著者
山口 晴幸
出版者
水利科学研究所
巻号頁・発行日
no.302, pp.85-100, 2008 (Released:2011-12-08)

3 0 0 0 OA 利根川東遷

著者
松浦 茂樹
出版者
一般社団法人 日本治山治水協会
雑誌
水利科学 (ISSN:00394858)
巻号頁・発行日
vol.46, no.2, pp.23-48, 2002-06-01 (Released:2018-03-14)
参考文献数
18
著者
山口 晴幸
出版者
一般社団法人 日本治山治水協会
雑誌
水利科学 (ISSN:00394858)
巻号頁・発行日
vol.61, no.5, pp.137-154, 2017-12-01 (Released:2019-02-15)
参考文献数
2

金沢地区は神奈川県横浜市の南端部に位置し,鎌倉市と近接する東京湾に面した地域である。鎌倉幕府開設を機に,鎌倉への陸路・海路の要所となり,人物・物資の往来はもとより,幕府武将らが館を構えるなど,一気に賑わいをみせ,中世鎌倉時代から歴史的に発展してきた地域である。鎌倉〜江戸〜明治時期には,殊に,平潟湾の千変万化する風光明媚な海風景が旅人・墨客らを魅了し,全国的に人気の観光スポットとして名を馳せてきた。また,近代の戦前期頃までは,金沢の海風景をこよなく愛した政治家・文化人などが別荘・別邸などを建てて住み着き,海浜保養地としても知られていた。 このような時代的背景と変遷の下,金沢地区では,中世鎌倉時代からの貴重な歴史的構築物や遺跡・文化財などが数多く保全・伝承されてきた。その中でも主に,ここでは,歴史的な人物や遺産・遺構などと関連し,伝説・逸話・口碑などを秘めた古水や史跡水(水場や水辺も含む)にスポットを当てた探索調査を試みている。 本稿では,古き時代からの変遷と共に,地域の生活・習俗・文化等の発展史に深く係わってきた古水・史跡水・水場を「時代水」と称して着目し,先代人に纏わる利水的な遺構や関連する遺物などを中心に取り上げ,関係する人物や歴史的な時代背景などを織り交ぜて,その来歴・変遷・現状などを解説している。殊に,先代人の利水や水工に纏わる「水」への思いや発想・構想における英知・苦難などに触れることで,今後に継承すべき事柄に光を照らし,利水技術や水工物の古事来歴を顧み,再考する機会になればと願っている。
著者
西原 巧
出版者
一般社団法人 日本治山治水協会
雑誌
水利科学 (ISSN:00394858)
巻号頁・発行日
vol.34, no.4, pp.97-111, 1990-10-01 (Released:2019-08-13)
参考文献数
5
著者
塚本 良則
出版者
一般社団法人 日本治山治水協会
雑誌
水利科学 (ISSN:00394858)
巻号頁・発行日
vol.46, no.5, pp.1-25, 2002-12-01 (Released:2018-03-14)
参考文献数
20
被引用文献数
1
著者
松浦 茂樹 趙 揚
出版者
一般社団法人 日本治山治水協会
雑誌
水利科学 (ISSN:00394858)
巻号頁・発行日
vol.53, no.4, pp.43-72, 2009-10-01 (Released:2017-08-30)
参考文献数
16
著者
松浦 茂樹
出版者
一般社団法人 日本治山治水協会
雑誌
水利科学 (ISSN:00394858)
巻号頁・発行日
vol.64, no.6, pp.1-18, 2021-02-01 (Released:2022-05-09)
参考文献数
7

利根川の大分派川・江戸川は,1911(明治44)年度からの改修計画でその役割を大きく変えた。それまでの計画では,分派点上流での計画対象流量3,750m3/sのうち約26%の970m3/sが江戸川に分流され,河道工事を行う計画はなかった。だが,1910年の大出水後,分派点上流の計画流量は5,570m3/sに増大されたが,そのうち約40%の2,230m3/sが江戸川へ分流されることとなった。そして河道の拡幅とともに,流頭部にあった棒出しが撤去され,水閘門が設置された。江戸川工事費は,利根川改修工事費全体の約29%に及んだ。1911年度の計画改訂当時,利根川下流部では改修事業が行われていて,一部は竣工,一部は工事中であった。江戸川新計画策定のため,案として計画流量 1,400m3/sと2,230m3/sが比較検討された。計画流量を増大したら,それだけ 川幅は拡げなくてはならない。江戸川上流部では台地による狭窄部があり,また下流部では人家密集地があった。このため,計画流量を増大させることには工事費の観点から抵抗があった。だが,利根川下流部で手戻り工事をさせないためには江戸川計画流量を増大させねばならない。この結果,「心ならずも」 2,230m3/sと決定された。江戸川河道工事の重要な課題として舟運路の安定があった。水閘門は,そのために設置されたのである。1947(昭和22)年カスリーン台風による利根川氾濫による大水害後,利根川計画流量は分派点上流で14,000m3/sとされ,そのうち江戸川上流部では 5,000m3/sとされたため,再び河道拡幅が行われた。埼玉県西宝珠村の密集地が河道とされたが,西宝珠村から強い反対の声があがった。だが,建設省は住民側の要求をすべて受け入れるとして,用地買収が行われ,工事は進められた。
著者
安藤 萬寿男
出版者
水利科学研究所
雑誌
水利科学 (ISSN:00394858)
巻号頁・発行日
no.115, pp.1-15, 1977-06
著者
菊池 山哉
出版者
水利科学研究所
巻号頁・発行日
no.32, pp.71-86, 1963 (Released:2016-05-23)