著者
牟田 和恵
出版者
東京大学社会科学研究所
雑誌
社会科学研究 (ISSN:03873307)
巻号頁・発行日
vol.57, no.3, pp.97-116, 2006

日本における家族の歴史社会学研究の蓄積について,とくに隣接領域である家族社会学との関連においてレビューする.その際,80年代以降に若手フェミニスト研究者たちを中心的担い手として展開した「近代家族」論に注目し,それが,家族をめぐる学問領域においてもっていた意味と意義を確認する.その上で,ポストモダン・フェミニズムを経た新たなジェンダー概念の導入により,「ジェンダー家族」という概念を提起し,日本近代の天皇制と家族に関する分析を行なう.結論として,家族の歴史社会学的研究を現代に生かしていく方途を提言する.
著者
ハンス・マーティン・クレーマ 楠 綾子
出版者
東京大学社会科学研究所
雑誌
社会科学研究 (ISSN:03873307)
巻号頁・発行日
vol.59, no.1, pp.150-170, 2007

本稿は,1948年から1950年にかけて行われた「共産主義的」大学教員の追放(レッド・パージ)を,いわゆる占領政策の「逆コース」の一例として検討する.本稿は,レッド・パージは,米国の対日政策の変化によるものではなく,むしろ日本主導で行われたと考える.反共主義は1946年以降,教育行政の思想においては不可欠の要素であった.しかしながら,反共主義が処罰的行動へと直結したわけではない.政治色よりも大学での地位の低さといった要素が個人の追放の決定要因になったことは,追放が単に上からの命令によるものではなかったことを示唆している.本稿は,旧制弘前高校の哲学講師と京都府立医科大学の解剖学教授のふたつの追放の事例からこれを証明するものである.「逆コース」を従来の研究のようにとらえれば,日米それぞれの担当者が占領政策にいかなる貢献をしたのかが見落とされることになる.占領政策の形成に日本がいかなる役割を果たしたのかを明らかにするためには,中堅,下層レベルの行動を考慮に入れて占領期の正確な実像を描く必要がある.
著者
大賀 哲
出版者
東京大学社会科学研究所
雑誌
社会科学研究 (ISSN:03873307)
巻号頁・発行日
vol.57, no.3, pp.37-55, 2006

本稿の趣旨は,実証主義とポスト実証主義の認識論的差異,国際関係論における理論と歴史の方法論的な差異を踏まえながら,国際関係論における歴史社会学の用法を考察していくことにある.歴史社会学の用法や,理論と歴史の差異,言説分析の可能性とその限界等は既に社会学で広範に議論されているが,国際関係論において,歴史社会学のもつ可能性についての研究は少なく,未だ十分に議論されていないというのが現状である.本稿の意図するところはまさに国際関係論における歴史社会学の展開を掘り下げ,その研究上の可能性を考察する事にある.具体的には二つの歴史社会学(ウェーバー型とフーコー型)を比較検討し,とりわけフーコー型の歴史社会学にどのような特徴・妥当性があるのかを吟味していく.換言すれば,歴史社会学における先進的な研究動向を取り入れ,ポスト構造主義の概念を援用して歴史・思想要因を考察する.そして,ポスト国際関係史(或いはポスト国際関係論)を再構成した場合にそこにどのような可能性があるのかを検証する.
著者
前田 幸男
出版者
東京大学社会科学研究所
雑誌
社会科学研究 (ISSN:03873307)
巻号頁・発行日
vol.58, no.5, pp.67-83, 2007

1994年の選挙制度改革は,衆議院の選挙制度として小選挙区比例代表並立制を導入することで,従来の中選挙区制下の候補者・利益誘導中心の選挙とは異なる政党・政策中心の選挙を実現することを目的とした.しかし,衆議院の選挙制度は総体として存在する複数の選挙制度の一部に過ぎない.衆議院議員・党中央組織が,地方議員・党地方組織と密接な関係を持っている以上,衆議院の選挙制度を変更した効果が地方レベルで相殺される可能性が存在する.本稿の目的は,予期される選挙制度改革の影響が有権者の態度において確認できるか,さらには,その影響が地方レベルの選挙制度により相殺されているかを,検討することにある.具体的には,JES IIのデータに地方選挙のデータを結合し,衆議院選挙における判断基準としての政党志向と候補者志向が,如何に都道府県議会選挙区定数の影響を受けているかを分析する.
著者
岡野 八代
出版者
東京大学社会科学研究所
雑誌
社会科学研究 (ISSN:03873307)
巻号頁・発行日
vol.58, no.2, pp.161-182, 2007

本稿では, 「希望格差」社会の弊害が危惧される現代の日本社会における「希望」の在処を考えるために, 西洋の政治思想史の知見を援用する.第1章では, リベラリズムの歴史を「希望の党派」と「記憶の党派」という二つの系譜の中で読み返し, 「記憶の党派」の中に民主的な変革の可能性を見いだしたジュディス・シュクラーの議論を参照する.彼女の議論を詳しく紹介することによって, 希望は明るい未来にこそ宿り, 記憶は過去に関わるといった単純な議論を批判する.第2章, 第3章では, 上述のシュクラーの思想にも多大な影響を与えたハンナ・アーレントの政治思想を再読することによって, 現代の危機の在処を明らかにしたうえで, 過去の「想起」と物語る能力のなかに, その危機を克服する契機が宿っていることを明らかにする.第4章では, 筆者が実際に出会った日本軍従軍<慰安婦>にされた女性たちの証言について考察することによって, アーレントの物語論の現代的意味を「証言の政治」という観点から考える.そして, 未来を展望するための希望の力は, 現在において閉ざされている過去を新たに拓き, そのことによって現在を変革することから生まれてくることを指摘する.
著者
石原 秀彦
出版者
東京大学社会科学研究所
雑誌
社会科学研究 (ISSN:03873307)
巻号頁・発行日
vol.57, no.5, pp.41-85, 2006

本論文では,貨幣について明確かつ操作可能な定義を与え,その定義の下で,貨幣が市場経済において果たす役割を,交換に必要な情報の観点から論証する.本論文で用いる貨幣の定義とは,「市場交換を媒介するモノ」であり,市場交換とは,(1)もっぱら交換される財の取得を目的とし,(2)参加者の自発的な意志に基づいて行われ,(3)社会全体に比して比較的少数,典型的には2者の間で行われ,(4)個々の交換が,同じ参加者による将来の交換を前提としないという意味で,それ自体で完結しており,(5)潜在的な参加者が事前に限定されていない,という特徴を持つ財の移動・再配分のことである.不換紙幣の媒介する市場交換をイメージした「一方的な贈与の無限の連鎖」としての市場交換のモデルを考察すると,貨幣が存在しない場合,市場交換を通じて望ましい財の配分が実現するためには,交換の無限の連鎖に関わるすべての主体間で,取引の歴史全体に関する公的な情報が共有される必要がある.これに対して,貨幣が存在する場合には,「その貨幣が信頼に足りうる」限り,取引相手が貨幣を保有していることさえ知っていれば,他には何の情報がなくとも,望ましい市場交換が実現することが示される.さらに,完全な歴史の共有かまたは貨幣が必要となるのは,単発的な交換の連鎖となる市場交換に特有なものではなく,むしろ利己的な交換一般に共通するものであることが,「利己的な互酬的贈与」のモデル分析より明らかになる.むしろ,多くの「原始貨幣」が利己的ではない社会的交換の媒介として機能していたことから,何らかの理由で「原始貨幣」が社会的交換を媒介し始めた後,交換が利己的なものへと変質した瞬間が,貨幣の起源であると考えられる.In this paper, I study the role of money in market exchanges from the point of information. I define 'market exchange'as a voluntary and isolated transfer of goods among relatively a few unrelated people, aiming to get the good others have. The model of market exchanges in this paper is constructed as an infinite sequence of one-sided gift-giving, which imitate a market exchange mediated by fiat money. If there is no money, all traders share the public information of all past trades to realize the market exchange. On the other hand, people can cooperate one another without any information except whether their partner has money or not. In the model of "selfish reciprocal gift-giving game" by two selfish people to get the partner's good, it is also true that the cooperation without money needs the public information. The so-called 'primitive money'seems to have mediated social exchange among altruistic or obligated people, but it can also mediate economic exchange among selfish people and is then called 'money.'
著者
中里見 博
出版者
東京大学社会科学研究所
雑誌
社会科学研究 (ISSN:03873307)
巻号頁・発行日
vol.58, no.2, pp.39-69, 2007
被引用文献数
3

女性の性売買は, 深刻な性的不平等であるにもかかわらず, 今日継続されている.売買春は, その内と外の女性に対する暴力の誘発, ジェンダーの再生産, ジェンダー化されたセクシュアリティの構築という実質的な意味で性差別の制度的実践にほかならない, 売買春を「性的サービス労働」の売買とみなす「性=労働」論は, 売買春の現場で行なわれている性的使用=虐待を「サービス労働」と称して正統化するものである, 性差別・性暴力と対抗してきた性的自己決定権という人権は, 売買春に適用されて変質した.それは売買春を雇用労働とすることを否定するが, 自営業の売買春を否定できず, 合法化する働きをなしうる.しかも自営売春業の合法化は売買春による差別・被害を全社会規模で拡大することになる.元来性的自己決定権と一体であったにもかかわらず矮小化され喪失された性的人格権を復位させる必要がある.そうすることで買春行為は, 金銭で性的人格権を買い取る違法な行為と評価することができ, 例えばスウェーデンでは実現している買春者処罰法のような売買春禁止法への展望が拓けるであろう.
著者
佐藤 俊樹
出版者
東京大学社会科学研究所
雑誌
社会科学研究 (ISSN:03873307)
巻号頁・発行日
vol.57, no.3, pp.157-181, 2006

靖国神社(およびその前身の東京招魂社)は,長く「国家神道」の中心施設だと見なされてきた.しかし実際には,第二次大戦以前でも,その宗教的な性格や政治的な位置づけはかなり変化しており,特に1900年代の前と後では大きくことなる.ほとんどの靖国神社論は政治的立場のいかんを問わず,この点を無視されている.それらが1911年に出た『靖国神社誌』の靖国神社像を踏襲しているからである.本論では,『武江年表続編』や東京ガイドブックといった同時代史科をつかって,1900年代以前の靖国神社(東京招魂社)がどんな宗教的・政治的な意味をおびていたかを,政治家でも宗教家でもない,東京のふつうの生活者の視線から描きだす.それによって,戦前前半期の日本における宗教-政治の独特な様相の一端を明らかにする.