵は,脳の情動系と学習・記憶機能の解明にある.まず,脳の学習・記憶の特異性が人の個性を決定する.また,人は自分の存在が他の人から意義深いと思われているかどうか,の精神的判断規凖を進化の過程で遺伝的に獲得し強化されている動物と定義づけられる.この精神規凖をもとに,人は外界からの情報を情動系で快・不快と判断し,それに基づいて快・不快の行動を行う.快情報を得たと判断すると快行動出力を運動・自律・中枢の各神経系に出す.この為,愛は人にとって最大の快情報であるので,愛は脳を活性化するのである.こうして,従来科学と宗教は互いに相容れないものと考えられてきたが,融合し得るものと考えられる.脳科学研究を通して,「人とは何か」,「心とは何か」を明らかにする.
著者
川上 宏金 大島 隆義
出版者
一般社団法人日本物理学会
雑誌
日本物理学会誌 (ISSN:00290181)
巻号頁・発行日
vol.43, no.6, pp.p429-436, 1988-06

粒子, 反粒子変換に対して非対称性を有し, かつ, その質量はあっても電子の〜10^<-5>以下と極端に軽いにもかかわらず, この広大な宇宙の将来を左右するかも知れないと予想されている素粒子 "ニュートリノ" の質量について考えてみよう. その質量をオーソドックスな原子核分光法で測定することにより, 素粒子物理学と宇宙物理学の先端的問題に迫ることができる. 1980年ソ連グループが有限のニュートリノ質量値(14〜46 eV)を発表して以来, また, 最近超新星爆発によるニュートリノを人類が初めて検出したことにより, その質量の有無は重大な関心事となっている. そして現在世界の10カ所以上で^3H線源を使ったニュートリノ質量の直接測定実験が遂行, 又は準備されている. ここでは, 主に日本で行われている実験について紹介し, 外国の例と比較しながら解説する.
著者
小柳 義夫
出版者
一般社団法人日本物理学会
雑誌
日本物理學會誌 (ISSN:00290181)
巻号頁・発行日
vol.34, no.10, pp.884-891, 1979-10-05
被引用文献数
4

「足して二で割る」のは日本人のお家芸である. 同じ量を数回測定したとき, 我々は何気なく平均をとる. いったい平均には何の根拠があるのだろうか. 一つだけ飛び離れた値があった場合にどうするか. 勝手に一つのデータを除いて平均してもよいだろうか. それとも主観的判断を避けるためにあくまで全体の平均を取るべきか. このような問題に答えるのがロバスト推定法という考え方である. 本稿ではワバスト推定法の意味について議論するとともに, ロバスト推定法を組み込んだ「最小二乗法標準プワグラムSALS」を紹介する.
著者
種子田 定俊
出版者
一般社団法人日本物理学会
雑誌
日本物理學會誌 (ISSN:00290181)
巻号頁・発行日
vol.28, no.7, pp.552-561, 1973-07-05
被引用文献数
2

イルカは普通の動物の筋肉の能力から予想されるよりもはるかに速く泳ぐことで知られている. そのことから, イルカが泳ぐときの流体摩擦抵抗は, 同じ形の剛体が同じ速度で進行するときよりも, はるかに小さいのではないかと推測されている. 流体力学的に見てその可能性が存在するだろうか?
著者
泉 雅子
出版者
一般社団法人日本物理学会
雑誌
日本物理學會誌 (ISSN:00290181)
巻号頁・発行日
vol.68, no.3, pp.141-148, 2013-03-05

世界を震撼させた東京電力福島第一原子力発電所の事故から二年近くが経過した.原子炉は冷温停止状態に至り,事故そのものは収束に向かいつつあるが,環境中に大量に漏洩した放射性物質の回収は容易ではなく,環境や人体への影響が憂慮されている.近年の分子生物学の進展により,放射線に対する細胞応答を分子レベルで理解できるようになったが,その一方で,長期にわたる低線量被曝や内部被曝の人体への影響については情報が少なく,社会に不安と混乱を生む一因となっている.本稿では,放射線の生物影響に関してこれまで得られている知見や,放射線防護のための規制値の根拠について解説する.