著者
太田 伸広 OTA Nobuhiro
出版者
三重大学人文学部文化学科
雑誌
人文論叢 : 三重大学人文学部文化学科研究紀要 (ISSN:02897253)
巻号頁・発行日
vol.28, pp.33-59, 2011-03-30

魔女はお年寄りで、ほとんどが森の中の小さな家に住んでいる。魔女の身分や職業、暮らしぶりはほとんどわからない。魔女が真珠や宝石、金銀などの宝を持っている場合は5例で少ない。魔女の魔女たるゆえんはやはり魔法を使うということである。しかし、その目的、使用の相手はほとんどが不明である。魔法の解き方も様々で一定しない。ところが、魔法という武器を持ちながら、魔女が相手に打ち勝つために魔法を用いることはない。それどころか、意外な脆さを見せ、没落する。魔女は殺人など数々の悪事を働く。そのせいか、悲惨な末路を迎える魔女が多い。魔女は山姥や鬼婆と違い、人を食わない。またグリム童話の魔女は、魔女裁判に出てくる「舞踏」、「集会」、「淫行」、箒での飛行、穀物や家畜への危害とも無縁である。さらにグリム童話の魔女は、神学の魔女規定とは違い、悪魔と結託することもない。
著者
坂本 つや子
出版者
三重大学
雑誌
人文論叢 : 三重大学人文学部文化学科研究紀要 (ISSN:02897253)
巻号頁・発行日
vol.19, pp.71-87, 2002-03-25

Oscar Wildeの三つの作品,The Importance of Being Earnest, Salome, The Selfish Giantについて,「庭」という観点から論じる。The Importance of Being Earnestでは,第一幕はロンドンのフラット,第二幕はウールトンのマナーハウスの庭,第三幕はマナーハウスの邸内が背景に設定されている。作者はShakespeareのA Midsummer-Night's Dreamを下敷きにして,宮廷の秩序に対する森の混沌,あるいはArtに対するNatureという,古典的対立概念を作品の構成に利用し,全体の秩序を統べる者として,Duchess of Bolton (舞台には登場しない)及びLady Bracknellを設定している。Salomeは聖書のエピソードと,Flaubertの短編Herodiasをもとに書かれた戯曲である。この作品には歴史と文明の集積地としての肉体が「囲われた庭」としてイメージされている。Salomeを恋する若者は彼女の肉体を「没薬(ミルラ)の園」と呼ぶ。Iokanaanは自らの身体を「主なる神の御堂」と呼ぶが,思想的純粋さに対する彼の自負は,Salomeの直観によって否定される。サロメは彼の神聖な白い身体とそそけた黒髪を「鳩や銀の百合に満ち満ちた庭園」,「茨の冠」に喩える一方,「癩病に冒された皮膚の白」,「黒葡萄を飾ったディオニュソスの髪」に喩える。このようにsalomeにおいては,聖とともに汚れや異教世界をも内包する,矛盾に満ちた複合体としての「囲われた庭」が渇仰の対象となる。The Selfish Giantは巨人の城に付属する広大な「庭」を背景に描かれている。童話の形式を取ったこの短編は,幼子の姿をしたキリストの「囲われた庭」への訪問,巨人のキリスト迫害と回心,キリストの顕現と聖痕の提示,巨人の「楽園」への昇天を描く奇跡劇(ミステリー・プレイ)である。
著者
吉田 悦子
出版者
三重大学
雑誌
人文論叢 : 三重大学人文学部文化学科研究紀要 (ISSN:02897253)
巻号頁・発行日
vol.20, pp.193-202, 2003-03-25

本稿では、日英語のパラレルコーパスとして作成された地図課題対話データを利用して、対話的談話における日英語の指示表現の分布を対照するための方法論のひとつであるセンタリング理論をとりあげ、その応用可能性について考察する。センタリング理論とは、談話における局所的な照応現象をモデル化するために提案されたものであり、英語の代名詞や日本語のゼロ代名詞が話題の中心として重要な役割を担うことを談話レベルで説明する言語モデルである。センタリング理論を対話的談話に応用する際の問題点としては、発話と発話との境界設定、対話参加者と談話内の指示対象との関係、「先行発話」の定義、談話要素を含まない発話の扱いなどが指摘されている。これらに関して具体例を提示すると共に、現時点での暫定的なベースラインの提案をおこなう。
著者
宇京 頼三
出版者
三重大学
雑誌
人文論叢 : 三重大学人文学部文化学科研究紀要 (ISSN:02897253)
巻号頁・発行日
vol.1, pp.33-47, 1984

「何たる! 何たる自然! 何たる諧謔の泉! 何たる性癖風俗の模倣! 何たる写生! 又何たる痴態の剔抉」・・・・・・慧眼な観察家ラ・ブリュイエールの的確なモリエール観である。但し、新旧論争では古典派に与したこのモラリストは、この直前にテレンシウスと並べ、苦言を呈している。「モリエールはただわけのわからぬ文句や粗野乱暴な言いまわしを避けてくれたら、即ち清醇な文を書いてくれさえしたら、よかった。」これに対して約三百年後、リセ・ヴォルテールのモリース・ブエ教授は、クラシック・ラルースの教科書版 (旧版)『モリエール滑稽選集』の序文で次の如く述べる。「ラ・フォンテーヌとともに、わが国の古典作家のなかで最も近づき易いモリエールが、何故中等教育と補充教育の初級クラスでごく自然な位置を占めているかを想起し、またモリエールを読むことが、如何に生徒たちの言葉を豊かにし、彼らの表現力を確立し、彼らの観察精神と思考力を強化し、ひいては彼らの心を形成することになるかを示す必要は殆どない。」この点に関して、ラ・ブルュイエールの判断は見事に外れたといえる。またブエ氏は笑劇の最も滑稽な場面さえも非教育的ではないとし、モリエール劇の様々な道化的場面を中心に、中等教育向けのテキストを編んでいるのである。これはモリエールという劇作家が、フランスでは如何に身近で親しまれているか、また「粗野乱暴」と批判された彼のことばが、如何にフランス語とフランス精神の形成に与っているかを示す事例のひとつであろう。ところで、これまで筆者は、拙稿『従僕論序説』で、モリエールを中心にした従僕像を検討してきたが、この大劇作家に対しては、いわば斜に構えたものでしかなかった。従僕役という覗穴、女中役という飾窓から、その舞台衣裳の一端に触れていただけのことである。本稿では、その飾窓から一歩踏込み、この Grands Ecrivains の一人に対峙してみようと思うが、もって生れた習性で、まともに大河を遡ることは他日に委ね、不取敢筆者にとって馴染んだ戸口から入ろうという次第である。今一度ラ・ブリュイエールの言を拝借しよう。「それがもう語られなくなってから数世紀の後に、果して人は、モリエールやラ・フォンテーヌを読むために、学徒となるであろうか?」モリエール死して三世紀後、それ (フランス語) がまだ語られているうちに、遅れてきた者がいたというわけである。
著者
友永 輝比古
出版者
三重大学
雑誌
人文論叢 : 三重大学人文学部文化学科研究紀要 (ISSN:02897253)
巻号頁・発行日
vol.19, pp.103-111, 2002-03-25

マーロウからすると約300年前の,ブレヒトからすると約600年前の出来事,エドワード2世が即位してから獄死するまでの出来事を,これらの作家は舞台化した。ブレヒトの『イングランドのエドワード2世の生涯』は,マーロウの『エドワード2世』の翻案である。2つの作品の間には,約330年の隔たりがあり,劇形式,言葉の使い方,台詞回し,人物像等の点で大きな違いがある。逆に,その違いから時代の違いが感じられる。マーロウはイギリスのルネッサンス期を生き,ブレヒトはドイツの激動期を生きた。したがって,それぞれの作家の,それぞれ別の時代における世界観,人間観を作品から読み取ることが出来る。ここでは,2つの作品を比較し,主な登場人物の人物像の違いを述べることにする。
著者
野中 健一 石川 菜央 宮村 春菜
出版者
三重大学
雑誌
人文論叢 : 三重大学人文学部文化学科研究紀要 (ISSN:02897253)
巻号頁・発行日
vol.20, pp.133-143, 2003-03-25

本稿では、人と生き物の関係を流動的かっ可変的なものとしてとらえ、人と生き物とが、どのように結ばれているのかということ、そこに関連する諸側面を明らかにすることを目的とした。対象地域としてフィリピン、カオハガン島を選定し、島民にとって身近な生き物であるニワトリ、イヌ、ホシムシを例に取り上げた。その結果、島民はそれぞれの生き物に対して、臨機応変に対応を変えつつさまざまな関係を成り立たせていた。それは関係そのものに対する融通性と、関係を結ぶ生物の選択に対する融通性としてとらえることができた。また、人と生き物の関係は、島の社会と大きく関わっており、人間どうしのつながりをもつくっていることが明らかとなった。さらに、人と生き物の関係の間に技能が関連していることは、それぞれの関係が、一定の型にはめられるものでなく、人と生き物の実際のふれあいにより築くことが出来るものであることを示している。
著者
塚本 明 TSUKAMOTO Akira
出版者
三重大学人文学部
雑誌
人文論叢 : 三重大学人文学部文化学科研究紀要 (ISSN:02897253)
巻号頁・発行日
vol.17, pp.1-19, 2000-03-25 (Released:2017-02-17)

近世の朝廷が発令した「触穢令」が、伊勢神宮に与えた影響の時期的変化を見ながら、近世の伊勢神宮と朝廷との関係を考察した。「触穢令」は天皇・上皇・女院の死に際して朝廷から出されるものだが、前期には江戸将軍の死もその対象となった。基本的には宮中及び京都周辺の社寺に限定して出され、朝廷行事や神事等がその間中断された。さて伊勢神宮に京都の「触穢令」が伝えられるのは宝永六年を初発とするが、これは触穢伝染を予防するためのもので、天保年間に至るまでは伊勢神宮・朝廷側ともに、京都の触穢が伊勢にも及ぶという認識はなかった。だが伊勢神宮を朝廷勢力に取り込む志向が強まるなかで、弘化三年時には朝廷は伊勢神宮の抵抗を押し切り、触穢中の遷宮作時を中断させるに至る。両者の対立の背景には、触穢間の相違に加え、神宮神官らが全国からの参宮客を重視したことがあった。
著者
塚本 明 ツカモト アキラ TSUKAMOTO Akira
出版者
三重大学人文学部文化学科
雑誌
人文論叢 : 三重大学人文学部文化学科研究紀要 (ISSN:02897253)
巻号頁・発行日
vol.21, pp.A35-A50, 2004-03-25 (Released:2017-02-17)

近世の伊勢神宮門前町の宇治・山田における、死穢への意識とそれを忌避する作法の時期的変化を考察した。死穢は神社世界の触穢体系の中核を占め、これに触れた者は厳しい行動規制を強いられた。中世以来、為政者たちの死に際して、死穢が広く遍満したとして、朝廷から京都近辺と伊勢神宮を含む関係する寺院に「天下触穢令」が発令される場合があった。だがこれとは別に、伊勢神宮が独自に、宇治・山田市中に対して発令する「触穢令」が確認できる。神宮の服忌令によれば、宮地での変死体発見、「速懸」を行わずに死体を一昼夜放置した場合、火災における焼死の発生の際に、市中一体の触穢となった。だが一八世紀初頭を画期として、宇治・山田市中への触穢令は激減する。その要因は、触穢の発生を避ける作法が発達したことにあった。火災や水害で死者が出ても、それが直接の死因ではないとしたり、届け出方に工夫をこらしたりしたのである。また、死の発生地を縄や溝で囲んで、穢れが拡散しないようにする方法も一般化していった。先例を重視する神宮も、この時期には規定通りに触穢を適用することが困難であると認識していた。山田奉行も参宮客の意向を理由に、触穢適用の軽減を命じた。しかし、触穢において物忌らが神宮長官の触穢の判定に激しく異議を唱えたように、神官達内部で解釈をめぐり争われることもあった。判定をめぐる紛議でしばしば問題にされたのが、世間の評判、風説である。触穢の判定、死穢を避けられるか否かは、神宮に対する外界からの認識が影響した。 論説 / Article
著者
塚本 明 Tsukamoto Akira
出版者
三重大学人文学部文化学科
雑誌
人文論叢 : 三重大学人文学部文化学科研究紀要 (ISSN:02897253)
巻号頁・発行日
vol.27, pp.15-34, 2010-03-28 (Released:2017-02-17)

「神仏分離」の歴史的前提として、近世の伊勢神宮門前町、宇治・山田における神と仏との関係を分析した。仏教を厳しく排除する原則を取る伊勢神宮であるが、その禁忌規定において僧侶自体を嫌忌する条文は少ない。近世前期には山伏ら寺院に属する者が御師として伊勢神宮の神札を諸国に配賦したり、神官が落髪する事例があった。神宮が「寺院御師」を非難したのは山伏らの活動が御師と競合するためで、仏教思想故のことではない。だが、寺院御師も神官の出家も、幕府や朝廷によって禁止された。宇治・山田の地では、寺檀制度に基づき多くの寺院が存在し、神宮領特有の葬送制度「速懸」の執行など、触穢体系の維持に不可欠な役割を果たしていた。近世の伊勢神宮領における仏教禁忌は、その理念や実態ではなく、外観が仏教的であることが問題視された。僧侶であっても「附髪」を着けて一時的に僧形を避ければ参宮も容認され、公卿勅使参向時に石塔や寺院を隠すことが行われたのはそのためである。諸国からの旅人も、西国巡礼に赴く者たちは、伊勢参宮後に装束を替えて精進を行い、一時的に仏教信仰の装いを取った。神と仏が区別されつつ併存していた江戸時代のあり方は、明治維新後の「神仏分離」では明確に否定された。神仏分離政策は、江戸時代の本来の神社勢力から出たものではなかった。 裏表紙からのページ付け
著者
友永 輝比古
出版者
三重大学
雑誌
人文論叢 : 三重大学人文学部文化学科研究紀要 (ISSN:02897253)
巻号頁・発行日
vol.22, pp.141-145, 2005-03-31

1919年作の『小市民の結婚式』(茶番劇)は上演して成功すると思えるような作品ではありません。同じ年に書かれた『夜打つ太鼓』が1922年にクライスト賞を受賞し、何度も上演されましたが、それと比べると目立たない作品です。しかし、21歳の大学生ブレヒトが、小市民の無思想にして無内容な生き方に疑問を感じて、その俗物性と精神的堕落を暴露したことに、驚きを感じます。そればかりか、単なる暴露劇ではなくて、小市民の俗物性を笑いの対象にしたところに、この作品の良さがあります。ブレヒトは資産家の息子ですから、自ら笑いながら小市民層と決別した、と言えるかも知れません。彼が大学時代を過ごした当時のドイツの社会情勢を概観するなかで、この作品を考えてみたいと思います。