1 0 0 0 IR イドラと知性

著者
北村 浩一郎
出版者
川村学園女子大学
雑誌
川村学園女子大学研究紀要 (ISSN:09186050)
巻号頁・発行日
vol.4, no.1, pp.1-12, 1993
著者
松井 洋 中村 真 堀内 勝夫 石井 隆之
出版者
川村学園女子大学
雑誌
川村学園女子大学研究紀要 (ISSN:09186050)
巻号頁・発行日
vol.18, no.1, pp.109-122, 2007-03-15

日本とトルコの中学生,高校生,大学生,親,3820人を対象に,恥意識について調査を行い,日本とトルコの文化比較と世代間比較を行った。親に対する質問項目の因子分析の結果,「他律的恥意識」,「他者同調的恥意識」,「自律的恥意識」の3因子を抽出した。この3因子構造は,生徒とほぼ同一であった。この3因子を基に層別の分散分析の結果,3つの恥意識について,グループ間に有意な違いがあった。自律的恥意識は,トルコの父母とトルコの中学生女子,それに日本の母が高く,日本の若年層で低い。他律的恥意識は,おおむね,大人,女子,男子という順になった。他者同調的恥意識は,日本の女子とトルコの中学生が高く,日本の父親が最も低かった。以上のことから,恥意識の強さは文化と世代によって質的に異なると言える。つまり,世代や文化によって,恥を感じる場面が異なる。日本の親は,自律的恥意識と他律的恥意識が強く,子どもは他者同調的恥意識が強い。また,女子は他律的恥意識と他者同調的恥意識が男子より強い。このようなことは,日本の若年層で問題行動を抑止する恥意識が弱いことを示している。このことは,わが国における恥意識の質が変容した可能性を示していると考えられる。
著者
中村 真 川野 健治
出版者
川村学園女子大学
雑誌
川村学園女子大学研究紀要 (ISSN:09186050)
巻号頁・発行日
vol.13, no.1, pp.137-149, 2002
被引用文献数
1

神障害者に対する偏見の実態について女子大学生を対象に質問紙調査を行った。主な調査内容は, 精神障害者との接触経験, 態度および社会的距離であった。その結果, 女子大学生の精神障害者との接触経験は非常に少なかった。また, 精神障害者に対する態度は両価的であった。すなわち, 一般論としては受容的`理解的である反面, 個人としては不安に満ちており, 忌避的な面がうかがえた。次に, 接触経験, 社会的距離, 態度の相互の関連から, 直接・間接を問わず, 彼らに対する積極的かつ能動的な接触経験が精神障害者との社会的距離を縮めることを示唆した。しかし, 精神障害者に対する態度は必ずしも直接的な接触によって肯定的に変容するわけではなく, むしろ間接的ではあっても彼らに対する接触志向や関心の高さが否定的な態度の低減につながることがわかった。さらに, 否定的な態度と社会的距離の大きさとの関連が見いだされた。
著者
北原 靖子
出版者
川村学園女子大学
雑誌
川村学園女子大学研究紀要 (ISSN:09186050)
巻号頁・発行日
vol.18, no.1, pp.97-108, 2007

心理学科学部二年次生対象の科目「基礎実験演習」の一部として,行動観察法の学習案を考案し試行した結果について検討した。本学習案では,嘘発見という面白いが難しいテーマを取り上げ,探偵ゲーム形式に仕立てて導入した。名探偵を目指して「何を・どのように」観察すればよいのか模索する体験を通して,観察指標を的確かつ客観的に設定するにはどのような考慮が必要なのかを理解することを主たる目的とした。さらに,客観性を保証するために考案された既存の工夫(判定一致率)についても紹介した。また,独自に予想を立てる,材料を決定する,協力者をお願いするなど,他にも学生自身が主体的に動くための仕掛けを盛り込んだ。その適用結果として,ある班Xにおける実施の経過を追ってみたところ,教材としては十分関心を呼んだものの観察法ならではの醍醐味を味わってもらうにはさらに課題が残ることが示された。今後はねらいをもっと絞り込み,基本面の達成をしっかり確保する工夫が必要であろう。
著者
篠田 功 本郷 健 本村 猛能
出版者
川村学園女子大学
雑誌
川村学園女子大学研究紀要 (ISSN:09186050)
巻号頁・発行日
vol.9, no.2, pp.17-36, 1998

情報リテラシーとメディア・リテラシーは, もともと「読み書き能力」の意味する"Literacy"から生まれた。このリテラシーは, すべての人が身につけるべき基礎的能力という意味を持つようになって, 「読み書き」に算が加わり, 3R'sとなった。それらはさらに, 生活や職業に関わる基礎的能力として発展し, 高次の認知的能力にまで拡大する。情報リテラシーやメディア・リテラシーはその延長上にある能力で, 今世紀の終わりになってもたらされた情報爆発ともいうべき社会の実状を反映するものである。情報リテラシーとメディア・リテラシーは, 情報とメディアに対応するものであり, 情報やメディアに関する理解・操作・判断・選択・表現などの能力や, さらに情報の探索・評価などの能力までも含むと見られる。しかし, 現状では, それらの総合的検討は必ずしも十分でないようであり, これからの課題と考えられる。またもう一つは, 発達段階や教育内容に応じて, 特定のリテラシーを焦点化したカリキュラム開発であり, その検討を課題としたい。
著者
坂口 早苗 坂口 武洋
出版者
川村学園女子大学
雑誌
川村学園女子大学研究紀要 (ISSN:09186050)
巻号頁・発行日
vol.16, no.1, pp.113-132, 2005-03-15

最近になって,少子高齢化の進行,夫婦共稼ぎ家庭の一般化,家庭・地域の養育機能の低下などによって,子育て環境が変化し,育児不安などからくる,児童虐待に関する事件が急増している。したがって,家庭内での児童虐待は,かつて考えられていたような稀な現象ではなく,どこの家庭でも起こる可能性のある現象となってきたのである。児童虐待には,身体的虐待(乳児揺さぶられ症候群,代理ミュンヒハウゼン症候群など),ネグレクト(身体的ネグレクト,情緒的ネグレクトなど),性的虐待(身体的接触のある虐待,身体的虐待をともなわない虐待),心理的虐待(言語的虐待,非言語的虐待)および受動喫煙による虐待などがある。これらを説明し,虐待が生じる要因を分析した。また,虐待問題にかかわるためには,まず血縁でも虐待は起こり得るなどの価値観の転倒や被虐待児の挑発に乗らないなどの知識を要する。援助を受けることが苦手な家族の人たちを上手に援助する力量を備えた人材の養成が急務である。
著者
尾見 敦子
出版者
川村学園女子大学
雑誌
川村学園女子大学研究紀要 (ISSN:09186050)
巻号頁・発行日
vol.5, no.2, pp.61-76, 1994

Children sing their original song-like sounds more often than has been thought. Their singing extends from uttering music-like sounds to reproducing prelearned songs. The aim of my study is to explain the process of children's sound-organizing behavior and to explore the origin of their musical behavior. I define spontaneous singing behavior as follows : sound-organizing behavior with voiced sounds, which spontaneously starts and ends. I'm excluding mere reproduction of prelearned songs. I'm using data from children 2 to 4 years of age. I classified singing behavior into four types, not from the viewpoint of sound, but from the viewpoint of the motive of singing and content of the song. A child sings a message because he wants to communicate ("Message Song"); he sings an imaginative story as he wants to put himself in an imaginative play ("Story Song"); he sings about some emotion as he wants to express this emotion ("Keyword Song"); or he sings the sound itself as he wants to enjoy sound-formation ("Syllable Song"). Their improvisational songs are usually well-organized like music is. Each song has a form. Songs are produced from component to unit, and to phrase. Language is the predominant factor in each stage. Various devices, such as "rise and fall of pitch", "syllable manipulation", etc. work as the sound-forming rules. Another musical device for song-production is "to borrow prelearned songs". I believe that it is important for educators to incorporate this spontaneous musical behavior into their formal music education.Children sing their original song-like sounds more often than has been thought. Their singing extends from uttering music-like sounds to reproducing prelearned songs. The aim of my study is to explain the process of children's sound-organizing behavior and to explore the origin of their musical behavior. I define spontaneous singing behavior as follows : sound-organizing behavior with voiced sounds, which spontaneously starts and ends. I'm excluding mere reproduction of prelearned songs. I'm using data from children 2 to 4 years of age. I classified singing behavior into four types, not from the viewpoint of sound, but from the viewpoint of the motive of singing and content of the song. A child sings a message because he wants to communicate ("Message Song"); he sings an imaginative story as he wants to put himself in an imaginative play ("Story Song"); he sings about some emotion as he wants to express this emotion ("Keyword Song"); or he sings the sound itself as he wants to enjoy sound-formation ("Syllable Song"). Their improvisational songs are usually well-organized like music is. Each song has a form. Songs are produced from component to unit, and to phrase. Language is the predominant factor in each stage. Various devices, such as "rise and fall of pitch", "syllable manipulation", etc. work as the sound-forming rules. Another musical device for song-production is "to borrow prelearned songs". I believe that it is important for educators to incorporate this spontaneous musical behavior into their formal music education.
著者
松原 由枝
出版者
川村学園女子大学
雑誌
川村学園女子大学研究紀要 (ISSN:09186050)
巻号頁・発行日
vol.16, no.1, pp.1-26, 2005-03-15

本論文は人格投影法であるソンディ・テスト(Szondi-Test:正式名称。実験衝動診断法:Experimentelle Triebdiaenostik)について次の項目に関し検討・考察されたものである。第1章ではソンディ・テストの実際についてその施行方法を呈示し,次いで本テスト分析解釈上最も重要な4衝動領域(衝動ベクター)と8衝動要因(衝動ファクター)の理解方法についてソンディの衝動概念を踏まえて論じ,本テストの施行方法の特徴とそのねらいについての理解をはかった.第2章ではレオポルド・ソンディ(Leopold Szondi, 1893-1986)と彼の構築した運命分析学(Schicksalsanalyse)について論じた。具体的内容はソンディの生涯と研究領域を発端とし,ソンディの学説に多大な影響を及ぼした個人的な3つのエピソードを解説し,ソンディの学説の概観とその整理をはかった。第3章ではソンディ・テストのわが国における研究の歴史と変遷について過去の研究動向(1956年から現在まで)を整理し,本テストの臨床心理学における位置づけを明確にし,本テストに今後の心理臨床が期待する要因について触れた。第4章では筆者が今まで行ってきた,ソンディ・テストを用いた治療的事例研究から得られた知見をもとに,本テストの心理臨床における治療的活用の意義・効果・限界について考究した。
著者
北村 浩一郎
出版者
川村学園女子大学
雑誌
川村学園女子大学研究紀要 (ISSN:09186050)
巻号頁・発行日
vol.13, no.1, pp.169-187, 2002

21世紀の高度に文明化された社会で有意義に生きることはきわめて困難である。確かに, 便利で快適な社会ではあるが, それだけを追い求めていたのではとても充実した本来の人間的な生活は望めない。一方, 情報の氾濫する中で適切な情報を選択し活用するのも容易ではない。情報の洪水の中で目先の利便のみを追求していては, やはり人間らしい生活は望むべくもない。このような状況において, 充実した生きがいのある生活を送るためには, 優れた見識と的確な判断力を身に付けていなければならない。本論では, このような観点から, モンテーニュ, デカルト, ベルクソンそれぞれのボン・サンス(良識)を取り上げ, 比較検討しながら, 今日におけるわれわれの正しい生き方在り方を考察する手がかりを得たい。
著者
梅澤 嘉一郎
出版者
川村学園女子大学
雑誌
川村学園女子大学研究紀要 (ISSN:09186050)
巻号頁・発行日
vol.19, no.1, pp.129-147, 2008

平成10年度入学者より,小学校並びに中学校の教諭の普通免許状授与する者に特別支援学校2日間,社会福祉施設5日間の計7日間の介護等体験が義務づけられた。本研究では,平成18年度の体験結果を事前及び事後に体験学生からのアンケート及び体験実施報告書から体験実施にともなう問題点を明らかにし,今後の事前指導にいかしていくことを目的とする。体験前の不安感等については,「体験意欲感」,「知的興味感」,「利用者との関り不安感」,「生活常識不安感」は他大学とほぼ同じ結果であったが,「体験混乱不安感」は他大学より9.4ポイント低く,逆に「失敗不安感」は,14.2ポイント高いことが明らかにされた。この改善策として,体験開始日がオリエンテーション実施の体験先につき,事前に見学やボランティア等の事前体験が他大学に比較して必要と思われる。次に事後の達成感では,「体験全体」では,達成感は85%であり,「ある程度えられている」。達成項目別では,「介護業務」,「自己覚知」は共に92.5%であったが,続いて「利用者理解」が90%,「福祉理解」が87.5% ,「職員理解」や「体験支援」は82.5%となっており,主たる体験目標としての「介護業務,」「自己覚知」は,かなり達成されている。施設種別では,障害者施設が85% ,老人施設が82.5%で達成感が高かった。但し,介護業務で,達成感が低い順に知的障害者更生施設62.5%,宅老所75%で低い。個々の達成項目では,「福祉理解」,「自己覚知」,「利用者理解」では同じ達成感であったが,「職員理解」,「体験支援」では,障害者施設の方が高齢者施設より20ポイント達成感が低いことが明らかにされた。「利用者理解」では,宅老所が81.3%で一番低く,続いて,身体障害者小規模通所授産施設,知的障害者通所更生施設が共に82.5%で低い。以上の調査結果並びに学生からの介護等体験実施報告書を加味して検討した結果,達成感が低い施設は,重度の障害のある利用者が多いが,職員の手が薄いために介護に追われ,体験学生に対する指導への時間の捻出が難しいこと,高齢者の施設では認知症の高齢者への手がかかり,学生も対応が難しいこと等が原因と考察される。(表10参照)以上から,障害者施設では,重度の障害者への対応,高齢者施設の内,宅老所,老人デイサービスセンターでは認知症高齢者の割合が高いことから,事前見学を含めた事前指導が必要である。また,老人デイサービスセンターの体験施設全体に占める割合が46%と高く,認知症対策に偏重傾向になりがちであったが,今後は,重度障害者への対応についても十分に事前指導していくことが必要であることが明らかにされた。(表2,図3参照)
著者
野尻 裕子
出版者
川村学園女子大学
雑誌
川村学園女子大学研究紀要 (ISSN:09186050)
巻号頁・発行日
vol.15, no.1, pp.169-178, 2004-03-15

わが国には明治期に多くの西洋文化が移入された。近代欧米公園もその一つで,明治36年に開園した日比谷公園は従来の日本型公園を欧米型公園へ転換した画期的な公園といわれている。またそこに設置された児童用遊び場は,東京における初めての近代的児童公園とされている。本稿では,昭和初期に記された日比谷公園児童公園指導員末田ますの資料(『児童公園』昭和17年)から,当時の児童公園の存在の意味と指導員の役割を,健康観という視点から検討した。その結果,戦局下において「国民の体力強化」というスローガンが国中に鳴り響いていた昭和初期には,子どもの遊び場である児童公園もその対象となっていたと考えられる。また母子厚生運動を経験する場としても児童公園は存在していた。単に「子どもが遊ぶ場所」にとどまらず,子どもの遊びに母親が参加する中で,厚生指導を行うことが有効な手段と考えられており,その際の指導員の役割は大きかったと思われる。
著者
鍾 清漢
出版者
川村学園女子大学
雑誌
川村学園女子大学研究紀要 (ISSN:09186050)
巻号頁・発行日
vol.11, no.2, pp.147-176, 2000-03-15

中国大陸でも,台湾でも,客家の人口は決して多くはないが,なぜか多方面に人材を輩出している。中華人民共和国で一1一も尊敬されている中華民国の国父・孫父と,革命に情熱をかけ,若き血を流した黄花山岡七十二烈士の半数以上は客家であった。中国史上はじめて直接選挙で選ばれた台湾総統の李登輝,中国を改革開放に導いた〓小平,シンガポール建国の父,李光耀(リーグァンユー),及び現首相の呉作棟(ゴーチョクトン),フィリピンのコラソン・アキノ元大統領はみな客家の血が流れている。台湾最大野党の前主席・許信良も台湾中歴出身の客家である。そして毛沢東とともに中華人民共和国をつくった朱徳,中国の前首相・李鵬,現首相・朱鎔基,副首相・鄒家華,前共産党総書記・胡耀邦,前国家主席・楊尚昆,四人組打倒の葉剣英元帥等,現在の中国の政治リーダーにも,客家出身者がきら星のごとく肩を並べている。また,歴史上の人物にしても,唐の名宰相・張九齢,名将・郭子儀,宋の兵飛,朱熹,欧陽修,文天祥,明の王陽明,袁崇煥,明末の遺臣で徳川光圀公の師匠として儒学を教えた朱舜水,清の洪秀全,楊秀清,石達開,黄遵憲,台湾抗日義士の唐景〓,劉永福,丘逢甲,呉湯興,徐驤,羅福星,清末抗清義士の鄒容,温生才,朱執信,廖仲〓らはみな客家の出身である。東南アジア等,海外で活躍した人材も多い。なかでも,大唐客長の羅芳伯,東南アジアの巨商・張振勲,タイガーバーム王・胡文虎,ハートヤイ開拓の始祖・謝枢泗,バンコク銀行の陳弼臣,在米フィクサー・陳香梅,マレーシア大蔵副大臣・黄思華,カナダ総督ゴービーンツの母親,ネクタイ王・曽憲梓らがよく知られている。また,著名な文学者の郭抹若,林海音,鍾肇政,音楽家の馬思聡,戴雨賢,映画監督の侯孝賢,サッカーの李恵堂など,枚挙にいとまがない。昨年(一九九九年)十一月四日から七日までクワラルンプールで第十五回世界客家懇親大会が催され,世界各地からおよそ二千人の代表が集った。大会の除幕式の挨拶に立ったマハティール首相は「クワラルンプールの発展史の中でもし華人『カピタン』(英植民地政府が華僑リーダーに贈った尊称)の貢献が歴史に記載されなかったらクワラルンプール発展史は完壁なものではない」と指摘した。とりわけ,客家人がマレーシア政府の部長(大臣)や各団体の要職に多く活躍していることについて高く評価した。たしかにこれらの優れた才能で世人の注目を集めた人々は,記念すべき先達である。本稿はきらめく客家の人物群像から,八名だけ取り上げて,簡単に紹介する。
著者
今関 敏子
出版者
川村学園女子大学
雑誌
川村学園女子大学研究紀要 (ISSN:09186050)
巻号頁・発行日
vol.15, no.2, pp.166-154, 2004-03-15

『建礼門院右京大夫集』には、睡眠時にみた夢の記述が2例しかない。一方、現実の儚さ、信じ難さを「夢」に譬える用例は多い。夢はいずれも時間認識と連関する。時間は通常、流れるものと認識される。しかし、源平の争乱、平家滅亡、愛する人の死という、大きな喪失体験は、時間認識を変えてしまう。夢としか観じようのない喪失を境に、時間は「昔」と「今」に分断されて捉えられる。このような認識では、たとえば、『更級日記』のような夢の記述はなされにくい。時間認識の分断を齎した喪失に対して、夢の比喩が盛んに用いられる。また、睡眠時の夢の2例の記述は、作品の主題である「愛と死」を象徴する。
著者
長崎 靖子
出版者
川村学園女子大学
雑誌
川村学園女子大学研究紀要 (ISSN:09186050)
巻号頁・発行日
vol.19, no.2, pp.173-186, 2008

本稿では,長崎(1998)の追調査として,昭和初期から現代に至る終助詞「さ」の機能的変遷を観察した。長崎(1998)では,江戸語における終助詞「さ」の機能を調査し,その主たる機能は断定の働きであったこと,またこの働きが,明治から大正にかけて,現在のように情意表現を主体とした終助詞の機能に移行していく経過を報告した。本調査では,終助詞「さ」を,昭和前期(第二次大戦前),昭和後期(第二次大戦後),平成期に分けて,その機能的変遷を観察した。昭和前期には,終助詞「さ」の用法として,江戸語に見られた丁寧な会話にも使用される用例が見られた。特に江戸語の名残のある女性の言葉遣いの中心その用法が見られた。戦後は,終助詞「さ」の女性の用例は減少し,用言に接続する用例加増加し,「さ」は主に男性が使用する終助詞として定着した。平成に入ると,「さ」は終助詞としての使用より,間投助詞としての使用が目立つようになる。特に若い世代では終助詞「さ」は,男性にもあまり使用されなくなっている。この結果から,今後「さ」の終助詞としての機能は,衰退していくことが予想される。
著者
翠川 文子
出版者
川村学園女子大学
雑誌
川村学園女子大学研究紀要 (ISSN:09186050)
巻号頁・発行日
vol.13, no.2, pp.178-159, 2002-03-15

江戸時代前期の伝説的な香人米川常白及び関係者の事績を,現在取り上げられていない資料を渉猟検証し紹介する。〔資料〕(1)米川一族墓誌(2)『操軒米先生実記』(3)『反魂集』「香道系図」(4)『草々之記』(5)『香道千代の松原』(6)『焚香濫觴輯略』(7)『香道大成』ほか〔事績〕(1)米川常白の父は現在の奈良県明日香村奥山の出身。(2)常白の生没は慶長十六年(一六一一年後水尾天皇即位の年)〜延宝四年(一六七六)。六十六歳。(3)常白の香の師の相国寺の芳長老とは巣松軒三世蘭秀等芳。寛永九年没八十四歳。時に常白二十二歳。(4)常白の芳長老への近侍は十歳すぎ頃から十年あまりか。この間香を聞く力を磨く。(5)金戒光明寺の墓は常白と弟操軒と子宗節及び兄弟の妻。(6)常白は「性豁達亦称佳人」。(7)東福門院から香木四十九種拝領に信任がうかがわれる。(8)弟の操軒は三宅寄斎(亡羊)晩年の弟子で儒学者として高名。寄斎を師に選んだのは,香に造詣が深く芳長老と交際があり常白とも面識があったからか。(9)常白の香の後嗣は操軒の長男一秀助之進(窄菴元収)。一秀の死後弟の医者玄察が家を継いだ。一秀を玄察とするのは誤り。(10)一秀助之進の生没は,明暦元年(一六五五)五月生,元禄十五年(一七〇二)九月二十六日没。四十八歳。(11)一秀助之進の伝記は清水記林の「香道系図」が唯一のもの。(12)米川家の香は二代で終わらず最後の当主一敬にも香の弟子があった。(13)そのほか香道関連事項を列挙紹介する。
著者
田中 淑子
出版者
川村学園女子大学
雑誌
川村学園女子大学研究紀要 (ISSN:09186050)
巻号頁・発行日
vol.9, no.1, pp.11-18, 1998-03-15

"Sense and Sensibility" is a controversial topic in the background of the transition from Classicism to Romanticism. Mary Shelly's Frankenstein reflects the change of the times, working toward a sort of cognitive estrangement from sense and sensibility in the form of domestic affection, education and science. Victor Frankenstein's aims and dangers of scientific discovery not only violate the norm of human culture, but also destroy his domestic affections. But ironically his social isolation is reinforced when his creature Monster finds that he has no link to any other beings in existence and claims his wife to satisfy his hunger for domestic affection. Mary Shelley doesn't seem to believe that enlightenment by sense can be useful in the development of human society, like her father William Godwin, while she also doubts whether sensibility can compensate for what the acquirement of knowledge cannot make up, unlike her mother Mary Wollstonecraft. The book concludes in duality where sense and sensibility cannot reconcile to each other.