著者
奈良 雅史
出版者
「宗教と社会」学会
雑誌
宗教と社会 (ISSN:13424726)
巻号頁・発行日
vol.19, pp.33-47, 2013-06-15 (Released:2017-07-18)
被引用文献数
1

本稿では、回族の大学生により行われるダアワ運動(宣教活動)を事例として、現代中国の回族社会におけるイスラーム復興運動がいかなるプロセスであるのかを考察する。「改革・開放」以降、中国では宗教が急速に復興してきた。学生による宣教活動もその一つで、2000年代以降、活発化してきた。先行研究は、ムスリムの宗教意識の高まりを前提として、宣教活動などのイスラーム復興運動を捉える傾向にあった。しかし、本稿の事例から明らかになるのは、その活動を担う学生の多くが、必ずしも敬虔なムスリムではないということである。この活動は、宣教だけでなく、普通教育の振興、異性との出会いなど様々な目的を持った人々の部分的な利害の共有により展開されている。本稿は、このように異なる意図を持つ人々がいかに共同し、活動を展開させているのかを「改革・開放」以降の漢化とイスラーム復興が同時に進展する回族社会の変容との関わりから考察する。
著者
二宮 文子
出版者
「宗教と社会」学会
雑誌
宗教と社会 (ISSN:13424726)
巻号頁・発行日
vol.17, pp.3-16, 2011-06-11 (Released:2017-07-18)

スーフィー聖者は、インドにおいて非常にポピュラーな聖者である。本稿では、中世インドのスーフィーが、いかなる要素を以て、信者から聖者として認められたのかを分析し、スーフィー聖者を生み出した社会文化背景の理解を目指す。14世紀のスーフィー聖者、ジャラールッディーン・ブハーリーの事例からは、彼が聖者として認められた要因として、大きく三種類の要素が挙げられる。スーフィズムの修行道であるタリーカとその枠組み、サイイドやシャイフの血統、旅の経験とそれによってもたらされる物品や学識である。これら三つの要素の分析からは、スーフィー聖者はイスラーム的な聖者であること、タリーカの枠組みはスーフィー聖者だけではなく血統に由来するサイイド崇拝にも適用されていたこと、旅の経験を持つスーフィーが新奇なものをもたらす存在として崇拝された可能性が指摘できる。
著者
藤井 麻央
出版者
「宗教と社会」学会
雑誌
宗教と社会 (ISSN:13424726)
巻号頁・発行日
vol.27, pp.1-15, 2021-06-05 (Released:2023-06-24)
参考文献数
35

本稿では、明治中期から昭和初期に金光教が組織を整備する場面で、教会制度と教義がどのように関係していたか、森岡清美の宗教組織論を手掛かりにして考察した。その結果、森岡が日本の宗教運動体の原組織と指摘した信仰の導き関係を媒介とする派閥的結合が制度の間隙を縫って作用していくことがわかった。一方で、教義的にあるべき姿とされた「布教者や教会は神を前にして平等である」ことを体現する水平的結合の教会制度を構築して導き関係を統制する経過も明らかとなった。金光教では「手続き」と呼ばれる導き関係を「純信仰的」なものとして、教会制度において行使することを否定したのであった。このような金光教の中長期的経過を分析することによって、信仰の導き関係を媒介とする派閥的結合と金光教が備える平等観が拮抗する中で、教義が教会制度に対して規範的な力を有しながら両者が相互作用する展開過程が示された。
著者
藤本 龍児
出版者
「宗教と社会」学会
雑誌
宗教と社会 (ISSN:13424726)
巻号頁・発行日
vol.13, pp.51-73, 2007-06-09 (Released:2017-07-18)

イラク戦争を押しすすめた世界観を提供したのは、ネオコンと宗教右派だと言われている。すでに現在では、イラク戦争にたいする反対の声が多くなってきた。しかし、今後、両者の世界観は完全にその思想的な説得力を失うのだろうか。これまでネオコンと宗教右派については「両者がどれほどブッシュ政権にたいして現実的な発言力をもっているのか」ということが論じられてきた。しかし、上記のような問題を考察するためには「両者はどれほどアメリカ国民にたいして思想的な説得力をもっているのか」ということを問わねばならない。そこで、こうした問題を問うために、両者を公共哲学的な観点から比較する。本稿では、両者の世界観がもつ影響力の射程を明らかにし、両者を建設的に批判するための条件を導き出すことを目的とする。第1章では宗教右派の世界観を、第2章ではネオコンの世界観を明らかにし、第3章では、両者の世界観を比較して、その共通点と相違点を浮かび上がらせる。そして最後に、両者を建設的に批判するための手がかりを導きだす。
著者
薄井 篤子
出版者
「宗教と社会」学会
雑誌
宗教と社会 (ISSN:13424726)
巻号頁・発行日
vol.10, pp.3-23, 2004-06-12 (Released:2017-07-18)

本論稿の目的は、性差別撤廃を願う女性たち/男性たちが、日本のキリスト教界でどのようなジェンダー問題をめぐる提起を行なってきたのかを概観することにある。1989年、日本基督教団総会上で「性差別問題特別委員会」の設置が承認された。委員会の取り組んだ問題は多岐に渡るが、その焦点は教団における女性の参画率の低さの改善、結婚式式文に見られる性差別表現の削除、同性愛者排除の言説批判に向けられた。それらへの取り組みから、委員会は結婚式と牧師職の現状に現われている「男性=牧師=聖なるもの」というジェンダー構造を指摘し、教会の構造自体が性差別と強制異性愛主義を内包していることを批判した。2002年度の総会において機構改組を理由に委員会の活動は廃止された。約14年間にわたるその活動の軌跡は、宗教集団においてジェンダーをめぐる議論を行なうことがいかに困難であるかを物語る。しかし同時に、宗教集団は伝統的なジェンダー構造の再検討を迫られる状況にあることも伝えている。
著者
河西 瑛里子
出版者
「宗教と社会」学会
雑誌
宗教と社会 (ISSN:13424726)
巻号頁・発行日
no.19, pp.1-15, 2013-06-15

本稿の目的は、「ニューエイジ」の町として知られる、イギリスの「聖地」グラストンベリーにおいて、これまで取り上げられてこなかった地元民とニューエイジ産業に携わる移住者との関係に注目して、両者の共存のあり方とそこから生じていることについて考察することである。これまでの聖地研究や観光研究では、その土地に暮らす住人と巡礼者/観光客の関係については論じられてきたが、地元民とその土地に移住した人々との関係は議論されてこなかった。本稿では、ホスト・ゲスト論における「メーカー」という視点や、移民研究における移民の受容過程に関する知見を参考にしながら、地元民がニューエイジ産業に向けたまなざしに焦点を当てる。そして、積極的に関係をつくらない共存のあり方が結果としてニューエイジ産業の隆盛を招いていることと、地元民が移住者を受け入れる過程でニューエイジ産業を目的にやってくる訪問者を無視できないことを指摘する。
著者
渕上 恭子
出版者
「宗教と社会」学会
雑誌
宗教と社会 (ISSN:13424726)
巻号頁・発行日
vol.1, pp.49-76, 1995-06-10 (Released:2017-07-18)

去る1993年7月、朝鮮の国祖檀君を祀る韓国の民族宗教である「檀君教本部聖殿」の教祖で、パクス巫堂(男性降神巫)にして韓国の政財界人のお抱え占い師・霊能師であったK氏が、「ハナニム」の召命によってキリスト教に改宗し、韓国の宗教界に多大なる衝撃を与えている。檀君教教祖の劇的な回心には、朝鮮の宗教史における民族宗教・檀君教とキリスト教間の「ハナニム」-元来朝鮮民族の神であるが、今ではキリスト教の神となっている-をめぐる神観念の連係と相剋が絡んでいると思われる。本稿では、K氏のキリスト教改宗の顛末を、朝鮮民族の始祖檀君との接神からイエス迎接に至るまでのK氏の霊的体験を中心に見てゆき、教祖論を展開しながら、韓国の民族宗教とキリスト教の彼方に広がる「ハナニム教」の地平を仰いでみたい。
著者
石渡 佳美
出版者
「宗教と社会」学会
雑誌
宗教と社会 (ISSN:13424726)
巻号頁・発行日
vol.2, pp.3-23, 1996-06-15 (Released:2017-07-18)
被引用文献数
1

本稿は、宗教が家族の変容に対してどのような意味づけを行うかを特に女性の性役割に焦点をあて考察することを目的としている。ここでは新宗教の一つであるPL教団をとりあげ、その「夫婦」を重視する教えに着目し、その背景にある問題と教団の意図を考える。教団の男女観はその夫婦観が反映されたものであり、女性の性役割のなかでは妻役割を非常に重視している。夫婦という構造のなかで「妻」はどめような意味をもつのであろうか。戦後、社会状況また女性の意識や生活形態は著しく変化した。高度経済成長期以降、子供に対する関心の高まりから教団では女性に「母」としての役割を強調していくが、この妻と母という役割にはどのような関係性があるのだろうか。そして、この妻・母役割の構造は教団の世界観にどのように位置づけられるのかを考察したい。
著者
尾堂 修司
出版者
「宗教と社会」学会
雑誌
宗教と社会 (ISSN:13424726)
巻号頁・発行日
vol.8, pp.39-58, 2002-06-29 (Released:2017-07-18)

教祖による終末予言が失敗した教団においては、神義論上の対処が要求される。本稿は、終末後の教団における神義論構築の(世界の苦や不完全性の解決を説明する)観点から、オウム真理教が名称変更した宗教団体アレフの終末論とカルマ説の接合という現象に注目した。本教団では、教団と日本を同一視する「アレフ(オウム)日本パラレル理論」や「歴史周期説」が唱えられている。このパラレル理論や歴史周期説と終末予言との関連解明を試みた。本稿では、教団が予型論的思考を用いて、カルマ説と終末予言を接合したと分析した。予型論とは、旧約聖書の記述が新約聖書の雛形、予型として存在するという、聖書解釈上の一つの考え方である。予型論的思考の適用により、予型としての教団(日本)の歴史が、日本(教団)の歴史で再現されると解釈されることになる。この予型論的神義論が、終末予言の失敗を説明し、未来ビジョンを構築する原理になったと考察した。
著者
岡田 正彦
出版者
「宗教と社会」学会
雑誌
宗教と社会 (ISSN:13424726)
巻号頁・発行日
vol.7, pp.71-90, 2001

文化7年(1810)、普門円通は主著である『仏国暦象編』を刊行し、自らの「仏教天文学」の学的組織を体系化した。「梵暦」あるいは「仏暦」と呼ばれる、この「仏教天文学」は、古今東西の天文学の知識をもとに仏典の天文に関する記述を渉猟し、最大公約数的な仏教天文学を体系化したものである。円通は天保5年(1834)年に没したが、その薫陶を受けた人々は「梵暦社」というネットワークをつくり、しばしば「梵暦運動」と呼ばれる思想運動を展開した。円通とその弟子たちの活動とその規模は、近世末期における仏教系の思想運動では特筆すべきものの一つである。ここでは、これまで省みられることの少なかった円通の門人たちによる理論を紹介し、仏教の各宗派に広く取り入れられながらも突然に姿を消した、梵暦運動の消滅とその後の「沈黙」の意味を考えたい。