著者
高橋 吉文
出版者
北海道大学大学院メディア・コミュニケーション研究院
雑誌
メディア・コミュニケーション研究 (ISSN:18825303)
巻号頁・発行日
vol.55, pp.39-118, 2009-03-25

I 複数の文章の集合からなるテキストは、配列によってその総体的な意味を構築し、発信する。本論は、まず新聞の多様な記事を分析素材として、テキストの配列や諸要素の関係、構成原理を解析し、〔I問い、II事情説明、III転換・新説、IV答え〕の四分節構成法を析出し、その基本的原理を東洋の古典的配列である起承転結と重ねあわせる。II だが、〔序論、本論、結論〕の三分節構成原理を古典古代より継承する西洋近代の論構成が主流となっている現代、その起承転結構成は転における論の破綻、首尾一貫性の欠落が災いして、強く忌避されている。III それは、しかし、従来の転に対する理解に難があったからで、その転調を先行研究に対する新機軸や新実験と解する時、災いは論理的に不可欠の必然へと一変する。IV つまり、I II III IVから構成されるテキストをIIIを中心に配置した問答装置として読み替えることによって、起承転結構成は、科学論文のみならずあらゆるテキストを秘かに律している物語と思考の母型回路であることが明らかになるのである。
著者
Iida Maki
出版者
北海道大学大学院メディア・コミュニケーション研究院
雑誌
メディア・コミュニケーション研究 (ISSN:18825303)
巻号頁・発行日
vol.71, pp.65-93, 2018-03-26

近年、ヨーロッパ言語も含む様々な言語の話し言葉において発話末に現れ談話・語用論的な機能を果たす形式群を、「終助詞」(final particles)という新たな言語カテゴリーとして言語横断的視点から統一的に考察する研究が現れてきている。そこでは広東語や日本語における文末助詞(sentence-final particles)のような各言語において明確な語類ないし品詞を構成する形式群も同様に位置づけられている。 本稿は、広東語や日本語のほか、東アジア・東南アジア言語にしばしば見られる文末助詞という語類は、第一義的に文末に出現し、文との統合度の高い拘束的ないくつかの形式群からなる閉じたクラスを構成することから、少なくとも共時的レベルでは、上記のような広義の終助詞とは明確に区別して扱うのが妥当との見方をとる。 そこで本稿ではそうしたアジア言語の文末助詞についての理解を深めるべく、系統や類型を異にする広東語と日本語の文末助詞を比較対照し、その結果、両者の間の言語の別を越えたいくつかの類似点を指摘した。すなわち、統語的特徴としては、文末以外にも一定の伝達内容を持つ文中の句や語の後に生起すること、音韻的特徴としては、母音はいずれも開口度が大きく開音節であること、音調の類型や音調と意味の相関に共通の傾向が観察されることなど、いずれも伝達態度を文法化した語類であるがゆえの偶然とは見なしがたい共通点が挙げられた。 また、両言語では、対話場面における文末助詞ないし準文末助詞の使用頻度や義務性が高いことから、文ごとに伝達態度を標示することが半ば義務的になっており、すなわち文法化されており、文末助詞はその文法的手段として存在していることを主張した。
著者
クリース ヨハネス・フォン 山田 吉二郎 江口 豊
出版者
北海道大学大学院メディア・コミュニケーション研究院
雑誌
メディア・コミュニケーション研究 (ISSN:18825303)
巻号頁・発行日
vol.64, pp.39-65, 2013-03-27

The Japanese translation of von Kries' treatise "On the Concept of Objective Possibility and Some of its Applications" (1888) has been completed with this third part,and we are very glad that Japanese scholarly republic can now read this important treatise on their own language. It is almost obvious that von Kries wrote this treatise to commit himself to the famous controversy between the "old" and "new" schools of German jurists in the second half of XIX century, and therefore the field he tried to apply this concept to was the criminal law. Acquiring von Kries' methodology, Max Weber inquires into the possibility to appropriate it to quite another field --- history. Von Kries, characteristic concepts ("Objective possibility," "empirical rules," "adequate causaton," "generalization through abstraction," "quantitative gradation of real phenomena" etc.) were newly adapted and adopted by Weber eagerly and carefully. But it would be too hasty to say that Weber's methodology of "Ideal types" was constructed with these concepts because among Kries' concepts there is not the faintest nuance of "ideal" --- much more still remains to be done before we can shed light on Weber's methodology thoroughly.
著者
クリース ヨハネス・フォン 山田 吉二郎 江口 豊
出版者
北海道大学大学院メディア・コミュニケーション研究院
雑誌
メディア・コミュニケーション研究 (ISSN:18825303)
巻号頁・発行日
vol.60, pp.95-126, 2011-08-11

In the part published here of his treatise "On the Concept of Objective Possibility and Some of its Applications" (1888), von Kries discusses the "Concept of Danger (Gefahr)," which was one of the most essential issues of the controversy between the "old" and "new" schools of German legal philosophers in the second half of the 19th century. They argued whether pre-criminal "social dangerousness" is enough to be regarded as the committed crime or not. Von Kries defines "danger" as "objective possibility of a certain harmful result." According to him, judgments of "objective possibility" presuppose "nomological" knowledge, that is, "certain empirical rules widely known to many people" (M. Weber). It is on the basis of them that we can generalize various concrete experiences which must be distinguished from each other. As for "danger," e.g., we can classify them into two groups at first: the "absolutely" dangerous ones and the dangerous ones "in the wider senses." Then we must try to devide the latter cases into "grades," although we can't attain to numerical exactness. Von Kries calls this a "principle of generalization" (Prinzip der Generalisierung) which has methodologically great importance to Weber.
著者
鈴木 純一
出版者
北海道大学大学院メディア・コミュニケーション研究院
雑誌
メディア・コミュニケーション研究 (ISSN:18825303)
巻号頁・発行日
no.72, pp.75-93, 2019-03-20

The purpose of this thesis is to examine a metaphor from the angle of the observation. That way, the feature as the function of the metaphor will be brought into shaper focus. A metaphor involves "cutoff" and "connection" processes at the same time while duplicating the meaning of the expression. In other words, a metaphor contains two contradictory elements at the same time. This article analyzes the function of medium of the metaphor from the perspective of social theory. The thesis also argues that paradoxes and tautologies, etc. are a fundamental principle of a metaphor by quoting Luhmann's theory.
著者
CLERCQ Lucien
出版者
北海道大学大学院メディア・コミュニケーション研究院 = Research Faculty of Media and Communication, Hokkaido University
雑誌
メディア・コミュニケーション研究 (ISSN:18825303)
巻号頁・発行日
vol.71, pp.1-36, 2018

先の論文では、アイヌのアイデンティティの再表明において、虐げられたマイノリティ、とりわけアメランディアンとアフリカ系アメリカ人との対比がいかに重要であったかを考察した。たしかに、初期の政治的活動家たちの位置取りは、部落民や極左の活動家たちの行動に着想を得てなされたものではあるが、1970年代初頭に彼らのあとを継いだ若きアイヌの指導者たちは、長らく奪われていた基本的権利を回復するために闘う他の民族たちと自己同一視を図ったのであった。当時、混血がかなり進んでいたため、アイヌの若い世代は、社会的、民族的に自分たちが特殊であることを自覚していた。その特殊性は、日本的なものの荒波に揉まれながら決して失われることのない、独自の文化的ハイブリッドに裏打ちされたものであった。日本の介入がアイヌの社会にさまざまな危機をもたらしたことは事実である。とりわけ、日本の価値体系がより脆弱なアイヌの価値体系に与えた衝撃はアイヌの文化的基盤の一部を木っ端微塵にし、アイヌは日本人との共存を強いられることになったのであるが、それはアイヌにとって極めて困難なことであった。アイヌに残された唯一の道は、伝統的構造のいくつかを犠牲としながら順応することであった。日本の文化のうちには、アイヌがすでに慣れ親しみ、威信を高める目的で自文化のうちにとりこんでいた要素もあり、そうした要素を補償的に取り入れなおすことで、アイヌは完全な同化を免れたのである。異種交配の初期形態が胚胎したのはこうした葛藤を交えた状況下においてであった。しかし、植民地主義的過程がどんなに激しく進行しようとも、深部に秘められたアイヌの伝統的な宗教的・社会文化的構造が破壊されつくすことはなかった。また、伝統とのつながりを保とうとするアイヌの情熱や、歴史の転換点において新しい伝統を生み出そうとした若い世代の欲望などを考慮するのであれば、アイヌにおける異文化受容は部分的であったとみなしうるだろう。実地での体験が教えるところによれば、アイヌはつねに、日本の社会文化のなかから、そして他の民族から提供される豊富な文化的オプションのなかから、自分たちに役立つものを選別しつづけているのである。こうしてアイヌは、儀礼に関する記憶に基づいて歴史の再領有を行うという壮大なプロセスを始動させながら、アイデンティティの再構築に挑むことになったのである。その具体的な事例が、文化的な年中行事である二つの記念祭、すなわち鮭の神を祭るアシリチェップノミと歴史的英雄を祭るシャクシャイン祭りである。本論はその詳細について論じたものである。この二つの祭りは、今日のアイヌ文化における主要なイベントとして、アイデンティティの再構築や社会政治的復権を目指した弛まぬ努力を支える積極的な文化保存の思考と深く結びついているのである。
著者
西 茹
出版者
北海道大学大学院メディア・コミュニケーション研究院 = Research Faculty of Media and Communication, Hokkaido University
雑誌
メディア・コミュニケーション研究 (ISSN:18825303)
巻号頁・発行日
vol.71, pp.169-185, 2018

インターネットの発展は中国の情報環境を大きく塗り替えた。携帯電話を利用する人口が8億を超え、9割以上のネット人口がモバイル端末を利用してインターネットにアクセスするなど人々の情報行動は大きく変わってきた。人々の生活へのインターネットの深い浸透の現状は、共産党の管理体制下に置かれている新聞、テレビ、ラジオ、雑誌等の伝統メディアを周縁化しつつ、インターネットメディアを中心的な存在に押し上げた。微博(ミニブログ、中国版ツイッター)と微信(ウィーチャット、中国版LINE)を代表とする民間会社経営のインターネットサービスの利用者が急速に増大し、誰でも、どこでも情報発信が可能となった。その結果、地方都市で起きた出来事でも、全国ないし国際社会からの注目を集める「ネット世論事件」に発展するケースがしばしば見られる。時に国内外の突発的な事件や重大な案件をめぐって、巨大な力を持つネット世論が中国社会を揺さぶり、政府にも圧力を加える。 中国共産党と政府は、万民が参加する中国のネット言論空間と多様化された情報伝達チャンネルに強い危機感を持ち、2014年から、伝統メディアとインターネットを融合し、「新型主流メディア」を創出するメディア融合戦略を打ち出した。インターネット、移動通信、デジタル技術の迅速な発展によって促進されるメディア融合はグローバルな動きである。ただ中国の場合は、国家主導のメディア融合が放送と通信の融合に限らず、新聞、雑誌などのあらゆる伝統メディアを再編させ、インターネットメディアと融合させた。すなわち、新たなメディアプラットフォームを形成させ、政府が目指す国内外で影響力と競争力を持つ「新型主流メディア集団(グループ)」や現代的なコミュニケーションシステムを構築しようとする。本稿では、中国のメディア融合国家戦略は、どういう背景から打ち出し、何を狙っているのか、メディア機構はメディア融合にどのように取り組み、その実態はどうなっているのかを考察し、それらが提示する課題を検討したい。随着信息和通讯技术的迅猛发展及其在人们日常生活中的广泛渗透,人们获取新闻的渠道和方式正在发生巨变。传统媒体原有的在新闻生产和传播中的垄断地位和特权正被逐步打破,面临着严峻的存亡攸关的挑战。在此背景下, 2014年8月,中央全面深化改革领导小组第四次会议审议通过了《关于推动传统媒体和新兴媒体融合发展的指导意见》,其后由中央办公厅和国务院办公厅将此"意见"印发给各地区各部门,由此,媒体融合作为一个国家战略开始驱动中国媒体的变革。本文对中国媒体融合战略制定的背景、战略内容和目标、战略实施模式进行了考察,并对媒体融合实践中出现的问题进行了探讨。媒体融合战略要求将技术建设和内容建设置于同等重要的位置。从实践上看,对媒体进行全面技术改造升级,塑造全新的媒体业态可能不难实现,但是,从内容生产方面来看,即使是高度融合的新型媒体,其能否真正满足民众对内容的需求,并非是单靠技术就能解决的问题。
著者
大平 具彦
出版者
北海道大学大学院メディア・コミュニケーション研究院 = Research Faculty of Media and Communication, Hokkaido University
雑誌
メディア・コミュニケーション研究 (ISSN:18825303)
巻号頁・発行日
vol.53, pp.1-25, 2007-12-14

Tristan Tzara, fondateur du Mouvement Dada, «a donné la quatrième dimension à la poèsie du 20e siècle», selon l'expression de Michel Sanouillet, auteur d'un ouvrage monumental Dada à Paris. Ce poète révolutionnaire déclare dans son «Manifeste 1918» : «Il nous faut des œuvres fortes, droites, précises et à jamais incomprises». Cette devise éclatante n'est-elle pas non seulement le refus radical de l'expression représentative chère à l'épistémè europèenne, mais aussi un appel ardent à la concrétisation du «circuit total» (le mot est de Tzara) de la sensation humaine? Mais comment Tzara est-il arrivé à ce nouveau principe de création? Il est à noter que le poète était profondément inspiré, depuis le début de Dada, par l'art et la poésie nègres ainsi que par l'art moderne qui visait à l'expression non figurative. Tzara était déjà un grand collectionneur de l’art primitif. (Il l’a été toute sa vie.) Il lisait des poèmes nègres aux Soirées Dada. Et il est allé jusqu'à compiler plus de 40 poèmes nègres en les transcrivant, à la bibliothèque publique de Zurich, de la revue internationale d’ethnologie et de linguistique Anthropos. C'est la rencontre mémorable de l'avant-garde et de l'anthropologie: Primitivisme jouait un rôle essentiel chez Tzara aussi, comme dans le cas de Picasso et d’Apollinaire. Les essais écrits par Tzara pendant la période de Dada («Note sur la poésie nègre», «Note sur l’art nègre», «Note sur la poésie», «Note sur l’art», etc.)montrent bien comment le primitivisme lui a été décisif. Fixer au point où les forces se sont accumulées, d’où jaillit le sens formulé, le rayonnement invisible de la substance, la relation naturelle, mais cachée et juste, naïvement, sans explication. («Note sur la poésie nègre») L’art, dans l’enfance du temps, fut priére. Bois et pierre furent vérité. Dans l’homme je vois la lune, les plantes, le noir, le métal, l’étoile, le poisson. Que les éléments cosmiques glissent symétriquement. («Note sur l’art nègre») Ce qui est significatif, c’est que Tzara déclare ces principes de création sans faire aucune mention, malgré les titres de ces essais, ni sur la poésie nègre ni sur l’art nègre. Ce fait ne veut-il pas dire qu’il ait identifié ces principes propres à lui avec le primitivisme si naturellemnet et si profondément? Le primitivisme (la poésie nègre, l’art nègre) est, pour Tzara, le principe même d’exprimer le circuit total de la sensation humaine, remplaçant le système représentatif européen qui ne décrit que l’apparence des choses. André Breton, leader du surréalisme qui a succédé au Mouvement Dada, dira lui aussi dans le Surréalisme et la Peinture (1928) «notre primitivisme intégral» (souligné par Breton). On pourrait dire donc que le Mouvement dada-surréaliste est, dans ce sens, le primitivisme européen, et on peut y voir une sorte de créolisation culturelle.
著者
Clercq Lucien
出版者
北海道大学大学院メディア・コミュニケーション研究院 = Research Faculty of Media and Communication, Hokkaido University
雑誌
メディア・コミュニケーション研究 (ISSN:18825303)
巻号頁・発行日
vol.70, pp.1-35, 2017-03-25

今日、日本の人口およそ1億2,700万人に対し、北海道に暮らすアイヌはおよそ1万7千人とされている(「平成25年度 北海道アイヌ生活実態調査報告書」、北海道環境生活部による)。かつて、同化を急ごうと目論む国家権力により過去からの暴力的な断絶を強いられたアイヌではあるが、1960代以降になると、同様の試練に直面した他の先住民族と共に、自民族の過去を積極的に探し求めるようになる。先住権の獲得と適用とを求める長い闘争の最中、2008年6月6日には、アイヌ民族を先住民族とすることを求める決議が衆参両議院で採択されるに至ったが、それでもなお、アイヌによる断片化された過去の探索が止むことはないだろう。なぜならその探求は、過去を復元するために、あるいは過去が消失した理由を説明するために不可欠だからである。過去の探求はまた、多数派とは異なる歴史と出自を拠り所として、より実際的な政治的要求をするためにも欠かせないものである。だからこそアイヌは、自己の歴史と出自とを常に定義し、洗練しようと努めているのである。実際アイヌは、日本社会への同化を容易にするために、極めて早い段階から若者たちの日本語教育と社会文化的な模倣を励行する一方で、家庭内や政治的な集いの場においては、先住民としての特殊性を常に意識しながら、異文化受容に抵抗するための戦略を練り上げていたのである。植民地主義的企ての当然の帰結として、大量の和人の流入は、北海道に新たな社会の出現をもたらした。アイヌの生態学的・社会文化的基盤は新参者の登場によって修正を迫られたのである。しかし、新しい社会の登場が既存のアイヌ社会を激変させる一方で、その新たな社会の内部や国体の内部にアイヌが完全に吸収されることはなかった(その理由の一つとして1899年に制定された「旧土人保護法」の存在があげられよう。アイヌの同化を目的としたこの法律は、伝統的な言語、風習、価値の否定を伴う疎外的な性格を有していたのである)。これら二つのグループの関係は、おおまかには、植民者と被植民者の関係の枠内において捉える事が可能である。アイヌは、数の面からも技術の面からも、巨大な植民地主義的暴力を押し返すための術をもたず、征服の間もその後も、両者間の関係を調整することができずにいたのである。植民者たちは、アイヌからの収奪を促進するため、その歴史性をながらく否定してきた。しかし実際は、アイヌは歴史性の創造者でありまたその保持者であるといえるだろう。自らを襲う幾多の変動に対し、アイヌは決して受動的であったわけではない。アイヌの共同体はむしろ、数々の英雄的人物(往年の戦争指導者、芸術家、作家そして今日の活動家)の行動がそれを示すように、度重なる異文化受容の試練に際して発揮される闘争性と強靭な抵抗力、並びに他の先住民族の闘争にヒントを得た戦術の練磨によって特徴付けられるのである。抵抗運動の発展に伴い、アイヌを襲う社会文化的な変動に抗するための、政治的な直接行動主義もまた、その激しさを増していった。こうした動向を背景として、1960年代半ばより、アイヌのアイデンティティとその歴史の(再)構築を目指した重要な運動が巻き起こることとなる。その運動は、アメリカインディアンとアフリカ系アメリカ人の運動から部分的に想を得ており、主に雑誌(『アヌタリアイヌ:われら人間』)を通じて表明された。この事実は、アイヌが国際的なネットワークに連なったことを示しており、その主要な目的は、孤立の解消とともに、それまで彼らの要求に好意的に耳を傾けようとはしなかった政府に対して圧力をかけることにあった。
著者
Clercq Lucien
出版者
北海道大学大学院メディア・コミュニケーション研究院 = Research Faculty of Media and Communication, Hokkaido University
雑誌
メディア・コミュニケーション研究 (ISSN:18825303)
巻号頁・発行日
vol.69, pp.33-70, 2016-03-25

日本の社会と、日本に統合される以前のアイヌの社会の関係は、領土をめぐる抗争と征服の長い歴史に特徴付けられる。その歴史の過程で、アイヌは北へ北へと追いやられ、それは1599年に松前藩の蝦夷地支配が徳川幕府により承認され、島の南西の和人地にその支配拠点が確立されるまで続く。幕府はしかし、二度にわたって蝦夷地の直接支配を行ってもいる。一度目は1799年から1821年まで、二度目は1855年から1867年までである。とりわけ二度目の時期は、やがて起きる蝦夷が島の植民地化を決定づけた時期でもある。明治時代になると、蝦夷が島は北海道と改称され、日本の国家の一部とされていくのである。それまで蝦夷は、松前藩主導の保 護の下に管理されるただの商業的支所にすぎず、松前藩の要求もまた、経済的なものに限定されていた。ところが江戸末期より、蝦夷は開拓すべき広大な領土となる。その資源は大規模に活用され、そこに暮らす人々は、未成熟な福祉国家の好意的な、しかし温情主義的でもある保護の下に置かれることになるのである。実際に、幕府による蝦夷の直接支配のさなか、異例の政治的措置がとられている。そこには国の負担による最新医療の提供も含まれており、それが頂点に達したのは、蝦夷地に居を構える日本人だけでなく、アイヌにも実施された天然痘に対する予防接種である。この措置は、同化を求める幕府の意志と、日本の近代の幕開きとを示し ている(江戸時代1600-1868)。この政策は、構造のうえでは儒教における「五徳」の論理と慈善的統治とに結びついている。生成しつつある帝国のメンバー全てが、この慈善的統治の恩恵を受けるべきものとされたのである。この政策はまた、徳川幕府の好意の受益者であるということは、その事実をもって、国の保護下にあることを意味するという考えを示してもいる。この政治的選択は、アイヌたちの自治にすぐさま影響を及ぼした。これ以降、胎動を始めた近代国家の周辺に位置するアイヌたちは、できるだけすみやかに同化させるべき分子とみなされるようになっていくのである。流行病や植民地化による激しい動揺を受けた他の社会文化的解釈(その幾例かは本論の考察の対象となるであろう)と同様、病に関するアイヌの文化的概念もまた壊滅的な変化を蒙り、それに伴い、二分され既にぐらつき始めていた社会文化的均衡はさらに脆いものとなった。徳川幕府にとっては、ロシア帝国による征服の脅威を前に、蝦夷の広大さとその防衛とは、兵站術上の重要な問題であった。幕府にとって、アイヌの援護を確保することが最重要であった。数の上では乏しいとはいえ、アイヌは北海道の風土を知悉していた。そしてなにより、アイヌはもっとも大切な交易相手であり、その交易の独占権はなんとしても保持せねばならず、またアイヌの労働力も欠かせないものになっていたためである。島の支配が松前藩から幕府へと移行した際のアイヌに対するこの態度変化は、それゆえ、アイヌの社会に対して重大な影響を及ぼすとともに、その政治的自立を著しく弱めるものであった。アイヌを是が非でも単一民族という幻影のなかに取り込もうとするこの意志は、形質人類学の研究を条件付け、その結果、アイヌは衰退期にあるばかりか、滅びゆくことを運命付けられた「民族」とみなされるようになっていく。これに対して、アイヌの速やかな適応能力は、彼らの行動様式がその内部に自己の崩壊の種を宿していたかにみえる反面、その復活の種もまた宿していたということを逆説的に示している。アイヌたちは破滅を避けるため、妥協的な適応戦略を見出していた。政治家ついで大学関係者たちにより、1960年代の社会運動の隆盛まで保たれていた、滅亡を運命付けられた人々という受動的なイメージとは程遠く、アイヌの歴史はむしろ、その卓越した抵抗の力、適応の妙、そしてあらゆる試練の末に、彼らの歴史を世界的な先住民族の網の目に結び付けたその生命力によって特徴付けられるのである。こうして、2008年に至り、アイヌは日本の先住民族として認められ、その文化の継承が保障されるに至ったのである。
著者
鈴木 純一
出版者
北海道大学大学院メディア・コミュニケーション研究院
雑誌
メディア・コミュニケーション研究 (ISSN:18825303)
巻号頁・発行日
vol.58, pp.39-56, 2010-05-25

In dieser Abhandlung geht es um die Beziehung zwischen Metapher und Meta-Denken in europäischen literarischen und philosophischen Texten. Im Mittelpunkt stehen die Analysen der neuzeitlichen Texte als Beispiele, denn dort kann man die besonderen Eigenschaften der europäischen Metapher erkennen. Als ein Gesichtpunkt der theoretischen Analyse wird die Systemtheorie Luhmanns berücksichtigt. In den ersten beiden Abschnitten wird zuerst Luhmanns Kritik an den Metaphern Husserls im Bezug auf Zeit-Begriff überprüft. In der Folge wird klar, dass die abendländischen Metaphern hauptsächlich die Neigung haben, durch das Konkrete das Abstrakte sichtbar zu machen und damit auf der Meta-Ebene das Begriffe-System zu konstruieren. Auf diese Weise haben die Metaphern zur Hierarchie zwischen dem Metaphysischen und dem Physischen beigetragen. Dass man in der Literatur diese Hierarchie manchmal dekonstruiert hat, zeigt sich in den dritten und vierten Abschnitten, wo die Metaphern von Th. Mann, Kafka und Proust analysiert werden. Anschliessend wird der theoretische Grund für diese gegensätzlichen Richtungen der Metaphern betrachtet. Dies führt zu dem Ergebnis, dass die Erscheinung dadurch ermöglicht ist, den Wortsinn verdoppelt zu machen. Die Verdoppelung kann man als eigentliche und grundsätzliche Funktion der Metapher ansehen. Dabei wird auch die Hierarchie zwischen Meta-Ebene (Begriffe-System) und Objektebene als eine anscheinend unvermeidliche Struktur betrachtet. Es gibt darum eine Genealogie der Kritik, die diese Hierarchie als Unterdrückung anklagt, z.B. die Kritik Nieztsches oder die Dekonstruktion Derridas. In den letzten beiden Abschnitten zeigt sich zuerst die Ungültigkeit dieser Kritiken, weil sie sich eine Paradoxie der Selbstreferenz bilden müssen. Stattdessen kann man in der Systemtheorie Luhmanns eine andere Möglichkeit finden. Luhmanns Theorie betont, dass jede Betrachtung unbedingt von der Meta-Ebene (in der zweiten Ordnung) zur Objekt-Ebene übergehen muss. Diese Übergang wird in den späteren Aufsätzen Luhmanns als Oszillation (fortdauerndes Wechseln zwischen Selbstreferenz und Fremdreferenz) ausgedrückt. Zum Schluss wird die funktionale Gleichartigkeit dieser Oszillation mit der Metapher überhaupt gezeigt.
著者
吉田 徹也
出版者
北海道大学大学院メディア・コミュニケーション研究院
雑誌
メディア・コミュニケーション研究 (ISSN:18825303)
巻号頁・発行日
vol.53, pp.85-98, 2007-12-14

Im zweiten Kapitel von 《Faktizität und Geltung》 wird ein Ansatz skizziert, “der die Spannweite zwischen soziologischen Rechts- und philosophischen Gerechtigkeitstheorien in sich aufnimmt.” Dabei geht Habermas von dem Perspektivenwechsel aus, den die Politische Ökonomie (Adam Smith und Ricard) und die Kritik der Politischen Ökonomie (Marx) herbeigeführt haben. Die Tradition des Vernunftrechts wurde erschüttert und die Kategorie des Rechts hat ihre theoriestrategische Schlüsselrolle verloren. Der Marktmechanismus und damit das Modell einer anonymen Vergesellschaftung gehen auch in der Gesellschaftstheorie in Führung. In dieser Weise versucht Habermas, einen theoriegeschichtlichen Hintergrund bis zu Systemtheorie in Bezug auf “die soziologische Entzauberung des Rechts” in einer Übersicht darzustellen. Die Rechtssoziologie von Niklas Luhmann markiere den vorläufigen Endpunkt auf dieser Achse. Bei ihm handelt es sich um die Objektivierung des Rechts zu einem selbstgesteuerten System und diesen Sachverhalt stellt Habermas in Frage, weil damit “die Kommunikation über Recht und Unrecht ihres sozialintegrativen Sinnes beraubt” wird. Aber dann, nach der sozialwissenschaftlichen “Unterminierung des vernunftrechtlichen Normativismus” hat die Rechtsphilosophie eine Wendung genommen und seit Rawls’ 《Theorie der Gerechtigkeit》 sei das Pendel zur anderen Seite ausgeschlagen. Rawls’ Theorie der Gerechtigkeit interessiert Habermas, weil Habermas in diesem Werk “die lange Zeit verdrängten moralischen Fragen als Gegenstand wissenschaftlich ernst zu nehmender Untersuchungen rehabilitiert” sieht. Rawls erörtert hier die Bedingungen der politischen Akzeptanz seiner Theorie der Gerechtigkeit und untersucht das alte Problem, wie das Vernunftprojekt einer gerechten Gesellschaft verwirklicht werden kann. Auch in 《Versöhnung durch öffentlichen Vernunftgebrauch》 beschäftigt er sich mit Rawls’ Theorie der Gerechtigkeit. Nach Habermas hat Rawls bei der Betrachtung des gerechten Zusammenlebens von Bürgern eines politischen Gemeinwesens die Kantische Formulierung der moralischen Grundfrage erneuert und eine intersubjektivistische Lesart für Kants Begriff der Autonomie vorgeschlagen. Im Ganzen hält Habermas Rawls’ Projekt und die wesentlichen Ergebnisse seines Unternehmens für richtig und seine Zweifel sollen sich deshalb auf drei Punkte beschränken: (1) ob das Design des Urzustandes geeignet ist,um den Gesichtspunkt der unparteiischen Beurteilung von Gerechtigkeitsprinzipien zu klären, (2) ob er die weltanschauliche Neutralität seiner Gerechtigkeitskonzeption mit der Preisgabe ihres kognitiven Geltungsanspruch erkaufen will, (3) ob er die liberalen Grundrechte dem demokratischen Legitimationsprinzip überordnet. Nach diesem Schema werden hauptsächlich etwa die Begriffe der Schleier des Nichtwissens, der übergreifende Konsens und die Grenzziehung zwischen privater und öffentlicher Autonomie erörtert. Im Hinblick auf die Autonomie weist Habermas nachdrücklich darauf hin, dass Rawls den Akzent vom Kantischen Begriff der Autonomie auf ethisch-existentielle Selbstbestimmung verschiebt und infolgedessen die öffentliche Autonomie in erster Linie als ein Mittel für die Ermöglichung der privaten Autonomie erscheint. Habermas hält am demokratischen Prozess fest, wo sich beide reziprok voraussetzen und immer wieder von neuem die Grenzen dazwischen definieren.
著者
高橋 吉文
出版者
北海道大学大学院メディア・コミュニケーション研究院
雑誌
メディア・コミュニケーション研究 (ISSN:18825303)
巻号頁・発行日
vol.61, pp.57-108, 2011-11-25

本論「その1」は、ルーマンの『社会システム理論』(1984)の意味論とダブル・コンティンジェンシー(二重不確定性)のトリックを明らかにする続編「その2」への前編にあたるものである。ルーマンのシステム論は〔システム/環境/世界〕の三区分を基本とするが、それと通底し照応関係にあるリスク論も、表向き提唱されている〔リスク/危険〕の二項対立図式ではなく、実際には〔リスク/危険/破局〕の三区分が基本となっている。本論は、ルーマンのそうしたリスク考察やシステムを、破局世界に距離をとり、その巨大な災厄の襲撃をそらしすり替える(=縮減する)ための抽象的な多重隠蔽装置として明らかにする。その隠蔽の極意は、無限の不確定性・未規定性を有限で僅かの擬似的な不確定性へと根拠なくすり替える操作にあり、その後に初めて、疑似的な不確定性(毒抜きされ馴致されたリスク)が可視化され、それを基底として意識(個人・心理システム)やコミュニケーション(社会システム)が産出される。絶望的な暗黒世界の中で、人は、そのような根拠なきシステムを仮象として虚構する(Hypotheses fingo)ことで初めて生き延びるのである。
著者
岡田 敦美
出版者
北海道大学大学院メディア・コミュニケーション研究院 = Research Faculty of Media and Communication, Hokkaido University
雑誌
メディア・コミュニケーション研究 (ISSN:18825303)
巻号頁・発行日
vol.53, pp.69-83[含 スペイン語文要旨], 2007

Cuàl es el papel de la educación de la lengua española en la educación universitaria? Cómo puede aportar la educación de la lengua española a la vida futura de los estudiantes de la universidad? Estos cuestionamientos fundamentales son el punto de partida de este trabajo. Basado en las encuestas realizadas durante últimos años con los estudiantes que estudiaron español en una universidad, se trata de aclarar las conciencias y las expectativas que tienen los estudiantes frente a las clases de la lengua española y la enseñanza en síde esta lengua. Dicho en otra forma, este reporte es un primer acercamiento a un estudio sobre la docencia de la lengua española en las universidades y el mejoramiento de la calidad de las clases. Las encuestas seleccionadas para analizarse en este trabajo, fueron realizadas en 2004 y 2006, en una universidad particular y grande en la zona metropolitana, la cual denominaremos aquí "la Universidad A". Las encuestas mostraron los siguientes: Los estudiantes optaron por la lengua española entre las demás lenguas porque les interesa una lengua extranjera occidental. Esto se debe al hecho de que los estudiantes ya han conocido una lengua indo-europea el inglés al estudiarlo durante la educación secundaria inferior y superior. También pude ser que sea el resultado y la continuación de la larga tradición en la educación japonesa que aspiraba y seguía la cultura occidental desde la Época Meiji. Otro motivo importante de la opción del castellano es que éste es un idioma universal,cuyos hablantes cubren todo el globo. La utilidad y el porvenir del español atrajeron y motivaron a los estudiantes. La encuesta mostró que los estudiantes de "la Universidad A" están más interesados por los deportes del mundo español y latinoamericano, pero también aspiran a tener conocimientos sobre la vida cotidiana y costumbres de los hispano-hablantes. Aquél se obserba claramente en los varones, señalando que entre los estudiantes,el mundo hispánico está bien reconocido por su fama en deportes actualmente, quizá mediante la retransmisión de los partidos de fútbol en televisión. Al contestar la pregunta sobre; en qué los estudiantes reconocen el valor y la razón de estudiar español en la universidad?, pudimos constatar que los estudiantes dieron mayor importancia a la pura afición en el aprendizaje de nueva lengua: estudian nueva lengua por gusto y placer, o para desarrollar la cultura. Aquí el aspecto práctico del idioma español dio el paso a la afición. Y pocos estudian español con el objetivo de usarlo en el futuro. Por último, veremos cuáles asuntos y temas de la clase son más importantes para los estudiantes, y cuál es el menos importante. Aprender las expresiones más básicas y cotidianas es la más deseada, pero también esperan explicaciones acerca de los costumbres y de la vida cotidiana en el mundo hispánico. Los cursantes muestran interés por la mención a la cultura e historia del mundo hispánico también, mientras que las actividades durante las clases atraen la menor atención de los estudiantes. Esto se deberá a la timidez, la cual es una de las características de la cultura japonesa. Se necesita un estudio más profundo sobre este resultado. Después de las expresiones importantes y cotidianas, las explicaciones de la gramática fáciles de entender son los asuntos más deseados en las clases. Ahora bien, éste es sólo un pequeño reporte basado exclusivamente en una universidad, por lo tanto, es necesario hacer un estudio más amplio en múltiples instituciones. La autora, al igual que muchos profesores de español, no es especialista en metodología de la enseñanza de lenguas extranjeras, pero cree que vale la pena compartir los resultados de las encuestas con los demás pedagogos. Lo importante es que los profesores estén pendientes de la metodología, las demandas y los intereses que tienen los cursantes, y de la aportación y el lugar de la educación de español en la educación universitaria.
著者
蘇 席瑤 林 恒立
出版者
北海道大学大学院メディア・コミュニケーション研究院
雑誌
メディア・コミュニケーション研究 (ISSN:18825303)
巻号頁・発行日
vol.71, pp.205-228, 2018-03-26

本稿では、「言語・ジェンダー研究」に関する重要文献のレビューを行う。本稿は2部構成であり、まず第1部では、重要論文の紹介を通して、海外において「言語・ジェンダー研究」がどのように発展を遂げてきたのかをまとめ、この研究分野をより全面的かつ体系的に把握する。次に第2部では、台湾の言語とジェンダーに関わる現象をテーマにした先行研究をレビューし、海外の「言語・ジェンダー研究」の概況との比較を行う。これを通して、台湾での現象が持ち得る研究データとしての価値を示唆するとともに、今後の研究の方向性を示し、台湾の言語学者とジェンダー研究者の研究に資することを望んでいる(訳注:台湾に興味・関心を持つ言語学者とジェンダー研究者を含む)。本稿でのレビューを通しての結論は次のことである。台湾のデータ(会話データ・談話資料)を扱った「言語・ジェンダー研究」の数は決して多くなく、また先行研究のテーマは範囲がやや広いとはいえ、今後の研究の発展可能性がまだ十分にある。よって、この研究分野は言語学者とジェンダー研究者が引き続き力を入れるに値するジャンルである。
著者
鈴木 純一
出版者
北海道大学大学院メディア・コミュニケーション研究院
雑誌
メディア・コミュニケーション研究 (ISSN:18825303)
巻号頁・発行日
vol.76, pp.1-19, 2023-03-29

In diesem Aufsatz wird das Verhältnis von Metapher und Ausnahmezustand untersucht. Carl Schmidt, ein deutscher Jurist des 20. Jahrhunderts, verwendete in seiner Forschung eine einzigartige Methodik. In seiner Arbeit behandelte er "Ausnahmezustand" als besonderen Begriff und verband ihn mit der Eigenschaft "souverän". Der zeitgenössische italienische Denker Giorgio Agamben sieht diesen "Ausnahmezustand" als "bare life" und charakterisiert ihn als Bereich vielfältiger Widersprüche. Inspiriert wurde diese Idee offenbar von Walter Benjamin. Insbesondere sein Artikel "Zur Kritik der Gewalt" spielt eine große Rolle in Bezug auf den Begriff der "reinen Sprache". "Reine Sprache" ist gewissermaßen eine Paraphrase des "bare life" und hat einen "mehrdeutigen" Charakter. Andererseits sind Metaphern auch ein ungewöhnlicher Wortgebrauch und haben mehrdeutige Eigenschaften. Dieser Aufsatz untersucht im Detail solche sprachlichen (metaphorischen) Widersprüche und Paradoxa, die durch Ausnahmen verursacht werden. Als Ergebnis stellen wir fest, dass diese Struktur und dieser Prozess mit Niklas Luhmanns Theorie sozialer Systeme übereinstimmen. Abschließend zeigt dieser Aufsatz, dass sich das Verhältnis von Metapher und Ausnahmezustand durch seine Konzepte von "Autopoiesis" und "Re-entry" erklären lässt.
著者
西村 龍一
出版者
北海道大学大学院メディア・コミュニケーション研究院
雑誌
メディア・コミュニケーション研究 (ISSN:18825303)
巻号頁・発行日
vol.73, pp.29-51, 2020-03-26

Über das Übersetzen nachzudenken heißt mehr oder weniger über seine Unübersetzbarkeit nachzudenken. Roman Jakobson vertritt die radikale Übersetzbarkeit der Mitteilungen und damit der Erkenntnisse. Er vertritt aber gleichzeitig die prinzipielle Unübersetzbarkeit der Dichtung mit dem Begriff Paronomasie. Ziel dieser Abhandlung ist, die Übersetzbarkeit und Unübersetzbarkeit der Erkenntnisse in der sprachlichen Mitteilung gegenseitig zu begründen und durch die Interpretation von Walter Benjamins Die Aufgabe des Übersetzers die Unübersetzbarkeit mit dem Begriff des Werkes als der privilegierten Erkenntis in Zusammenhang zu bringen. Die zeichenhafte Mitteilung ist die Mitteilung der Wahl eines Möglichen, das in der ausdifferenzierten Einheit der Beziehungen erkannt wird. Wenn das Wort als solches als Zeichen verwendet wird, ist es schlechthin übersetzbar. Aber das Wort in der eigentlichen sprachlichen Mitteilung hat Exzess der Wahl mit sich, das in ein und dieselbe Wahl konvergiert. Diese Eigenschaft des Wortes kann man als intensive Identität bezeichnen. Durch diese intensive Identität des Wortes ist, was in der werdenden Einheit der Beziehung der ausdifferenzierten Beziehungen erkannt wird, mitzuteilen. In die Aufgabe des Übersetzers sagt Benjamin: ≫ In ‚Brot‘ und ‚pain‘ ist das Gemeinte zwar dasselbe, die Art, es zu meinen, dagegen nicht. ≪ Das Gemeinte in diesem Fall ist nicht die Wahl eines Möglichen, sondern die verabsolutierte intensive Identität des Wortes , und die Art des Meinens ist die jeweils konkrete Konvergenz des Möglichen in einem Wort, die in den beiden Sprachen variiert. Die verabsolutierte intensive Identität verhält sich als Kraft, die durch das Übersetzen die ausdifferenzierten Erkenntnisse in einem Werk stets in die werdende Einheit versetzt. Diese Kraft entwickelt sich aus zwei Serien der Metaphern, nämlich des Keims oder Samen, der ≫ jenes heilige Wachstum der Sprachen ≪ zur reinen Sprache ermöglicht, und des zerbrochenen Gefäßes, das das sich überschreitende Werk in der Übersetzung und damit die potentielle Einheit und Totalität der werdenden Erkennnis über die ausdifferenzierten Erkennnisse darstellt. Dadurch versucht Benjamin, so scheint es, die unvermeidlichen Ausdifferenzierungen der Erkenntnisse in der Moderne mit dem Begriff des Werkes und der temporalen Vorstellung seines Übersetzens zu überwinden.
著者
上田 雅信
出版者
北海道大学大学院メディア・コミュニケーション研究院
雑誌
メディア・コミュニケーション研究 (ISSN:18825303)
巻号頁・発行日
vol.75, pp.1-9, 2022-03-11

Chomsky (1980/2005) suggests that generative grammar adopts what is referred to as the ”Galilean style” in physics. The purpose of this note is to clarify the nature of the “Galilean Style” in Galilean physics, as Chomsky perceives it. By scrutinizing Chomskyʼs remarks in his earlier works, I attempt to show that there are at least two notable methodological characteristics which have been focused and discussed as features of the Galilean style by Chomsky (1978/1988, 1979). They are to restrict attention to data crucial to the theory and to seek the explanatory power and depth of underlying principles. Finally, I briefly mention a few remaining issues concerning the nature of the Galilean style.
著者
鈴木 純一
出版者
北海道大学大学院メディア・コミュニケーション研究院
雑誌
メディア・コミュニケーション研究 (ISSN:18825303)
巻号頁・発行日
vol.74, pp.1-19, 2021-03-30

The purpose of this thesis is to examine the concept of a metaphor by Paul de Man. A metaphor generally seems opposed to strict thought. A thinker as Locke criticized a metaphor for its meaning. But from the angle of the self-reference Paul de Man marks the function of the metaphor. By this method he estimates a metaphor highly and develops its possibility. A metaphor involves "cutoff" and "connection" process at the same time while duplicating the meaning of the expression. In other words, a metaphor functions as inconsistent two at the same time. A language reproduces oneself by this way and does a self-controlled movement. This feature enables that a language regards itself as a metaphor. Paul de Man participates in the thinking genealogy of Nietzsche and Derrida on this point.