著者
長坂 成行
出版者
奈良大学
雑誌
奈良大学紀要 (ISSN:03892204)
巻号頁・発行日
no.14, pp.p31-47, 1985-12

尾張藩士稲葉通邦が、親友神村忠貞所蔵の宝徳年間奥書を有する古写本『太平記』三十九巻(巻二十二は欠)の書写かつ校正を了えたのは安永十年(一七八一)二月のことであった。この通邦書写本は、今日国立国会図書館に現蔵、宝徳本『太平記』と通称されるが、巻一から巻十までしか残存しない零本で、それが故に奥書年代の古さにもかかわらず、さして重視される伝本ではなかった。だが同じ頃(通邦が書写したやや後かと推される)同藩の国学者河村秀頴が、その架蔵無刊記整版本『太平記』(以下これを河村本と呼ぶ)に問題の宝徳古写本と整版本(流布本)との校異を朱書しており(名古屋市立鶴舞中央図書館蔵)、これによって宝徳本の巻十一以降の本文の様相をかなりの程度具体的に窺い知ることが出来る。小稿は河村本の校異による宝徳本の復元、および諸本の中での位置付けを試み、そこから派生するいささかの問題を提起しようとするものである
著者
市川 良哉
出版者
奈良大学
雑誌
奈良大学紀要 (ISSN:03892204)
巻号頁・発行日
vol.3号, pp.127-136, 1974-12
著者
永井 一彰
出版者
奈良大学
雑誌
奈良大学紀要 (ISSN:03892204)
巻号頁・発行日
no.7, pp.p21-33, 1978-12

寛政十一年に名古屋の桜田臥央によって世に出された『幽蘭集』(半紙本七冊) は、芭蕉一座の連句二百二十巻余を収め本格的な芭蕉連句全集の噛矢として知られるが、従来この書に対する評価は余り高くなく、芭蕉全集が編まれる際に連句編の校合資料として採用されるかあるいは初出連句の底本として使用されるに留まる。しかし、この書にはもっと関心が向けられて然るべきだと思われる。
著者
光石 亜由美
出版者
奈良大学
雑誌
奈良大学紀要 (ISSN:03892204)
巻号頁・発行日
no.41, pp.348-327, 2013-03

一九一〇〔明治四三〕年三月、田山花袋、蒲原有明、前田晁、窪田空穂、吉江孤雁の五名が、伊勢・奈良・京都をめぐった七日間の旅程を明らかにした。まず、この五人の関係を年譜や伝記を参照して概略し、次に、五人が一九一〇〔明治四三〕年三月の旅に関して書き残した紀行文、小品、回顧録などの資料を探索した。そして、その資料により、旅の動機、そして旅程をできるかぎり復元することを試みた。

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著者
滝川 幸司
出版者
奈良大学
雑誌
奈良大学紀要 (ISSN:03892204)
巻号頁・発行日
no.41, pp.364-350, 2013-03
著者
鈴木 弘道
出版者
奈良大学
雑誌
奈良大学紀要 (ISSN:03892204)
巻号頁・発行日
vol.4号, pp.1-10, 1975-12

従来、御伽草子、「鉢かづき」 における変装の趣向や物語の原拠につき、詳細な考察を試みた研究はあまり見られないので、ここに、私はかなり大胆な試論を展開してみようと思う。
著者
山岸 直勇
出版者
奈良大学
雑誌
奈良大学紀要 (ISSN:03892204)
巻号頁・発行日
no.18, pp.p35-48, 1990-03

英語の辞書は誤りなきものと考えられている.しかし英国人Samuel Johnson(1709-84)の言う如くDictionaries are like watches, the worst is better than none, and the best cannot be expected to go quite true. 也と申し上げたい.誤りのない英語の辞書はない.ことに,日本の事物についての誤った説明は,日本及び日本人について誤解を生むことになるので誠に遺憾である.約33年前英々辞典にある誤りに関心を抱いた.例えばLondonのRoutledge and Kegan Paul Ltd. 発行のThe Universal Dictionary of the English Language (1952年版)にあるthe Japan Seas の s である.この s は削除すべきものである.辞書編集者に訂正を求あて文通を開始してより23年が経過した.この小論は以下の辞書の編集者よりの,回答を求あた見出し語に付記してある.
著者
浅田 隆
出版者
奈良大学
雑誌
奈良大学紀要 (ISSN:03892204)
巻号頁・発行日
no.34, pp.1-40, 2006-03

一九二〇年代後半(大正末期)から一九九九年に逝去されるまで、奈良地方新聞の新聞人として奈良についての貴重な証言を書き続けた北村信昭氏の蔵書と遺品を、ご遺族のご好意で奈良大学図書館に、ご寄贈いただいた。この遺品の中に大正末から昭和期にかけての『大和日報』二〇四日分や松村又一の詩誌『雲』があり、ここに北園克衛(署名はすべて本名の橋本健吉となっている)の初期作品が掲載されている。また『大和日報』文芸担当者としての北村氏に宛てた北園の書簡や詩稿なども遺品中にある。ここでは、これら北村信昭氏の遺品中から確認できた北園克衛の作品(書簡も含め)詩二六(三〇)篇、評論・短篇小説等散文三篇、書簡五、詩稿一、『大和日報』文芸欄用カット五点ならびに北園のカットが三点掲載されている日の文芸欄(一日分)を一括して紹介した。
著者
三木 理史
出版者
奈良大学
雑誌
奈良大学紀要 (ISSN:03892204)
巻号頁・発行日
no.21, pp.p175-186, 1993-03

本稿は、わが国における「軽便鉄道建設ブーム」の地域的展開を考察することを目的とする。その結果、明らかとなった事実はつぎのとおりである。1.1920年度における地方鉄道事業者を経営規模に基づいて区分すれば、「局地鉄道型」「中小地方鉄道型」および「大手地方鉄道型」の3類型に区分できる。2.免許件数の多寡は、国鉄幹線網の完成度と地域社会の経済力と関係が深い。かかるブームの重点地域として北海道、茨城、新潟、長野、岐阜、三重、兵庫の各道県が、準重点地域として関東諸府県、静岡、愛知、奈良、岡山、山口、福岡、大分があげられる。3.国有鉄道軽便線、「鉄道敷設法」改正予定線は民営軽便鉄道の建設が低調であった地域と地域経済力に乏しい地域に分布した。
著者
中尾 真理
出版者
奈良大学
雑誌
奈良大学紀要 (ISSN:03892204)
巻号頁・発行日
no.32, pp.33-49, 2004-03

ウォーカー・ハミルトンは1934年に生れ、2冊の短い小説を残して、1969年に若くして亡くなった。本稿は彼の2作目の小説A Dragon's Life(『ドラゴンとともに』)をとりあげ、作家ウォーカー・ハミルトンの紹介としたい。『ドラゴンとともに』(1970年)は64歳になる売れない役者、サムソン・スワンロードを主人公にした、現代のピカレスク小説である。主人公は化粧品会社の宣伝のドラゴン役に応募するが、痩せ過ぎていると言う理由で、落ちてしまった。ナイロン製のドラゴンに惚れ込んだ彼は、その衣装を盗んで逃走する。ドラゴン姿の主人公は逃走の旅の途中で、人生の裏街道を行くさまざまな人物に出会う。小説はそれらの人々との出会いを通して、自分の人生は失敗であったとの思いから抜けきれないサムソン・スワンロードの内面を探求していく。物語は彼が駐車場の番人になるために、元の町へ戻る決心をつけるところで終わる。主人公が役者であることから、小説は最初と最後の章が戯曲形式で書かれており、さらに2章から10章までは主人公の独白体(モノローグ)で書かれている。青年の繊細さと老人の諦めの入り交じった独白に、お伽話の軽妙さが加わった作品である。
著者
青木 芳夫
出版者
奈良大学
雑誌
奈良大学紀要 (ISSN:03892204)
巻号頁・発行日
no.28, pp.77-93, 2000-03

本稿では、再び家族と一緒に5ヵ月間生活することとなったペルー・アンデス南部村落のユカイ村がこの5年間にどのような持続と変容を経験したのかを分析する。第一の特徴である持続では、エネルギー・資源利用ならびに食生活を通じて、今日でも自足を旨とし、現金支出はできるだけ抑制しようとする姿を記述する。第二の特徴である変容では、社会経済的変化に伴う兼業化・離農を契機とした、自給農業における労働力調達や伝統的宗教儀礼における人間関係の変容を指摘する。
著者
池田 碩
出版者
奈良大学
雑誌
奈良大学紀要 (ISSN:03892204)
巻号頁・発行日
no.8, pp.p48-59, 1979-12

調査地は島根県西部の日本海に臨む益田市沖約1kmの海底である.この付近の海底には,南北約600m・東西約400m位の海蝕台状の高まりがあり,地元では「大瀬」と呼ばれている.その水深は最浅部で4mであるが,おおむね陸側で7m,沖側では10m程である.また,この400m程東方にも,より小規模な同様の高まりがあり,大瀬に対して小瀬と呼ばれている.伝承では,ここはかつて鴨島と呼ばれるところであったが,万壽3(1026)年の大地震と津波のあと消滅したといわれてきた.この地には他にも地震にまつわる伝承が多い.そこで,今回大瀬を中心とした海底の探査を行なうことによって,この地がかつては島であったことの裏付けとなるようなものの発見,ないしは何らかの手がかりをつかむことを意図して調査が進められた.調査は,梅原猛京都芸術大学学長をリーダーとして,1977年7月16日から26日にかけて,プロのダイバーや同水中カメラマンをはじめ,NHKの水中テレビ撮影チーム等を含め,かなりの大所帯で進められた.筆者は地質・地形分野を担当した.なお,この調査は継続される予定であったので,次年度調査を意識して進めアこものであったが,しばらく年月をおくことになっだので,この際1977年度の調査で得られだ結果,および海底の状況を資料として一応整理し,報告しておくことにした.特に,大瀬の性格を示す特徴ある地質・地形として,大瀬の基盤をなす岩質とは異なる安山岩を主とした円礫の存在,および submarine pothole (臨穴)と同 mushroom rock (木の子状岩)の発見について報告し,これらの地形的意義を明らかにし,前述の目的に対する1~2の堆論を試みてみた.さらに,このような海底調査は個人では到底行なえないため,我国では2~3の特殊な内容を有する地域を除きまだほとんど進められていない.そのような点からも今回報告しておく意義があるものと考える.
著者
大町 公
出版者
奈良大学
雑誌
奈良大学紀要 (ISSN:03892204)
巻号頁・発行日
no.34, pp.101-115, 2006-03

上田三四二は生涯に二度大病を患った。四二歳で結腸癌を患い、一度は生を諦めた。上田にとって、死は存在の消滅を意味した。「死後」は考えられなかった。どの宗教をも信じることができなかったのである。上田は幸いにも生き延びることができた。再出発に当たり、『徒然草』から「生き方の極意」を学んだ。その後、ジャンケレヴィッチ『死』に出会い、「死のむこう側の死」に関心を拡げる。また、自然の中に超自然の可能性を見ることを教えられる。上田は五十代後半、兼好を離れ、西行、良寛へと傾斜していく。二度目の大病は、六十歳での前立腺癌である。「三四二晩年」とはこれ以降を指す。その死生観は、良寛の二つの歌、「つきて見よひふみよいむなやここのとをとをと納めてまたはじまるを」と「沫雪の中にたちたる三千大千世界 またその中に沫雪ぞ降る」に見られる時間論と空間論を骨格にして作られている。
著者
千原 美重子
出版者
奈良大学
雑誌
奈良大学紀要 (ISSN:03892204)
巻号頁・発行日
no.38, pp.127-136, 2010-03

学校臨床心理士(SC)52人に質問紙調査を実施した。年齢は20代から60代以上、SC歴も1 年から18年と多様な属性を有していた。学校で実施している活動は、不登校対応が100%、発達障害の対応は96.2%、友人関係90.4%、家庭問題は86.5%と非常に高い活動項目であった。いじめへの対応は3.5%、継続的な面接は46.2%とそう高いとはいえなかった。生徒・保護者への対応としては面接が高い率を占めている。管理職や教員、養護教諭に対しては情報提供となっており、コンサルテーション機能が高いことを示している。他機関との連携として医療機関や適応指導教室が高い。発達障害や情緒的不安定などにかかわり医療に紹介状を提出し、適応指導教室に関しては不登校対応の連携をしている。コミュニティの社会的資源を把握してきたことを示すものである。今では教育相談部会(委員会)には8割以上のSCが関わっている。緊急支援は34.6%のSCが経験していたが、SC歴が6年以上のものが多くの緊急事例の事例を担当している。スクールカウンセリングは、特殊な臨床活動であると同時に、他の心理臨床の視座と共通するものも大切にし、生徒の発達支援をすべきである。
著者
長坂 成行
出版者
奈良大学
雑誌
奈良大学紀要 (ISSN:03892204)
巻号頁・発行日
no.32, pp.59-74, 2004-03

島津家本『太平記』は、江戸前期の『参考太平記』で異本校合の対象となった写本で、また巻一を中心とした特異な詞章が注目され『太平記抜書』の類も作成された。が以後、長く所在不明でその全貌は明らかでなかった。薩摩の『島津家文書』は東京大学史料編纂所に一括して収められており、その中に当該写本が存在することを、近時確認した。小稿は島津家本『太平記』の本文の特徴について巻ごとに調査したものである。その結果、巻一は他本のどれとも同定できない独自の本文を持つが、巻二以降は古態本の中の神宮徴古館本と同じ系統であることが明らかになった。本稿は巻二十までの報告である。後半の調査の結果も今回の結論と矛盾しない。