著者
池末 啓一
出版者
水利科学研究所
雑誌
水利科学 (ISSN:00394858)
巻号頁・発行日
vol.63, no.6, pp.93-102, 2020

<p>親鸞は「それがし閉眼せば賀茂河にいれて魚に与うべし」という言葉を残している。浄土真宗では喪葬一大事を否定するような意味をもつ言葉とされてきた。親鸞は,自らを必ず水葬にするようにと言い残したのであろう。葬制には水葬・林葬・土葬・火葬などがあるが,親鸞のこの言葉を通して,日本人の河川観・葬制観などを考察した。わが国では古代・中世には水葬・林葬が,一般庶民の間では行われてきた。これらの葬制を親鸞のみならず一遍らも望んでいた。この二つの葬制は大乗仏教的には,布施の最高形態の「利他行」の実践に当たる。「利他行」が,古代(仏教伝来以後)・中世の日本人の河川観・葬制観を形成していたと考えられる。水葬・林葬は今日的な表現をすれば,生態学的循環と考えられる。さらに,わが国には別の河川観もある。それは「禊」,「祓い」と言われて罪や穢れを除き去るというものである。これは,「水に流す」という言葉に象徴されるもので,日本人の人間関係や精神構造にも深くかかわっているかもしれない。</p>
著者
山田 利博
出版者
水利科学研究所
巻号頁・発行日
no.364, pp.81-99, 2018 (Released:2019-06-10)

東京大学演習林において森林内のキノコにおける放射性セシウムの福島原子力発電所事故後5年間の変化を土壌などの基質との関係から調べた。いくつかの種類のキノコで放射性セシウム濃度は事故後1,2年目に高く,その後低下した。しかし,多くのキノコでは放射性セシウムの変化は大きくなく,時間とともに放射性セシウムが集積することは一般的ではなかった。放射性セシウムはA0層では次第に減少する傾向がみられたが,A層における増加は事故後1,2年目にみられたもののその後は明瞭でなかった。放射性セシウムはいくつかのキノコ種,特に菌根菌で高濃度に集積したが,他のキノコでは土壌環境の値を超えず,キノコがどの程度放射性セシウムを集積するかどうかには菌の種類や土壌条件が影響していると思われた。放射性セシウム134(Cs-134)との比から計算した過去の残存放射性セシウム137(Cs-137)の割合から,キノコや土壌では福島事故以前からのCs-137を長期間保持しているだけでなく,福島事故で発生したCs-137は流動的であるのに対して,事故以前からの残存Cs-137は菌類の物質循環系に強固に保持されていることが示唆された。
著者
倉嶋 厚
出版者
水利科学研究所
雑誌
水利科学 (ISSN:00394858)
巻号頁・発行日
vol.16, no.4, pp.103-113, 1972-10
著者
倉嶋 厚
出版者
水利科学研究所
巻号頁・発行日
no.87, pp.103-113, 1972 (Released:2011-03-04)
著者
松浦 茂樹
出版者
水利科学研究所
雑誌
水利科学 (ISSN:00394858)
巻号頁・発行日
vol.40, no.6, pp.94-119, 1997
著者
大丸 裕武
出版者
水利科学研究所
雑誌
水利科学 (ISSN:00394858)
巻号頁・発行日
vol.56, no.6, pp.60-67, 2013

2011年8月25日にマリアナ諸島の西で発生した台風12号は,9月2日から4日にかけて,ゆっくりと日本列島付近を進み,紀伊半島を中心とする広い範囲に豪雨をもたらした。とくに奈良県南部では記録的な豪雨を観測し,上北山のアメダスでは72時間雨量が1,652mmと国内観測記録を大きく塗り替えた(図1)。レーダー解析雨量では,山地奥部の雨量はさらに大きく,場所によっては2,000mmを越えたと推定されている(大阪管区気象台,2011)。このような記録的な豪雨のため,紀伊半島や中部地方の山岳域では多数の山地災害が発生した。とくに,紀伊半島内陸部の山地では,多数の崩壊が発生するとともに,大規模なもののいくつかは十津川支流の河道をせき止めて,土砂ダムを形成した。このような豪雨による深層崩壊や土砂ダムの発生については多くの専門家の注目を集めており,今後,その実態解明が進むと期待される。しかし,今回の災害に関しては深層崩壊や土砂ダム以外の現象については報告が少なく,災害の全体像についての十分な理解が進んでいないように思われる。本論では筆者がこれまでの現地調査を通して見ることが出来た現象のうち,今回の災害の特徴を理解する上で重要と思われるものを中心に紹介し,今後の研究のための基礎資料として提示したい。
著者
日下部 文雄
出版者
水利科学研究所
雑誌
水利科学 (ISSN:00394858)
巻号頁・発行日
vol.9, no.5, pp.28-39, 1965-12
著者
岡本 芳美
出版者
水利科学研究所
雑誌
水利科学 (ISSN:00394858)
巻号頁・発行日
vol.57, no.1, pp.73-96, 2013

昭和22年(1947年)9月15日,関東地方はカスリーン(Kathleen)台風の襲来により,各地に大雨が降った。特に,利根川上流域に有史以来最大級の大雨をもたらした。カスリーン台風はどのような台風であったのであろうか。なお,カスリーン台風は,カスリン,またはキャサリン台風ともよばれる。図-I参照。(次の""内の文は,畠山久尚と高橋浩一郎の記述を後述の「カスリン颱風の研究」から引用している。以後,""で囲まれた文は,引用文である。)"9月3日3時頃マリアナ東方1,000kmの海上に1,010mb(1mb=1hPS)位の弱い(熱帯)低気圧が発生して西北西に移動し,10日マリアナ北部を通過,11日3時頃マリアナ西方500kmの海上に達し,次第に発達して中心示度994mb位となり,台風としての気流系が顕著となった。これがカスリーン台風である(註:現在では何年の台風第何号という台風の呼び方がなされているが,当時の米進駐軍気象隊では赤道以北,経度180度以西で発生した台風に女性の名前をアルファベットのaから順々につけることにしていて,連合軍による占領下の当時の日本はこの規則に従っていた)。
著者
掛部 晋
出版者
水利科学研究所
雑誌
水利科学 (ISSN:00394858)
巻号頁・発行日
vol.55, no.6, pp.37-62, 2012

2008年5月12日14時28分(現地中国時間)中華人民共和国(以下中国)四川省ぶん川県映秀鎮を震源とするマグニチュード8。0の巨大地震が発生した。死傷者46万人,家屋倒壊22万棟と大きな被害をもたらした。一方で,地震による森林の被害面積は33万ha及び,この森林植生を回復するため,日本の治山技術と中国の技術を合わせ現地に適合した森林植生回復技術を開発することを目的として独立行政法人国際協力機構(JICA)は中国政府の要請に応え,本プロジェクトを2010年2月1日から開始した。具体的には,地震被害が大きかった四川省内の綿竹市,北川県,ぶん川県の3市県をプロジェクトサイトとして,それぞれに試験施工地を設け,治山事業を実施し,その実施を通じて技術開発,技術普及を行っていこうというものである。本稿では2010年度に3市県において実施した治山工事について述べる。
著者
大丸 裕武
出版者
水利科学研究所
雑誌
水利科学 (ISSN:00394858)
巻号頁・発行日
vol.56, no.6, pp.60-67, 2013

2011年8月25日にマリアナ諸島の西で発生した台風12号は,9月2日から4日にかけて,ゆっくりと日本列島付近を進み,紀伊半島を中心とする広い範囲に豪雨をもたらした。とくに奈良県南部では記録的な豪雨を観測し,上北山のアメダスでは72時間雨量が1,652mmと国内観測記録を大きく塗り替えた(図1)。レーダー解析雨量では,山地奥部の雨量はさらに大きく,場所によっては2,000mmを越えたと推定されている(大阪管区気象台,2011)。このような記録的な豪雨のため,紀伊半島や中部地方の山岳域では多数の山地災害が発生した。とくに,紀伊半島内陸部の山地では,多数の崩壊が発生するとともに,大規模なもののいくつかは十津川支流の河道をせき止めて,土砂ダムを形成した。このような豪雨による深層崩壊や土砂ダムの発生については多くの専門家の注目を集めており,今後,その実態解明が進むと期待される。しかし,今回の災害に関しては深層崩壊や土砂ダム以外の現象については報告が少なく,災害の全体像についての十分な理解が進んでいないように思われる。本論では筆者がこれまでの現地調査を通して見ることが出来た現象のうち,今回の災害の特徴を理解する上で重要と思われるものを中心に紹介し,今後の研究のための基礎資料として提示したい。
著者
和田 一範
出版者
一般社団法人 日本治山治水協会
雑誌
水利科学 (ISSN:00394858)
巻号頁・発行日
vol.61, no.4, pp.38-72, 2017-10-01 (Released:2019-01-15)
参考文献数
34

平成28年(2016年)10月30日(日),有吉堤竣工百年の碑が建立された。 竣工百年の碑建立は,新たなスタートである。この碑を前に,昔年の多摩川の水害の大きさ,これに対峙した一連の事件と一大プロジェクトを,後世に語り継いでゆく防災教育の継続的な展開が重要である。 アミガサ事件(大正3 年〈1914年〉9 月16日)から有吉堤完成(大正5 年 〈1916年〉9 月)までは 2 年間の出来事である。それからさらに 2 年後には,内務省直轄による多摩川の抜本改修が着工(大正 7 年〈1918年〉)となる。 このわが国近代治水事業の創始期において,洪水の被害に毎年悩まされてきた地域の住民とその指導者たち,公的な機関との連携,あるいは確執には,現代の防災にかかる多くの教訓が見いだされる。 そしてこれら一連の展開を語るにあたっては,やはりアミガサ事件を引き起こした当時の,多摩川の状況をしっかり理解しておく必要がある。 アミガサ事件の直後,大正 3 年(1914年)10月29日付で,御幸村ほか10ケ町村の総代から内務大臣大隈重信に宛てた多摩川沿岸新堤塘築造陳情書には,地域住民の視点からの近年の洪水の原因の分析として, 一.下流ニ架設セル三橋カ一原因 一.(対岸の)築堤及上置腹附カ二原因 一.堤外地ニ果樹密埴カ三原因 一.砂利採掘カ四原因 の記載がなされ,的確な分析で多摩川の洪水の原因を述べ,その分析力は技術者顔負けの内容である。当時の地元住民には,それだけの災害リスクに対する分析力,技術力があったことも大きな驚きである。 本論文は,この多摩川沿岸新堤塘築造陳情書に記された 4 つの原因に着目をして,アミガサ事件の背景を考察したものである。 この論文は,既報, ・多摩川近代改修にみる,防災の主役,自助・共助と,公助との連携について,2016年 4 月,水利科学 No. 348(第60巻第 1 号) ・有吉堤竣工100年・郡道改良事業を検証する,2016年12月,水利科学 No. 352(第60巻第 5 号) の続編である。