著者
岡田 守弘 大草 正信 高安 睦美
出版者
横浜国立大学
雑誌
横浜国立大学教育紀要 (ISSN:05135656)
巻号頁・発行日
vol.37, pp.37-63, 1997-11-28
被引用文献数
1

近年の中学生・高校生の1対1の男女交際・性意識・性行動の実態とその背後にある要因との関連を明らかにすることを本研究の目的として,横浜市内公立中学校22校,横浜地域の高等学校11校に在籍する中学生・高校生を対象に質問紙調査を実施した。実施時期は1995年11月,回収数は8420部,特定の学校による分布の偏りを避けるために5038人を抽出して分析した。結果は,次の通りである。(1)1対1男女交際の経験率は学年を追って高くなり,高校3年女子では30%を超える。キス経験率は中学3年女子で2割を超え,性交経験率は高校2年女子で2割を超え,女子の性に関する経験率が男子を上回っている。(2)性的衝動には「心理愛情的」と「心理生理的」の次元があり,若者文化許容には「制止」と「風潮」の次元があり,性的衝動の高さと若者文化許容度の高さが男女交際・性行動を積極的にする。(3)中学生・高校生は同世代の愛し合っている者同士のキスや性交に対する容認率は高く,1対1の男女交際や性経験が中学生・高校生にとって「あたりまえ化」し,「日常化」しているが,一部の突出した部分に幻惑されずに彼らのけじめ感覚を理解することが大切である。
著者
西沢 昭男
出版者
横浜国立大学
雑誌
横浜国立大学教育紀要 (ISSN:05135656)
巻号頁・発行日
vol.12, pp.110-123, 1972-10-02

The purpose of this article is to treat, from different points of view, the revolutionary style of Debussy, and to show what place he occupies in the history of modern music. The writer of this aritcle wishes, firstly, to classify the characteristic aspects of Debussy's method of harmony and through his method of harmony, to reveal one of the techniques which enabled him to produce such sensitive and colorful musical effects. Secondly, the writer tries to explain how the classical, traditional theory of cadence had found a way of servival despite the great upheavals which had taken place in the world of modern music. Also how in the modern mothod of harmony, the control of the tune has become of secondary importance, while the principle of the overtone has still functioned. Lastly, the witer wishes, through an examination of the way in which Debussy solves the tune problem in his composition, to define the position of Debussy in the transitional stage between classical and modern music.
著者
宮武 朗子 鈴木 信子 松井 豊 井上 果子
出版者
横浜国立大学
雑誌
横浜国立大学教育紀要 (ISSN:05135656)
巻号頁・発行日
vol.36, pp.173-196, 1996-11

Empirical studies regarding the romantic love among the junior high school students are rare, limited to sex attitude and sexual behaviour and not to the affection nor to the awareness of romantic love. Moreover there is no study of the junior high school teachers' view of romantic love of their students. This report is part of a larger research regarding romantic love of the junior high school students. It presents the initial finding of affection, attitudes, bonding style, desires, reality and wishes of romantic love among the students. The first survey is interview conducted to 6 teachers, focused on their view of the romantic love of their students. Based on the results, the questionnaire for the second survey were prepared. In the second survey, the questionnaire were administered to 699 junior high school students. Results show that the junior high school students are aware enough that generally the romantic love of couples of their age aren't associated with the sex behaviour nor marriage, but in contrast to this awareness, personally, they wish to get married and realize the sexual desire as their longing for the romantic love is intense. Results demonstrate the gap between the general common sense and the personal wishes of the students. Next junior high school teachers view their students romantic love as non lasting, while students wish to live with, get married to and perpetuate the steady relation with the loving partner. This fact is unrecognized by their teachers. Third, the junior high school students romantic love is mostly one-sided. Fourth, as far as romantic love is concerned, boys of this age are less active than girls.
著者
平出 彦仁
出版者
横浜国立大学
雑誌
横浜国立大学教育紀要 (ISSN:05135656)
巻号頁・発行日
no.16, pp.p49-68, 1976-09

In the present report an attempt was made to clarify the learning foundations of behavior therapy, especialy by means of the describing and discussing of its definitions. The main results were as follows: (1) In the opening years of behavior therapy, it was based on the experimentally established principles of learning or learning theory. That is, behavior therapy was inclined to identify with the application of learning theory. (2) At present, increasing in number of the clinic-oriented practicians of behavior therapy, many of them don't take a serious view of learning theory. It is, therefore, doubtful whether contemporary behavior therapy is exactly based on learning theory or not. (3) On the other hand, the Skinnerian who have used the term "behavior modification" for behavior therapy, always lay emphasis on the technology of operant behavior control. And behavior modification is regarded as the experimental methodology in operant conditioning. (4) There are a considerable number of definitions in which the distinction between behavior therapy and behavior modification is ignored and the two terms are used interchangeably. (5) Behavior therapy is one of the specific techniques of behavior modification. Or, strictly speaking, behavior modification must be separately from behavior therapy.
著者
鈴木 博雄
出版者
横浜国立大学
雑誌
横浜国立大学教育紀要 (ISSN:05135656)
巻号頁・発行日
vol.1, pp.1-34, 1962-03-30

This thesis tried to inquire the social background of the private schools in the feudal age from a historical stand of view. In middle age of Japan, there were few higher schools because of a internal war continued through the middle age. After the war, in the begininng of Tokugawa era, some private schools were appeared as a center of the movement for cultural and educational enlightenment. The typical schools in these private schools were Matunaga Sekigo's school which was established in 1637, Yamazaki Ansai's school which was established in 1655, Nakae Toju's school which was established in 1635 and Kinoshita Junan's school which was established in 1645. These typical school were founded in or near Kyoto which is a center of culture in the feudal age. In these school, Chinese Confucianism were taught as a moral teachings for not only warrior class but merchant and peasantry. In the middle of Tokugawa era, Ito Jinsai's school and Ogiu Sorai's school were most famous private schools. The former were established in Kyoto (1662) chiefly for merchant and peasantry. The latter were established in Tokyo (1709) chiefly for warrior class. They had a critical thought against Chu, Hsi (1130-1200)'s moral teachings which was most popular educational thought at that time. They improved educational methods, for example, Kaidoku-group reading methods-were used by both school at first. Teaching methods for the pronunciation of Chinese also improved by Ogiu Sorai's school.
著者
吉田 太郎
出版者
横浜国立大学
雑誌
横浜国立大学教育紀要 (ISSN:05135656)
巻号頁・発行日
vol.8, pp.123-139, 1968-12-20

明治初年から10年代までの歴史教育の方法は,根本は儒者の教授法式の域を超えたものではないが,上述のごとく幼童に学習の苦痛の軽減を図る改善の跡は十分見うけられる。長年の陋習とも云うべき素読は,入門時に幼童が通らなければならぬ苦難の関門であった。このことはつぎの回想記で明らかである。「総て今までの教へ法は,・・・七・八歳の童子を教ふるに,四書五経などの六づかしきものを読せ,厳しき規則を設け,順序もなく,高尚なる学科を無理に教ふる法ゆゑに,児童は早くも倦が来て,書を読むは水火の責に逢ふ思ひをなす。」(明治文化全集20巻85頁辻弘・開化のはなし)明治の初年は頼山陽著日本外史などを教科書として使った。漢文の棒読と暗誦の連続であり,加うるに板の間に正座して姿勢を崩すことは許されず,常に叱責の教師の姿に幼童はおののいての通学であった。歴史教授の目標は,教師とか教科書を丸暗記することが中心であり,記憶力の分量によって成績の優劣が決定した。積極的に教授に努力したのは,主として暗誦による史実の理解であった。歴史教育によって尊王愛国心を植えつけるこのころの教育方法はどのようであったろうか。歴史教科書は,江戸時代の教科書即ち歴史書そのものであったが,次第に幼童用に解り易く文体を改良したのであっても,史観は変っていない。歴史の視点は,朱子学派の大義名分を重んずる儒教倫理史観で書かれている。そのために皇室関係の用語には敬語が一般化しているし,忠臣については,その事蹟を詳細に伝えているが,殊更に賞讃の文字を使ってはいない。賊臣については,淡々とその史実を述べるに留めて筆誅を強めてもいない。これは,後年の記述に比べて注目すべきである。歴史教育によって明治14年以後の教則によるごとく尊王愛国心に励むようなことは,この時代にはまだ見られない。ただ教科書の基調が君臣の分を重んずるのであるから,読誦する間に自ら尊王心の方が強く印象づけられたと思う。しかし教師によっては,尊王愛国の思想を史実に托して強烈に教えたことはあり得たと思われる。(山崎闇斎の門流の教師であれば,絶対尊王心を強調した筈である)歴史教育の方法は,学習に生徒を参加させる方法として上述のごとく独見輪講とか口授問答の形態をとったが,教授方式はあくまでも教師中心で教科書の暗誦に終始し,史実の暗記量の多いほど秀才と云われた。初等教員養成を使命とする師範学校が設置されたのは,明治5年のことであり,12年になって全国に70の師範学校が設けられた。この学校の付属小学校は各県下の俊才が集っていたので各県下の教育実際界の指導的地位を占めていた。しかしこのような教育をうけた教師の輩出は明治十年代後半のことである。従って明治10年代は,教師自身が儒者の教授形式を踏襲しただけで,新しく歴史のための教授方式を工夫したのでないから旧態依然たる暗誦法に終ったことになる。このために歴史教育独自の新しい教授方法を案出した訳でもなく,経書,史書,文学書を含めての書物の読解法を幼童に行なったに過ぎなかった。明治14〜36年までの約22年の歴史教育は,明治政府の教育政策は,国是の富国強兵を達成するために,国民教育は着々整備され地方にまで文部省からの法令が流通し,中央統制の教育が普及した。歴史科の教育内容は,明治14,24,36年の3回に及ぶ教則によって国家によって規定された。教則は改定ごとに臣民育成を強化し,修身・地理・国語・唱歌の他教科の援助を得て,歴史科はその中核教科となってきた。教科書は,この期間は検定教科書を使用したが,著者が児童の関心と興味をそそるように直観資料を多く取り入れ,自学自習を促がす問題を加えたり,文章は簡潔な文語文にするなど,随分細心の注意を払って改良を加えている。教材は,教則によって大綱は定められているので皇国のために活躍し,尊敬すべき人物中心の物語をも加えて,児童の魂に焼きつくように教師は教えることに力を注いだ。教授方式は,外来の開発主義からヘルバル流の段階教授法を定型化し,歴史科もこの定型に従って5〜3段階に従って授業を区分し一斉教授を行なった。この教授法式は,児童の学習心理の姿を足場にした方法だけに明治初期の伝統的な空読暗誦式の苦脳多き教授方式より遙かに優れた定型であった。歴史教育の内容は,純正史学とは別個の皇国民育成の教育的歴史という国家統制の強いわが国独自の歴史教材であった。これを教える授業形式は,外国の教育理論からなる教授形式を公的に定型化した。歴史教材は純粋な独自の国粋型であるのに,その教育方法は欧米の理論による教授形式を公的に定型化し,全国の教師に利用された。この国粋型の歴史教育の内容と舶来の教授形式との奇妙な結合は,外見からは水と油との間柄であるとみるのは皮相な見解である。明治24年の小学校教則大綱は,ドイツの教授法を基礎にしていることを注目すべきである。天皇制憲法を支える教育勅語の徳目教育の中核教科は修身と歴史科である。ヘルバルトの教育学は,道徳教育を重視する教育思想であるから,意図的に森有礼文相がわざわざドイツからハウスクネヒトを招き東大で教育学の講義をさせその門下生がここの派の学説を舌と筆で唱導した。このような背景があるのでヘルバト教育学説は,公的に承認された教育学になり教授技術の段階説も全国に広まった。この教育学は,知識の伝授よりも徳育の陶冶を重んじたので,歴史教育の内容が教則で定められた尊王愛国心の養成にあることと合致することになる。教授方法は,心理学から発足した教授方式が授業の方法に適合したので当時の学者も教師もこれにとびついたのは当然であった。かくして明治19年以後のこの教授段階説は,ドイツ本国よりも日本で熱狂的に歓迎をうけ急速に全国の教師に流布した。この熱狂的な流行の風潮も20年代の後半になると反省や批判も盛んになってきた。批判の中心は,ヘルバルトの教育学は難解であって多くはその精神は消化し得ず,ただその形骸をまねることに終り,教師独自の考案による授業法の活用をはかるまでに至らなかった。(この部分は倉沢剛小学校の歴史II1023〜1026頁を参考にした。)しかし教育実際界は,五段〜三段の教授法は,上述の批判をよそに明治35,6年ごろまでは「明けても暮れてもヘルバルト一天張り」という盛況であった。こうしたヘルバルトの段階説も明治40年ごろから漸く衰微するに至った。一度全国的に浸透した教授方式は,昭和初年まで実際界ではなお支配力を持ち続けたといわれている。顧みれば,明治前期はわが国の歴史教育の外国に例のない独自であるのに対応して,わが国独自の他教科にみられない歴史教育の方法を創り出さずに終ったといっても過言でないと思う。
著者
依田 明 飯嶋 一恵
出版者
横浜国立大学
雑誌
横浜国立大学教育紀要 (ISSN:05135656)
巻号頁・発行日
vol.21, pp.117-127, 1981-11-30
被引用文献数
1

出生順位と性格特性との関連について,1963年におこなった調査をもとに,その年代的変化を検討するために,再調査を実施した。2人きょうだいの小学校5年の児童と,その親187組を対象に,質問紙によって調査した。性格特性に関するデータは,51項目の日常生活における行動の記述が,きょうだいのどちらによりあてはまるかという,相対的判断を求めることによって得た。再調査の結果,次のようなことが見出された。(1)長子的性格・次子的性格の存在は,非常に明確に検証された。しかも,1963年調査時の結果と比較して,ほとんど変化がみられず,固定化したものと言える。男子的性格・女子的性格についても,ほぼ同様のことが言える。(2)きょうだいの年齢差が近いほど,長子・次子の性格特性の差異は,はっきりとあらわれない。(3)日常生活において,長子が次子から,きょうだい内の地位をあらわす普通名詞で呼ばれている場合の方が,固有名詞で呼ばれる場合よりも,性格特性の差異が明確にあらわれる。以上,再調査の結果は,ほとんど,20年前の1963年調査と一致している。この事実は,家族やきょうだいに関する文化は,表面的な社会的変動の影響をほとんど受けていないということを示唆している。また,長子と次子の生育環境も,この20年間に,大きな変化はみられないと言える。
著者
外山 嘉奈子 高木 秀明
出版者
横浜国立大学
雑誌
横浜国立大学教育紀要 (ISSN:05135656)
巻号頁・発行日
vol.34, pp.15-31, 1994-10-31

This study reports the process of a play therapy (mainly sandplay therapy) for a eight-year-old girl. The client had refused to go to school, and the cause of her school refusal was that a relationship between her and her parents was weak, with the result that she had lost balance in her mind. The play therapy had been continued once a week for one year and five months. In the course of the therapy, the client made many sandplay works, and told the story about a work after making it every time. The theme of the story was about the growth of a princess who didn't have her parents. The princess was cared by the animals in a forest, and grew up healthy. Probably the client must have projected herself on that princess, and could see the mystical unconscious world that people usually experience only in dreams. Through the sandplay therapy, the client had been healed and her problem was solved.
著者
小川 捷之
出版者
横浜国立大学
雑誌
横浜国立大学教育紀要 (ISSN:05135656)
巻号頁・発行日
vol.14, pp.1-33, 1974-10-05

In Japan a neurosis called anthropophobia is common, and is thought to spring from Japanese culture (especially from the Japanese mode of interpersonal relationships). Symptoms of this neurosis are of a wide variety, such as fear of blushing, of exchanging glances, of being regarded as disagreeable, and of being exposed to the public eye. But in spite of these symptomatic differences, there seems to be a common self-consciousness among anthropophobics. In a therapeutic situation, they always complain about feelings of inadequacy. The purpose of this study was to investigate these characteristics of self-awareness from the psychological point of view. 1. The worries that are thought to be had by these neurotics were collected and arranged into 445 items. 100 college students and 50 anthropophobics were asked to make a self-evaluation on these 445 items, each accompanied by a 7 degree rating scale. Statistically significant differences were found in 341 of the 445 items (p<.01). According to this fact, it can be considered that anthropophobics are inclined to regard themselves as being "ill". To them, inferiority in one aspect results in considering themselves as being inferior to others in all possible ways. In other words, anthropophobics have a strong negative self-awareness. 2. Furthermore, after statistical consideration, 117 items were selected from the 341 items, and were used in the self-evaluation of 120 anthropophobics. As a result of the factor analysis concerning these 117 items, 8 factors were extracted. Factor I. Worry of the inability to blend into the group. Factor II. Personal dissatisfaction with oneself, and with one's mental function. Factor III. Awareness of others, resulting from worry of being regarded as disagreeable. Factor IV. Worry about the inability to feel "at home" in the presence of others. Factor V. Self-consciousness in the presence of others. Factor VI. Constant sense of feeling "low" and not "right". Factor VII. Worry of being overwhelmed by a crowd of people. Factor VIII. Worry of being regarded as an odd person. (In this factor, there were only a few items showing high factor loadings.)
著者
上野 顕子 鈴木 敏子
出版者
横浜国立大学
雑誌
横浜国立大学教育紀要 (ISSN:05135656)
巻号頁・発行日
vol.34, pp.95-106, 1994-10-31
被引用文献数
1

本調査で,「家庭生活」領域を履修することになっている中学1年生の親とのコミュニケーションの実態と背景を探ったところ次のような結果が得られた。1.6割以上の生徒は,親を理解者としている。そして,父親よりも,母親を理解者としてとらえている。一方,約4割の生徒は,親を理解者ととらえていない。2.約半数の生徒は親と毎日コミュニケーションをとることを望ましいと考えているが,約4割の生徒は日常の親子のコミュニケーションに対して消極的である。3.実際のコミュニケーションについて,挨拶,共有行動,話し合いからみてみると,父親よりも,母親とコミュニケーションをよくとっていることが明らかになった。4.コミュニケーションのとり方には,性別,家族構成,きょうだいの人数,父の帰宅時間,母の職業の有無,子どもが週に習い事・塾へ通う日数,コミュニケーションに対する意識などが影響していることがわかった。以上の結果から,「家庭生活」領域における「家族関係」の扱い方を考えると,次の2つのポイントがあると思われる。第1は,第二次性徴期にいる中学生に,家族の題材を積極的に取り上げてみてはどうかということである。というのは,約4割の生徒は親を理解者としてとらえていない,また,約4割が親子のコミュニケーションは気が向いたときとればよい,特に必要ない,と考えているという結果が得られたが,それは,第二次性徴期に入った中学生が,親に反抗しつつ自立していこうとする姿のあらわれではないかと考えられる。だからといって,この段階の生徒に親子関係についての学習をさせることは難しいので題材設定をしないというのではなく,むしろ積極的に取り上げて,生徒自身に自分が第二次性徴期にいることを自覚させるとともに,そのような自分と親との関係が客観的にとらえられることこそ大人への第一歩であるということを考えさせてみてはどうだろうか。第2は,コミュニケーションのあり方は,現代社会に生きる家族員それぞれの生活や意識が一つの重要な要因となっていることが明らかになったことから,生徒が中学生という自分の発達段階や現代の家族の抱える問題を客観的にとらえられるようになることが必要であると考えられる。特に父子関係が母子関係より希薄になる要因に焦点を当てることによって,社会的な問題をとらえることができるだろう。それらを通して,自分にとって家族とは何か,家族と自分にとってのよりよい家族関係とは,ということを主体的に考える学習過程にしていけるのではないかと思われる。
著者
岡田 守弘 井上 純
出版者
横浜国立大学
雑誌
横浜国立大学教育紀要 (ISSN:05135656)
巻号頁・発行日
vol.31, pp.45-66, 1991-10-31

本研究では,キャンバス上に「何が描かれているのかわからない絵画」,すなわち抽象的表現による絵画を見るとき,鑑賞者は具象画を見る際と同様の基準でその絵画を鑑賞し評価するのか否かを,2つの実験を通して検討した。研究1では,絵画鑑賞に伴う感情の因子を抽出し,具象画と抽象画の与える印象の違いについて検討した。実験は,10枚の絵画(具象画5枚,抽象画5枚)を7件法のSD法尺度で評定するものであった。その結果,絵画鑑賞に関わる因子として,先行研究に準ずる4因子が抽出された。具象画と抽象画の印象の違いは,個性とバランスの因子において顕著であり,「具体的なフォルムの崩壊」が鑑賞者に直接的に影響を与えているものと考えられる。研究2では,主に,芸術性評価要素の構成が検討された。実験は,研究1にほぼ準ずる形で行われた。その結果,具象画では芸術性評価がやわらかさや,好みなど美的評価に基づいてなされ,抽象画ではおもしろさや個性に基づいてなされていることが見いだされた。本研究の結果から,ひとくちに絵画と言っても,具象画と抽象画とでは鑑賞者の側でもその鑑賞基準と評価基準が異なるものと思われ,その原因は「具体的なフォルムの崩壊」に求めることができると考えられた。
著者
浜崎 信行 依田 明
出版者
横浜国立大学
雑誌
横浜国立大学教育紀要 (ISSN:05135656)
巻号頁・発行日
vol.25, pp.187-196, 1985-10-30

われわれはふたりきょうだいを調査対象として,出生順位と性格の関連を検討してきた(1993,1980)。その結果,長子的性格,次子(末子)的性格が明確に存在することが明らかにされた。すなわち,長子は自制的で,ひかえめで,仕ごとがていねいで,話すよりも聞き手であり,めんどうなことを嫌う。それに対して,次子は甘ったれで,親に告げ口をし,おしゃべりで,やきもちやきで,強情で,活動的である。今回は,三人きょうだいを取りあげた。ふたりきょうだいの調査とまったく同じ方法で,出生順位と性格の関連を分析した。調査対象は,主として神奈川県に住む小学校4年生から中学2年生までの児童・生徒とその母親,それぞれ525名である。性格特性に関する資料は,51項目の日常生活における行動の記述が,3人きょうだいの誰にもっともあてはまり,誰にもっともあてはらないかという相対的判断を求めることによって得た。そのほかに,MMPIの性度尺度を参考に作製した性度検査を実施した。主要な結果は,つぎのとおりである。1.長子的性格は6項目,中間子的性格は3項目,末子的性格は9項目抽出された。長子的性格と末子的性格は,従来見出されたものとほぼ同様であった。2.中間子はめんどうくさがらずに仕ごとに取りくむが,よく考えないので失敗も多い。また,気にいらないと黙りこむという特徴を持つ。中間子的性格は,長子的性格,末子的性格にくらべると,あまりはっきりしたものではない。長子と末子の生育環境は,共通性,一般性が高い。つまり,どこの家庭に生まれても,同じような環境で育っている。このような長子や末子にくらべると,中間子の生育環境は多種多様であると考えられる。長子との年齢差,性別構成などの点で,3人きょうだいはふたりきょうだいよりも,はるかに複雑なものなのである。3.姉妹にかこまれた男子の女性度は,他の位置にある男子よりも高い傾向にあった。けれども,兄弟にかこまれた女子の女性度も高い傾向を示した。異性にかこまれて育っても,男子と女子とでは親の役割期待が異っていることを示している。
著者
関根 剛 小川 捷之
出版者
横浜国立大学
雑誌
横浜国立大学教育紀要 (ISSN:05135656)
巻号頁・発行日
vol.25, pp.127-139, 1985-10-30

The purpose of this study is to discuss archetypal dreams and their relations to the dreamers personalities. A questionaire consisting of questions related to the frequency of dream recall and one's interest in dreams and a section for describing freely one's vividest dreams was given to 156 female university students. At the same time MBTI (Myers-Briggs Type Indicator) for Jung's typology was also given to them. To determine whether or not it was archetypal, each dream was rated on the basis of the four criteria of the Archetypal Dream Scale composed by Kluger (1975). The following 4 points were discussed: (1) The frequency of occurence of control dreams and vivid dreams; Kluger's study was followed in part. (2) The relation between collected archetypal dreams and the functions of personalities in Jung's theory. (3) The relation between the frequency of dream recall and functions of personalities or occurence of archetypal dreams. (4) The relation between the subjects' interest in dreams and functions of personalities or occurence of archetypal dreams. The results were as follows: (1) Vivid dreams were significantly (p<.001) more archetypal than control dreams. (2) The occurence of archetypal dreams had a close relation to Perceiving (Irrational function), especially Intuition in it. Those who had archetypal dreams were superior in their Perceiving and Intuition to those who did not have any archetypal dreams. (3) The frequency of dream recall had a certain relation to Judging (Rational function) and no relations to the occurence of archetypal dreams. Those who had a high frequency of dream recall were superior in Thinking to those who had a low frequency. (4) There were no relations between the degree of the interest in dreams and the function of personalities or the occurence of archetypal dreams.
著者
浜崎 信行 依田 明
出版者
横浜国立大学
雑誌
横浜国立大学教育紀要 (ISSN:05135656)
巻号頁・発行日
vol.25, pp.187-196, 1985-10-30

われわれはふたりきょうだいを調査対象として,出生順位と性格の関連を検討してきた(1993,1980)。その結果,長子的性格,次子(末子)的性格が明確に存在することが明らかにされた。すなわち,長子は自制的で,ひかえめで,仕ごとがていねいで,話すよりも聞き手であり,めんどうなことを嫌う。それに対して,次子は甘ったれで,親に告げ口をし,おしゃべりで,やきもちやきで,強情で,活動的である。今回は,三人きょうだいを取りあげた。ふたりきょうだいの調査とまったく同じ方法で,出生順位と性格の関連を分析した。調査対象は,主として神奈川県に住む小学校4年生から中学2年生までの児童・生徒とその母親,それぞれ525名である。性格特性に関する資料は,51項目の日常生活における行動の記述が,3人きょうだいの誰にもっともあてはまり,誰にもっともあてはらないかという相対的判断を求めることによって得た。そのほかに,MMPIの性度尺度を参考に作製した性度検査を実施した。主要な結果は,つぎのとおりである。1.長子的性格は6項目,中間子的性格は3項目,末子的性格は9項目抽出された。長子的性格と末子的性格は,従来見出されたものとほぼ同様であった。2.中間子はめんどうくさがらずに仕ごとに取りくむが,よく考えないので失敗も多い。また,気にいらないと黙りこむという特徴を持つ。中間子的性格は,長子的性格,末子的性格にくらべると,あまりはっきりしたものではない。長子と末子の生育環境は,共通性,一般性が高い。つまり,どこの家庭に生まれても,同じような環境で育っている。このような長子や末子にくらべると,中間子の生育環境は多種多様であると考えられる。長子との年齢差,性別構成などの点で,3人きょうだいはふたりきょうだいよりも,はるかに複雑なものなのである。3.姉妹にかこまれた男子の女性度は,他の位置にある男子よりも高い傾向にあった。けれども,兄弟にかこまれた女子の女性度も高い傾向を示した。異性にかこまれて育っても,男子と女子とでは親の役割期待が異っていることを示している。
著者
岡田 守弘 井上 純
出版者
横浜国立大学
雑誌
横浜国立大学教育紀要 (ISSN:05135656)
巻号頁・発行日
vol.31, pp.45-66, 1991-10-31
被引用文献数
1

本研究では,キャンバス上に「何が描かれているのかわからない絵画」,すなわち抽象的表現による絵画を見るとき,鑑賞者は具象画を見る際と同様の基準でその絵画を鑑賞し評価するのか否かを,2つの実験を通して検討した。研究1では,絵画鑑賞に伴う感情の因子を抽出し,具象画と抽象画の与える印象の違いについて検討した。実験は,10枚の絵画(具象画5枚,抽象画5枚)を7件法のSD法尺度で評定するものであった。その結果,絵画鑑賞に関わる因子として,先行研究に準ずる4因子が抽出された。具象画と抽象画の印象の違いは,個性とバランスの因子において顕著であり,「具体的なフォルムの崩壊」が鑑賞者に直接的に影響を与えているものと考えられる。研究2では,主に,芸術性評価要素の構成が検討された。実験は,研究1にほぼ準ずる形で行われた。その結果,具象画では芸術性評価がやわらかさや,好みなど美的評価に基づいてなされ,抽象画ではおもしろさや個性に基づいてなされていることが見いだされた。本研究の結果から,ひとくちに絵画と言っても,具象画と抽象画とでは鑑賞者の側でもその鑑賞基準と評価基準が異なるものと思われ,その原因は「具体的なフォルムの崩壊」に求めることができると考えられた。