著者
福武 慎太郎
出版者
上智大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2015-04-01

コーヒーチェリー栽培をおこなう東南アジア島嶼部の高地民の暮らしについて、1)コーヒーチェリー栽培導入の歴史的経緯と貨幣経済の浸透、2)贈与交換経済と貨幣経済の関係について、現地調査と文献調査に基づき考察した。東南アジアの高地社会では、植民地統治が本格化する20世紀初頭まで貨幣使用は限定的であり、少なくとも1980年代まで贈与経済が優勢であった。独立後の東ティモールでは、コーヒー・チェリー栽培の収益への経済的依存が高まっている一方、贈与経済は根強く、市場経済と贈与経済の並存が高地民の生活を圧迫していることが明らかになった。
著者
東長 靖
出版者
上智大学
雑誌
上智アジア学 (ISSN:02891417)
巻号頁・発行日
vol.20, pp.25-44, 2002-12-27

<特集> ジャウィ文書研究の可能性(Study of Jawi Documents) 第1部:ジャウィからみた東南アジアの諸相(Part1:Aspects of Southeast Asia from the Viewpoint of the Jawi document)
著者
K リーゼンフーバー 鈴木 伸国
出版者
上智大学
雑誌
カトリック研究 (ISSN:03873005)
巻号頁・発行日
vol.76, pp.1-44, 2007

In the transition from medieval scholasticism to early modern philosophy, the problem of the relation between faith and reason was raised by the Italian humanists of the fifteenth century. Searching for human perfection, they connected the ideals of ancient rhetoric with the faith of the Fathers of the Church. Marsilio Ficino (1433-1499) was the founder and leading spirit of the Platonic Academy in Medici-Florence. Through comprehensive translations, interpretations and systematic works he created a Christian philosophy supported by Platonic ontology and metaphysics of the mind. Aiming at contemplation of God or "learned piety", his theocentrism is mediated by an analysis of the mind's natural inclination to eternal beatitude. Thus, knowledge of transcendence and immortality of the human soul are the fundamentals of the mind's ascent to God, which is guided by biblical faith as taught by the authority of the Church and illuminated by rational reflection on self-knowledge. The convergence of reason and faith or philosophy and religion is endorsed historically by the development of ancient philosophy ("prisca theologia"), which - according to Ficino's construction - leads from Egyptian hermetic thought through Greek philosophy with its culmination in Plato, to Plotinos' neo-platonic theology and its medieval tradition up to Ficino's time. The neo-platonic conception of the mind in its relation to God, however, is said to have originated under the influence of the apostolic preaching as handed down through "Paul's disciple" Dionysios Areopagites and, later on, by Origen, an acquaintance of Plotinos. In this systematically and historically wide-ranging synthesis of Platonic philosophy and Christian faith, Ficino feels himself confirmed by the Church Fathers, especially by Augustine, who not only was led to Christianity by reading neo-platonic writings, but also after his conversion integrated Platonic philosophy with Christian theology, thus opening an intellectual access to faith.
著者
粂田 文
出版者
上智大学
巻号頁・発行日
2013

論文博士(乙第292号)
著者
安西 徹雄
出版者
上智大学
雑誌
ソフィア (ISSN:04896432)
巻号頁・発行日
vol.37, no.3, pp.p475-482, 1988
著者
新井 潤美 西川 克之 松本 朗 小山 太一 佐々木 徹 丹治 愛 草光 俊雄 加藤 めぐみ 前 協子 安藤 和弘
出版者
上智大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2013-04-01

① 1981年の『炎のランナー』以降、サッチャー政権下のイギリスは、のちにヘリテージ映画と呼ばれることになる多数の映画を生み出していく。代表的なヘリテージ映画を解釈しながら、それらの映画がどのような主題的、映像的、イデオロギー的特徴を共有しているのかを具体的に議論した。② その一方で、ヘリテージ映画にかんする代表的な批評論文(とくにアンドリュー・ヒグソンのもの)を読み、自分たちが進めてきた個々の映画の作品論に照らして、その一般的な定義を批判的に検証し、それがもつ問題点をあぶり出すとともに、ヘリテージ映画にかんする新たな定義にむけて議論を重ねた。
著者
川田 侃
出版者
上智大学
雑誌
アメリカ・カナダ研究 (ISSN:09148035)
巻号頁・発行日
vol.5, pp.1-32, 1990-08-30

一国の世界市場での国際競争力が強くなり, その国の世界における産業的・経済的優越性が顕在化して, 経済的覇権の樹立がみられるようなときには, 当該覇権国の経済のためにも世界経済全体のためにも, それに見合った適切な政策転換が不可欠の要請となる。もし適切な政策転換がなされない場合には, 世界経済全体のバランスが崩れて, 結局のところ, 覇権国の経済も大きな痛手をこうむることになる。しかし, 歴史上そうした政策転換はとかく後手にまわって遅れがちとなり, そのため世界経済に容易ならぬ諸困難をもたらすおそれもある。そのことは, 近年とみに世界市場における国際競争力を増大させつつあるにもかかわらず, 自国市場の開放等に関してこれまで概して受動的, 消極的で, そのことのためにアメリカをはじめとして世界諸国からの批判を受けている日本の事例についてみても, 当てはまるようにみえる。いま1980年代の中葉にあって, 日本は世界のあらゆる国のなかで飛びぬけて高い貿易収支, および経常収支の黒字を抱えている。このことは直ちに欧米の経済的諸列強に対する日本の産業上, 商業上, 金融上等の経済的優越がすでに定着したことを物語るものではないとはいえ, 日本の貿易収支や経常収支の黒字は, かつて世界のどの国も経験したことのないほどの巨額のものに上っており, この状態そのものが世界経済に対する深刻な脅威となっている。そのためこの巨額の黒字を取り除くために, 市場の開放をはじめとして多くのことが日本に求められてきたが, 日本の対応は必ずしも適切かつ素早いものではなかった。確かに, 1985年9月のアメリカのレーガン政権による新通商政策の発表や五カ国蔵相会議(G5)を契機に, 日本は市場開放行動計画(85年7月)の実行繰り上げ, ドル高是正のための協調介入など, 一連の経済政策を積極的に開始したが, こうした行動は本来もっと早い時期にとられるべきであったろう。この小論は, 最近のこうした日本の経済政策の推移変転を念頭に置きながら, 一国の世界市場における国際競争力が強化され, その世界に対する産業的・経済的優越が顕在化するようなとき, それにともない要請されるべき政策転換の問題を取り上げようとするものであるが, ここではさしあたり、その歴史的先例を19世紀のイギリス, および第1次世界大戦後のアメリカに求め, かつての世界経済舞台において, こうした政策転換に関連していかなる諸問題が起きたかを, 第一の課題として取り上げたい。次に, 第2次大戦後確立されたアメリカの経済的覇権が60年代末葉以降, 次第に動揺するにしたがい, それにともなっていかなる政策転換ないしは政策調整の必要が生じ, その屈折点はどこに見出されるか等を, 第二の課題として取り上げたい。また最後に, この過程を通じてアメリカとは逆に, 漸次, 産業的・経済的優位に向けて接近の度を増しつつあった日本の諸政策についても, 一応の検討を試み, それらについての問題点を探ることを, 第三の課題として取り上げたい。