著者
高橋 正雄
出版者
医学書院
雑誌
総合リハビリテーション (ISSN:03869822)
巻号頁・発行日
vol.25, no.12, pp.1398, 1997-12-10

障害の受容を妨げる要因の一つに,障害者自身や家族の偏見という問題力がある.障害に対する誤解や偏見に満ちた社会のなかで暮らしている本人や家族は,しばしば,自らも障害に対する誤解や偏見を共有しているため,いざ自分が当事者になった時の混乱や絶望が大きいのである.しかし,1950年に発表されたパール・バックの『母よ嘆くなかれ』(伊藤隆二訳,法政大学出版局)には,当事者がそうした先入観を乗り越えて,自らの運命を受け入れていく過程が描かれている. 米国の宣教師の家に生まれたパール・バックは,元々「愚かなことや,のろまなことを黙って見ていられない性質」だった.しかし,精神遅滞の娘を養育する過程で,パール・バックは「娘の魂もまた,その魂として最大限に成長する権利をもって」おり,「人間の精神はすべて尊敬に値すること」を知る.彼女は,「人はすべて人間として平等であること,また人はみな人間として同じ権利をもっていることをはっきり教えてくれたのは,他ならぬわたしの娘でした.(中略)もしわたしがこのことを学ぶ機会を得られなかったならば,わたしはきっと自分より能力の低い人に我慢できない,あの傲慢な態度をもちつづけていたにちがいありません」と語るのである.
著者
二通 諭
出版者
医学書院
巻号頁・発行日
pp.1017, 2011-10-10

本誌2010年5月号の本欄で取り上げた山田洋次版「おとうと」は,市川崑版「おとうと」(1960)へのオマージュであることを字幕で明らかにしている.両作とも発達障害的性質を抱える人物を登場させており,市川版ではADHD(注意欠陥多動性障害)傾向の強い碧郎(川口浩)だが,山田版では碧郎に当たる鉄郎に加えて,新たに祐一を配している. 市川版の碧郎は大正時代の人物であり,若くして肺結核で命を落としている.山田は,市川版「おとうと・碧郎」が生きていたら,果たしてどんな人間になっていったのか,さらに,周囲はどのようにつながっていったのか,というその後の碧郎と家族のありさまを描こうとして,山田版「おとうと」を企図した1).つまり,山田版における笑福亭鶴瓶演じる鉄郎は,時空を超えた碧郎の晩年の姿だったのだ.
著者
高橋 正雄
出版者
医学書院
巻号頁・発行日
pp.862, 2002-09-10

昭和7年に発表された宮沢賢治の『グスコーブドリの伝記』は,主人公のグスコーブドリが,凶作を未然に防ぐために自らを犠牲にして火山を爆発させるという物語であるが,そこには,農民のために自己犠牲的な人生を生きた賢治自身の人生が投影されている.この作品は,火山局に勤める27歳の青年ブドリがさまざまな技術で農民の収穫を増やし,最後には自らの命を投げ出して冷害を防ぐという設定になっており,特に,両親を早く亡くして3歳年下の妹と二人だけが生き残る形にしていることには,農民を救う自らの晴れ姿を妹に見せたいという賢治の思いをうかがうことができる.賢治は,24歳で亡くなった2歳年下の妹トシのことを誰よりも愛していたのであり,グスコー・ブドリとネリという兄妹は,ミヤザワ・ケンジとトシという兄妹の相似形になっているのである.(ブドリとネリが10数年の別離の後に再会するという設定も,当時既に死の床にあった賢治の,10年前に亡くなったトシと来世で再会したいという願望の現れと見ることができる.)
著者
高橋 正雄
出版者
医学書院
巻号頁・発行日
pp.1200, 2006-12-10

1921年(大正10年),島崎藤村が49歳の時に発表した『ある女の生涯』は,その前年に東京の精神病院で死亡した長姉そのをモデルにした小説である.藤村の長姉は,統合失調症を思わせる病のために根岸病院に入院し,65歳で亡くなるのだが,『ある女の生涯』にはこの長姉が示したであろうさまざまな精神症状が描かれている.なかでも印象的なのは対話性幻聴を思わせる表現で,この作品には,主人公おげんの内面に関する次のような描写がみられる.「おげんの内部にいる二人の人がいつの間にか頭を持ち上げた.その二人の人が問答を始めた.一人が何か独語を言えば,今一人がそれに相槌を打った」. 藤村は対話性幻聴を思わせる会話を,おげんの内面に定位させる形で描いているのである.しかも,おげんの内部にいるという二人の間では,「熊吉はどうした.熊吉はいないか」「いる」「いや,いない」「いや,いる」とか,「しッー黙れ」「黙らん」「なぜ,黙らんか」「なぜでも,黙らん」といった,対立的・論争的な会話が交わされている.こうした対立性・論争性は対話性幻聴の特徴であって,そうした特徴を藤村は「同じ人が裂けて,闘おうとした」と表現しているが,『ある女の生涯』には,このほかにも対話性幻聴を思わせる次のような会話が描かれている.「俺はこんなところへ来るような病人とは違うぞい.どうして俺をこんなところへ入れたか」「さあ,俺にも分からん」(中略)「お玉はどうした」「あれは俺を欺して連れて来ておいて」「みんなで寄ってたかって俺を狂人にして,こんなところへ入れてしまった」.
著者
岡本 五十雄 堀口 信
出版者
医学書院
巻号頁・発行日
pp.447-451, 1987-06-10

はじめに 車の運転免許は20歳以上の成人の59.5%,40歳以上では52.7%が保有している1).当然,脳卒中患者の多くも発症前は車を運転していたと思われるが,実際には,重症例はもちろん,軽症例でも運転する例は非常に少ない.その理由として,患者自身の運転に対する不安,家族をはじめとする周囲の者が脳卒中になったというだけで車の運転そのものを危険視して患者に運転をさせないことや医師自身が患者の車の運転に無関心であることなどが考えられる.しかし,社会復帰に向けて,例えば仕事や通勤にぜひとも必要な場合があり,ときには積極的にすすめなければならないこともある. 著者らは,過去5年間で21名の脳卒中患者による車の運転を経験し,安全な運転の可能性について検討したので報告する.
著者
杉浦 太紀 小口 和代 後藤 進一郎 河野 純子
出版者
医学書院
巻号頁・発行日
pp.1117-1120, 2019-11-10

要旨 【目的】ADL維持向上等体制加算病棟(以下,ADL病棟)におけるリハビリテーション介入の標準化を検討する.【対象】2017年8〜10月に刈谷豊田総合病院(以下,当院)のADL病棟3病棟に入院した641例とした.【方法】専従療法士の介入種類を入院時Barthel Index(BI),年齢,入院前日常生活動作(activities of daily living;ADL)により,評価群,指導群,療法群の3群に分類するアルゴリズムを作成した.評価群はBI 65点以上かつ年齢75歳未満の患者,指導群はBI 65点以上かつ年齢75歳以上の患者とBI 30点以上60点以下の患者,療法群はBI 25点以下の患者とした.BI 25点以下の患者で,入院前と比べADLの低下がない場合は指導群とした.アルゴリズムによる分類と療法士の主観的判断を比較した.【結果】療法士介入アルゴリズムによる3群の構成割合は,評価群338例(52.7%),指導群261例(40.7%),療法群42例(6.6%)だった.アルゴリズムと療法士の判断に相違があった患者は641例中54例であり,全体の8.4%であった.【考察】アルゴリズムの使用は,専従療法士間の介入判断の差を減少させ,専従療法士のリハビリテーション介入基準を一定に保つと考えた.
著者
高橋 正雄
出版者
医学書院
巻号頁・発行日
pp.286, 2005-03-10

大正4年に発表された『硝子戸の中』には,若い頃の漱石に「不思議の国のアリス症候群」を思わせる症状があったことをうかがわせる記述がある. 『硝子戸の中』の38で,漱石は自らの思春期を振り返って,「その頃の私は昼寝をすると,よく変なものに襲われがちであった」として,次のような不思議な体験を語っている.「私の親指が見る間に大きくなって,いつまで経っても留まらなかったり,或いは仰向けに眺めている天井が段々上から下りてきて,私の胸をおさえつけたり,又は眼を開いて普段と変わらない周囲を現に見ているのに,身体だけが睡魔の虜となって,いくらもがいても,手足を動かす事が出来なかったり,後で考えてさえ,夢だか正気だか訳の分からない場合が多かった」.
著者
久保 義郎 長尾 初瀬 小崎 賢明 加藤 礼子 中村 憲一 塩沢 哲夫 下平 耕司 中元 洋介 橋本 圭司
出版者
医学書院
巻号頁・発行日
pp.921-928, 2007-09-10

要旨:〔目的〕脳外傷者の不適応行動の構造を明らかにし,その程度を測定する「脳外傷者の認知―行動障害尺度」の構成を目的とした.ただし,専門的知識がなくても評価できるよう,質問項目を生活上観察可能な事項に限定した.〔対象・方法〕脳外傷者について,家族,もしくは本人の生活をよく知る福祉施設の支援員に調査を依頼した.〔結果〕因子分析の結果,7因子31項目が抽出された.因子は「健忘性」,「易疲労性・意欲低下」,「対人場面での状況判断力の低下」,「固執性」,「情動コントロール力の低下」,「現実検討力の低下」,「課題遂行力の低下」と判断された.〔結語〕本尺度の構成により,脳外傷者の不適応行動の構造が示され,定量的な測定が可能となった.このことで脳外傷リハビリテーションの標的が明らかになり,効果判定が可能となった.今後は本尺度に加え,障害への対処スキルを明らかにし,その修得度や頻度を評価する方法の開発も必要であろう.
著者
福井 圀彦
出版者
医学書院
巻号頁・発行日
pp.329-335, 1973-03-10

Ⅲ.上肢共同運動の分離について 片麻痺の上肢は下肢に比べて共同運動が多彩である.これは裏をかえせば共同運動を筋再教育に使い易いということであり,P.N.F. パターンの中で多く利用されていることは衆知のことであるが,ここではその細かい内容について触れようとは思わない. 改善の順調なものは特別な指導,訓練をするまでもなく,共同運動から分離動作へと移行してゆくものであるが,一部分離しかかったまま低迷する例も少なくない.したがってBrunnstromのstage 3の後半に入ったら(筆者はこれを3Bと称して,屈曲および伸展共同運動がともに可能になった状態をさし,これに対してそのどちらかが可能な状態を3Aと称している),分離動作へ移行する訓練が望ましい.
著者
二通 諭
出版者
医学書院
巻号頁・発行日
pp.811, 2008-08-10

私は和泉聖治の大ファンである.ピンク映画監督の父を師と仰ぎ,青春物やホームドラマ,ヤクザ物から極道Vシネマとなんでもこなせる職人監督である.野球で言えば,1~2回を確実に0点に抑える中継ぎ投手である.注目度は低いが,ハズレなしなのだ. そして,ここへ来て和泉の新作は大型刑事物エンターテイメントの「相棒―劇場版―」.設定は変えてあるものの,04年のイラク人質バッシング事件をモデルにしていることが容易にわかる骨太な社会派サスペンスである.ライバル関係にある「踊る大捜査線 レインボーブリッジを封鎖せよ!」(03年)が男女共同参画を揶揄する保守路線だとすれば,本作は「自己責任」というフレーズでバッシングをあおった政治家やマスコミ,さらにはあおられた国民を指弾するプロテスト路線である.
著者
安田 耕平 松井 彩乃
出版者
医学書院
巻号頁・発行日
pp.1045-1052, 2017-10-10

要旨 【目的】診断群分類(Diagnosis Procedure Combination;DPC)医療機関Ⅱ群病院での病棟専従理学療法士配置による,公立昭和病院版病棟専従日常生活動作(activities of daily living;ADL)維持向上プログラム導入前後の変化を明らかにすること.【対象と方法】2015年12月からADL維持向上等体制加算に準じて,消化器外科,泌尿器科,乳腺・内分泌外科,歯科口腔外科を主診療科とする混合病棟に病棟専従理学療法士1名の配置を開始した.専従群408例と対照群345例で後方視的に比較検討を行った.【結果】専従群で,在院日数短縮を認め,そのほかにもBarthel Index利得,疾患別リハビリテーションの実施率向上と開始までの日数短縮,在宅復帰率向上,転倒転落件数削減に有意差を認めた.【結論】DPC医療機関Ⅱ群病院において病棟専従理学療法士を配置することで,早期リハビリテーションを促し,廃用予防と退院支援の充実化を図り,在院日数短縮と在宅復帰率向上に効果を示した.
著者
新舍 規由
出版者
医学書院
巻号頁・発行日
pp.815-820, 2003-09-10

はじめに 医学部3年の春にラグビーの試合中の事故で頸髄損傷,C7完全四肢麻痺となり,常時,車椅子の生活となって今年で15年となる.恩師でもあり現在の上司でもある石神重信先生から厳しくも温かいリハビリテーションを受け,当時としては画期的な早さ(受傷後3か月)で学業に復帰し,留年することなく卒業でき,医師免許を取得した.その後,防衛医大のリハビリテーション部に入局し,現在に至る. 自分自身が障害者であると共に,障害をもった患者さんに接する機会の多いリハビリテーション医である(図1)という理由から,今回の原稿依頼が来たのであろう.職業柄「障害受容」という用語を耳にすることは多いのだが,実は私自身が「障害受容」という用語について受容していない.抵抗感がある.正確に言えばどうもピンとこないのである.そもそも障害受容とは何なのか.障害後に生じる多様な心理状態の変化の結果,一見,障害を受け容れたかに見える状態を便宜的に形容するために研究者が恣意的に作った用語にすぎないように思える.一体障害は受容できるものなのか? 受容しなくてはならないものか? 障害受容に関する考え方の変遷など一般的なことは過去の総説1-3)や本誌の他稿を参照されたい. 予め断っておくが,今回,障害者当事者の立場での執筆依頼であるので,その言葉通り障害者としての私個人のきわめて私的な意見である点をご了承いただきたい.というのも,障害者の立場から書かれた障害受容に関する学術的論文は見当たらず,一般大衆向けの手記が散在する程度であるからである.先天的な障害では状況が変わってくるので,本稿では後天的な障害,いわゆる中途障害,特に脊髄損傷を念頭に置きながら筆を進めたい.
著者
高橋 正雄
出版者
医学書院
巻号頁・発行日
pp.891, 1993-10-10

「カラマーゾフの兄弟」(米川正夫訳,岩波文庫)の最終章には,思い出の持つ精神的意味が強調されている場面がある.この物語の主人公アリョーシャは,結核で亡くなったイリューシャを少年達と手厚く葬った後で,その少年達に今日の思い出を大切にするよう,次のように呼びかけるのである.「私たちは今後一生涯,たとえどんなことが起こっても,また,たとえ二十年も会わなくっても,あの憐れな少年をここで葬ったことを,忘れないようにしましょう」「たとえ重大な仕事で忙しい時にも,―名誉を勝ち得た時にも,あるいはまた大なる不幸に陥った時にも,とにかくいかなる時においても,かつてこの町でお互いに善良な感情に結び合わされながら,あの憐れな少年を愛することによって,私たちが実際以上立派な人間になったことを,決して忘れないようにしましょう」. さらにアリョーシャは,こうした子供の頃の思い出の価値を強調して,「一体楽しい日の思い出ほど,殊に子供の時分親の膝もとで暮らした日の思い出ほど,その後の一生涯にとって尊く力強い,健全有益なものはありません」,「子供の時から保存されている,こうした美しく神聖な思い出こそ,何よりも一等よい教育なのであります.過去においてそういう追憶をたくさんあつめた者は,一生すくわれるのです」と語る.そしてアリョーシャは,「イリューシャを葬ったことや,臨終の前に彼を愛したことや,今この石の傍でお互いに親しく語り合ったことを思い出したら,もし仮りに私たちが残酷で皮肉な人間になったとしても,今のこの瞬間に私たちが善良であったということを,内心軽蔑するような勇気はないでしょう」,「この一つの追憶が私たちを大なる悪から護ってくれるでしょう.そして,私たちは過去を顧みて,『おれもあの時分は善良だったんだ.大胆で潔癖だったのだ』ということでしょう」と,そうした思い出は,われわれに素直な気持ちを取り戻させ,悪から救うことさえあると語るのである.