著者
山本 春樹
出版者
天理大学学術研究委員会
雑誌
天理大学学報 (ISSN:03874311)
巻号頁・発行日
vol.65, no.2, pp.99-113, 2014-02

日本近現代史は戦争の歴史ともいえるが,この戦争の歴史にどう向き合うべきかという問題をめぐって,いまだに決着のつかない議論が続いている。本稿は,戦争の歴史に向きあうためにはどのような点に留意しなければならないのかという問題を考えようとするものである。加藤陽子氏の著作を素材として取り上げるが,加藤氏の論述の眼目は戦争を正当化した論理を明らかにすることである。そこでまず,加藤氏が抽出するそれぞれの戦争を正当化した論理を整理して理解する。次に,その正当化の論理を加藤氏がどのように評価しているのかを明らかにする。最後にその加藤氏の評価について考えるという順で論述を進めたい。
著者
中村 久美
出版者
天理大学
雑誌
天理大学学報 = Tenri University journal (ISSN:03874311)
巻号頁・発行日
vol.71, no.1, pp.41-65, 2019-10

真珠はシェイクスピアにおいて特徴的な使われ方をしている。クレオパトラがアントニーとの晩餐で,王国が買えるほどの高価な真珠を酢に溶かして飲んだという逸話が大プリニウスの『自然博物誌』に記録されているが,シェイクスピアの『アントニーとクレオパトラ』にはこの有名な逸話は登場せず,逆にクレオパトラはアントニーから別れの餞別に真珠を贈られる。また,『ハムレット』では,国王クローディアスがハムレットの健勝を祝して盃に真珠を入れるが,ハムレットはその盃を口にすることはなく,母ガートルードがそれを飲んで死に至る。『リチャード3世』や『あらし』では,罪人の集めた真珠は当人の元に長く止まることなく,再び海の底に戻る。シェイクスピアにおいては真珠を所有する資格のない者や,粗末に扱う者には天罰が下るのである。このことは,真珠の価値が富にあるのではなく,その象徴するところの純潔と美徳にあることを示している。同時にそれは真珠好きで知られる時の女王エリザベスがスペインの無敵艦隊を破り,英国に富と繁栄をもたらしたことがエリザベスの純潔性に由来することを象徴的に示そうとしたものと解釈できる。象徴としての真珠の起源は聖書における「天国の門」「豚に真珠」の例にまで遡るが,その純潔,高貴,美徳のイメージは,中世の真珠詩人(Pearl Poet) にも引き継がれるなど,十字軍遠征以後ヨーロッパ中に広まり,「庶子」エリザベスが国内外に女王としての正当性をアピールするのに欠かせない道具であった。これを反映してか,シェイクスピア作中の人物が真珠をどのように扱うかは,その人物の善悪や貴賎を知る一種の試金石となっている。
著者
山本 義泰
出版者
天理大学学術研究会
雑誌
天理大学学報 (ISSN:03874311)
巻号頁・発行日
no.146, pp.p102-118, 1985-03
著者
山本 伸二
出版者
天理大学学術研究委員会
雑誌
天理大学学報 (ISSN:03874311)
巻号頁・発行日
vol.65, no.1, pp.27-50, 2013-10

1159年の教皇ハドリアヌス4世没後に勃発したシスマは,皇帝(ドイツ国王)フリードリヒ1世・バルバロッサにとって,その後18年間にわたって彼の帝国再建策を規定していく要因の一つであった。そして反バルバロッサのアレクサンデル3世支持が拡大していく状況下の1165年,バルバロッサは,アーヘンでカール大帝の列聖を実施した。本稿は,そのカール大帝の列聖を,まず史料を確認し,ついで12世紀における列聖の状況をふまえ,さらにカール大帝とアーヘンといった「人」と「場」の結びつき,この列聖の「共演者たち」といった点も視野に入れて,その歴史的コンテクストのなかで考察することを目的としている。
著者
天理大学人文学会 [編]
出版者
天理大学
巻号頁・発行日
1949
著者
渡辺 優
出版者
天理大学
雑誌
天理大学学報 = Tenri University journal (ISSN:03874311)
巻号頁・発行日
vol.70, no.1, pp.1-28, 2018-10

今日の人文社会科学全般に巨大な足跡をのこしたミシェル・ド・セルトーであるが,領域横断的なその業績を包括的に理解しようとする試みはいまだ少ない。本稿は,彼の言語論を軸に「ひとつのセルトー」像の提示を試みる。神秘主義の言語論からはじめて,彼のキリスト教論の重要性を強調し,「パロール」をめぐる思考を追跡する。それは,経験と言語活動の乖離という,キリスト教および文化の危機をめぐる先鋭な問題意識に裏打ちされていた。パロールをめぐる彼の「神学的」思考は,1970年代以降,歴史記述論や日常的実践論を通じて西欧近代の学知の根本的な問いなおしへと展開してゆく。「他者のパロール」を求め続けた彼の思考は,それ自体,「宗教」が学知のうちで「思考不可能なもの」となった時代の宗教言語論である。
著者
倉田 勇
出版者
天理大学学術研究会
雑誌
天理大学学報 (ISSN:03874311)
巻号頁・発行日
vol.24, no.2, pp.49-68, 1972-09
著者
河内 良弘
出版者
天理大学学術研究会
雑誌
天理大学学報 (ISSN:03874311)
巻号頁・発行日
vol.25, no.6, pp.1-27, 1974-03
著者
初谷 譲次
出版者
天理大学
雑誌
天理大学学報 (ISSN:03874311)
巻号頁・発行日
vol.66, no.2, pp.129-141, 2015-02

カスタ戦争(メキシコ史上最大規模の先住民反乱:1847~1901年)の末裔であるクルソーマヤは,メキシコ・キンタナロー州において,軍事的色彩は喪失しているとはいえ,今なお,反乱過程で再編成した強固なエスニック・コミュニティを形成している。十字架信仰と教会護衛制度を軸とするマヤ教会コミュニティは植民地支配によって押し付けられたカトリックの祈りを自らの文化資本として再領土化している。他方で,メキシコ国家は,1910年の革命以降一貫してきた「統合主義」的先住民政策を,サリナス政権(1988~94年)期における新自由主義路線への方向転換を契機として「多文化主義」へとシフトしてきている。本稿は,マヤ教会コミュニティが国家によるマヤ先住民の包摂を促進する受け皿となっていることを肯定的に捉えようとするものである。
著者
初谷 譲次
出版者
天理大学学術研究委員会
雑誌
天理大学学報 (ISSN:03874311)
巻号頁・発行日
vol.62, no.1, pp.1-30, 2010-10

本稿は3年計画の科研プロジェクト「日常的実践におけるマヤ言説の再領土化に関する研究」の最終年度に実施したフィールド調査の報告書であり,前2作の完結編となる。したがって,前2作で積み残していた2つの課題を中心に取り組んだ。ひとつは,トゥルム村の外部世界との接触の歴史である。そしてもうひとつはマヤ教会で日常的に実践されているミサと呼ばれる祈りのマヤ語部分の翻訳・分析である。かつてサマと呼ばれたトゥルム村はスペイン植民地支配(エンコミエンダ制度)に組み込まれ過疎化・消滅してしまう。しかし,19世紀に勃発したカスタ戦争を契機にトゥルム村は反乱拠点として復活する。そして,20世紀には遺跡の考古学的調査ブームとメキシコ国家統合によって村は条理空間にのみこまれていく。このような過酷な運命に翻弄されながらも,押し付けられたカトリックの祈りをブリコラージュによる摸倣と継承を繰り返しながら,自らの日常的実践の資産として再領土化してきた。かれらの日常的実践は,かたくなに伝統を守りながらマヤ文化の復興をはかるという本質主義的語りのなかに回収されてしまいがちである。しかし,彼らの祈りのなかには,いわゆる「マヤ的要素」は見あたらない。今回分析したマヤ語の祈りにも,カトリックを逸脱するような要素は見られなかった。マヤの人びとがときには経験知をときには科学的リテラシーを使い分けて,秩序ある条理空間と顔の見えるローカルな日常的平滑空間の両方を生きているとすれば,まごうことのない近代的自我を確立して合理的な科学的リテラシーのみを駆使して生きていると錯覚しているわれわれのやっていることとさほど変わらないのかもしれない。
著者
初谷 譲次
出版者
天理大学学術研究委員会
雑誌
天理大学学報 (ISSN:03874311)
巻号頁・発行日
vol.60, no.1, pp.123-142, 2008-10

トゥルムといえばカリブの美しい海岸に面したマヤ遺跡が有名であり,遺跡公園はつねに観光客であふれている。しかし,トゥルム遺跡のすぐそばにあるトゥルム市について,そこがクルソー・マヤと呼ばれた反乱マヤの聖地だったということはほとんど知られていない。カスタ戦争(1847―1901年)の末裔であるこの地域の人びとは,祭祀センターであり聖域である教会を輪番制で護衛するシステムを維持している。本稿は,2007年夏に実施したフィールド調査に基づいて,トゥルム市マヤ教会の護衛システムと伝統的ノベナを紹介するとともに,調査のさいに加えられた制限について考察しようとするものである。マヤ役職者たちは,研究者にメモ帳,筆記用具,録音機器,カメラおよびビデオなどの情報機器の使用を禁じる。しかし,だからと言って順路的経験をいっしょにすることを拒否することはない。むしろ積極的に参加をうながす。ただし,その順路的経験を地図的知識に整理しようとするそぶりに対しては強い拒絶の態度を示すのだ。情報操作の優劣による他者化を防いだうえで,儀礼への参加は認めることで研究者を他者化することもしないという日常的実践における近代と伝統の境界線上を生きるという戦術なのだ。