著者
住家 正芳
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.87, no.1, pp.1-25, 2013-06-30 (Released:2017-07-14)

ナショナリズムはなぜ宗教を必要とするのか。本稿は、その答えの一つを十九世紀後半から二十世紀初頭にかけて世界的に流行した社会進化論の論理に求めるものである。社会進化論の発想からは、社会および国家どうしの関係が社会有機体間の生存競争として捉えられた。その競争を生き残る「強い」国家をつくるためには、国民の強固な統合が不可欠とされ、それを実現し得るものとして宗教が要請された。社会や国家の統合のためには、何らかの価値体系の共有が必要とされ、それを実現することが宗教に求められたのである。本稿はまず、国家神道概念の淵源とされる加藤玄智の宗教論に以上の論理を見出すことができることを示したうえで、同様の論理が清末から民国初期にかけての中国できわめて大きな影響力を持った梁啓超の宗教理解にも見出されることを確認する。
著者
三木 英
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.85, no.4, pp.879-904, 2012

現代日本では外国籍の住民が増え、それに伴って日本人に馴染み薄い宗教の施設も増加することになっている。ブラジル福音王義キリスト教やイスラームがその宗教の代表であるが、それらの現状は日系人やムスリムだけが集う、孤立した信仰共同体にとどまっている。それら共同体に日本人信者は僅かしかおらず、教会やモスクの所在する地域の住民が、それらに出入りすることはない。とはいえ宗教的なニューカマーもホスト社会に無関心であるかといえば、そうではない。彼らは日本人・日本社会に向け活動し、メッセージを発信しているのである。その働き掛けは現時では一方的なもので、多くの日本人はその現実に気づいてはいない。しかし現代日本が多文化共生をその課題とする限り、日本人がニューカマーによる活動・メッセージを認識することは必要であろう。宗教的なニューカマーは国内に増加している。彼らと日本人との間の協働関係構築の可能性は、探究するに値しよう。
著者
馬場 紀寿
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.79, no.1, pp.49-71, 2005-06-30 (Released:2017-07-14)

『清浄道論』は紀元後五世紀前半に活躍したブッダゴーサにより著された。先行研究によれば、ブッダゴーサは、『清浄道論』を著すに際して、ウパティッサ作『解脱道論』を参考にしたとされる。しかし、これまで顧みられなかったブッダゴーサの編集方法を調査することによって、次のことが明らかになる。ブッダゴーサは単に『解脱道論』を踏襲しただけではなく、『解脱道論』には存在しない「三種の完全知」という概念を『清浄道論』に導入し、「三種の完全知」の構造に沿って『解脱道論』を取捨・改変・増広して『清浄道論』の「智慧修習論」を編纂した。その結果、「四諦」観察を重視する『解脱道論』に対し、『清浄道論』は「無常・苦・無我」や「空」の観察を中心とすることとなった。ブッダゴーサの編集作業によって確立した「三種の完全知」がスリランカや東南アジアに広まる「テーラヴァーダ仏教」の正統的な修行方法を代表し、その思想的特質を端的に示すものとなったのである。
著者
高田 信良
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.83, no.4, pp.1093-1112, 2010-03-30

「宗教以前」の<私>が「宗教の中に生きている」ことを発見するところに思索がはたらいている。そのような「思想」(親鸞の「本願との出遇いを聞思する思索」)を関心事とする。親鸞は自身の「本願・念仏・信心」理解を「聞思」する(思索し、表現して語る)。歴史上の親鸞が、最初の<親鸞>思想の担い手であり、親鸞につながって念仏者となる人々(歴史的<真宗>共同体に集う人々)が(次なる)<親鸞>思想の担い手である。そのような人々が連綿と生まれ続ける力を与えているのが親鸞の「聞思」の思索である。歴史的<真宗>共同体に集う人々は、「報恩講」を営み「正信偈」を唱和するなかで親鸞と一味の「信心」理解を生きる。「正信偈」を唱える主体(一人称の主語)は、歴史上の親鸞であり、また、一人一人の念仏者である。親鸞と共に、「もつぱらこの行に奉(つか)へ、ただこの信を崇(あが)め」る人々の運動態・共同体が、宗教としての<親鸞>思想を生きる宗教運動態である。
著者
三友 健容
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.80, no.4, pp.1109-1110, 2007-03-30
著者
三木 英
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.85, no.4, pp.879-904, 2012-03-30 (Released:2017-07-14)

現代日本では外国籍の住民が増え、それに伴って日本人に馴染み薄い宗教の施設も増加することになっている。ブラジル福音王義キリスト教やイスラームがその宗教の代表であるが、それらの現状は日系人やムスリムだけが集う、孤立した信仰共同体にとどまっている。それら共同体に日本人信者は僅かしかおらず、教会やモスクの所在する地域の住民が、それらに出入りすることはない。とはいえ宗教的なニューカマーもホスト社会に無関心であるかといえば、そうではない。彼らは日本人・日本社会に向け活動し、メッセージを発信しているのである。その働き掛けは現時では一方的なもので、多くの日本人はその現実に気づいてはいない。しかし現代日本が多文化共生をその課題とする限り、日本人がニューカマーによる活動・メッセージを認識することは必要であろう。宗教的なニューカマーは国内に増加している。彼らと日本人との間の協働関係構築の可能性は、探究するに値しよう。
著者
木村 晶子
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.77, no.2, pp.345-368, 2003-09-30 (Released:2017-07-14)

平和の実現には、真の対話が必要である。フィリピンの状況においては、まずカトリック信者の間にあるイスラムに対する偏見や誤解、さらに強者の論理を取り除くことが必要である。また、これまでの対話はいまだキリスト教優位の姿勢が強いことを反省し、相互に聞き合い、ともにパートナーとして成長し、回心の道を歩むことが求められる。そして、単に理論的な対話ではなく、互いの信仰生活における霊的な交流を深め、ともに兄弟姉妹であるという意識を浸透させてゆくことが最も大切である。このためには、指導者レベルの対話とともに、イスラム教とキリスト教の信徒間の草の根運動やNGOなどによる民衆の意識改革、平和教育が必要不可欠である。このような運動の実践は根気と忍耐が要求されるが、このプロセスを経て相互に理解と受容が可能となるのではないだろうか。
著者
浅見 洋
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.82, no.2, pp.317-340, 2008-09-30

思想史的意義をもつとみなされてきた宗教批判は、宗教そのもの、特定の宗教、ないしはある教派の真理性を否定することによって、真理性をもつと考えられる何ものかを肯定しようとする思想的な試みである。だとすれば、宗教批判は宗教に関する真理問題と関わっていくつかの立場に類型化することが可能だと思われる。本稿では無神論的立場、絶対主義的立場、包括主義的立場からなされた宗教批判として、L・フォイエルバッハの無神論的宗教批判、K・バルトの神学的宗教批判、西田幾多郎の哲学的宗教批判を取り上げ、各々の宗教批判の構造とそれらの関連性に論及する。それによって、フォイエルバッハの宗教批判は人間学の構築、バルトの宗教批判は神学の再興、西田の宗教批判は宗教の説明をめざした肯定的、創造的な作業であったことを明らかにする。