著者
山口 俊雄
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.47, no.6, pp.38-48, 1998-06-10 (Released:2017-08-01)

石川淳の戦前の代表作の一つ「マルスの歌」(一九三八)について、まず、流行歌や映画による感覚的総動員、および登場人物の性格付けについて検討することで、大衆が加担する総力戦下銃後の風景が巧みに取り込まれている点を確認し、次に、語り手の反戦的態度のあり方を、題名の由来となったアランの作品と、石川淳の自然観・思想観の中に探る。これによって、時代に対峙しながら書くという作者の精神の孤独な営為を確認したい。
著者
小山 千登世
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.55, no.8, pp.30-43, 2006-08-10 (Released:2017-08-01)

なぜ先生は「私」に遺書を送ったのか。「私」は手紙の齟齬から、父危篤の時を選んで、「私」に自らの死を告げる遺書を送った先生の仕掛けに気付いていく。それは遺書の読み手たり得ない「私」に「先生」と類似の<罪>(父を裏切る)を体験させることで「私」の成長を促そうとしたものであった。遺書の読み手たるにはそれを体験することが要求された。ここに先生の<血>を浴びせかけられた「私」との対比で、<純白>に保たれた妻への愛を読み取ることが出来るのである。
著者
萩野 了子
出版者
日本文学協会 ; 1952-
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.68, no.10, pp.54-58, 2019-10
著者
小山 千登世
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.62, no.8, pp.51-61, 2013-08-10 (Released:2018-08-06)

語りの向こう側を拓こうとする第三項理論により、語り手である先生も「私」も語り得ぬ領域を見据え、矛盾や違和を喚起する言葉によってもう一つの文脈を創り、語ろうと挑んでいることが読める。そこから先生に自殺を決意させたのは「私」であり、自分と類似した体験を受け渡すことで「私」という他者のなかに食い込み、罪を背負った倫理の在り方を〈自由と独立の己れ〉の〈淋しい〉時代に問おうとする先生の認識の深さが見えてくる。
著者
関口 安義
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.40, no.2, pp.64-73, 1991-02-10 (Released:2017-08-01)

「『謀叛論』と芥川龍之介」というテーゼは、厭世的・芸術至上主義的にのみ芥川文学を考えるこれまで支配的だった芥川観を訂正するため導き出されたものである。芥川は徳冨蘆花の<謀叛のすすめ>を見事に文学化することに成功した作家である。本論は同時代人共通の課題として「謀叛論」をとらえた芥川と同僚松岡譲、一方、その問題提起を聞き逃した菊池寛・久米正雄のその後の歩みが、奇しくも彼らの文学上の歩みと一致するものであったことを論じる。
著者
足立 悦男
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.44, no.3, pp.12-20, 1995-03-10 (Released:2017-08-01)

九〇年代のはじめ、宇佐美寛氏と私のあいだで、「文学教育」をめぐる論争があった(宇佐美・足立論争)。本論文では、その中の「夕焼け」(吉野弘)をめぐる論争を取りあげて、文学教育と道徳教育の果たす役割の違いを明らかにしてみた。具体的には、文学的認識力と道徳的判断力はどう違うのか、という問題である。そして、論争以後の課題として、「夕焼け」を例として、文学的認識力を問い直す、新たな視点を提示してみた。
著者
目黒 強
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.47, no.12, pp.10-18, 1998

メディア研究で直面する問題の一つに、表象と現実の相互侵犯があげられる。表象は単に「現実の再現」にすぎないのか、あるいは、「現実」こそが表象作用の結果=効果にすぎないのか。そこで本稿は、後者が前者として再認されるイデオロギーの機制に着目した。殊に、『少年園』という少年雑誌は「地方少年」をアドレスとして指定しており、「地方少年」の「現実」がまさしくメディアを媒体に形成される機制が明らかにされよう。
著者
小川 豊生
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.55, no.7, pp.43-55, 2006-07-10 (Released:2017-08-01)

十三世紀の日本が体験した危機として蒙古襲来をあつかうことは、あまりに新味に欠けるというべきかもしれない。しかし、この国家的危機がひきおこした諸言説の根本的な変化については、それほど詳細に分析されているとは思えない。たとえば、北畠親房がその歴史叙述『神皇正統記』を超越神としての「国常立尊」から書き起こしていること、またその親房がその思想を度会家行をはじめとする伊勢神道にもとづいて形成していたことについては知られているものの、それまで言説化されることのなかった「超絶神」あるいは「世界を建立する神」が、いかなるプロセスで出現してくるのか、といった問題に関してはいまだ明らかにされていない。危機のなかでこそ惹起する、思考のある決定的な飛躍、この問題を十三世紀のテキストをもとに探究してみたい。
著者
榊原 千鶴
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.60, no.7, pp.44-52, 2011-07-10 (Released:2017-05-19)

明治期に多く作られた女性向け書簡文範のなかには、中世の軍記物語を素材のひとつとするものがある。たとえば、樋口一葉晩年の作品として広く読まれた『通俗書簡文』では、一葉による本文とは別に、鼇頭が設けられている。両者は乖離することなく、書簡文範というひとつの世界を創造した。その世界で軍記物語は、どのような役割を果たしたのか。本稿では、近代における中世文学の再生の意味を、戦時下での女性像という面から考えた。
著者
千田 洋幸
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.63, no.4, pp.10-17, 2014-04-10 (Released:2019-05-03)

一九九〇年代後半から二〇〇〇年代にかけては、「この現実」に対抗する仮想世界や反世界を立ち上げようとする衝動が、さまざまな文化ジャンルにおいて顕在化した時代だった。たとえば、ポップカルチャーの一ジャンルであるアニメにおいては、パラレルワールド、時間ループ、変身といった物語要素がしばしば使用され、セカイ系や空気系の物語類型がデフォルトとなり、「もうひとつの世界」に牽引されていく視聴者の欲望の受け皿を作り出していく。現代文学の場において、そのような欲望をもっとも強力に吸い上げ、読者層の広がりを獲得していった存在が、村上春樹であることはいうまでもない。その行き着いた果てに、『1Q84』の世界が位置していると考えてもいいだろう。だが、二〇一〇年代に至って、そういう世界観のリアルはすでに失われつつあるのではないか。その決定的な契機が二〇一一年の震災であったことは確かだが、実際にはそれ以前から、現代文化における現実/虚構の関係は――あくまでも二〇一〇年代的な形で――変容し、再編されつつあったように思う。それはすなわち、村上春樹的な世界観に終焉を告げ、過去へと押しやっていくことをも意味するだろう。本発表では、こうした視点からごく最近の文化コンテンツをいくつか取りあげ、どのような転回がそこに見いだされうるのかを検討してみることにしたい。その際、小説はもちろんだが、問題の所在をあきらかにするため、アニメ、アイドル、ボーカロイドといったポップカルチャーのジャンルにもしばしば触れていくことにする。
著者
宮下 雅恵
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.50, no.5, pp.54-63, 2001-05-10 (Released:2017-08-01)

<身体>の<病>の向こう側にある言葉にできない心の動きは、解釈可能なものとして「病」や「物の気」あるいは「妊娠・出産」としてしばしば一元的に解釈される。このとき何が隠蔽され、どのような解釈がさらに固定化されていくのか。この問いを起点とし、<病>と<孕み>をめぐる思考の鋳型と「二重の疎外」の機制について、『夜の寝覚』第三部の分析を通して考察する。
著者
橋本 博孝
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.60, no.8, pp.43-51, 2011-08-10 (Released:2017-05-19)

言葉の内部には均質に概念が詰まっているのではない。担い手ごとに固有の核がある。その固有であるべき言葉の核を統制しようとするかのごとき動きが、現在の小学校国語科の授業に見られる。物語の授業においてこの傾向を打ち破るには、物語がどう語られているかという次元での文脈を、子どもたちとともに築くことから始めなければならない。登場人物とできごとではなく、語りの次元で作品と向かい合う、という問題意識から出発すると、「ごんぎつね」で問われるべきは、ごんと兵十の物語ではなくなる。ごんと兵十の物語を語る「わたし」をこそ読まなければいけない。そのことは「ごんぎつね」の構造を解き明かすことにつながる。
著者
前田 角蔵
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.30, no.7, pp.98-114, 1981
著者
角谷 有一
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.53, no.3, pp.1-12, 2004

作品のことばに撃たれ、その「ことばの仕組み」が、自分のとらわれている世界を揺さぶり、瓦解させていくような文学作品の「読み」を教室の一斉授業の中でつくり出すことができないか。今回、村上春樹の『七番目の男』を取り上げて、その<語り>の構造を読むことを通じて目指したのも、そういうことだった。授業として決してうまくいったとは言えない今回の実践から、作品の深みへ誘う「読み」の授業づくりのヒントをつかもうとしたのが、今回の報告である。