著者
井上 彰
出版者
東京大学社会科学研究所
雑誌
社会科学研究 (ISSN:03873307)
巻号頁・発行日
vol.64, no.2, pp.7-28, 2013

本稿は、1971年に公刊されたロールズ『正義論』のなかであまり注目されてこなかった第3部の議論が、『正義論』全体でいかに重要な役割を果たしているかについて、その批判的検討を通じて明らかにするものである。第3部でロールズは、善の理論と正義感覚についての議論を、経済学と心理学という20世紀後半に著しい発展をみせた経験科学的知見に基づいて展開した。その点に注目して本稿では、ロールズの契約論が『正義論』全体で反照的均衡の方法が展開されているとする解釈に基づいて、その方法論的特徴と第3部の記述的説明に軸足を置いた議論が切り離せないことを確認する。そしてその観点から、第3部で展開される善の理論と正義感覚についての道徳心理学に基づく議論をそれぞれ批判的に吟味し、両者ともに反照的均衡の方法から逸脱していることを明らかにする。結論的には『正義論』の目論見は失敗に終わっていると言わざるを得ないのだが、最近の経験的道徳心理学の進展は、『正義論』で展開された契約論的正義論の再検討・再構築に対し示唆的な一面をもっている。特集 社会科学における「善」と「正義」
著者
塙 武郎
出版者
東京大学社会科学研究所
雑誌
社会科学研究 (ISSN:03873307)
巻号頁・発行日
vol.59, no.5, pp.163-184, 2008

本稿は,ニューヨーク市(以下,市教育局)を事例としてアメリカの初等中等教育の財政構造と特質について「州・地方財政」の視点から検討する.初等中等教育行政に専門特化する学校区は,財政面で州から独立性をもつ地方政府であり,地方財産税の自主管理により教育費を賄っている.市教育局の場合,市の行政組織の一部であるため,教員給与や学校施設費等の経常的経費(一般基金)だけを主に管理し,その一般基金には市の自主財源と州運営費交付金(Flex Aid)が投入されている.州運営費交付金は,学校区の「財政力指数」(CWR)を用いて算定・配分され学校区間の所得再分配を担っている.教育財政の特質を象徴する同補助金は,第1に財源格差の「平準化」ではなく,「縮小」を目的とし,第2に貧困学校区には手厚いが,富裕学校区にも少額ながら配分することによって州・地方政府間の公平なパートナーシップを図り,第3に富裕学校区から余剰財源を削ぎ取って貧困学校区に分配するものではないと論じる.
著者
玄田 有史
出版者
東京大学社会科学研究所
雑誌
社会科学研究 (ISSN:03873307)
巻号頁・発行日
vol.59, no.3, pp.1-19, 2008

希望を有する個人や世帯の特徴は,その実現見通しや内容などの類型により異なっている.プロビットモデルの推定結果によれば,実現見通しのある希望及び仕事に関する希望を有する確率が高いのは,20代から30代の若年層,高校から高等教育機関への進学経験者,健康状態が良好な場合であった.また本人年収が300万円未満の場合,実現見通しのある希望を持ちにくく,無収入者は仕事の希望を有しない傾向が強くなっていた.さらに年収1,000万円以上の高所得世帯に属する個人ほど実現見通しのある希望を有する確率は高く,年収300万円未満の世帯では,見通しのない希望を持っていたり,希望について否定的な考えを有することも多かった.以上の分析を通じて,日本社会において近年,希望の喪失感が広がってきていたとすれば,その社会的背景として,人口分布の高齢シフト,無業者・低所得者の増加,高所得世帯の減少,健康状況の悪化,進学率の停滞等が影響していた可能性があることを示した.
著者
塩川 伸明
出版者
東京大学社会科学研究所
雑誌
社会科学研究 (ISSN:03873307)
巻号頁・発行日
vol.67, no.1, pp.25-49, 2016

特集 ケインズとその時代を読むⅡ
著者
橘川 武郎
出版者
東京大学社会科学研究所
雑誌
社会科学研究 (ISSN:03873307)
巻号頁・発行日
vol.58, no.3, pp.3-12, 2007

これまで日本の不動産業に関する史的研究が十分な成果をあげてこなかったのは, (1)不動産は非常に差別化された財であるため, 不動産価格の動向を把握することが困難である, (2)不動産業の分析に当たっては, 多様な要因を考慮に入れなければならない, (3)不動産業の担い手の実態を総合的に把握することは難しい, などの理由による.本稿では, これらの難題に挑戦した最新の研究成果である『日本不動産業史 : 産業形成からポストバブル期まで』(仮題, 編者 : 粕谷誠・橘川武郎, 名古屋大学出版会から近刊予定)の内容を紹介し, 日本不動産業がこれまで歩んできた軌跡とこれから進むべき方向性を概観する.今日, 日本の不動産業は, 「資産効果経営」(地価上昇に依存した経営)から脱却し, 実需に立脚した本来の経営に回帰するという, 歴史的な転換点に立たされている.ここで言う本来の機能とは, 不動産に関する開発機能と取引費用削減機能という, 明治期以来不動産業が発揮してきた, 二つの固有機能のことである.このような本来の姿に立ち返ることなくして, 日本不動産業の未来は, 切りひらけないであろう.
著者
林 秀弥
出版者
東京大学社会科学研究所
雑誌
社会科学研究 (ISSN:03873307)
巻号頁・発行日
vol.61, no.2, pp.29-65, 2010

近時, 世界的に, 知的財産権を悪用した反競争的行為が問題となっている. 米国においては, Rambus事件やQualcomm事件, N-Data事件等において, 標準設定にからんだ特許権の不当な行使が問題となっている. また, 欧州では, Microsoft事件(2004年3月24日欧州委員会決定, 2007年9月17日第一審裁判所判決)において, Microsoft社が, ウィンドウズOSが搭載されたパソコンと, Microsoft製でないワークグループ・サーバーとの相互運用性(interoperability, なおこれに関する情報は知的財産権として保護されている)を意図的に制限することにより, また, 競争に直面していたウィンドウズ・メディア・プレイヤーをほとんどのパソコンに搭載されているウィンドウズOSにバンドル販売することにより, 同社はEUにおけるパソコンOSの独占的地位を「てこ」として用いることで市場支配的地位を濫用したとされた. その結果, 同社には, 技術情報の開示, AV再生ソフト未搭載版のWindowsの供給等, 厳しい是正措置が課されたほか, 4億9720万ユーロにも上る巨額の制裁金が課せられるに至った. 本稿は, この欧州Microsoft事件に特に焦点を当てることにより, 知的財産権を利用した市場支配力の濫用と競争法(独占禁止法)の関係について検討するものである.