1 0 0 0 OA 反省と漂泊

著者
高橋 知之
出版者
日本ロシア文学会
雑誌
ロシア語ロシア文学研究 (ISSN:03873277)
巻号頁・発行日
vol.48, pp.89-110, 2016-10-15 (Released:2019-05-22)
著者
塚原 孝
出版者
日本ロシア文学会
雑誌
ロシア語ロシア文学研究 (ISSN:03873277)
巻号頁・発行日
no.34, 2002

アンドレーエフの最後の作品『悪魔の日記』には,「まさにマドンナ」と形容される女性が登場する。彼女は「大いなる平安」を与える存在であるが,アンドレーエフの初期作品では,一貫して性的対象という側面からのみ女性が描かれていることを考えると両者問の差異は大きい。また,あらゆる事象に対して懐疑的で,普遍的,絶対的と思われるものには常に否定的見解を示したアンドレーエフが,こと女性という存在に関しては例外的にそのような結論を下していないが,このことはアンドレーエフにとって女性という存在が重要な要素でありうることを示している。本報告ではまず,アンドレーエフの描く女性像になぜ大きな変化が見られるのかを考える上で,その転換点の作品として『獣の呪い』(1907年)を捉え,これに前後する時期に書かれた『人の一生』『黒い仮面』『イスカリオテのユダ』などの作品とともに,そこに登場する女性がどのように描かれているのかを例示した。すなわち,各主人公たちはそれぞれが何ものかによる大きな喪失を経験したのちに,「偉大なる輝かしい神秘」と規定されるそれぞれの恋人,あるいは妻のもとへ最後の救いを求めるという同一のモチーフを繰り返しているのであり,その女性たちは,それまでのアンドレーエフの物語の中には描かれることのなかった,主人公を「悪と死から護」り「美と生命を造り出す」女性として描かれていた。続いて,そのような変化がこの時期に起こったことの要因として,アンドレーエフと彼の最初の妻アレクサンドラとの関係に注目し,特に1906年11月のアレクサンドラの死による影響を考えた。「情熱的な愛人であると同時に母の愛をもって愛しうる」女性であり,その創作活動自体にも大きく関与していた妻の死がアンドレーエフにいかなる衝撃をもたらしたかを示す資料は多い。白昼夢にまで亡き妻の姿を追い続けるというのは,極めて病的な当時のアンドレーエフの精神状況を語る資料のひとつであるが,のちに再婚しながらも公然と亡きアレクサンドラへの思慕を口にしていたこと,『獣の呪い』『人の一生』のいずれもが彼女への献辞を伴い,さらに1909年に発表された『人の一生』の第5幕のバリアントにはその死という現実が如実に反映していることなども含めて考え,本報告では,「偉大なる輝かしい神秘」として突如この時期に登場し始める女性たちが,他でもない失われた妻アレクサンドラの投影であることを想像するには難くないとした。またこの時期以降女性たちがにわかに神的な要素を帯び,最終的に『悪魔の日記』のマドンナへと展開していったのは,彼女へのアンドレーエフの思慕の強さ,そして同時にその喪失があまりにも早い時期に訪れたがための帰結であろうとし,その分析に関しては以降中後期の作品における女性像の展開と共に今後の課題とした。
著者
梅津 紀雄 Norio UMETSU 東京大学
出版者
日本ロシア文学会
雑誌
ロシア語ロシア文学研究 = Росия-го Росия-бунгаку кэнкю (ISSN:03873277)
巻号頁・発行日
no.34, pp.23-31, 2002-01-01

This paper treats the book called Testimony : The Memoirs of Dmitri Shostakovich and analyses the dispute about the authenticity of this book. Testimony was published in English in 1979, four years after composer's death, in the United States, as a memoir of the composer, by Solomon Volkov. Relatives and close friends of Shostakovich readily charged Volkov that his book was a fake, and that he was not a close friend of the composer. From their point of view, Volkov's act was an arrogation of their right to speak his private life, their right to interprete his works. In 1994 Issak Glikman, a close friend of Shostakovich, published letters of Shostakovich addressed to him with detailed annotations. An american musicologist Richard Turuskin criticized Glikman. He wrote that Glikman's annotations are so detailed that they do not allow readers to have their own interpretation. Glikman went so far as to say, "the memory of Shostakovich is sacred to me". Glinkman's annotations attempted to return posesssion of the composer's memories to their rightful owners and to recover the rights to interpret the lire and works of Shostakovich from less intimate acquaintances. But Volkov and his followers try to emphasize the connections between Volkov and Shostakovich. In Testimony, and in Volkov's followers' Shostakovch Reconsidered, there are many photographs of Volkov with Shostakovich, and Volkov with friends of Shostakovich. Thus they use the same logic as Glikman to prove the authentieity of his "testimony". Today, regardless of its doubtful authenticity, the impression of Testimony constitutes a part of our collective memory about Shostakovich's life and times. The myth of "the sacrificied composer" has a deep relationship with this collective memory. But now we must ourselves dispel the myth of Testimony.
著者
中尾 泰子
出版者
日本ロシア文学会
雑誌
ロシア語ロシア文学研究 (ISSN:03873277)
巻号頁・発行日
no.31, pp.121-133, 1999-10

1914年の10月にソフィヤ・パルノークと出会ったマリーナ・ツヴェターエワは, その直後から連作詩「女友だち」を書き始める。しかし, 同性の恋人に捧げられたこのテクストは, 彼女の存命中に世に出ることはなかった。といっても, 女性の同性愛を含め, 当時のロシアにおいて「性」について語ることがタブーだったわけではない。 ではツヴェターエワにとってレズビアニズムを表象するという行為は具体的にどんな意味を持っていたのだろうか。また, ツヴェターエワのレズビアニズムに対する認識は時を経るにしたがってどのように変化していったのだろうか。 本論では, まず今世紀初頭の文学における同性愛のテーマについて概観し, 次いでツヴェターエワの「女友だち」と「アマゾンへの手紙」という二つのテクストを中心にこれらの問題について考察する。
著者
原 卓也
出版者
日本ロシア文学会
雑誌
ロシア語ロシア文学研究 (ISSN:03873277)
巻号頁・発行日
no.33, 2001-09-20