著者
宮下 敏恵
出版者
上越教育大学
雑誌
上越教育大学研究紀要 (ISSN:09158162)
巻号頁・発行日
vol.22, no.2, pp.509-518, 2003

心理療法の面接場面において,クライエントは否定文を多用すると言われている。同じ意味内容をあらわす場合になぜ肯定文を用いずに否定文を用いているのだろうか。否定文には肯定文にはみられない特徴が存在していると考えられる。不登校の子どもが「学校に行かない」という場合と,「学校に行けない」という場合には心理的意味が異なると考えられる。しかし否定文といっても様々な種類がある。そこで本研究では,2種類の否定文をとりあげ,その影響を比較する。被験者は大学生及び大学院生16名(男性6名,女性10名)であった。平均年齢は23.88歳(SD=3.26)であった。被験者は実験者によりリラクセイションが施行された後,ベースラインを測定された。その後,「あなたの身体は動かない」という否定形暗示文と「あなたの身体は動けない」という否定形暗示文が与えられ,その影響が測定された。身体動揺に関するチェックリスト評定,多面的感情状態尺度の評定が求められた。さらに,野原イメージを浮かべるように求められ,その内容が報告された。結果としては,「動かない」という否定形暗示文が与えられた場合は,身体の動きは減少し,感情面の活動にシフトするという調節の仕方をしていることが示された。「動けない」という否定形暗示文が繰り返された場合は,禁止的,抑制的に作用するということが示された。
著者
小埜 裕二 yuji Ono
出版者
上越教育大学
雑誌
上越教育大学研究紀要 (ISSN:09158162)
巻号頁・発行日
vol.22, no.2, pp.684-696, 2003-03

三島由紀夫は「海と夕焼」 (昭和三〇年) の主題を「奇蹟自体よりもさらにふしぎな不思議」であると述べた。本論文では<子供十字軍>の史実から本作の虚構性の特質を捉えたうえで、現在の安里が過去に体験した「不思議」をどのように受け止めているのかについて考察した。<海> の象徴性、<夕焼> の終わりとともに「梵鐘の音」が響く結末、<眠る少年> の意味等から、仏教的(禅的)世界の枠組みが「不思議」へのこだわりを消し去るものとして機能していたことを明らかにし、「不思議」の再来を願わないと言いうる境地にいたった三島文学の様相をもとに『金閣寺』 の新たな読解可能性を提示した。
著者
藤澤 郁夫
出版者
上越教育大学
雑誌
上越教育大学研究紀要 (ISSN:09158162)
巻号頁・発行日
vol.25, no.1, pp.69-103, 2005

本論はプラトンの後期対話篇『ポリティコス』を中心に、そこで展開されたプラトンの後期政治思想を正確に辿ろうとするものである。分割・物語・パラデイグマといった分析の手段を統一的に解釈する努力が払われた。
著者
高本 條治 Joji Takamoto
出版者
上越教育大学
雑誌
上越教育大学研究紀要 (ISSN:09158162)
巻号頁・発行日
vol.15, no.1, pp.123-136, 1995-09

ウナギ料理を注文する際に使われるとされる「ばくはウナギだ。」という文(いわゆる「ウナギ文」)は,多くの日本語文法研究者の関心を集めてきた。ウナギ文に関する記述や説明は,当初は統語論の領域で繰り広げられ,その後,語用論の領域へと徐々に移行してきている。このウナギ文の文法化の問題について,語用論的な観点から継続的に論述していきたいと考えるが,本稿では,どのような観点からウナギ文を考察するかを明らかにし,「ばくはウナギだ」という文に対して,先行研究がどのようなパラフレーズを行っているかを振り返る。
著者
高本 條治 Joji Takamoto
出版者
上越教育大学
雑誌
上越教育大学研究紀要 (ISSN:09158162)
巻号頁・発行日
vol.15, no.2, pp.405-419, 1996-03

ウナギ料理を注文する際に使われるとされる「ばくはウナギだ。」という文(いわゆる「ウナギ文」)について,前稿(高本1995b)を承けて論述する。本稿では,まず,前稿に引き続き,先行研究がどのようなパラフレーズを行っているかをまとめ,それを分類整理する。次に,「ウナギ文」発話の解釈のポイントが,デフォルト解釈がキャンセルされることによって引き起こされる推論にあるという主張を行い,「ウナギ文」発話の解釈記録形式との関連を論じる。最後に,「ウナギ文」の先行研究に「過剰な文法化」が見られることを指摘する。
著者
大前 敦巳
出版者
上越教育大学
雑誌
上越教育大学研究紀要 (ISSN:09158162)
巻号頁・発行日
vol.25, no.1, pp.285-298, 2005

小論は,地方国立の上越教育大学と関西都市部の私立大学・短期大学の学生を対象に,2003年(1年次)と2004年(2年次)に実施した質問紙追跡調査に基づき,学生生活を通じていかなる文化習得を遂げ,そこにどのような社会的要因が関与しているかを検討した。1年次には幅広い文化領域に興味関心を示したのに対し,2年次に入ると自分に見合ったものを取捨選択する傾向が認められた。文化的取捨選択に関与する社会的要因について重回帰分析を行った結果,2年次に盛んに行われるようになった文化活動やスポーツは,社会的要因に強く規定されることがなく,上教大では学校的な文化習得様式の間での違いがみられ,関西私大・短大では,家庭の物質的豊かさが学校的なものから離れた領域の活動を規定する傾向がみられた。
著者
大前 敦巳
出版者
上越教育大学
雑誌
上越教育大学研究紀要 (ISSN:09158162)
巻号頁・発行日
vol.25, no.2, pp.565-579, 2006

本稿は,今日の大学生における文化資本をめぐる問題について,「学生消費者主義」や「大学の商業化」など,高等教育拡大がもたらした多くの国々に共通してみられる変化の状況との関わりの中で検討する。フランスの国立学生生活観察研究所(OVE)が実施する全国学生生活調査の結果を参照しながら,関西と北陸・上越の大学・短大生を対象に実施した質問紙調査の結果に基づき,学生の社会的出自,過去の学習経験,現在の学生生活との関係を分析した。親の職業や学歴に規定される階層文化以上に,後天的な学習経験や学生生活へのコミット/アルバイトを含む経済生活への親近性,という対立軸が,正統的文化/中間文化/大衆文化といった文化活動の違いを生み出す傾向が認められた。消費文化との連続性をもちながら,文化資本の形成条件となる「必要性への距離」を提供しているのは,社会的出自よりも学枚,特に大学の場においてであり,大学が変化に直面する中,その機能を衰弱させないことが必要と考える。
著者
小埜 裕二
出版者
上越教育大学
雑誌
上越教育大学研究紀要 (ISSN:09158162)
巻号頁・発行日
vol.27, pp.280-273, 2008

テクスト中の「悲嘆は痛まない」の一文の意義について考察し、「憂国」は、ニーチェ流の「悲嘆」の感情を通して<生の確証>がなされてきた従来の三島作品史の流れから、バタイユ流の「エロス」「苦痛」の感情を通して<存在の確証>がなされていく作品の流れを形作る起点となった作品であることを明らかにした。バタイユはエロティシズムを<肉体のエロティシズム><神聖なエロティシズム><心情のエロティシズム>の三種に分けたが、三島は「憂国」において、武山と麗子の性愛行為に<肉体のエロティシズム>を、武山の死に<神聖なエロティシズム>を、麗子の死に<心情のエロティシズム>をそれぞれ付与していることも明らかにした。
著者
藤田 武志
出版者
上越教育大学
雑誌
上越教育大学研究紀要 (ISSN:09158162)
巻号頁・発行日
vol.21, no.2, pp.567-588, 2002

日本と韓国の中学生の競争意識について以下の六点が見出された。第一に,競争意識を抱く者は両国とも少数派であり,中学生たちの意識は必ずしも「受験=競争」という図式でとらえることはできない。また,第二に,家族ぐるみの受験競争というイメージは,日本よりもむしろ韓国に対してあてはまる。しかし第三に,両国とも競争意識を抱く者が存在しないわけではなく,その割合や分布は,選抜システムの特徴によって規定されている。また第四に,競争の状態を不安感や内申書への気遣いといった意識面と,学習時間という行為面からとらえた場合,やはりそのありようは両国とも選抜システムの特徴と対応している。さらに第五に,東京都の競争の状態については,「ユニバーサル選抜型」推薦入試の導入という選抜システム的要因を加えると,より説明力が高まる。これらのことから第六に,受験競争のありようは選抜システムによって規定されている「受験競争の社会的構成」が確認された。これらの知見は,選抜システムの改革や評価は,理想的なモデルをもとにするのではなく,システムがどのような生徒にどのような影響を与えているのかという現実的な調査にもとづいて行う必要性を示唆するものである。