著者
倉持 史朗
出版者
天理大学
雑誌
天理大学学報 (ISSN:03874311)
巻号頁・発行日
vol.66, no.1, pp.51-77, 2014-10

監獄費国庫支弁法が成立した1900(明治33)年に感化法が成立した。その内容は不良行為や犯罪を行った児童を監獄から分離し,福祉的・教育的処遇(感化教育)によって(再)犯罪予防を企図した画期的なものであったが,実際には公立感化院の整備は大きく遅れた。そのような状況の中で同法制定を契機として犯罪・不良少年に対する処遇の改善を企図していた監獄官僚たちは,司法省管轄下にある特別幼年監(独立設置した懲治場)を主な舞台として「感化教育」を実践していくことになる。本研究はこのような司法省による懲治場改革(特別幼年監の設置)に焦点をあて,それらの改革がまさに幼少年犯罪者に対する「感化教育」の実践であったことを明らかにすることを目的にしている。そのため,従来研究では用いられてこなかった神戸監獄・洲本分監,福島監獄・中村分監,横浜監獄女子懲治場の資料を分析し,各懲治場の教育方針やその体制,学科教育及び生活指導や入所児童などの状況について検討した。
著者
鳥居 久靖
出版者
天理大学学術研究会
雑誌
天理大学学報 (ISSN:03874311)
巻号頁・発行日
vol.23, no.5, pp.375-392, 1972-03
著者
伊藤 和男
出版者
天理大学学術研究会
雑誌
天理大学学報 (ISSN:03874311)
巻号頁・発行日
no.141, pp.p17-40, 1984-03
著者
中村 久美
出版者
天理大学
雑誌
天理大学学報 = Tenri University journal (ISSN:03874311)
巻号頁・発行日
vol.68, no.2, pp.77-92, 2017-02

オスカー・ワイルドの『ドリアン・グレイの肖像』の序文では,鏡がこの作品を読み解く鍵であることを暗示する文章が並ぶ。鏡自体,ルイス・キャロルの『鏡の国のアリス』や,ギリシャ神話のメドゥーサ退治に使われた鏡のように,一種魔術的な要素を持ち,虚像と実像の乖離を本来的に内包するものだが,この作品においては肖像画が鏡の役割を果たすというひねりを効かせており,「誠実」な人間と「真実」の人間という世紀末的対立を際立たせている。肖像画が魂の真実を映し出す時,鏡に映っているモノとはいったい何なのだろうか。本稿では夏目漱石の『幻影の盾』もヒントにしつつ,『ドリアン・グレイの肖像』を中心にワイルドにおける鏡と真実,ほんものとにせもののありようを探る。
著者
山本 義泰
出版者
天理大学学術研究会
雑誌
天理大学学報 (ISSN:03874311)
巻号頁・発行日
vol.35, no.3, pp.108-123, 1984-03-30 (Released:2009-03-01)
著者
朱 鵬
出版者
天理大学
雑誌
天理大学学報 (ISSN:03874311)
巻号頁・発行日
vol.66, no.2, pp.41-70, 2015-02

光緒二十年(1894)は,中国にとって特別に意味のある年であった。それは,中国にとって,日清戦争の勃発によってもたらされた外部からの刺激ばかりではなく,わずか数年の間に,中国の社会文化の深層に大きな変化がおこったからである。その影響は深遠であり,例えば,光緒三十一年(1905)科挙制度の廃止によって,清朝の統治をささえる政治理念の土台が動揺し,結局,社会体制の崩壊につながっていたことは,その一つの重要な出来事である。 本稿でとりあげる「提督学政」とは,清朝の地方学務に携わる高等官僚である。科挙制度の社会基礎を維持するのに重要な役割を果たしており,学校試の統括,本試験郷試への人材推薦,及び地方学問風紀の保護など,彼らの動向は,科挙制度のバロメーターとして,そのときの社会状況を反映している。本稿の目的は,現存する提督学政の自筆史料を解読し,地域学務の実態を整理しながら,科挙試験廃止直前までの科挙制度を確認することである。この自筆史料というのは,光緒二十年貴州学政に就任した嚴修の『蟫香館使黔日記』である。そこには貴州学政を勤めた嚴修の毎日が記録され,学政の業務日記として極めて貴重である。 しかし,学政に関する研究の少ないなか,嚴修のこの日記も民国期に刊行されて以来,貴重であることを認識されながらも,ほとんど図書館の書架に収蔵されたままになってきた。すでに過去のものとなった科挙に対する関心の薄さと,史料の整理と解読に時間がかかることがその原因であろう。本稿は,『欽定大清會典則例』や『欽定学政全書』といった清朝の法令集をも対照しながら,学政の待遇や院・歳試など幾つかの点を通じて,嚴修の貴州学政業務を確認し,制度廃止直前であっても地方では,その制度が従来とかわりなく厳格に実施されていた実態を明らかにしたい。科挙の廃止と西洋的な教育の導入は,中国教育制度史上において,まさに晴天の霹靂であった。
著者
朱 鵬
出版者
天理大学
雑誌
天理大学学報 (ISSN:03874311)
巻号頁・発行日
vol.66, no.2, pp.41-70, 2015-02

光緒二十年(1894)は,中国にとって特別に意味のある年であった。それは,中国にとって,日清戦争の勃発によってもたらされた外部からの刺激ばかりではなく,わずか数年の間に,中国の社会文化の深層に大きな変化がおこったからである。その影響は深遠であり,例えば,光緒三十一年(1905)科挙制度の廃止によって,清朝の統治をささえる政治理念の土台が動揺し,結局,社会体制の崩壊につながっていたことは,その一つの重要な出来事である。 本稿でとりあげる「提督学政」とは,清朝の地方学務に携わる高等官僚である。科挙制度の社会基礎を維持するのに重要な役割を果たしており,学校試の統括,本試験郷試への人材推薦,及び地方学問風紀の保護など,彼らの動向は,科挙制度のバロメーターとして,そのときの社会状況を反映している。本稿の目的は,現存する提督学政の自筆史料を解読し,地域学務の実態を整理しながら,科挙試験廃止直前までの科挙制度を確認することである。この自筆史料というのは,光緒二十年貴州学政に就任した嚴修の『蟫香館使黔日記』である。そこには貴州学政を勤めた嚴修の毎日が記録され,学政の業務日記として極めて貴重である。 しかし,学政に関する研究の少ないなか,嚴修のこの日記も民国期に刊行されて以来,貴重であることを認識されながらも,ほとんど図書館の書架に収蔵されたままになってきた。すでに過去のものとなった科挙に対する関心の薄さと,史料の整理と解読に時間がかかることがその原因であろう。本稿は,『欽定大清會典則例』や『欽定学政全書』といった清朝の法令集をも対照しながら,学政の待遇や院・歳試など幾つかの点を通じて,嚴修の貴州学政業務を確認し,制度廃止直前であっても地方では,その制度が従来とかわりなく厳格に実施されていた実態を明らかにしたい。科挙の廃止と西洋的な教育の導入は,中国教育制度史上において,まさに晴天の霹靂であった。
著者
倉持 史朗
出版者
天理大学学術研究委員会
雑誌
天理大学学報 (ISSN:03874311)
巻号頁・発行日
vol.63, no.2, pp.87-107, 2012-02

近代日本の監獄制度や更生保護,児童保護等の領域を専門とする有力な学術雑誌に『大日本監獄協会雑誌』がある。本誌は上記分野の史的展開を理解する上で重要な資料の1つである。本研究では第1に,本誌を発行した民間団体・大日本監獄協会の組織・活動等について検討を行う。第2に19世紀末から20世紀初頭にかけて生まれた感化教育や少年行刑,少年保護事業の母胎とも言うべき監獄改良の展開とその内実の一端について,本誌上の議論から検討した。また,それらを通して本協会とその機関誌が監獄改良に果たした貢献やその限界についても考察を加えた。
著者
森 進
出版者
天理大学学術研究委員会
雑誌
天理大学学報 (ISSN:03874311)
巻号頁・発行日
vol.61, no.1, pp.15-47, 2009-10

『天理大学学報』第220輯において,天理教の信仰的実践行為「おぢば帰り」の目標地点である聖地「ぢば」の意味と「ぢば定め」の意味に焦点を絞って論考した。「ぢば」の意味については,まず,人間元はじまりの地点とし,次に,その地点を基に教示されている意味を,『みかぐらうた』から9種類,『おさしづ』から70種類,『稿本天理教教祖伝逸話篇』から14種類に分類して、考察した。さらに,「かんろだいのぢば」のある神殿の形状から「ぢば」の教学的意味として4点を挙げた。最後に,「ぢば」の立体的意味を考察した。加えて,「ぢば」には,「行く」ではなく,「帰る」という表現を使う理由として2点を挙げた。そして,「ぢば定め」の意味として3点を挙げた。天理教信者の帰る目標地点は,「ぢば」とされるが,その他に,天理教の聖地を表現する重要な用語として,「やしき」,「親里」という2種類の言葉がある。そこで今回は,「ぢば」の意味と「やしき」,「親里」の比較を中心にして,それぞれの関連性とともに,「おぢば帰り」,「お屋敷帰り」,「おやざとまいり(親ザト参リ)」の呼称と意味についても論考を試みる。
著者
山本 伸二
出版者
天理大学学術研究委員会
雑誌
天理大学学報 (ISSN:03874311)
巻号頁・発行日
vol.65, no.2, pp.67-86, 2014-02

本稿の目的は,ドイツ国王フリードリヒ1世・バルバロッサ(在位1152-90年)以前のシュタウフェン家を対象として,その起源,出自から家門意識,さらに婚姻関係,結婚政策に焦点を当てて,シュヴァーベンのグラーフから大公,さらに国王を誕生させるに至ったシュタウフェン家の台頭の歴史を跡づけることである。シュタウフェン家の基軸は「フリードリヒ」という基本名をもつ男系であり,台頭の契機となったのは,国王の息女との結婚による王家との結びつき,城砦と修道院の建設,そして大公という地位の獲得であった。しかし,1125年,1138年の国王選挙を経て,シュタウフェン家のなかに,国王の家系と大公の家系という2つの系統があらわれることになったのである。
著者
山本 伸二
出版者
天理大学学術研究委員会
雑誌
天理大学学報 (ISSN:03874311)
巻号頁・発行日
vol.65, no.2, pp.67-86, 2014-02

本稿の目的は,ドイツ国王フリードリヒ1世・バルバロッサ(在位1152-90年)以前のシュタウフェン家を対象として,その起源,出自から家門意識,さらに婚姻関係,結婚政策に焦点を当てて,シュヴァーベンのグラーフから大公,さらに国王を誕生させるに至ったシュタウフェン家の台頭の歴史を跡づけることである。シュタウフェン家の基軸は「フリードリヒ」という基本名をもつ男系であり,台頭の契機となったのは,国王の息女との結婚による王家との結びつき,城砦と修道院の建設,そして大公という地位の獲得であった。しかし,1125年,1138年の国王選挙を経て,シュタウフェン家のなかに,国王の家系と大公の家系という2つの系統があらわれることになったのである。
著者
中村 久美
出版者
天理大学
雑誌
天理大学学報 (ISSN:03874311)
巻号頁・発行日
vol.66, no.2, pp.113-128, 2015-02

月と鏡はともに他者の像を反映するという相似の機能を担い,心理的にも互いに隣接する観念である。両者は地上の現実世界の反映であると同時に,異次元世界へと人を誘う扉でもあり,我々のなじみ深い世界にぽっかり空いた未知の世界,夢の世界への入り口である。しばしば絵画や文学作品の主題ともなり,重要な場面に欠かせない道具ともなる月と鏡であるが,これらは偶然というより,見かけの相似以上のつながりがあるのではないだろうか。西洋とわが国の文学作品を比較した時,その結びつきはより明らかになるが,東西の違いもまた浮かび上がる。月は西洋では不吉な事件の前兆となることが多く,日本では異界への入り口の象徴になることが多い。また鏡は西洋では現実の真実を現すのに使われ,日本では裏面の真実が語られる。