著者
石田 晋司
出版者
四天王寺大学院
雑誌
四天王寺大学大学院研究論集 (ISSN:18836364)
巻号頁・発行日
no.12, pp.5-18, 2018-03-20

地域自立支援協議会は、障害者支援のネットワーク構築ために中心となり活動することが期待される機関である。大阪市は、区地域自立支援協議会に参画し地域における相談支援体制の中核的な役割を障がい者相談支援センターに課している。現在では、24 区全区に障がい者相談支援センターを中心とした区地域自立支援協議会が設置されている。そこで、区地域自立支援協議会や地域における障害者支援の現状と課題を把握するために、障がい者相談支援センターの職員にインタビュー調査を行った。 結果は、【活動推進の条件】【活動の膠着】【連携困難な事業者の増加】のコアカテゴリーが生成され、行政が参画している組織の受け入れられやすさを活用して、意欲的に障害者福祉支援の周知を行っている状況、制度的課題、地域の事業所の意識の変化などが明らかになった。
著者
姜 美香
出版者
四天王寺大学大学
雑誌
四天王寺大学大学院研究論集
巻号頁・発行日
no.11, pp.93-113, 2017-03-20

ベトナムにおける介護分野の技能実習生確保への取り組みに向けてベトナム・ハノイにおける送り出し機関4 か所を対象に現地訪問ヒアリング調査を行った。その結果、日本語教育内容及び日本語レベルについては、最低1 カ月から最大6 カ月までのベトナム人講師による日本語教育を実施しており、教育方法はテキストやDVD を使用していた。技術的な教育は、経済連携協定( EPA )による送り出し機関としての経験を持つ場合には、機関内に実習室を設けていたが、小規模の送り出し機関の場合には日本語教育のみを機関内で実施、技術的な教育は外部機関へ委託していた。学生の9 割以上が今後日本への外国人介護労働者としての受け入れを希望しており、高卒の学生が一番多かった。この学生たちの主な目的は出稼ぎであり、送り出し機関側も今後介護分野における外国人技能実習生の送り出しができることを強く希望していた。しかし、ベトナムにおいてはまだ「介護」の概念が根付いてないため、介護の仕事といっても看病人をイメージする場合が多く、今後介護分野での外国人技能実習生が活躍するためには介護に関する概論などの基礎的知識の修得だけでなく日本の介護現場での実習も必要不可欠であることが明らかになった。
著者
鎌谷 勇宏
出版者
四天王寺大学
雑誌
四天王寺大学大学院研究論集
巻号頁・発行日
no.11, pp.81-92, 2017-03-20

ソーシャルインクルージョンの議論に奥行きを持たせるため、属性と社会政策的貧困論をキーワードにして社会保障の歴史を再検討した。現在、社会保障や社会政策において主要なテーマとして掲げられているソーシャルインクルージョンは属性分類を極力行わない方向で制度化されていることに対して、社会保障発展の歴史はいかに属性を分類し制度対象として含めていくかの歴史であった。歴史を長い目で概観すると、属性分類制度から非属性分類制度に変化したことになるが、この過程やその特徴を明らかにするためイギリス新救貧法(1834)の分析を行った。 その結果、14 世紀から18 世紀末までは静学的属性分類が制度発展を牽引し、18 世紀末には動学的属性分類も行われるようになった。しかし1834 年の新救貧法制定段階になると、属性ではなく社会政策的貧困論が社会保障政策に大きな影響を及ぼしたことを明らかにした。
著者
田原 範子
出版者
四天王寺大学大学院
雑誌
四天王寺大学大学院研究論集 (ISSN:18836364)
巻号頁・発行日
no.12, pp.49-66, 2018-03-20

国立ハンセン病療養所「松丘保養園」に暮らす滝田十和男さんのライフヒストリーである。滝田十和男さんは、1925(大正14)年、福島県で生まれた。10 歳の頃にハンセン病を発症し、1937(昭和12)年9月21 日、12 歳の時、同じくハンセン病を発症した父親と一緒に警察に付き添われて強制的に北部保養院に入所した。その後、療養所内の小学校を卒業し、患者の介護や療養所内のさまざまな仕事に従事した。療養所を飛び出し外で行商をしたり、精密機械工組み立ての仕事をしたりした後、手足の麻痺が進んだこともあり、東北新生園へと再入所し、戦争中の厳しい時を生き抜き、知り合いを頼って再び松丘保養園に戻った。若い頃に「生きた証として形に遺せるものは短歌くらいしかない」と始めた短歌は、その才能を認められて、北部保養院で初めて1956 年に歌集を出版することになった。歌人であり、俳人でもあった。松丘ではプロミン獲得運動の委員、盲人会の書記、カトリック教会信徒会の世話役なども務めた。 滝田さんは私たちの来訪を快く受け入れ、体調を気にする看護師や職員の心配をよそに、自身の経験や療養所のできごとを語った。その記憶の鮮明さ、語る言葉の芳醇なことに私たち聞き手は驚いた。聞き取り時間は、2015 年9 月2 日に1 時間30 分、9 月3 日に52 分であった。聞き手は、平田勝政1)、和田謙一郎2)、田原範子3)である。聞き取り時点で滝田十和男さんは90 歳であった。その後、2016 年2 月2 日に1 時間10 分、2 月3 日に4 時間15 分の聞き取りを行った。聞き手は平田勝政、田原範子であり、いずれも病棟の待合室で行った。滝田さんの語りからは常に、今、生きていることへの感謝、人間が生きることへの敬意が感じられた。それは、「療養所にいて、ほんとにかわいそうな人生送ったっていう風に思われるかもしれないけども、療養所は療養所なりに、やっぱり人間の生きる社会ですから、生きた社会ですから、それなりにね。やっぱり人間として生かしてもらってありがたいなー」という言葉に凝縮されている。聞き取りはIC レコーダーで録音し、後日、松下かおり(四天王寺大学卒業生)が音声を文字データとし、田原が最終チェックを行った。 滝田十和男さんは2016 年8 月17 日、91 歳で永眠された。松丘保養園の川西園長によれば、8 月19 日に園内の松丘カトリック教会で告別ミサが執り行われた。福島から数名の親族が来て、交流のあった人びとや入所者、職員が多数参列して滝田さんに相応しいとてもよい告別式だったという。2016 年2 月2 日、平田と田原は、納骨堂のなかの滝田さんの骨壺を拝むことができた。本稿では、2015 年9 月の聞き取り調査にもとづいてライフヒストリーを記す4)。
著者
愼 英弘
出版者
四天王寺大学大学
雑誌
四天王寺大学大学院研究論集
巻号頁・発行日
no.11, pp.5-21, 2017-03-20

"本稿は、古代から現代までの障害者の歴史の変遷を、「共に生きる」という視点で分析したものである。 前近代(古代・中世・近世)においては、障害者の一部は排除されていたことがあったとしても、それは副次的な状況であり、本質的には障害者と健常者は「共に生きる」状況が一般的であった。 近代(明治以降)に入っておよそ80 年間は、「共に生きる」という状況が崩壊し、競争を中心にした社会になったため、障害者は本質的には排除される状況であった。 現代(第二次世界大戦が終結してから今日まで)においては、競争社会の問題点はまだまだ残っているものの、「共に生きる」社会の構築が国をあげて目標になっている。その「共に生きる」は前近代におけるそれとは異なり、人権尊重に裏打ちされた高次の段階の“共に生きる”社会である。"
著者
近藤 祐昭
出版者
四天王寺大学
雑誌
四天王寺大学大学院研究論集 (ISSN:18836364)
巻号頁・発行日
no.10, pp.23-58, 2016-03-20

日本のハンセン病療養所は、明治以後欧米から日本に布教にやってきたカトリックの神父およびプロテスタントの宣教師などによって始められた。日本における患者のおかれた過酷な現実に出会い、患者への強い共感を持ち、救済と共生を求めていった。 その後、法律が制定され、公立療養所の設立へとつながっていった。しかしその中で、「共感・共生」は後退していき、「国民への感染予防」が主となり、「隔離撲滅」や「民族浄化」が強調されていった。 日本のハンセン病療養所の原点であった「共感・共生」について、綱脇龍妙と「身延深敬病院」を主として振り返ってみることにした。
著者
西田 宏太郎
出版者
四天王寺大学
雑誌
四天王寺大学大学院研究論集
巻号頁・発行日
no.11, pp.163-193, 2017-03-20

発達障害児を育てる親にとって、「障害受容」とはなんなのか。親子を支援していく支援者ですら共通した回答をすることのできないものを支援の目標にすることはできないと考え、障害受容を定義づけるための研究を行った。 親の障害受容のモデルとなっている三つの先行研究から、それぞれの特徴や共通点を分析した文献研究と、障害者本人とその家族に対して障害受容のイメージを調査したアンケート調査の二つから「障害受容とはなんであるか」を明らかにした。
著者
渡邉 泰夫 笠原 幸子
出版者
四天王寺大学大学院
雑誌
四天王寺大学大学院研究論集
巻号頁・発行日
no.12, pp.151-163, 2018-03-20

〔目的〕主体的に学ぶ介護福祉士の職業的アイデンティティの形成過程を明らかにすることを目的とする。〔方法〕主体的に学ぶ介護福祉士6 人の協力を得てLife-line Interview Method に基づく半構造化面接を行い、M-GTA を用いて分析した。〔結果〕主体的に学ぶ介護福祉士の職業的アイデンティティ形成過程は、《省察の深化に伴う葛藤》《"如何に自分で勉強するか"》《介護福祉研究を介した"やればできる感覚"の高まり》《職業的アイデンティティの探求》《社会福祉実践者という職業的アイデンティティへの帰結》という5 カテゴリーから構成された。〔結論〕専門職制度を超越した職業的アイデンティティの形成には隣接領域の資格取得に関連した学びが重要でありながらも、単なる資格取得ではなく"ふりかえり"が契機となっていることが示唆された
著者
原 順子
出版者
四天王寺大学大学
雑誌
四天王寺大学大学院研究論集
巻号頁・発行日
no.11, pp.39-51, 2017-03-20

手話をコミュニケーション手段とする聴覚障害者には、独自の文化としてろう文化( Deaf Culture )があるといわれている。このろう文化を基盤とする文化モデルアプローチは、聴覚障害者を従前の医学モデルや病理モデルといった聴文化からの視点ではなく、ろう文化視点での障害者観により、聞こえないことをポジティブに捉えることができると考える。本稿では、ろう文化が聴覚障害者にとって重要な捉え方であることを、先行研究のレビューにより明確にする。また、文化モデルアプローチで聴覚障害者を捉えることで、ネガティブな捉え方がポジティブに転換できることを示し、文化モデルアプローチの有効性を明らかにする。
著者
愼 英弘
出版者
四天王寺大学大学
雑誌
四天王寺大学大学院研究論集
巻号頁・発行日
no.11, pp.5-21, 2017-03-20

"本稿は、古代から現代までの障害者の歴史の変遷を、「共に生きる」という視点で分析したものである。 前近代(古代・中世・近世)においては、障害者の一部は排除されていたことがあったとしても、それは副次的な状況であり、本質的には障害者と健常者は「共に生きる」状況が一般的であった。 近代(明治以降)に入っておよそ80 年間は、「共に生きる」という状況が崩壊し、競争を中心にした社会になったため、障害者は本質的には排除される状況であった。 現代(第二次世界大戦が終結してから今日まで)においては、競争社会の問題点はまだまだ残っているものの、「共に生きる」社会の構築が国をあげて目標になっている。その「共に生きる」は前近代におけるそれとは異なり、人権尊重に裏打ちされた高次の段階の"共に生きる"社会である。"
著者
姜 美香
出版者
四天王寺大学大学
雑誌
四天王寺大学大学院研究論集
巻号頁・発行日
no.11, pp.93-113, 2017-03-20

ベトナムにおける介護分野の技能実習生確保への取り組みに向けてベトナム・ハノイにおける送り出し機関4 か所を対象に現地訪問ヒアリング調査を行った。その結果、日本語教育内容及び日本語レベルについては、最低1 カ月から最大6 カ月までのベトナム人講師による日本語教育を実施しており、教育方法はテキストやDVD を使用していた。技術的な教育は、経済連携協定( EPA )による送り出し機関としての経験を持つ場合には、機関内に実習室を設けていたが、小規模の送り出し機関の場合には日本語教育のみを機関内で実施、技術的な教育は外部機関へ委託していた。学生の9 割以上が今後日本への外国人介護労働者としての受け入れを希望しており、高卒の学生が一番多かった。この学生たちの主な目的は出稼ぎであり、送り出し機関側も今後介護分野における外国人技能実習生の送り出しができることを強く希望していた。しかし、ベトナムにおいてはまだ「介護」の概念が根付いてないため、介護の仕事といっても看病人をイメージする場合が多く、今後介護分野での外国人技能実習生が活躍するためには介護に関する概論などの基礎的知識の修得だけでなく日本の介護現場での実習も必要不可欠であることが明らかになった。
著者
柏木 龍二
出版者
四天王寺大学
雑誌
四天王寺大学大学院研究論集
巻号頁・発行日
no.11, pp.149-162, 2017-03-20

介護保険法に位置づけられている通所介護事業所は、比較的良好な労働環境であることが推測できるにも関わらず、定着率が低い実態に疑問を抱いた。本研究では正規介護職員に焦点を当て、職場定着に関連する要因を明らかにすることを目的とした。 質的調査にもとづきその文脈の意味解釈や調査対象者の語りを通して分析した結果、全部で20 の概念を析出し、それらを4 つのカテゴリーに集約することができた。働き続けるということは、【揺らぎ・葛藤期】、【動機づけ期】、【定着期】を行ったり来たりすることだと推測された。【揺らぎ・葛藤期】から次のステップへ移るためのエネルギーとして【福祉職に対する肯定感】が存在すると考えられる。
著者
坂本 光德
出版者
四天王寺大学大学院
雑誌
四天王寺大学大学院研究論集 (ISSN:18836364)
巻号頁・発行日
no.12, pp.93-104, 2018-03-20

韓国の公的扶助制度の大きな改革は、2000 年施行の国民基礎生活保障法であった。扶助の種類など日本の生活保護法と類似する点も多い制度であるが、改正を繰り返して2015 年にはそれまでのパッケージ方式の給付から各扶助の個別給付への大きな転換も果たしている。 その中で、国民基礎生活保障法の対象である生活困窮者を経済的理由等で文化芸術に触れる機会が少ない文化疎外階層と呼び、その人々の文化的な生活を送ることを支援することを目的に文化利用券制度が2004 年から展開されてきた。2017 年現在その文化利用券は「文化ヌリカード」として発行され、生活困窮者160 万人以上が利用している。 本論では文化利用券制度の概要と展開を明らかにして、日本の生活困窮者対策に示唆できることを検討する。
著者
原 順子
出版者
四天王寺大学大学院
雑誌
四天王寺大学大学院研究論集 (ISSN:18836364)
巻号頁・発行日
no.12, pp.33-48, 2018-03-20

聴覚障害は外見では分からない障害であり、また聞こえ方、失聴時期等の多様な障害実態があり、かつ誤解を受けやすい障害であるといわれている。そこで日頃から聴覚障害者のコミュニケーション保障および情報保障に携わる手話通訳者を対象に、聴覚障害者についての障害認識を問う調査を実施した。その結果、コア・カテゴリーとして出現数の多い順に、【聴覚障害者独自のコミュニケーション】【聴覚障害は情報アクセス障害】【ろう文化は聴覚障害者の独自の文化】【理解困難な障害】【オーディズム:聴者至上主義】【手話コミュニケーションの特徴】の6 つが生成された。【聴覚障害者独自のコミュニケーション】【聴覚障害は情報アクセス障害】の出現数が多いのは、手話通訳という業務上の理由からであることは推測できる結果である。また、【ろう文化は聴覚障害者の独自の文化】が生成されたことは、わが国においてもろう文化の理解が定着してきているという実態が明らかとなった。
著者
濵名 元之
出版者
四天王寺大学
雑誌
四天王寺大学大学院研究論集 (ISSN:18836364)
巻号頁・発行日
no.14, pp.56-76, 2020-03-20

本稿では障害者に対する就労支援の観点から、特別支援学校高等部における進路指導実践に着目した。現在、発達障害を主とした障害の多様化が、知的障害を対象とする特別支援学校に対する教育的支援を中心としたニーズの多様化と深く結びついている。そこで、筆者はニーズの多様化が高等部生徒に対する現在の進路指導にどのような影響を及ぼしているのか、現状を把握するため、特別支援学校高等部の進路指導と特別支援教育に関する調査を実施した。生徒の「在学中」と「卒業後」の進路指導・支援を担う特別支援学校高等部の進路指導は、教育と福祉、就労支援という複数の要素が混在していることが把握できた。また、進路指導において中心的担い手となる者は「進路指導教諭」であった。この研究の調査内容と関連する文献を確認しつつ、特別支援学校高等部における進路指導は、在籍する生徒に対してこれまでいかなる役割を果たしてきており、今後、進路指導においていかなる専門性が期待されるのか、課題を探り検討と分析を行った。 なお、本稿は平成30 年度四天王寺大学大学院に提出した修士論文の一部を再編集し、大幅に加筆修正したものである。
著者
横山 順一
出版者
四天王寺大学大学
雑誌
四天王寺大学大学院研究論集
巻号頁・発行日
no.13, pp.25-39, 2019-03-20

この研究は、住民参加型福祉サービスのマンパワーに関する課題に焦点をあて、地域外の社会資源の活用の可能性を論じている。現在、介護保険法改正で制度上地域支援事業の中に住民参加型福祉サービスが位置付けられているが、その担い手は高齢化と減少化という問題を抱えている。これらの原因を生み出す原因として、地域の連帯意識が希薄化した結果、次世代の育成が進んでいないことが考えられる。また、低い報酬と充実感が活動参加の動機づけにならなくなり、人材確保が困難になったことも一因である。 これらの問題を解決するための提案として、大学における課題解決型学習と地域貢献による地域外の担い手の活用に注目した。大学が関わることで、大学生が地域課題と直面できること、地域課題の解決に対して専門知識をもつ担い手になることができる可能性について指摘した。
著者
和田 謙一郎
出版者
四天王寺大学
雑誌
四天王寺大学大学院研究論集 (ISSN:18836364)
巻号頁・発行日
no.11, pp.53-79, 2016

この国で類を見ない人権侵害を継続し続けたハンセン病(らい)問題については、司法判断までの経緯や当事者(ハンセン病回復者)らの考え方について、似た分類に入る他の訴訟との相違点を感じる部分が多い。この素朴な疑問を解決するためには、戦後の現行憲法下のらい法制と、当初から強制隔離の対象となった療養所入所者の生活状況、そして、らい法制を含むわが国の国民の生活保障を担う社会保障法制について、一連のらい法制を旧来の保護と考えるか、侵害法制と考えるか、あるいは給付法制と考えるか、それら各法制を時代別相互に確認する必要がある。同時に、戦後に再形成されるハンセン病患者らへの社会的排除と、社会保障法制下の制度的排除が生じる原因の解明も必要となる。本稿は、戦後の時代背景を捉え、らい法制と社会保障法制の変遷も確認し、行政・立法、そしてハンセン病患者らが、戦後のらい法制を、その時代、その時代にどのように捉えていたかを司法判断を参考にし先の疑問の解明を試みる。