著者
福武 慎太郎
出版者
上智大学
雑誌
若手研究(B)
巻号頁・発行日
2011

2002年に正式独立を果たした南洋の島国、東ティモール民主共和国のナショナリズムに関連する問題について、現地におけるフィールドワークと文献調査で得られた知見にもとづき考察をおこなった。東ティモールの公用語であるテトゥン語を共通言語とし、カトリック信徒で、かつティモール島南部にかつて存在した王国とのつながりを共有するテトゥン社会は、東西国境をはさみ合計50万人規模であり、人口100万人の東ティモールにおいてけっしてマイノリティではない。親族や姻戚関係、そして商業目的での国境の往来は頻繁におこなわれており、「東ティモール人」アイデンティティを理解する上で重要な文化圏であるとの見解に至った。
著者
村田 真一 大平 陽一 野中 進 フレーブニコワ ヴェーラ ヴェスツテイン ヴィレム シャートワ イリーナ ロマーヒン アンドレイ ボチーエフ ステパン
出版者
上智大学
雑誌
挑戦的萌芽研究
巻号頁・発行日
2016-04-01

間芸術性(芸術の媒介性)の概念を用いて、現代の文学・映画・演劇・デザインのジャンル間で交わる要素の理論的・実践的研究を日本・ウクライナ・ロシア・セルビア・オランダの研究者と芸術家の参画を得て行ない、間芸術性と20世紀芸術に関する国際セミナー開催と出版物(『アヴァンギャルド詩学の間芸術性』、2018年、ベオグラード大学出版部)により、その国際的研究の成果をまとめた。これにより、内外の研究者のみならず、学生・院生や芸術文化に関心のある一般の人々にも、新しい芸術研究の視点と手法を提示することができた。
著者
冨原 眞弓
出版者
上智大学
雑誌
Les Lettres francaises (ISSN:02851547)
巻号頁・発行日
vol.1, pp.34-58, 1981-05

本論は,序論,結論を含めて全五章より成る。序論では,三世紀半ばに没し,聖書の極端な寓意的解釈が,プラトン哲学を始めとするギリシア思想の影響によるものとされて,再度,公会議に於て断罪されたアレクサンドリアの神学者の命題が,十三世紀半ばに編纂された,ロンバルディア地方のカタリ派の書物『二原理の書』に,直接,間接の影響を及し得たか否かについて,両者の文献の比較研究に基づいた批判,検討を試みる.序論で得られた肯定的な結論に則って,本論を構成する三章では,オリゲネスの『魂の前存在説』とカタリ派の『原初的諸原素の前存在説』との比較を,以下に述べる三段階に分けて行う.オリゲネスが,創造に先立って存在していた,純粋な霊的実体=魂なるものを想定していたことは,彼の著作『諸原理について』,『ヨハネ福音書注解』からも明らかである.彼は,これらの霊的実体が,神の創造のわざを通じて,前世に於ける功徳の度合に応じて,天使,人間,悪魔の三種の範鴫に振り分けられたとする.一方,『二元理の書』の編纂者は,《無からの創造》というカトリックの概念に真向から対立し,神の創造のわざとは,既に原初から存在していた《基本諸原素》に,新らたな要素を附加して,三種の質的に異なる現実を生み出すことであると考えた.カタリ派はこれらを,純粋に善の原理からのみ成る第一の創造,完全に悪の原理からのみ成る第三の創造,そして,両者の中間に位置する,善悪二原理の混淆より成る第二の創造と呼んだ.カタリ派の《原初的諸原素の前存在説》は,アラビア哲学を仲介とした古代ギリシア哲学の遥かな反映であることは疑い得ない.従って,本論の目的は,オリゲネス,カタリ派の両者が,如何なる意図と視座に基づいて,魂,或いは,原初的諸原素の前存在説という,すぐれてギリシア哲学的概念を,自らの神学休系の中に吸収していったかを解明することにある.独特の用語法,聖書の寓意的解釈,霊肉二元論の強調,仮現説と御子従属説を想起させなくもないキリスト論など,オリゲネスとカタリ派の思想的類縁性を示唆する要素は多い.一方,両者の前存在説が,同一のコスモロジーに基くものでもなければ,同一の論理的必然性に支えられているものでもないことは確かである.悪の存在と,自由意志の問題が,それぞれの前存在説に,全く異なった論証への道を開く.絶対的唯神論者であるオリゲネスは,悪の導入が善そのものである神の直接的介入によるものとは考えず,創造以前に既に存在していた《霊魂》の過ちによるものと考える.天使,人間,悪魔という範疇も,神の任意の選びに基くものではなく,それぞれの魂の前世の行いに照応した賞罰の論理的帰結に他ならない.オリゲネスの前存在説は,かくして,悪の存在に関しての神の無罪証明と,神の公平さと理性的被造物の自主性の確信の上に成り立っている.然るに,善悪二元論を標榜するカタリ派にとっては,善の神は全能でもなければ,生成生起するものすべての直接原因でもない.善の神の権能は,純粋に霊的な分野に限られており,霊肉混淆の現世は悪の原理の支配下にあると見倣される.悪が存在するのは,原初から存在する悪の原理の働きによるもので,理性的存在の自由意志は完全に否定され,すべては一種の救霊予定説によって予め決定されている.結論として,幾つか認められる教義上,用語上の類似にも拘らず,オリゲネスとカタリ派の前存在説は,自由意志と悪の原因に関する限り,それぞれの神学体系内に於て全く異質の射程を持つものであると言えよう.
著者
鬼頭 宏 上山 隆大 鬼頭 宏
出版者
上智大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2000

本研究『医療市場の誕生とその規制に関する歴史的・実証的研究:大衆消費社会における「市場と国家」のケーススタディ』は13年度中に、その調査を終えた。本研究の基本的な目的は、世紀末のイギリスがいかに多様かつ「モダーン」な消費社会の時代に突入していたかを、とりわけ医療の現場におけるコンシューマリズムの浸透を示すいくつかのケース・スタディーを通して明らかにすることにある。これまで多くの経済史家・社会史家は19世紀とくに後期ヴィクトリア朝期のイギリスを、individualismの時代からやがてくるcollectivismの時代への過渡期と捉えてきた。古くはA.V.DiceyからDerek Fraserまで多くの歴史家が、19世紀末には肥大化し始める官僚制と中央政府の役割の増大を背景に、社会はレッセ・フェールと個人主義の気運を徐々に失い個人の福祉まで国家による規制と統制に委ねようとし始めたと論じてきたし、あるいはHarold Perkinのように、19世紀は医学や法律などの専門家集団がrespectable societyの中心を担うプロフェッショナライゼーションの時代であり、そこでもライセンスの発行や医師法・弁護士法などを通した行政の強い管理と規制が大きな役割を果たすようになったと考えてきた。後者の議論は、伝統的なジェントルマンの理念とモラルがこうしたプロフェッション社会の確立に大きく寄与したとする点で、最近のP.J.Cain+A.G.Hopkinsのジェントルマン資本主義の議論とも相通じるものがあるだろう。これらの通説をすべて否定するものではないけれども、19世紀末には医療、教育、法制度、レジャーなど様々な分野で、行政のレギュレーションの効力はむしろ急速に浸透する「市場の力」によって弱められていた。本研究は、とくに医療の分野に焦点を当て、(1)強まる消費社会の圧力が、健康を医者の権威の管理下に置くことに満足せず、市場に出回る数知れない健康器具・滋養強壮薬で買おうとする消費者を生んだこと、(2)営利目的の医療会社が生まれマーケットでの医療活動を始めたこと、(3)こうした医療の市場化が伝統的な医者たちとの摩擦を生んだこと、(4)健康を買おうとする消費者をターゲットにニセ医者が群がりでたこと、(5)多くの保険会社が医者を雇い医療検査を施して健康市場に参入しようとしていたこと、を明らかにした。
著者
長田 彰文
出版者
上智大学
雑誌
上智史學 (ISSN:03869075)
巻号頁・発行日
vol.52, pp.1-37, 2007-11

Owing to the dispute about the construction of a irrigation route across the Itung River at the north of Changchun in Jilin Province by Korean farmers who fleed to there from Korea under the rule of Korea by Japan but were also the "subjects" of Japan, the so-called "Wanpaoshan Incident" happened between the Chinese farmers or authorities and the Korean farmers or the Japanese authorities in Manchuria from June to July, 1931. There was no dead casuality in the incident. But the news that many Koreans there were killed or injured by the Chinese were reported in some Korean newspapers. So enraged Koreans in Korea attacked the Chinese in Korea and destroyed the Chinese shops or houses at many cities, and over a hundred of Chinese were killed or injured and many Chinese who escaped from the Korean attack fleed to China. Accepting the "Wanpaoshan Incident" and the "Korean Incident", the Japanese authorities and the Chinese authorities negotiated many times to solve the problems of indemnity from Japan to China about the loss of Chinese lives and properties, deportation of Koreans in Manchuria from there, naturalization of Koreans there, and the strengthing of the Japanese military forces in Manchuria etc. But the negotiation could not become successful and the "Manchurian Incident" happened at September, 1931 partly because of the "Wanpaoshan Incident". Through the process of the "Wanpaoshan Incident", the "Korean Incident" and the negotiations between Japan and China, many of the Unites States diplomats, missionaries and businessmen in Manchuria and Korea observed or researched the situations to reach the truth and judged that the Japanese authorities did not endeavored to prevent the troubles between Koreans and Chinese in Manchuria and Korea and that they stirred the two "Incidents" in order to strengthen their position in Manchuria and Korea.
著者
阿部 仲麻呂
出版者
上智大学
雑誌
カトリック研究 (ISSN:03873005)
巻号頁・発行日
vol.77, pp.71-110, 2008

Kitaro Nishida was a philosopher and a religious artist of the 19^<th>/20^<th> century. His was the first major philosophical work written in Japanese. This article describes Nishida's thoughts (his religious Faith, logical Theory and Practice of the Agape or the Kenosis as the Fundamental Chola), influences on later generations and his continuing relevance in modern times (Masaya Odagaki, Isao Onodera, and Seiichi Yagi). Odagaki, Onodera, and Yagi's understanding of the Holy Spirit is the Life-Contextial Pneumatology. This perspective is a new theory in traditional Occidental philosophy and theology. But this perspective doesn't have personalistic aspects. Then, the Greek Father St. Gregory of Nyssa was a theologian and philosopher of the 4^<th> century. His was the first major work written in language of the Agape. This article describes Gregory'thoughts (his Faith, logical Theory and Practice of the Agape as Kalon or the Truth-Good-Beauty), influences on later generations and his continuing relevance in modern times (Hisao Miyamoto). Gregory and Miyamoto's understanding of the Holy Spirit is the Kenosis as the Fundamental Chola of the Personalistic Pneumatology and the Life-Contextual Pneumatology. When we understand the Holy Spirit, we never forget the view point of the Kenotic Pneuma.

2 0 0 0 OA 藤原孝道略伝

著者
石田 百合子
出版者
上智大学
雑誌
上智大学国文学論集 (ISSN:02880210)
巻号頁・発行日
vol.15, pp.79-114, 1982-01-16
著者
春原 昭彦
出版者
上智大学
雑誌
ソフィア : 西洋文化ならびに東西文化交流の研究 (ISSN:04896432)
巻号頁・発行日
vol.42, no.3, pp.125-128, 1993-09-30