著者
中尾 和昇
出版者
奈良大学
雑誌
奈良大学紀要 = Memoirs of Nara University (ISSN:03892204)
巻号頁・発行日
no.47, pp.280-263, 2019-02

" 本稿は、文化九年(一八一二)刊の馬琴合巻『千葉館世継雑談』を翻刻・紹介するものである。 本作は、千葉家の御家騒動に、狐の怪異や鼠の活躍をからめた怪異譚である。千葉家に関しては、『新累解脱物語』(同五年[一八〇八]刊)や『南総里見八犬伝』(文化十一年~天保十三年[一八一四~四二]刊)などの読本でしばしばとりあげられている。とくに、その当主自胤に関して、『八犬伝』では「暗愚の武将」として描かれるものの、本作ではその性質は兄実胤に賦与され、それとは対照的に、自胤は善良な君主として描かれている。歴史上の人物に対する善悪評の変化は、馬琴の小説作法を考えるうえで、注目すべき点といえる。本稿で取り上げる所以である。"
著者
木田 隆文
出版者
奈良大学
雑誌
奈良大学紀要 (ISSN:03892204)
巻号頁・発行日
no.40, pp.190-178, 2012-03

長江文学会は日本統治下の上海で活動した邦人文学団体である。一九四〇年九月から四二年五月ごろまでの二年弱の間に、現地発行の邦字新聞『大陸新報』紙上に「土曜文芸」蘭を掲載し、のちの機関誌『長江文学』を五号まで発行した。活動期間こそ短かったが、同会は在 日本人文学者を組織化した最初の文芸団体であり、かつ王兆銘政権寄りの日中文学者を糾合した上海文学研究会の前史を形成した点で注目される。本稿はその「土曜文芸」『長江文学』の細目と解題を紹介することで、同時期上海の邦人文壇に関する基礎情報を提出するものである。
著者
増本 弘文
出版者
奈良大学
雑誌
奈良大学紀要 (ISSN:03892204)
巻号頁・発行日
no.38, pp.39-49, 2010-03

平成16年から死刑確定者数は急増し、死刑の基準の明確化が必要である。筆者は以前、死刑判決の具体的量刑基準を明らかにしようと試みた。しかし、闇サイト事件はこの基準を超えるのではないかと思われる。また、検察側の立証方法が、裁判員制度を意識し過ぎたために過度に生々しいものになっているのではないかとの批判もある。そして、月ヶ瀬村殺人事件のように、無期懲役を甘受しながらも刑務所の中で自殺してしまう人もいる。主観的要素を判断することは非常に難しい。いずれにしても、死刑判決という非常に厳しい情況下においても、裁判員は中立であるように努めなければならない(検察官も同様である)。

2 0 0 0 IR 鎮井祭の周辺

著者
水野 正好
出版者
奈良大学
雑誌
奈良大学紀要 (ISSN:03892204)
巻号頁・発行日
no.10, pp.p84-91, 1981-12

上代の日本には、鎮魂祭、鎮花祭、鎮火祭、鎮土公祭というように数多くの「鎮めのまつり」がとり行なわれている。鎮めの思惟は、生活のリズムがよってたつ重要な基盤に弱まりなり危機が訪れる、そうした非常の事態に対応して、鎮め、和めて正常な姿に恢復させようとする、そうした意図のもとに息ずくものである。たとえば、人々の魂主上の魂があくがれ出でて身体を離れるー死にも通ずる冬の時、中府に魂魄を鎮める秘儀を通じて新しく魂を得てよみがえりの春を迎る、こうした一連の想ひと行為が鎮魂祭であった。想えば、屋敷のなりたちには地鎮め、建物の建て初めには鎮壇、家の完成にあたっては屋固のまつりがあるように、人の居処としての屋敷地は、まさに「鎮めのまつり」の横溢する場であった。居住にかかせぬ井戸と竈も生活のリズムの根源をなすものとして、常に強く意識され、その清浄と正常が求められて来た。『延喜式』などでも「御井并御竈祭」と記されているように両者への共通した心くばりはまことに強いものがあり、「鎮めのまつり」の重要な一劃を構成している。考古学の世界から、こうした井・竈の一部、井をめぐって、掘穿時の鎮めなり井の汚染による清浄への鎮めを通じて人の心根を見、その鎮めの世界とその周辺をたどることにしよう。
著者
池田 碩
出版者
奈良大学
雑誌
奈良大学紀要 (ISSN:03892204)
巻号頁・発行日
no.38, pp.51-64[含 英語文要旨], 2010-03

筆者の出身地である福岡県久留米市郊外の田舎でも、明治時代にU.S.Aへと雄飛する青年が現れた。CAでポテトキングと称される成功者となった牛島謹爾はその代表である。その農場を支えるために郷里を中心に多くの出稼ぎ移民が投入された。しかし牛島の死亡や第2次世界大戦により、彼等の人生には大きな転機が訪れた。慌てて帰国する者、残留して財産没収され収容所ですごした者、さらに帰国していた者のうち戦後に家族と別離し帰米した2世達も現在老齢期に至り、その子供の3世達が農業とはまったく関係なく、シリコンバレーで活躍している家族もある。それらの事例のうち筆者の親戚筋に当る池田久吉家のファミリーヒストリーを通して、現在すでに4世に至っている実態を報告し、彼等にとって「移民」とは何だったのかを考えてみた。
著者
木村 紀子
出版者
奈良大学
雑誌
奈良大学紀要 (ISSN:03892204)
巻号頁・発行日
vol.13号, pp.25-35, 1984-12
著者
木村 紀子
出版者
奈良大学
雑誌
奈良大学紀要 (ISSN:03892204)
巻号頁・発行日
no.22, pp.p55-71, 1994-03

日本語は、擬声作用―感覚的に把握される諸現象を、直接コエの感覚に擬え表現する作用の活発な言語であるとみられている。そうした特徴の根底には、分節されたひとつひとつの言語音-日本語の場合いわゆる五十音として認識されているもののそれぞれについて、少くとも日本語を母音とする者の間で音感を共有していることが必要である。音感は言語修得過程においてもっとも原初的なものであるが、個々の言語によって音の分節構造が異なる以上、母語とする言語の違いによって異なる部分も多いものであろう。日本語独自のそのような音感を、すでに音韻観念として根づいている五十音の一音一音について、生理音・表情音や二音節畳語擬声語をもとに検証し、悉曇や近代音声学的分析以前の日本語本来の言語音感の全体構造を明らかにし、音と意味との関係の根源にせまりたい。
著者
廣井 いずみ
出版者
奈良大学
雑誌
奈良大学紀要 (ISSN:03892204)
巻号頁・発行日
no.44, pp.99-118, 2016-03

死刑の確定判決を受けた者については、病的な側面が取り上げられることが多かったが、本研究では肯定的側面に注目する。死刑囚は自己の否定的側面を意識して死を待つだけではなく、残された生に肯定的意味づけを為し得ることもあるのではないか、為し得るとしたらいかに為されるのかをテーマに、死刑囚島秋人、同永山則夫の残した作品について質的分析を行った。島は、炭化を通して人とつながることで、自分の才能を開花させ、かつ残された生を豊かにすることを可能にした。永山は思索することにより、実存的に自己の生を捉えるようになり、表現することで外の世界につながることとを明らかにした。
著者
水田 昭夫
出版者
奈良大学
雑誌
奈良大学紀要 (ISSN:03892204)
巻号頁・発行日
no.23, pp.p63-82, 1995-03
被引用文献数
1

本稿では、多彩な風土を展開する近畿地域について、都市を中心とする通勤圏と通学圏の近年における動向を明らかにするため、昭和45年から平成2年に至る5度の国勢調査の結果をもとに、予め設定した基準を満たす通勤・通学中心都市の選定を行ない、平成2年現在においては25の通勤中心都市とその5%超通勤圏域、37の通学中心都市とその10%超通学圏域をそれぞれ設定した。次いで、中心都市と、その通勤・通学圏域と、圏内各市町村から中心都市への通勤・通学者数とその比率の各々について、年次別変化の動向を考察した。これらの結果、通勤圏と通学圏の総面積は全域の72%とほぼ等しいが、一圏当りの平均面積には1.5倍近い差があって、通勤圏の規模がより大きい。圏域総人口は共に全域め97%を占め、平均規模もまた通勤圏が大きくなる。中心都市間でも、相対的にみて、大阪のように通勤中心性の高いもの、京都・神戸のように通学中心性の高いものなどと格差が大きく、相互の都市圏境域にも通勤と通学とで著しい差異がみられる。年次別変化の動向としては、中心都市の数は通勤中心で淘汰により低減、通学中心では多極分散化で増加し、圏域は通勤圏でやや拡大傾向にあり、通学圏では北・南部でやや拡大し、中部では変動が少ない。また、中心都市への通勤率は地元ではすべて低下、域内他市町村では大半で増大して中心地との連繋を強めているが、北大阪など事業所進出のさかんな一部の地域では低下した。通学率は地元、他市町村ともやや低下の傾向にあり、とくに多極分散化の進む中部でこの傾向が強い。調査の結果として、地理的な通勤圏と行政的な通学圏とは相互に全く異なった形状と動向を示すことが特徴的であった。
著者
中尾 和昇
出版者
奈良大学
雑誌
奈良大学紀要 (ISSN:03892204)
巻号頁・発行日
no.45, pp.240-217, 2017-02

曲亭馬琴は、その生涯において、計七十作の合巻を執筆・刊行した。これらの翻刻は、板坂則子氏によって精力的になされてきたが、文政年間の作品については、未翻刻のものが数多く残されている。合巻の研究が立ち遅れている原因の一つに、読本に比して研究資料が十分に整っていないという現状が挙げられる。そこで本稿では、馬琴合巻 『縁結文定紋』 (文政八年 [一八二五] 刊)の翻刻をおこない、簡単な解説を付した。
著者
吉越 昭久
出版者
奈良大学
雑誌
奈良大学紀要 (ISSN:03892204)
巻号頁・発行日
no.21, pp.p145-156, 1993-03
被引用文献数
3

近世の京都、鴨川・高瀬川の河川景観(特に、護岸の状態・河床と水流の状態・河川の利用と親水性など)について、名所図会類の挿画(絵)を資料として検討した結果、いくつかの知見が得られた。例えば、護岸をおこなうために石積み・柵・牛類・蛇籠など様々な工法がとられていたり、広い中洲が形成されていたことなどである。また、流水を舟運・洗浄・漁業などに利用するだけでなく、夕涼みなど河川景観の利用もおこなわれていたことなどもわかった。これらの絵から、近世の京都の人々は、鴨川などに水の恵みや、美しさを感じていたことが知られる。現在の親水性やウォーターフロントを計画する上で、名所図会類の絵は、大いに参考になろう。
著者
辻田 右左男
出版者
奈良大学
雑誌
奈良大学紀要 (ISSN:03892204)
巻号頁・発行日
no.5, pp.p32-47, 1976-12

ここ数年来,筆者はイギリスの作家ダニエル=デフォー DanielDefoe に大きな関心をもち,可能な範囲で,彼の著作や評伝の入手につとめて来た. 1人の地理学徒として英文学の領域に足を踏み入れるのは場違いであるが,Defoeの作品に,17~18世紀のイギリスの地理学が集約的に投影されていると信じたからである.筆者がDefoeに興味をもちはじめたのは,小・中学校時代机を並べた竹馬の友大塚久雄氏の示唆によるところが大きい.大塚氏は Defoe のロビンソン=クルーソーを経済人(経営者)としてとらえ,ロビンソンが無人島においてイギリス入らしく囲い込みをしたり,借方貸方のバランスシートをつくっていたとし,日本の社会に新しいロビンソン像を移植した.それだけでなく, Defoe の『ブリテン周遊記』が産業革命前夜のイギリスの産業・農村の状況,とくにマニュファクチャーの様子を生き生きと描写していると指摘,わが国の経済史学に Defoe 研究の重要性を導入した.大塚氏はまた Defoe の産業都市計画にも注目しているが,経済史の側からみて興味のある Defoe の著作は,もしかしたら地理学に対しても何かを語りかけているのではないか.こういう期待が筆者を Defoe に drive させる1つの動機となった.その後,イギリスの地理学者 Baker が「ダニエル=デフォーの地理学」という論文を公にしているのを知り,これに勇気づけられ,1974年6月,人文地理学会地理学史部会で「ダニエル=デフォーと地理学」と題し,中間報告の形で発表を試みた.京都大学楽友会館で行なわれたこの例会には,恩師小牧実繁博士はじめ,室賀信夫・西村睦男・海野一隆・高橋正など,わが国地理学史の代表的学者が出席され,会後,貴重な御示教に与った.しかし筆者としては,この例会後,もう一度 Defoe の地理学を再掘するつもりは毛頭なかった. ただ「人文地理」(26巻5号)に掲載した研究発表の要旨に,1,2重大なミスがあることに気付き,機会があれば,これを訂正したいとは思っていた.
著者
山田 隆敏
出版者
奈良大学
雑誌
奈良大学紀要 (ISSN:03892204)
巻号頁・発行日
no.36, pp.21-35, 2008-03

Catherine の誇り高くて激しい気性、それに引き換え、Heathcliffの飽くことなき復讐への執念、それら両者の激しき激情・怨念が、この作品の全編に亘って流されている。まさに天高く舞い上がる「嵐」のように、彼らの根源的な愛の権化に起因する残忍さ・エゴイズム、そして不条理的な愚かしさが、全編にあまねく表現されている。善と悪(愛と憎しみ)の相克的な所業が展開され、人間同士のどうしようもない性(さが)の嵐が繰り広げられているのである。このような精神面の矛盾さと、Heathに代表される陰気な自然現象が、一体化されて内容に独特な陰影を与えている。21世紀の今日、この独特な陰影を帯びた作品内容は、我々に力強い衝撃を与え、人間としての生き方そのものについて思考させずにはいられない作品に仕上がっている。また、時間と空間を超越した普遍性に永遠性を与える作品構成に仕上がっているのである。異常な復讐心を有する主人公Heathcliffを登場させることによって、一般的な愛とか執念が、どのように「憎しみ」に転化するかを述べてみたい。さらに、「憎しみ」が愛のジャンルの転嫁であるかを、時代性を問わない森羅万象の普遍的観念論として述べてみたい。
著者
滝川 幸司
出版者
奈良大学
雑誌
奈良大学紀要 (ISSN:03892204)
巻号頁・発行日
no.35, pp.31-59, 2007-03

菅原道真の官歴を辿りながら、その時々の同僚を考証した。道真の公生活における交流を知るためであり、今後の道真伝研究への一階梯となすためである。
著者
明石 岩雄
出版者
奈良大学
雑誌
奈良大学紀要 (ISSN:03892204)
巻号頁・発行日
no.12, pp.p42-62, 1983-12

「国璽」、一般に国印はその国の政治形態如何にかかわらず、国家それ自体を表象するものであり、たとえば「天皇御璽」や「太政官之印」等の統治主体や統治機関の印章とは明確に区別される。わが国においては「大日本国璽」がこれにあたる。「国璽」の使用規定が法制的に明確化されたのは明治十九年の公文式によってであり、条約批准書、国書、全権委任状等各種外国派遣官吏委任状など主として外交関係の重要文書に用いられ、その他に勲記の一部にも使われた。「国璽」制定の時期に関しては、現在のところ『明治天皇紀』の明治四年制定説が通説となっており、各種の辞典もみなこれに従っている。しかし、この制定時期については、なにぶんにも「国璽」に関する研究が極端に少なく、十分な論証がつくされているとは言い難いのが現状である。ところで筆者は最近、「国璽」制定時期に関する新たな史料を相ついで見る機会に恵まれた。ひとつは慶応四年の王政復古の布告書であり、もうひとつは「国璽」の彫刻にかかわった京都の印司・中村元祥の記録である。本稿では、これらの史料を紹介するとともに、これを機会にいくつかの考証を付け加えて、通説の再検討を試みたい。(史料は本文末尾に掲載)
著者
木村 紀子
出版者
奈良大学
雑誌
奈良大学紀要 (ISSN:03892204)
巻号頁・発行日
no.8, pp.p25-38, 1979-12

一枝の花(桜) を、もっとも短い言葉とともに、他者に示そうとするとき、我々は、「はな。」と示すこともできるし、「これ。」と示すこともできる。そのかぎりで、コレは、ハナという名(詞) に代わりうる語- 代名詞という呼び方もできるだろう。ところが、今、目の前に桜の一枝をおかないで、言葉の中だけの問題とすると、「はな」という語は我々に種々の花のイメージを喚起させるが、「これ」という語は、何のイメージも喚び起こすことはできない。「れんげの花がひらいた。」という童謡の中において、ただ「コレがひらいた。」とすることは無意味にちかい。コレは、何かを言葉で指示する、そのことにおいてハナに代わりえても、指示されさもののイメージや概念を示す名そのもののあり方を代行するわけではない。つまり、あらゆる言葉(語) は、いわば発語者が主体的に何かを指示するものだという、言葉の根源的なあり様においてのみ、いわゆる代名詞(指示詞) は(「こう・そう・ああ」「こんな・そんな・あんな」等の同類の語幹をもつ語も含めて)、あらゆる言葉のはたらきを代行する。それは、指示されたものが何であるかの区別にかかわる名以前の、いわば言葉の即物・即事的な指示機能そのものの音声化である。その意味において、指示詞(代名詞) は、その成立が、もっとも感動詞のあり方にちかいのである。
著者
長坂 成行
出版者
奈良大学
雑誌
奈良大学紀要 (ISSN:03892204)
巻号頁・発行日
no.41, pp.382-366, 2013-03

『太平記』諸本は、巻数及び巻区分のあり方を基準にして甲乙丙丁の四類に分類されるが、巻区分が特異な丁類本についての研究は、他系統に比べ未だしの所がある。本稿では丁類本系統の詞章を持つと判断される、『銘肝腑集鈔』・『太平記聞書』について検討し、『西村随筆』が触れる天文古写本を紹介した。また『興福寺年代記』が依拠した『太平記』、および伊勢貞丈編纂の『異本太平記抜書』の異本も丁類本の未紹介の写本であろうと推測した。従来、これらの資料は断片的に言及されてはいるが、丁類本が享受された痕跡を示すものとして改めて考察した。
著者
辻本 弘明
出版者
奈良大学
雑誌
奈良大学紀要 (ISSN:03892204)
巻号頁・発行日
no.15, pp.p18-35, 1986-12

荘園制における「職」と「知行」の在り方は、中世の土地領有にかかわる法律関係を示す重要な指標であるといわれる。中田薫博士は比較法史の方法によって、「知行」をGewereに相当するものとした。これは事実関係としての占有を、法律関係として認定したものと解されているのである。そして、「職」は荘園制の構造の下では、荘園付属的下級領主特権とみられるものであり、その職の対象である土地の商品化に伴い、私的移譲が頻行する事態になると、かゝる土地を知行している制度上の標識であった「職」は法史の上では、不動産物権と理解されるようになった。さらに、知行の効力の面からみても、その発展過程をたどると、これは占有としての事実関係が法律関係即ち、知行となったから、当然のこととして、権利の推定性を受けることになり、また、知行不可侵の原則的効力の発生乃至強化をもたらす。かかる関係から、「職」も単なる標識であったものが、知行制度の発展の過程の中で独立した権利=不動産物権となったのである。かくて知行の対象である土地の自由移譲の盛行は知行制度の発展を斎らし、ひいては、在地領主の自立を促がし、同時に、それは土地の封土化を斎たらす結果となる。武家法における「年紀制」(時効)は、知行の内容が荘園領主との間で、競合するに及んで、在地領主権の権原(由緒)として成立してきたものである。しかし、鎌倉期の「当知行」は、年紀制を媒介としてしか本権に準ずる権原(由緒)として承認されてこなかったという点は見逃せない。しかし、「年紀制」は、「当知行が在地領主制の中に生成してきた慣行の中で成立させて来た在地領主権の存在を合法化する法慣行的規範として認知された法意識である。」という意味において領主制の歴史の中で、一つの劃期を形成するものであった。かくて、知行が自由移譲性(相伝性) を帯びてくるにつれて、「職」との関わりの中で、改変されてゆく面と、知行の事実関係的性質が法律関係化して、知行保護の発展史の究極である「当知行」の法制化してゆく動向との二つは、知行制研究の中では重要な検討事項であるのは多言を要しない。以下先学諸氏の研究を再吟味し、これらの諸点に考察を加えたい。
著者
栗田 美由紀
出版者
奈良大学
雑誌
奈良大学紀要 (ISSN:03892204)
巻号頁・発行日
no.27, pp.53-91, 1999-03

暈繝彩色とは、淡い色から濃い色へ色を段階的に変化させて作った色の帯を対比的に組み合わせて、立体感や明るい多色感などの色彩効果をあげる彩色装飾の一技法である。わが国へは中国より伝えられ、奈良・平安時代を中心に、建築、仏像、仏具などの文様の彩色にさかんに用いられた。今回、飛鳥・白鳳時代から鎌倉時代にかけての暈繝彩色に用いられた色彩について調査した結果、時代によって使用される量細の種類、組合せ、輪郭線の色に違いがあることが明らかとなった。本稿では各時代に見られる暈繝彩色の色彩的特徴を明らかにし、そこから生まれる色彩効果に着目しながら、わが国における暈繝彩色の受容から発展、衰退の過程について考察を試みる
著者
森本 茂
出版者
奈良大学
雑誌
奈良大学紀要 (ISSN:03892204)
巻号頁・発行日
no.15, pp.p48-58, 1986-12

『源氏物語』の二条院は、もと桐壷更衣の里第であったが、更衣の没後は源氏が伝領した。二条院は源氏が元服し葵上と結婚してまもなく、父桐壷院の命によって改築され(桐壷)、紫上はこの院の西の対に住み(若紫)、のちに六条院に移ったが、晩年はふたたびこの院で病床に臥して没した(御法)。明石姫君もこの院で紫上に養育された(薄雲)。源氏の没後は匂宮がこの院に住み(匂宮)、宇治中君が西の対に迎えられた(総角)。また、二条院の東院は、源氏が父桐壷院から伝領した院で、さらに修築を加え(澪標)、花散里が六条院へ移るまで住み(松風)、末摘花も引き取られ(玉鬘)、源氏の没後は花散里が伝領した(匂宮)。このように二条院は、六条院とともに『源氏』の主要な邸宅であり、作者は然るべき準拠に基づいて設定したと推定される。ところがこの二条院の位置には従来二説あり、その準拠には三説あり、まだ定説らしいものがない。そこでこの問題を考えてみたいと思う。