著者
日名 淳裕
出版者
東京大学大学院ドイツ語ドイツ文学研究会
雑誌
詩・言語 (ISSN:09120041)
巻号頁・発行日
vol.79, pp.75-95, 2014-03

1948年の7月5日から8日にかけて、詩人パウル・ツェランはウィーンからパリへの亡命途上にインスブルックに立ち寄った。そこでツェランは、雑誌『ブレンナー』編集長であり、詩人ゲオルク・トラークルの庇護者であったルートヴィヒ・フィッカーを前にして自作の詩を朗読している。それは結果的に、ツェランには淡い失意を残すものとなったのだが、インスブルックでの二人の会談は、第二次大戦後ウィーンにおける芸術家たちの交流のひとつの成果であり、オーストリア戦後文学におけるひとつのエピソードとして広く知られている。それにもかかわらず、ツェランの感じた失望の背景を探る研究はまだ少ない。本稿は先行研究史におけるこの間隙を埋めようとするものである。出来事を証言する数少ない記録であるツェランによる二通の手紙の分析をもとに、フィッカーとツェランが出会った当時の歴史的コンテクストを再確認し、その上で二人の出会い/すれ違いに新たな角度から光を当て直そうとした。フィッカーがツェランの詩を、トラークルにではなく、ユダヤ人詩人ラスカー=シューラーにたとえた問題の発言は、1948年という歴史的コンテクストに深く根差したものとして再解釈された。比較的近い時期にはじまっているフィッカーと哲学者ハイデガーの思想的接近もこうして、もはやツェランのエピソードと無関係とは見なされなくなる。本稿ではさらに、ツェランによるトラークルの生産的受容の一例として、詩「フランスの思い出」における色彩と音の共感覚的表現を具体的に分析している。
著者
杉山 有紀子
出版者
東京大学大学院ドイツ語ドイツ文学研究会
雑誌
詩・言語 (ISSN:09120041)
巻号頁・発行日
vol.77, pp.15-40, 2013-01

本論はシュテファン・ツヴァイクの伝記『ロッテルダムのエラスムスの勝利と悲劇』を、出版当時の1930年代の政治情勢とそれに対する著者及び周囲の人物の態度に着目して扱う。この作品ではエラスムスと対立するルター像がナチズムに重ね合わせられているが、ナチス側だけでなく反ナチスの知識人らも、断固とした政治的立場を示そうとしない著者の立場を反映するものとして『エラスムス』を批判した。しかしツヴァイクの「中立」へのこだわりは単なる不決断ではなく、反ファシズム運動がコミュニズムと結びつくことによって精神的自由がイデオロギー化され、その本質を失っていくことに対する抵抗であった。ナチズムだけでなくあらゆる党派性の内に暴力的排除の論理を見出すゆえに、彼は政治的反ファシズムを含めいかなる党派にも与せず、それが必然的にもたらす「孤独」をも引き受ける覚悟を『エラスムス』において示したのである。
著者
日名 淳裕
出版者
東京大学大学院ドイツ語ドイツ文学研究会
雑誌
詩・言語 (ISSN:09120041)
巻号頁・発行日
vol.73, pp.39-56, 2010-10

本稿は2009年度に提出した修士論文を大幅に改稿したものである。オーストリアの詩人ゲオルク・トラークルは1914年11月に従軍したガリチア地方クラカウの病院で自死したが、それ以来残された作品の解釈をめぐって多くの詩人、思索家らに言及されてきた。彼を経済的に支援したヴィトゲンシュタイン、1950年代に二つのトラークル論を書いたハイデガー、あるいはハイデガーとは真逆の理解を示したアドルノ、初期の作品にその影響が顕著な詩人ツェランらによる受容は有名であるが、現代詩人トーマス・クリングやテクノミュージシャンのクラウス・シュルツェといった比較的若い世代による解釈も注目に値する。彼らの受容評価は多様であるが、いずれもトラークルを詩人として捉えている点は共通している。散文や戯曲も残しているにもかかわらず、もっぱらその抒情詩のみが注目されてきた理由としては、生前から独占的にトラークルの作品を出版してきたチロル地方の文学グループ・ブレンナーの活動が指摘できる。本論はもうじき100年になるトラークル受容史の根幹においていまだ支配的なブレンナー・クライスによる理解を批判的に検討する。晩年の散文詩『啓示と没落』の評価をめぐって、ブレンナーの主張するような抒情詩の系譜においてではなく、同時期に制作された戯曲断片『小作人の小屋で...』との関わりにおいて草稿段階にまで遡り比較分析する。そこからアヴァンギャルドとしてのトラークルの功績を創作過程に探り、戯曲家ビュヒナーの影響に着目する。
著者
三根 靖久
出版者
東京大学大学院ドイツ語ドイツ文学研究会
雑誌
詩・言語 (ISSN:09120041)
巻号頁・発行日
vol.71, pp.31-42, 2009-09

Im Text Der Bau (1923) erscheinen viele Gestalten und Motiven aus Kafkas bis dahin verfassten Werken mit verandertem Aussehen. Zunachst ahnelt die Struktur des Baus dem Schiff und dem Landhaus in der Verschollene. Seitdem der Erzahler dieses Textes (ein anonym bleibendes Tier) im Bau ein unbekanntes unheimliches Gerausch zu horen beginnt, fangt es in eine Art Wahnsinnsvorstellung an zu galoppieren. Dies erinnert an den Tanz Gregor Samsas in die Verwandlung und in Der Process an die Gestalt Josef K., der sich um eine Eingabe bei Gericht bemuht.// Also konnte das ?Graben“, das der Erzahler unternimmt, um den Ursprung des Gerausches ausfindig zu machen, eine allegorische Bedeutung haben. Den Zusammenhang zwischen dem Schreiben und dem Graben kann man schon in der Erzahlung Ein Besuch im Bergwerk (1917) und in einigen Fragmente finden. Demnach konnte man auch Der Bau in vergleichbarer Weise verstehen: dann erschiene der ganze Bau wie Allegorie einer Textes. Allerdings sind solche Uberlegung schon angestellt worden.// Wichtiger und nicht weniger interessanter als der Bau selbst ist das dabei erwahnte Grundwasser. Dass es um den Bau fliest, wird oft angedeutet, aber niemals erscheint es vor uns. Als Allegorie des Textes muss dem Grundwasser auch eine wichtige Bedeutung zukommen. Ich habe einige Male beim Lesen das Gefuhl gehabt, als ob Wasser unter literarischen Texten fliese und ich ahne, dass man liest, etwas wirklich liest, bedeutet die Oberflache der Worter zu durchbrechen. Man muss in den Flus hinabsteigen, um das Wasser mit den Handen zu trinken. Daneben ist das Schreiben fur Kafka seit dem Urteil (1912) mit dem Gewasser verbunden. Er stellt das Gefuhl beim Schreiben des Urteils dar, namlich erschien ihm der Augenblick der Entwicklung des Schreibens wie als ob er ?in einem Gewasser vorwartskam“. Danach findet man immer wieder in seinen Texten fliesendes Gewasser. Im gleichzeitig mit dem Bau-Konvolut geschriebenen Blauen Schulheft erscheint vielmals Wasser. Ein Fragment stellt eine Ruckkehr in die Heimatstadt dar, die der Heimat Georgs sehr ahnlich ist. Wasser als poetisches Image ist fur Kafka in dieser Periode bezeichnend.// Auch Kafkas bisherige Wassermotive erscheinen in dieser Poriode erneut. Mit den Wahnvorstellungen des Erzahlers kommen Kafkas bisherige Motive erneut in diese Unterwelt. Der Bau ist ein Ort, wo Kafkas alte Motive und Images wie Gespenster (der Erzahler sagt, dass er Gespenster sehen kann) wiederkehren.
著者
中丸 禎子
出版者
東京大学大学院ドイツ語ドイツ文学研究会
雑誌
詩・言語 (ISSN:09120041)
巻号頁・発行日
vol.70, pp.27-46, 2009-03-24

ラーゲルレーヴは、スウェーデンや日本においては、民話の語りを髣髴とさせる内容・文体から、「お話おばさん」(se: sagotante; de: Märchentante)として親しまれ、母性的な平和主義者として知られる。これに対して、ドイツでは、民話・農民・郷土・大地などを繰り返しテーマ化したことから、「郷土芸術運動」および「血と大地思想」によって積極的に受容され、後のナチズム思想形成の一端を担った。本論文では、ラーゲルレーヴ『エルサレム』における他者支配のあり方を、男性性・女性性のあり方と重ね合わせて論じることで、ラーゲルレーヴとナチズムとの共通点・相違点を考察する。同作では、富農一家の跡取りである主人公のアイデンティティの完成が、「父から子への名前(血)の継承」という構造および「農耕」のモチーフと強く結びついている。「農民」という人物像は、一見、原初的で無垢な人間性を表すようで、その実、「大地」を「農地」化するという、文明の持つ「暴力」の根源形態を体現する。作品内でそれは、「男性性」による「女性性」の「接収」という性暴力として描かれる。導入部では、主人公の父である農夫が、子殺しをした妻を赦し、彼女を自身の良き妻・子どもたちの良き母とする。子殺しをする女性は、生と死の両方を司る「大地母神」を連想させるが、ここでは、農夫が「荒地」を人間に恵みをもたらす「農地」に変えることと、「大地母神」が馴化され、農夫に跡取りをもたらす良妻となることがパラレルである。本編においては、宗教運動に反対して故郷に留まる主人公イングマルが健康な男性として、エルサレムに移住する姉カーリンが病気の女性として、対比的に描かれている。スウェーデンにおいて、同作は、「倫理的英雄としての農民像」を打ち立てた作品とされる(エードストレーム、2002)。主人公のアイデンティティの完成は、彼が数々の倫理的行為により、「大地」を獲得し、名前(血統)を継承することで示される。これに対して、カーリンは、エルサレムに移住することでダーラナの「大地」を追われるのみならず、随所で、「麻痺した女性」として描かれる。19世紀・20世紀のヨーロッパ文学では、しばしば、女性の障碍(特に脚部麻痺)が、その家への隷従の比喩として描かれた(キース、2001)。ラーゲルレーヴは、自身(実際に左足に軽い障碍があった)のことも、繰り返し障碍者あるいは病人として描いている。スウェーデンにおいて、彼女は、フェミニストとして知られるが、作品には、脚部障碍によって女性の家への隷従が象徴され、更に、その「女性性」が男性によって「克服」されるという、二重の「女性支配」の構造を見てとることができる。 一方、作品における「障碍」や「死」は、現実世界の常識や人智を超えたものとしても表象される。作家の自伝『モールバッカ』には、歩けない「セルマ」が脚のない「楽園の鳥」を見るために立って歩く場面がある。ここでは、脚部障碍が、逆説的に、この世から楽園への越境能力として描かれている。カーリンを最終的には死に至らしめる「病」もまた、彼女が目指す「唯一真のキリスト教」に至る道であり得る。「女性」に付与された「病」や「死」をはじめとする「ネガティヴなもの」は、ラーゲルレーヴ作品に、現世的な価値や枠組みを超えていく可能性を与えてもいる。
著者
杉山 有紀子
出版者
東京大学大学院ドイツ語ドイツ文学研究会
雑誌
詩・言語 (ISSN:09120041)
巻号頁・発行日
vol.76, pp.13-30, 2012-03

シュテファン・ツヴァイクの遺作となった回想録『昨日の世界』は1942年に出版された。ハンナ・アーレントは1943年に英語版に対する書評を発表し、後に『昨日の世界のユダヤ人』と題してエッセイ集『隠された伝統』(1976)に収録した。アーレントはユダヤ人としての「恥辱」の運命から個人的に逃れようとしたツヴァイクの生き方を強く批判しているが、本論では彼女の批判を通して『昨日の世界』に新たな光を当てることを試みる。「ユダヤ人」Judenの複数的運命を強調し、そこからの離脱を試みたツヴァイクを非難するアーレントに対し、ツヴァイクは「ヨーロッパ人」ein Europäerとしての単数性と、その政治的敗北の状態に彼の信念である「自由」の可能性を見出そうとしていたことが示される。
著者
日名 淳裕
出版者
東京大学大学院ドイツ語ドイツ文学研究会
雑誌
詩・言語 (ISSN:09120041)
巻号頁・発行日
no.80, pp.143-163, 2014-09

本稿は2013年12月13日にウィーン大学ドイツ学科で行われたドクター・コロキウムでの発表原稿を日本語に訳し加筆したものである。なおオリジナルのドイツ語原稿は2014年6月25日にウィーン大学文学部に提出された博士論文Zur Rezeption Georg Trakls nach dem Zweiten Weltkrieg. Produktive Rezeption, Intertextualität, Strukturanalogie, Fortschreibenの一章をなすものである。今回はオーストリアの詩人インゲボルク・バッハマンによるトラークル受容について調査した。その際、第一詩集『猶予された時』(1953)出版にいたる、パウル・ツェランの影響下にフィッカーとのコンタクトを模索した第一期、第二詩集『大熊座の呼びかけ』(1956)を準備していた頃の作曲家ハンス・ヴェルナー・ヘンツェおよび詩人マリー・ルイーゼ・カシュニッツとの交流から詩作品の質的発展を求めた第二期、バッハマンによるトラークル受容をこの二つの時期に分けて考察した。また比較的その詩風にトラークルの影響が指摘されることの少ない印象を与えてきたバッハマンの研究史を丹念に辿りなおすことで、二人の接点を多角的に示そうとする二次文献を複数見つけることができた。その成果は本論中に図表としてまとめてある。経済的必要を動機として指摘できたり、他の詩人の影響という間接的な受容であったり、大枠として当時の文学的モードに収まるものであったり、バッハマンによるトラークル受容の本質は見極めにくい。その上で本論は、バッハマンの第二詩集に顕著な「言葉の音楽化」をバッハマンによるトラークル受容の結果として提起し、説明を試みた。(ドイツ語要約あり)
著者
杉山 有紀子
出版者
東京大学大学院ドイツ語ドイツ文学研究会
雑誌
詩・言語 (ISSN:09120041)
巻号頁・発行日
vol.76, pp.13-30, 2012-03

シュテファン・ツヴァイクの遺作となった回想録『昨日の世界』は1942年に出版された。ハンナ・アーレントは1943年に英語版に対する書評を発表し、後に『昨日の世界のユダヤ人』と題してエッセイ集『隠された伝統』(1976)に収録した。アーレントはユダヤ人としての「恥辱」の運命から個人的に逃れようとしたツヴァイクの生き方を強く批判しているが、本論では彼女の批判を通して『昨日の世界』に新たな光を当てることを試みる。「ユダヤ人」Judenの複数的運命を強調し、そこからの離脱を試みたツヴァイクを非難するアーレントに対し、ツヴァイクは「ヨーロッパ人」ein Europäerとしての単数性と、その政治的敗北の状態に彼の信念である「自由」の可能性を見出そうとしていたことが示される。
著者
日名 淳裕
出版者
東京大学大学院ドイツ語ドイツ文学研究会
雑誌
詩・言語 (ISSN:09120041)
巻号頁・発行日
vol.75, pp.87-109, 2011-11

本稿は東京大学ドイツ文学研究室で2010年11月25日に行われたドクター・コロキウムの発表原稿に加筆したものである。今回はハイデガーが第二次大戦後1950年代に発表したトラークル論をあつかった。はじめに、実際にハイデガーとも関係のあった二人の詩人アイヒとベンの作品分析をとおしてこの時期の抒情詩の傾向を概観し、それが当時の歴史的文脈と不可分であることを確認した。それからハイデガーの論文もまたこのような歴史的文脈の中においてこそ読まれるべきであるという主張を出発点として、戦後におけるハイデガーとブレンナー・クライスのかくれた結びつきを論文成立の最大の契機として指摘した。この論文が高度に政治的な意図を背景にもつものであり、そこで論じられたトラークルはまさにハイデガーによって<読み替えられた>といっても過言ではない。そしてこの論文を含むハイデガーの詩論集『言葉への途上』が後の抒情詩の自己規定に大きな影響を与えたことを顧みつつ、トラークルのテクストに対するハイデガーの具体的な作業をかれの<歴史性>理解への批判を中心に分析した。
著者
三好 鮎子
出版者
東京大学大学院ドイツ語ドイツ文学研究会
雑誌
詩・言語 (ISSN:09120041)
巻号頁・発行日
vol.70, pp.93-111, 2009-03-24

ミヒャエル・エンデ『はてしない物語』は成長小説の一種として読むとき、詩的な意味において、エンデの「語り手論」としても読むことが可能になる。「ほらふき」と呼ばれていた主人公バスティアンは、人間界とファンタージエンの往還を経て、物語の語り手になったことが暗示される。「はてしない物語」を読むとは、バスティアンにとってどのような意味をもつことだっただろうか。バスティアンが往還したのは、どのような世界のあいだだったのか。これらのことを詳細に検討してみると、バスティアンがファンタージエンで得た特別なもの――〈想像し語る〉というバスティアンの特性を展開させたもの――の姿もまた見えてくる。/「人間界とファンタージエン」とは何を意味するのか。これらの世界――本の内と外――は、ほとんどの場合、「現実―非現実」という対比で理解される。確かにバスティアンは、初めは本の外の世界を「現実」、内の世界を「ただのお話」ととらえている。しかし、彼が〈現実に〉本の中へ巻き込まれてしまったことが明らかになるとき、この「現実―非現実」の区別はもはや意味をなさなくなる。バスティアンにとって、両方の世界が「現実」となるのである。/ヨッヘン・ヘーリッシュが「日常性」をこの物語のテーマとしてとらえているのは示唆的である。実際に、この物語において「日常―非日常」の対比が重要な意味を担っていることは、物語の論理を追うことで明らかに認めることができる。本の外の世界とは「日常の世界」、内の世界とは「非日常の世界」なのである。/バスティアンが成し遂げたのは、日常の世界と非日常の世界の往還だった。この物語において、日常と非日常を差異づける最も大きなものは、名と物語のあり方である。つまり、日常と非日常との差異とは、言語の働きの差異なのである。日常の世界においては、バスティアンの作る名や物語は役に立たないもの、「ほら」でしかないのに対し、非日常の世界においては、それらは直ちに実体化する。名すなわち体となるのである。/バスティアンにとって特に重要な体験だったのは、コレアンダー氏も明言するように、ファンタージエンに友人ができたことだった。その友人アトレーユは、バスティアンの「代理人」としての性格をもつ。彼は、「バスティアンの名において」、バスティアンがファンタージエンで始めた物語をすべて終わらせるという課題を引き受ける。バスティアンを物語のなかに引きずり込んだ張本人であり、また帰した者、バスティアンの課題を引き受けた者である〈詩の言葉〉としてのアトレーユこそ、バスティアンを「ほらふき」から「語り手」へと成長させることになる特別な存在である。/〈アトレーユがバスティアンの名においてバスティアンの物語を締めくくる〉とは、それではどういうことなのか。アトレーユの性格をエンデの詩学に照らして考えてみると、次のように解釈できるように思われる。大人になって作家となったバスティアンの、名――ファンタージエンに行ってきた彼にとっては、すなわち体――を借りて、バスティアンの内なる〈詩の言葉〉であるアトレーユが、物語の続きを書くのだと。
著者
清水 恒志
出版者
東京大学大学院ドイツ語ドイツ文学研究会
雑誌
詩・言語 (ISSN:09120041)
巻号頁・発行日
no.79, pp.27-52, 2014-03

F. Schlegel's „Lucinde" ist ein Versuchsroman im Zeichen der „Arabeske" und thematisiert die Erprobung stilistischer Möglichkeiten. Der Roman ist als ein Bekenntnis des Protagonisten Julius zu seiner Geliebten Lucinde geschrieben. „Lucinde" besteht aus vierzehn Kapiteln, von denen jedes einen anderen Stil, z.B. „Idylle", „Fantasie", „Briefe" aufweist. Die zeitliche Ordnung der Erzählung ist undeutlich, und konkrete Schilderungen sind nahezu aufgegeben. In dem Roman gibt es ein Moment, das sich als Leitmotiv verstehen lässt. Dabei handelt es sich um den Tod der Kinder. In den Kapiteln „Prolog" oder „Charakteristik der kleinen Wilhelmine" erscheinen Kinder als Metaphern von Kunst. Merkwürdig ist dabei, dass die Kinder oftmals als diejenigen dargestellt werden, die sterben müssen. Solche Todesfälle geschehen dreimal: bei Lisett's Selbstmord mit ihrem Embryo, beim frühen Tod von Lucindes Sohn, beim Tod Guidos, dem Sohn von Lucinde und Julius. In der bisherigen Forschung wurde dieses Muster noch nicht behandelt. Dabei hängt dieses Motiv mit „Lucinde" als romantischem Bildungsroman zusammen. „Lucinde" ist ein Nachkomme von Goethes „Wilhelm Meisters Lehrjahre". Das kann man unter anderem am Kapitel „Lehrjahre der Männlichkeit" ablesen. In „Wilhelm Meisters Lehrjahren" erscheint Wilhelms Sohn Felix als Bote, der das Ende von Wilhelms Lehrjahren verkündet. Im bürgerlichen Bildungsroman ist das Kind ein Symbol der vollendeten Bildung. In „Lucinde" aber ist das Kind eine Metapher der Kunst. Obwohl Julius seine „Lehrjahre der Männlichkeit" vollendet hat, muss sein Kind am Ende des Romans – in der Fantasie – sterben. Das zeigt, dass Bildung in „Lucinde" nicht bedeutet, eine Familie zu gründen oder Vater zu werden. „Lucinde" als Bildungsroman entfaltet zwei Bedeutungen. Bildung umfasst zunächst die künstlerische Bildung. Nach den „Lehrjahren der Männlichkeit" verbindet sie sich mit dem menschlichen Wachstum von Julius. In der „Lucinde" muss man unter Bildung die Vollendung der Kunst verstehen. Am Ende begreift Julius – durch die tödliche Krankheit Lucindes – vollkommen, dass der Künstler für die Vollendung der Kunst „den süßen Tod" benötigt. Gewissermaßen ermordet er seinen Sohn: Er lässt sein Werk unvollendet. Er erlangt die Erkenntnis, dass nicht das unbedeutende wirkliche Leben, sondern die Fantasie die bedeutendste Wahrheit sei. Dabei kehrt sich der Wert zwischen Wirklichkeit und Fantasie um. Seine Kunst entfaltet sich für immer durch romantische Unvollendung. Meine Abhandlung weist nach, dass die unbestimmt und abstrakt scheinende Arabeske mit dem Tod der Kinder als Leitmotiv übereinstimmt. Der wiederholte Verlust der Kinder symbolisiert das Erproben und Scheitern des Kunstwerks. Um das Erproben des Stils in der Struktur wie auch im Handlungsinhalt darzustellen, benötigte Schlegel „den Tod der Kinder" als Leitmotiv. Und dies fügt sich zur „Lucinde" als Arabeske, die als die versponnene unfruchtbare Blume ausschließlich ästhetizistisch ist.
著者
三好 鮎子
出版者
東京大学大学院ドイツ語ドイツ文学研究会
雑誌
詩・言語 (ISSN:09120041)
巻号頁・発行日
vol.70, pp.93-111, 2009-03-24

ミヒャエル・エンデ『はてしない物語』は成長小説の一種として読むとき、詩的な意味において、エンデの「語り手論」としても読むことが可能になる。「ほらふき」と呼ばれていた主人公バスティアンは、人間界とファンタージエンの往還を経て、物語の語り手になったことが暗示される。「はてしない物語」を読むとは、バスティアンにとってどのような意味をもつことだっただろうか。バスティアンが往還したのは、どのような世界のあいだだったのか。これらのことを詳細に検討してみると、バスティアンがファンタージエンで得た特別なもの――〈想像し語る〉というバスティアンの特性を展開させたもの――の姿もまた見えてくる。/「人間界とファンタージエン」とは何を意味するのか。これらの世界――本の内と外――は、ほとんどの場合、「現実―非現実」という対比で理解される。確かにバスティアンは、初めは本の外の世界を「現実」、内の世界を「ただのお話」ととらえている。しかし、彼が〈現実に〉本の中へ巻き込まれてしまったことが明らかになるとき、この「現実―非現実」の区別はもはや意味をなさなくなる。バスティアンにとって、両方の世界が「現実」となるのである。/ヨッヘン・ヘーリッシュが「日常性」をこの物語のテーマとしてとらえているのは示唆的である。実際に、この物語において「日常―非日常」の対比が重要な意味を担っていることは、物語の論理を追うことで明らかに認めることができる。本の外の世界とは「日常の世界」、内の世界とは「非日常の世界」なのである。/バスティアンが成し遂げたのは、日常の世界と非日常の世界の往還だった。この物語において、日常と非日常を差異づける最も大きなものは、名と物語のあり方である。つまり、日常と非日常との差異とは、言語の働きの差異なのである。日常の世界においては、バスティアンの作る名や物語は役に立たないもの、「ほら」でしかないのに対し、非日常の世界においては、それらは直ちに実体化する。名すなわち体となるのである。/バスティアンにとって特に重要な体験だったのは、コレアンダー氏も明言するように、ファンタージエンに友人ができたことだった。その友人アトレーユは、バスティアンの「代理人」としての性格をもつ。彼は、「バスティアンの名において」、バスティアンがファンタージエンで始めた物語をすべて終わらせるという課題を引き受ける。バスティアンを物語のなかに引きずり込んだ張本人であり、また帰した者、バスティアンの課題を引き受けた者である〈詩の言葉〉としてのアトレーユこそ、バスティアンを「ほらふき」から「語り手」へと成長させることになる特別な存在である。/〈アトレーユがバスティアンの名においてバスティアンの物語を締めくくる〉とは、それではどういうことなのか。アトレーユの性格をエンデの詩学に照らして考えてみると、次のように解釈できるように思われる。大人になって作家となったバスティアンの、名――ファンタージエンに行ってきた彼にとっては、すなわち体――を借りて、バスティアンの内なる〈詩の言葉〉であるアトレーユが、物語の続きを書くのだと。Michael Endes Die unendliche Geschichte, die manchmal als eine Art von Bildungsroman gelesen wird, kann auch in poetologischem Sinne als Endes Erzähltheorie gelesen werden. Damit ist angedeutet, dass der Held Bastian, der einmal „Spinner" oder „Aufschneider" genannt wird, nach dem gelungenen Wechsel zwischen Menschenwelt und Phantásien zum guten Erzähler geworden ist: Er ist vom Aufschneider zum Erzähler geworden./Was soll „Menschenwelt und Phantásien" bedeuten? Diese Welten – das Außen und Innen des Buches – werden oft im Verhältnis von »Wirklichkeit / Nicht-Wirklichkeit« verstanden. Zwar hält Bastian am Anfang das Außen des Buches für „Wirklichkeit" und das Innen für „nur eine Geschichte", aber mit der Zeit wird diese Unterscheidung sinnlos, als klar geworden ist, dass Bastian wirklich ins Buch hineingeraten ist. Für ihn werden die beiden Welten »Wirklichkeit«./Es ist anregend, dass J. Hörisch diese Geschichte zum Thema „Alltäglichkeit" kommentiert. In der Tat kann man nach der Logik dieser Geschichte die Differenz von Alltag und Nicht-Alltag klar erkennen./Was Bastian vollbracht hat, war das Hin und Zurück zwischen Alltag und Nicht-Alltag. Das Größte, das Alltag und Nicht-Alltag bei dieser Geschichte unterscheiden sollte, ist der »Name« d.h. das Motiv der Sprache. Während in der Alltagswelt die Namen nur wie ein Etikett sind, müssen sie in der Nicht-Alltagswelt Phantásien Leben und Tatsachen schaffen. Und der Name ist der Schlüssel, wenn Bastian von der einen Welt in die andere Welt gehen will. Da gibt es die Welt, die der Name –der Eigenname – öffnet. Der Unterschied zwischen Alltag und Nicht-Alltag in dieser Geschichte ist derselbe, der die Ebenen der Sprache kennzeichnet./Und was für Bastian besonders wichtig ist, dass er in Phantásien einen Freund haben konnte. Der Freund Atréju ist ein Charakter, der als Vertreter Bastian gelten kann. Er übernimmt die Aufgabe, alle Geschichten Bastians in Phantásien im Namen Bastians zu Ende zu führen. Das kann man so interpretieren: wenn der erwachsene Bastian die Geschichte erzählt, dann ist der, der eigentlich im Namen – nämlich Körper – Bastians erzählt: Atréju.
著者
日名 淳裕
出版者
東京大学大学院ドイツ語ドイツ文学研究会
雑誌
詩・言語 (ISSN:09120041)
巻号頁・発行日
vol.80, pp.143-163, 2014-09

本稿は2013年12月13日にウィーン大学ドイツ学科で行われたドクター・コロキウムでの発表原稿を日本語に訳し加筆したものである。なおオリジナルのドイツ語原稿は2014年6月25日にウィーン大学文学部に提出された博士論文Zur Rezeption Georg Trakls nach dem Zweiten Weltkrieg. Produktive Rezeption, Intertextualität, Strukturanalogie, Fortschreibenの一章をなすものである。今回はオーストリアの詩人インゲボルク・バッハマンによるトラークル受容について調査した。その際、第一詩集『猶予された時』(1953)出版にいたる、パウル・ツェランの影響下にフィッカーとのコンタクトを模索した第一期、第二詩集『大熊座の呼びかけ』(1956)を準備していた頃の作曲家ハンス・ヴェルナー・ヘンツェおよび詩人マリー・ルイーゼ・カシュニッツとの交流から詩作品の質的発展を求めた第二期、バッハマンによるトラークル受容をこの二つの時期に分けて考察した。また比較的その詩風にトラークルの影響が指摘されることの少ない印象を与えてきたバッハマンの研究史を丹念に辿りなおすことで、二人の接点を多角的に示そうとする二次文献を複数見つけることができた。その成果は本論中に図表としてまとめてある。経済的必要を動機として指摘できたり、他の詩人の影響という間接的な受容であったり、大枠として当時の文学的モードに収まるものであったり、バッハマンによるトラークル受容の本質は見極めにくい。その上で本論は、バッハマンの第二詩集に顕著な「言葉の音楽化」をバッハマンによるトラークル受容の結果として提起し、説明を試みた。
著者
日名 淳裕
出版者
東京大学大学院ドイツ語ドイツ文学研究会
雑誌
詩・言語 (ISSN:09120041)
巻号頁・発行日
vol.73, pp.39-56, 2010-10

本稿は2009年度に提出した修士論文を大幅に改稿したものである。オーストリアの詩人ゲオルク・トラークルは1914年11月に従軍したガリチア地方クラカウの病院で自死したが、それ以来残された作品の解釈をめぐって多くの詩人、思索家らに言及されてきた。彼を経済的に支援したヴィトゲンシュタイン、1950年代に二つのトラークル論を書いたハイデガー、あるいはハイデガーとは真逆の理解を示したアドルノ、初期の作品にその影響が顕著な詩人ツェランらによる受容は有名であるが、現代詩人トーマス・クリングやテクノミュージシャンのクラウス・シュルツェといった比較的若い世代による解釈も注目に値する。彼らの受容評価は多様であるが、いずれもトラークルを詩人として捉えている点は共通している。散文や戯曲も残しているにもかかわらず、もっぱらその抒情詩のみが注目されてきた理由としては、生前から独占的にトラークルの作品を出版してきたチロル地方の文学グループ・ブレンナーの活動が指摘できる。本論はもうじき100年になるトラークル受容史の根幹においていまだ支配的なブレンナー・クライスによる理解を批判的に検討する。晩年の散文詩『啓示と没落』の評価をめぐって、ブレンナーの主張するような抒情詩の系譜においてではなく、同時期に制作された戯曲断片『小作人の小屋で...』との関わりにおいて草稿段階にまで遡り比較分析する。そこからアヴァンギャルドとしてのトラークルの功績を創作過程に探り、戯曲家ビュヒナーの影響に着目する。
著者
Hina Atsuhiro
出版者
東京大学大学院ドイツ語ドイツ文学研究会
雑誌
詩・言語 (ISSN:09120041)
巻号頁・発行日
vol.76, pp.31-42, 2012-03

本稿は東京大学ドイツ文学研究室で2011年6月30日に行われたドクター・コロキウムの発表原稿に加筆したものである。今回は1990年代のドイツ語詩を代表する詩人トーマス・クリング(1957-2005)の「ミューラウ,†」を取り上げた。この詩が1925年にブレンナーによって行われたゲオルク・トラークルの遺体(かれは1914年にクラカウの野戦病院で死亡し、その土地に埋葬されていた)のミューラウ墓地への輸送をテーマにしていることを実証しつつ、それを現代詩特有の複雑な統語法に支配された当作品を解読するための<鍵>であると考えた。さらに作品の目的が、単にトラークルの埋葬という歴史的事象を言語の中へと写しとることにではなく、その<音>による再構成をとおして同時的に、異なった歴史的事象へと意味内容をシフトさせることにこそあると考えた。ここで筆者は、哲学者ミシェル・フーコーの講演「異なった諸空間 (Andere Räume)」とそこで提起される<ヘテロトピア>という概念を積極的に参照し、詩という場所を舞台にした諸イメージの往来をクリングの詩学として定立せんと試みた。(本文ドイツ語)
著者
杉山 有紀子
出版者
東京大学大学院ドイツ語ドイツ文学研究会
雑誌
詩・言語 (ISSN:09120041)
巻号頁・発行日
vol.75, pp.65-86, 2011-11

ホフマンスタールの死後にR. シュトラウスはシュテファン・ツヴァイクのリブレットによるオペラ『無口な女』を完成させたが、ナチス政権によりその後の共作は妨げられることになる。本論ではヴァーグナー以後のオペラの形を模索したシュトラウスと、ホフマンスタールに代表される前時代の文学に根差しつつ戦間期に生き残る文学を試みたツヴァイクによって生み出されたオペラの意義を考察し、テクストの分析により1930年代前半のナチス政権成立前夜にこの「非政治的」喜劇に込められた対時代的意味を明らかにする。