著者
桂 悠介
出版者
「宗教と社会」学会
雑誌
宗教と社会 (ISSN:13424726)
巻号頁・発行日
vol.27, pp.65-80, 2021-06-05 (Released:2023-06-24)
参考文献数
37

本稿では、日本人ムスリムの改宗までの諸経験に着目することで改宗プロセスの分類を行う。先行研究においては、日本人の改宗の大半はムスリムとの結婚が契機であるとされ、結婚以外の経験は十分に着目されてこなかった。本研究ではまず、欧米の先行研究から「便宜的改宗者」と「確信(意識)的改宗者」、及び「関係的改宗」と「理性的改宗」という分析視点を提示する。これらの視点を基に、インタビューデータや入信記にあらわれる諸経験を検討する。そこで、日本においても、グローバルな人や情報の移動の中で生じるムスリムとの交流や海外渡航等が契機となる関係的改宗や、読書、勉強会、議論などが重要となる理性的改宗が時に重なり合いながら現れていることを指摘する。一つの要因に還元できない多様な経験に着目する本稿は、従来の日本人の自己像と他者としてのムスリム像の双方を問い直し、今日のイスラームをめぐる共生の課題解決に向けたひとつの視座を提供するものである。
著者
岡田 正彦
出版者
「宗教と社会」学会
雑誌
宗教と社会 (ISSN:13424726)
巻号頁・発行日
vol.7, pp.71-90, 2001-06-17 (Released:2017-07-18)

文化7年(1810)、普門円通は主著である『仏国暦象編』を刊行し、自らの「仏教天文学」の学的組織を体系化した。「梵暦」あるいは「仏暦」と呼ばれる、この「仏教天文学」は、古今東西の天文学の知識をもとに仏典の天文に関する記述を渉猟し、最大公約数的な仏教天文学を体系化したものである。円通は天保5年(1834)年に没したが、その薫陶を受けた人々は「梵暦社」というネットワークをつくり、しばしば「梵暦運動」と呼ばれる思想運動を展開した。円通とその弟子たちの活動とその規模は、近世末期における仏教系の思想運動では特筆すべきものの一つである。ここでは、これまで省みられることの少なかった円通の門人たちによる理論を紹介し、仏教の各宗派に広く取り入れられながらも突然に姿を消した、梵暦運動の消滅とその後の「沈黙」の意味を考えたい。
著者
李 〓文
出版者
「宗教と社会」学会
雑誌
宗教と社会 (ISSN:13424726)
巻号頁・発行日
vol.9, pp.133-152, 2003-06-14 (Released:2017-07-18)
被引用文献数
1

本稿は現代中国農村におけるカトリック修道女の宗教実践と社会関係に注目し、ジェンダーをはじめとする経済状況、地域、階級など複数の要素が絡み合うキリスト教の現状と役割を考察する。その際、西洋教会と中国政府という中国教会の外部にあって影響力をもつ宗教ならびに政治機関と修道女との関係、および教会内部における神父と修道女との関係について分析する。さらに、キリスト教と中国社会のジェンダー・システムの相互作用が修道女のジェンダー・アイデンティティと宗教実践に影響を与えていることを明らかにする。教会におけるジェンダー関係はさまざまな社会関係において不断に交渉され、再構築されているのである。
著者
今泉 寿明
出版者
「宗教と社会」学会
雑誌
宗教と社会 (ISSN:13424726)
巻号頁・発行日
vol.1, pp.29-48, 1995-06-10 (Released:2017-07-18)

シャーマニズム性を有する伝承的占い遊戯「こっくりさん」の知識、体験、解釈に関する初めての広域実態調査を1992年に実施した。静岡県、愛知県、徳島県、沖縄県に在住する一般成人2,000名に調査票を配付し、1,636名(20〜69歳)の解析用データを得た。知識獲得と遊戯体験は概ね学齢期(7〜18歳)に限定され、遊戯形態は学校ないし家庭・地域社会での集団型が大部分を占めていた。知識の性差はめだたないが、体験は女性の方にやや高率にみられた。年齢、性別を問わず心霊現象という解釈よりは科学的な解釈の方が優勢であった。 1930年代から現在までの「こっくりさん」流行史は社会変動と関連しており、安定伝承期(1930〜1945年、昭和初期〜敗戦)、低迷期(1946〜1973年:本土の戦後復興〜高度経済成長/沖縄の本土復帰前)、興隆期(1974〜1992年:本土の高度経済成長以降/沖縄の本土復帰後)に区分されることが示唆された。
著者
鈴木 健太郎
出版者
「宗教と社会」学会
雑誌
宗教と社会 (ISSN:13424726)
巻号頁・発行日
vol.1, pp.5-28, 1995

今日の日本における占い人気の高さは世人の広く認めるところであるが、現代日本の占いを扱った学術的な研究は未だほとんどなされていないのが現状である。そこで、本稿ではまず、今後行われるべき占い研究の足がかりを得るために、複雑多様な様相を見せている諸々の占いを幾つかの類型に分類・整理することを試みる。類型化にあたっては、個々の占いを成り立たせている究極的根拠(占考原理)の種別と、運勢を好転させるための対処策の性格に見られる差異を分類の指標とし、研究の資料には一般読者向けに書かれた「占い本」を用いることにする。さらに後半では、分類作業によって得られた3つの類型のそれぞれが持つ固有の特質を、人間の運勢を左右する基因が人間とどのような関係にあると捉えられているかといった把捉様式のレベルに求めていく。そこには日本の宗教的な思惟・意識の構造を解明するための糸口の一つが潜んでいると考えられるからである。
著者
中西 尋子
出版者
「宗教と社会」学会
雑誌
宗教と社会 (ISSN:13424726)
巻号頁・発行日
no.10, pp.47-69, 2004-06-12

統一教会の合同結婚式では、信者は自ら選んだ相手とではなく、教祖が選んだ見知らぬ相手と結婚する。本稿では、なぜ信者は合同結婚式を受け入れ、その後の結婚生活を継続できるのかを合同結婚式で韓国人男性と結婚し、韓国農村部に暮らす日本人女性たちへの聞き取り調査から考察する。統一教会がめざす「地上天国」は、国家・民族・宗教が垣根を越えて一つになった平和な世界であるとされる。それは神の血統をもった人類が生み殖えることによって実現されるという。彼女たちは入信前から生きる意味を求め、世界の平和について関心をもっていた。韓国人男性と結婚し、神の血統を持つとされる子どもを生み育てることは、結婚生活それ自体が平和への実践となり、生きる意味と意識される。ここに彼女たちが抱いていた欲求と統一教会の結婚観との一致がある。彼女たちは現実の結婚に希望をもっていなかったけれども、統一教会の結婚は意味ある結婚となった。
著者
熊田 一雄
出版者
「宗教と社会」学会
雑誌
宗教と社会 (ISSN:13424726)
巻号頁・発行日
no.3, pp.37-61, 1997-06-14

この論文は、宗教社会学と女性学の交点に関わる実証研究であり、研究対象は第IV期新宗教の代表格のひとつであるGLA系諸教団(「エルランティの光」)、研究テーマは日本的母性(文化的構築物としての母性)である。まず第1章では、女性の社会進出の潮流とともに、日本的母性が文化的構築物として問題化されるようになった経由を振り返る。第2章では、GLA系諸教団とは何かを、その教義上の大きな特色である科学宗教複合世界観と内向的現世離脱的宗教性を中心に説明する。第3章では、内観療法とは何かを、その宗教的起源・母子関係の重視・広範囲の応用を中心に説明する。第4章では、「エルランティの光」の大小セミナーにおける「母の反省」を、「当然視/美化→憎悪→感謝」と進める過程を中心に紹介する。第5章では、日本的母性の中の「愛情という名の支配」あるいは「共依存の病理」一般に対するこのグループの鋭敏な姿勢を見る。最後に第6章では、日本社会である程度まで進行しつつあるジェンダーレス化の潮流の中で、このグループがどのように位置づけられるかを分析する。
著者
繁田 信一
出版者
「宗教と社会」学会
雑誌
宗教と社会 (ISSN:13424726)
巻号頁・発行日
pp.77-98, 1995-06-10

本稿の目的は、医療および呪術の平安貴族社会における治療手段としてのあり方、および、平安貴族の治療の場面における医療と呪術との関係を把握することにある。この目的のため、平安貴族の漢文日記(古記録)を主要史料として用いるが、考察にあたっては近年の医療人類学的研究の成果をも利用し、次に示す諸点について明らかにする。(1)平安貴族社会において、医療および呪術は一定の専門知識にもとづく技術として認識されていたのであり、また、(2)平安貴族は医療と呪術とをそれぞれ別個の技術体系に属するものとして認識していた。したがって、(3)平安貴族社会における治療手段は、医療と呪術とによる二元的なものだったのであるが、(4)医療と呪術とは相互に排除し合う関係にあったわけではなく、そのいずれもが各々の資格において有効な治療手段として認識されていた。また、(5)呪術は医療の有効性および安全性を保障・保証するものと見做されてもいたのであり(6)総合的に見るならば、平安貴族社会における医療と呪術との関係は相互補完的なものであった。
著者
四條 知恵
出版者
「宗教と社会」学会
雑誌
宗教と社会 (ISSN:13424726)
巻号頁・発行日
vol.18, pp.19-33, 2012

キリスト教の信仰に影響された特徴的な語りが長崎で生まれた。この背景には、永井隆という人物の影響があるとされる。カトリック教徒であった医学博士永井隆は1951年に病没するまでの間に旺盛な執筆活動を行い、現在も長崎の原爆の象徴として一般に語られる人物であるが、『長崎の鐘』[1949]に代表される彼の著作に見られる原爆に対する独特な思想〔燔祭説:原爆死を神への犠牲(燔祭)と捉える考え方〕は、占領軍への親和性や原爆投下責任の隠蔽、さらには長崎における原爆の記憶を発信する上での消極性につながるなどとして批判を受けてきた。しかしながら、そこでは永井の思想が与えた影響力は常に前提とされ、実際の受容状況が測られることはなかったといえる。本稿では、純心女子学園を対象に、原子爆弾による甚大な被害がどのよう語られてきたのかを考察することで、燔祭説の受容と戦後65年間にもたらされた変化を提示する。
著者
藤原 潤子
出版者
「宗教と社会」学会
雑誌
宗教と社会 (ISSN:13424726)
巻号頁・発行日
vol.14, pp.45-68, 2008

本稿は、現代ロシアにおける宗教的求道の特徴について、歴史観との関係から論じるものである。ソ連崩壊後のロシアにおいて、ナショナリズムはしばしば正教ナショナリズムの形を取って現れる。しかしロシア正教会は実は一枚岩ではない。歴史的状況との関連の中で、教団類型論におけるチャーチ的な教会(モスクワ総主教を長とする)の他に、旧教、カタコンベなどと呼ばれるセクトが現れたからである。本稿では、求道の過程で幾度も所属教会を変えていった正教徒夫妻のライフヒストリーを事例として取り上げ、その求道がまさに「真のロシア史」への探求だったことを示す。彼らにとって何が「真の歴史」かという問題は、どこに「真の聖性」があるのかという問題と切り離せない。新たな宗派との出会いを通じてロシア史をめぐる問題の新たな局面が開ける度に、彼らは自らが正しいと信じる「歴史」を選択していったのである。