著者
李 玄玉
出版者
九州看護福祉大学
雑誌
九州看護福祉大学紀要 (ISSN:13447505)
巻号頁・発行日
vol.2, no.1, pp.91-98, 2000

本研究は、自閉症児を対象にして音声並びに非音声レベルのコミュニケーション機能を分析し、その特徴を検討することを目的とした。その結果、自閉症児における話しかけの実用機能の特徴としては、他者から物やサービスを得ようとする道具機能に集中しており、応答的発話においてもほぼWH機能に限られている特徴が認められた。また、本研究の自閉症児におけるコミュニケーション行動の問題は、自発的発話が興味。関心の狭さと結びついており、かつ言語表出がパターン化された紋切り型のスタイルをとっていることと考えられた。 そして、本研究の自閉症児では母親のことばを即時に模倣する行動が見られたが、このようなことばの模倣がやりとり遊びへ発展することは全く見られなかった。このような問題も本自閉症児で観察された興味。関心の狭さと関連しているように思われた。
著者
隈 直子
出版者
九州看護福祉大学
雑誌
九州看護福祉大学紀要 = The Journal of Kyushu University of Nursing and Social Welfare (ISSN:13447505)
巻号頁・発行日
vol.5, no.1, pp.129-137, 2003-03

かつては離婚した親は子どもと会うべきではないという風潮があったが、今日、離婚の増加に伴い、面接交渉が主張されるようになった。面接交渉権の権利性、性質には議論が多いが、「子の福祉」「子の最善の利益」を第一に考え、面接交渉権を認めたり、制限したりする考えに異論はない。いかなる場合に面接交渉権が制限されるのかを考察する。
著者
山邉 素子
出版者
九州看護福祉大学
雑誌
九州看護福祉大学紀要 (ISSN:13447505)
巻号頁・発行日
vol.3, no.1, pp.245-253, 2001

本研究はロジャーズの看護論の人間と環境の概念枠組みをもとに、日本の病院・病床環境における文献研究を1982年~1997年に発表された論文について検討した。1.病院・病床環境に関する文献数は日本では336篇、海外では(1982年~1997年の16年間)846篇であった。しかしながら、ここ数年、日本では文献数が増加傾向にあった。2.「病院」「看護」「環境」のキーワードでは、日本17篇、海外文献数150篇であった。3.日本の病院・病床に関して最も多かった研究は病原微生物の分布状況や汚染状況に関する88篇で、患者のQOLの向上に寄与する研究は少なかった。4.心理学的、社会学的、文化的要因に関する研究も8篇と少なかった。
著者
中井 さち子 丹羽 光明 山崎 成一郎 堀井 博
出版者
九州看護福祉大学
雑誌
九州看護福祉大学紀要 = The journal of Kyushu University of Nursing and Social Welfare (ISSN:13447505)
巻号頁・発行日
vol.15, no.1, pp.13-18, 2015-03

「目 的」 生産方法の違いが、農産物の持つ抗酸化力にどのような影響を及ぼすのか、特に土壌養分の質の違いに着目し実験を行った。「方 法」 慣行農法と有用微生物群(EM)を活用した有機農法で別々に育てられた、自家採種の自然種の野菜(ダイコン)の抗酸化力・糖度・電気伝導度・可給態窒素を圃場にて栽培測定した。測定機器はウイスマー社フリーラジカル評価システムF.R.E.E(Free Radical Elective Evaluator)、アタゴ社製Brix糖度計およびHORIBA社製コンパクト電気伝導率計B-173を使用し、測定を実施した。統計処理は、Studentのt検定を行った。「結 果」 ダイコンにおける抗酸化力の平均値は、EM農法が493.05μmol /mlに対して慣行農法は440.44μmol /ml、一方糖度の平均値はEM農法が7.5Brix%に対して慣行農法は7.1Brix%であった。抗酸化力(0.01<p<0.05)、糖度(p<0.01)共にEM農法のほうが慣行農法に比較して高い抗酸化力を示した。一方、野菜から体に入り、有害とされる硝酸態窒素は慣行農法が高かった。また養分(肥料)は慣行農法の方が一気に土中に放出されるが、有機農法の方は微生物が養分を抱え込みながら徐々に土中放出することが示された。「考察・結論」 有用微生物群を活用したEM農法の方が、慣行農法に比べて抗酸化力・糖度の高い農産物を栽培できることが示唆された。EM農法で育てられた抗酸化力の高い食材を摂取していくことは、活性酸素の影響を防ぎ、ヒトの健康維持に有用であると考えられる。さらに有用微生物群は土中で養分を作物に供給する調整能力があることが伺われた。
著者
緒方 妙子 宇野 亜紀
出版者
九州看護福祉大学
雑誌
九州看護福祉大学紀要 (ISSN:13447505)
巻号頁・発行日
vol.11, no.1, pp.3-9, 2011-03

月経痛に対する悩みを抱える女子大学生は少なくない。そこで、先行研究を基盤として、女子学生の「月経の捉え方」と「月経痛及びセルフケア行動(月経時・日常生活)」との関連を明らかにすることを目的に、A大学の女子学生169名を対象に調査した。結果:1)月経の捉え方の質問Q1「月経は生理的現象と受け止めている」・Q2「月経が定期的にくると安心」では、ポジティブな回答が95.3%、91.7%であった。またQ3「月経は女性としての誇り」・Q5「月経がくるとゆううつ」では、ネガティブな捉え方が54.4%、68.0%であった。2)月経痛の程度との関連では、月経痛重度のAB群に、Q3・Q5・Q6「月経は否定的イメージ」で、有意にネガティブな捉え方が多かった。3)女性性の質問Q7「女性に生まれてよかった」・Q8「女性だけが子どもを産むのは不平等」を共にポジティブに捉えた者は72.2%であった。4)初経を否定的感情で受け止めた者の割合は、全体で43.2%であり、肯定的感情の者38.5%より多かった。否定的感情の者のうち、心の準備が「なかった」者は64.4%であった。初経時のお祝いをした者は47.3%であった。現在の月経の捉え方(Q3・Q4「月経はけがらわしい」・Q6)は、初経時の受け止め方と有意な関連が見られた。5)月経をポジティブに捉える者と、日常からセルフケア行動をとる者とは関連していなかったが、「月経をポジティブに捉える」者や、「日常生活から自覚的な体調管理を行う」者は、「月経痛が軽度である」に関連性が示唆された。
著者
川野 司
出版者
九州看護福祉大学
雑誌
九州看護福祉大学紀要 (ISSN:13447505)
巻号頁・発行日
vol.17, no.1, pp.3-14, 2016

平成27年3月17日に、学校教育法施行規則及び小学校学習指導要領、中学校学習指導要領、特別支援学校小学部・中学部学習指導要領の一部改正が行われ、それに伴う学校教育法施行規則で、「特別の教科 道徳」(道徳科)が正式に位置づけられた。特別の教科である道徳科で、何がどのように変更されるのか、先ずその設置経緯について述べてみた。道徳科の誕生により小学校は平成30年度から、中学校では平成31年度から道徳科教科書が使用されることになる。どのような教科書が使用されかの予想は難しいものの、現在小中学校で使われている副読本に類した教科書が発行されるであろう。そこで次に、現在の小中学校における道徳における指導上の問題点を踏まえながら、望ましい指導のあり方について、道徳教育及び道徳の時間の目的、価値指導、資料の取り扱いを中心に論考を進めていった。The School Education Act Enforcement Regulations and guidelines on elementary and junior high school curricula,including those for children requiring special support, were partially revised on March 17, 2015. In line with this, moral education was defined as a 'special course of study' in the School Education Act Enforcement Regulations.This paper outlines the circumstances that led to the incorporation of such education into the school curricula, with the aim of clarifying possible related changes in actual educational settings. For the newly established moral course, the use of new textbooks will start from FY2018 and FY2019 in elementary and junior high schools, respectively. Their contents are still unclear, but it is likely that textbooks similar to supplementary readers currently being used in these schools will be issued. Considering the challenges elementary and junior school teachers currently face, the paper subsequently discusses appropriate teaching methods, covering the purposes of moral education and classes, moral values for students, and material utilization.
著者
水間 宗幸
出版者
九州看護福祉大学
雑誌
九州看護福祉大学紀要 (ISSN:13447505)
巻号頁・発行日
vol.5, no.1, pp.17-28, 2003-03

本研究では軽度発達障害者の雇用に何が必要かを考察したものである。2002年に画期的な新しい福祉サービスが日本で始まった。1つは「自閉症・発達障害支援センター」であり、もう1つは、ジョブコーチ事業である。この2つの事業は軽度発達障害者に対し、全く福祉サービスがなかったために、日本では画期的なサービスである。しかし、両事業とももっと多くのマンパワーと専門家が必要となるだろう。またこれらの問題をさらに解決するために、さらに福祉サービスの変換が求められる。このような福祉サービスの転換は、軽度発達障害者を納税者へ移行することになる。またインフォーマルサポートおよび余暇スキル支援は彼らの安定雇用につながるものと考える。This study examines the employment needs of people with Mild Disabilities. In 2002 new, epoch-making social services commenced in Japan, including the "Support Center For Autistic Disorder and Developmental Disorder", and the "Supported Employment System". Both are epoch-making in Japan because prior to their creation no services for those with 'Mild Disabilities' existed. Both will require the provision of manpower and specialists, as well as Recreational Skill supports to secure stable employment for people with Mild Disabilities. However, such services will transform people with Mild Disabilities into independent taxpayers.
著者
川俣 幹雄 大池 貴行 森下 志子
出版者
九州看護福祉大学
雑誌
九州看護福祉大学紀要 (ISSN:13447505)
巻号頁・発行日
vol.13, no.1, pp.31-43, 2013-03

本研究の目的は、慢性閉塞性肺疾患(chronic obstructive pulmonary disease、以下COPD)における、呼吸練習の最新のエビデンスを明らかにすることにある。文献検索の電子データベースCochrane LibraryとMEDLINEを用いて、COPDにおける呼吸練習について検討した2003年1月から2012年3月までの研究論文を検索した。合計517編の論文が抽出され、スクリーニングの結果、7論文を検討対象とした。エビデンスの評価には、「Oxford Centre for Evidence-Based Medicine2011 Levels of Evidence(以下、OCEBM 2011)」を用いた。この評価法ではエビデンス・レベルは5段階で評価され、レベル1が最も高く"systematic review of randomized trials or n-of-1trials"に、基づくものとされている。エビデンスの評価手順は、OCEBMのプロトコルに従った。 その結果、COPDにおける呼吸練習のエビデンスとして次のことが明らかとなった。1)口すぼめ呼吸による運動時の呼吸困難の軽減効果はレベル4、2)口すぼめ呼吸による呼吸数減少はレベル2、最大吸気量の増大効果はレベル3であった。また、3)口すぼめ呼吸による運動耐久性の改善効果はレベル2であった。一方、4)横隔膜呼吸による呼吸数の減少はレベル2であったが、その他のアウトカムに関する報告はなかった。口すぼめ呼吸は、1秒率などの呼吸機能がより低下し、肺機能障害が高度なCOPD患者ほど効果が存在することが示唆されており、今後は呼吸練習の適応についてさらに検討することが課題である。Objective: The purpose of this study was to examine the latest evidence to support breathing exercise in patients with chronic obstructive pulmonary disease (COPD). Method: The systematic searches were conducted using the Cochrane Library (January 2003 to March 2012) and MEDLINE (January 2003 to March 2012). Of 517 articles screened, 7 studies were selected. The "Oxford Centre for Evidence-Based Medicine 2011 Levels of Evidence (OCEBM 2011)" was used in the evaluation of the evidence. In OCEBM 2011, the levels of evidence are evaluated in five steps. Level 1 based on a "systematic review of randomized trials or n-of-1 trials" is the highest strength of evidence. The evaluation of the evidence was applied according to the OCEBM 2011 protocol. Results: The results concerning the levels of evidence supporting breathing exercise in patients with COPD were as follows. 1) The evidence supporting pursed-lips breathing (PLB) in relieving dyspnea during exercise was level 4; 2) the evidence supporting PLB in decreasing the respiratory rate was level 2; the evidence supporting PLB in increasing inspiratory capacity was level 3, and 3) the evidence supporting PLB in improving exercise tolerance was level 2. 4) The evidence supporting diaphragmatic breathing in decreasing the respiratory rate was level 2, but the other outcomes that met the purpose of this study were not observed.
著者
山本 務
出版者
九州看護福祉大学
雑誌
九州看護福祉大学紀要 (ISSN:13447505)
巻号頁・発行日
vol.6, no.1, pp.169-180, 2004-03

現代の巨大な主題として、国民が負債を抱え込んだ過去といかにして対決し取り組むのかという困難な問いが存在する。共産主義政権崩壊後の中・東欧で、ナチ占領下のフランスに対して、ホロコースト進行中のアメリカ合衆国は?そして大日本帝国以降の戦後日本は?そのなかで特異な位置を占めるのが、戦後の束西分断下のドイツ連邦共和国である。ユダヤ人等大虐殺を実行したナチ第三帝国の継承国として自らの歴史的な過去に対時しながら現在を形成し未来を構想することが、特に1980年代以降の戦後ドイツの中核となったからである。その実質を豊かに示したのが、1985年、戦後40周年のヴァイツゼッカー大統領演説であり、その主題は、第一に、敗戦か解放か零時刻かという終戦日の歴史的規定に関する問題提起であり、第二に、国家による追悼対象の選出、第三に、ホロコースト進行下ドイツ人による「不作為の罪」の問題提起、第四に、過去の想起の要請、そして第五として、欧州分断(東西冷戦)と第2次大戦との連関として索出可能である。 これらのあまりにも壮大にしてかつ根源的な問題提起に対して、ドイツ連邦議会、ドイツ国民と学者たちは、どのように政策的に、あるいは批判的に応じてきたのか?また世界のドイツ研究者は?他のヨーロッパ諸国は?―第一主題に関しては、同演説から10年彼の戦後50周年に国民的規模の大論争として現象したことが確定可能であり、また第三主題としては、それが、現代文明の根幹に関わる普遍概念「作為と不作為」問題の一環であると把握し直され、ヴァイツゼッカー演説を包括し乗り越えるに至るまで、やはり一定の時間を要したのである。したがってその対応と回答は、歴史的出来事の記述と、時を隔てた著作挙示を併せ持つ「年代記」としてさしあたり確定され得るのである。2003年までを含む結論として言えば、それは例えば、ヴァイツゼッカーが限定した「個としての想起」ばかりではなく、それを乗り越える集団的な「想起の文化」「想起の行使」「想起による政治」という研究分野を産み出したことが判明し、そして壁崩壊が欧州分断の克服へと接続される「89/90年」の現実の到来との取り組みとなったことが把握され得るのである。Zu den gpo ßmen Themen unserer Zeit gehört eine schwierige Frage: Wie sich eine Nation mit seiner belastenden Vergangenheit auseinandersetzt? Vor diesem Problem stehen viele Länder in der Welt: alle postkommunistische Staaten Mittel-Osteuropas, Frankreich mit den Vicy-Regime, USA während den Holocaust, USA nach dem Vietnamkrieg, und Japan der Nachkriegszeit. In Westdeutschland mach der Nachkriegszeit ist der Fall bemerkenswert.Die Kunstbegriffe,》Vergangenheitsbewältigung und Geschichtsbewältigung《, werden erst seit den sechziger Jahren gegen 〉das Beschweigen〈 der fünfziger Jahre (Adenauer-Jahre) regelmäßig verwendet. Entscheidend ist die Bundespräsident Richard von Weizsäcker-Rede von 8. Mai 1985. Dabei geht es um eine Interpretation des Kriegsendes;die Antwort darauf, wessen die Deutschen gedenken;die deutsche Unterlassungsschuld während dem Holocaust;eine Forderg zur Erinnerung der Nazi-Herrschaft;eirle Zusammenhang von den Ende des zweiten Weltkriegs und die Teilung des Deutschlands und Europas. Das sind grandiose wie fundamentale Fragestellungen, auf die seither das deutsche Volk bis heute im Jahr 2003 reagiert, kritisiert, und beantwortet hat. Aber wie? Und wie Deutschbeobachter in aller Welt, und andere europäische Länder? Die Bemühungen einer Antwortung dauern ihre Zeit und sind tatsachlich Jahrzehnte bis zum Jahr 2003 dauer. Die Ergebnisse produziert jetzt ein neues Fachgebiet 〉Kulturerinnerung〈,〉Politik nit der Erinnerung〈; die Vertiefung des Begriffs Schuld oder Verantwortung; die Frage, wie weit 〉Unterlassen〈 schuld ist, auf den politischen oder moralischen Gebiete usw. Ich versuche, chronologisch die Geschichten und die Forschungsergebnisse aufführen und aneinanderreihen, aber auch ein bischen wegweisend, nicht immer systematisch, so zusammenhängend wie möglich.
著者
高 継芬
出版者
九州看護福祉大学
雑誌
九州看護福祉大学紀要 = The journal of Kyushu University of Nursing and Social Welfare (ISSN:13447505)
巻号頁・発行日
vol.14, no.1, pp.3-13, 2014-03

本稿が取り上げた夏目漱石は、日本明治時代の文豪である。漱石は幼少期から漢詩漢文を精読し、教養を深めていた。漢文学を修得した彼は、そこからどのような影響を受けたか、漢文学にどのような影響されたのか、彼の作品及び彼の思想両面から論じていくこととする。 漱石はイギリス留学経験を持ち、西洋文明にも影響されたが、日本文学、西洋文学よりも漢文学を終始愛し続けていた。漢文学だけではなく漢文学の背景にある思想、すなわち儒教の思想にひときわ感化されていた。 漢文学では、政治、倫理道徳観念がもっとも重視されている。漱石の作品を貫いている思想は、漢思想と適するものがある。漱石は日本の文明批判家でもあり、社会批判家でもあり、明治社会に対する批判が漱石の重要なテーマであるといえる。 中国の読者が漱石の作品に親近感が湧きやすい理由は、作品の中に親しみやすい中国の漢詩や漢文の表現が多く見て取れることだけではなく、作品の行間から読み取れる彼の思想すなわち漢文学にある儒教思想と同じ思想が流れているからであり、漢文学は漱石の精神的創作の礎ともいえる。We discuss how Soseki was influenced by Chinese literature, at which he was excellent. His view point is from his work and thought. Although Soseki made a stay while studying in Britain and was influenced by Western civilization, he always continued to love Chinese literature rather than Japanese or Western literature. He was touched by not only Chinese literature, but also the thought of Chinese literature, i.e., the thought of Confucianism. Chinese literature places a great emphasis on politics and a sense of ethic and morality. The thought running through Soseki's work is the same as the one in Chinese literature. The thought which has pierced through Soseki's work is the same as Chinese literature thought. He quotes Chinese writings and Chinese poetry in his works. Soseki was a critic of Japanese civilization and society. His many works criticize the civilized society of Meiji and strongly are criticizing war. To criticize Meiji society is his important theme. Soseki also has a civilization criticism house in Japan. It is also a social criticism house. Chinese literature is the foundation of Soseki's spiritual creation. Furthermore, The reason why the Chinese readers easily feel an affinity with his work is that they can not only see the familiar expression of Chinese poetry and literature in his work, but also notice that his idea is the same as the thought of Confucianism, which runs through the Chinese literature by reading between thelines of his work. It can be said that the Chinese literature is the foundation of Soseki's spiritual creation.
著者
中川 武子
出版者
九州看護福祉大学
雑誌
九州看護福祉大学紀要 (ISSN:13447505)
巻号頁・発行日
vol.15, no.1, pp.109-123, 2014

本学の東日本大震災復興支援ボランティアは、2011年8月に第1回の学生を福島県いわき市に送り出し、2014年3月までの3年間に6回の活動を継続した。本ボランティアには3年間で、学生延べ59人、教員延べ12人、合計延べ71人が参加した。現地では、いわき市のNPO法人ザ・ピープルの協力のもと、被災地の視察、現地学生との交流、各種事業への協力、交流サロンや仮設住宅の集会場や公民館などでの薬草足湯・薬草茶などの提供を行った。活動に参加した学生達からは、「現地に行かなければわからないことがある」「現地でしか感じることができないことがある」という声がきかれた。 現地での活動終了後に毎日行われたミーティングは、学生自身の不安な気持ちを仲間と共有できる大事で必要な時間となった。また、自分自身のもやもやとした気持ちや行き場のない思いを仲間に話すことによって、気持ちを整理すると同時に、仲間の話を聞くことで自分自身が気づかなかった思いや感情を知る機会になった。このボランティアは、大学をはじめ後援会などの全面的な支援により継続することができた。本ボランティアの第1回から第6回までの活動をまとめた。
著者
水間 宗幸
出版者
九州看護福祉大学
雑誌
九州看護福祉大学紀要 = The Journal of Kyushu University of Nursing and Social Welfare (ISSN:13447505)
巻号頁・発行日
vol.8, no.1, pp.83-92, 2006-03

本研究では、成人した後にアスペルガー症候群であることを知った当事者のライフヒストリーを検討し、社会性の獲得を考察した事例研究である。先行研究がほとんどないものの、このような研究の重要性は今後の特別支援教育にとって重要な分野であると考える。本事例は、対人関係に困難さを持ちつつも高い社会性を獲得し、中学校の部活動のコーチをしながら一般就労しているケースである。この当事者との面談の語りと、それをまとめた本人の手記を中心に、ライフステージごとに発達のプロセスをまとめ、アイデンティティの形成と社会性と対人関係を発達的に分析することで、その獲得過程と成立過程を明らかにした。また適切な環境と必要な段階でのサポートが、彼の社会性を高めたと考えられた。今後の特別支援教育や発達障害者支援のために、同様に発達障害成人期の研究を積み重ねることが重要であると考えられた。
著者
水間 宗幸
出版者
九州看護福祉大学
雑誌
九州看護福祉大学紀要 = The Journal of Kyushu University of Nursing and Social Welfare (ISSN:13447505)
巻号頁・発行日
vol.5, no.1, pp.17-28, 2003-03

本研究では軽度発達障害者の雇用に何が必要かを考察したものである。2002年に画期的な新しい福祉サービスが日本で始まった。1つは「自閉症・発達障害支援センター」であり、もう1つは、ジョブコーチ事業である。この2つの事業は軽度発達障害者に対し、全く福祉サービスがなかったために、日本では画期的なサービスである。しかし、両事業とももっと多くのマンパワーと専門家が必要となるだろう。またこれらの問題をさらに解決するために、さらに福祉サービスの変換が求められる。このような福祉サービスの転換は、軽度発達障害者を納税者へ移行することになる。またインフォーマルサポートおよび余暇スキル支援は彼らの安定雇用につながるものと考える。
著者
Stherland Allan J.
出版者
九州看護福祉大学
雑誌
九州看護福祉大学紀要 (ISSN:13447505)
巻号頁・発行日
vol.1, no.1, pp.297-312, 1999-03

This paper challenges the commonplace view of improvisation and composition as disparate music making procedures, whereby improvisation, unlike composition, is a free, less-rational, and creative music making procedure; here, such is contended to be the consequence of explanatory failure. This is done by examining developments in jazz in the first half of the twentieth century, suggesting that creative changes ensued from internal consistencies and inconsistencies in the rational logic of both music theory and particular jazz practices, specifically from jazz musicians' attempts to resolve such problems to expand available musical resources, thereby expressive capacities. 当論文では「作曲」と「即興演奏」が相対する音楽創作手順だとする既成概念、つまり即興演奏はフリーで合理性が薄く、創造性に富んでおり、作曲はその逆であるとする見解に異議を唱え、このような誤認は解釈の間違いに所以するということを示す。具体的には20世紀前半のジャズの発展を考察し、独創性豊かな変化をもたらしたのは音楽理論およびジャズのスタイルにおける内在論理や合理的論理による整合性・不整合性であり、またミュージシャンが音楽における手法の幅を広げる上でそのような問題にどう挑戦したかである、と主張する。
著者
Sutherland Allan J.
出版者
九州看護福祉大学
雑誌
九州看護福祉大学紀要 (ISSN:13447505)
巻号頁・発行日
vol.4, no.1, pp.17-50, 2002-03

本研究では、現代社会学が説明困難な問題を抱える中、どのようにしてアイデンティティーの概念が生まれたかを考察する。アイデンティティーはこれらの問題を解決するのではなく、表出する。問題の表出は段階的であり、まずアイデンティティーは問題のある概念を補い、次にアイデンティティー間の差異がアイデンティティー内の差異に取り替えられ、さらにアイデンティティーはそれ自体から差異を生み出す手段でしかないとされ、最終的には、自らの再生条件さえ作り出せないような不毛かつ全く私的な自己同一性へと成り下がるのである。本論文では、ジャズ・即興ミュージシャンという特定集団のアイデンティティーに焦点を絞る。ミュージシャンとのインタビュー結果を報告し、この中ではジャズ・即興音楽を生業として選択した理由やそれに対する思い入れ、(特に金銭的に)成功するかがほとんどわからない中でキャリアを積み上げる苦闘、演奏およびレコーディングの機会を広げるための人脈形成、そしてレコード業界との関係について言及する。ここから得られた結論は、上記のアイデンティティー理論に異議を唱えるものであり、社会現実を説明できる理論・概念の必要性を指摘する。This paper examines the way that the concept of identity has emerged out of explanatory difficulties in modern sociology. Rather than resolve these difficulties, identity expresses them. They are expressed as a process whereby, first, identities are supplemented to problematic concepts, second, inter-identity differences are supplanted by intra-identity ones, third, identity is proposed solely as a means to generate differences from itself, and, lastly, identity becomes an arid, privatised self-identity not even capable of generating the conditions of its own reproduction. This paper focuses on a specific group identity, that of improvising jazz musicians. It reports on interviews with musicians concerning their selection of, and commitment to, jazz improvising music as a career, their struggle to establish that career despite little certainty of success, especially financial success, the construction of social networks to expand performance and recording opportunities, and the relationships with the recording industry, The conclusions reached challenge those of the above identity theories, pointing to a need for theory and concepts to account for social reality.
著者
久佐加 眞理 宮本 聖子 田上 民子〔他〕
出版者
九州看護福祉大学
雑誌
九州看護福祉大学紀要 (ISSN:13447505)
巻号頁・発行日
vol.6, no.1, pp.113-126, 2004-03

平成15年から開始した熊本県有明地域の町の保健室「イコイバ」は町の一角にあり、大人と若者が協働し、思春期の子ども達に出会いの場を提供すると共に、ワークショップや学習会を開き、情報や自分自身を見つめる機会を提供している。 この論文の目的は、イコイバ活動にピア・カウンセラーとして参加している7名の大学生の活動開始後半年間を振り返り、彼らの変化とその要因を活動との関連から明らにし、思春期保健の方向性を考察する事である。 方法は、7人のピアの自己評価をもとにインタビューを行ない、活動後の変化項目と変化に影響を及ぼした要因、イコイバの特徴的な4つの活動領域との関連を明らかにした。 その結果、ピアの変化は、対自己に対する変化と対他者に対する変化に二分され、対自己に対する変化は、「自分を振り返る力」「疑問を持ち深く考える力」に、対他者に対する変化は「聴く力」「言う力」「出会いへの積極性」に見られた。それらの変化をもたらした要因には、「出会いと交流」「聴いてくれる雰囲気やルールのもとでの安心した語り合い」「心と心の深いつながり」が上げられた。活動領域別に見ると、専門職との協働は「出会いと交流」の機能を果たし、ピアが現在と未来を結びつけて考える機会を提供していた。ワークショップは「聴いてくれる雰囲気やルールのもとでの安心した語り合い」の機能を果たし、自分を見つめる時間と空間を提供していた。さらに高校生の相談活動は、ピアが学び発見した事を実践する場となっていた。 以上のことから、大人との協働による居場所作りは、ピアの内面を広げ、対人能力を変化させ、未来への方向性を考えさせる活動である事が示唆された。Ikoiba, a youth health center, located in down town of the Ariake area in Kumamoto Prefecture, has been offering a flee space for the adolescents since 2003, where they can meet people, or sometimes participate in workshops and study meeting to get useful information and to raise self-awareness. This paper aims to analyze the past six month activities of seven students as peer counselors in Ikoiba and to clarify the relationship between their changes and its factors, and to get perspectives about the future health promotion for the adolescents. Through the interview survey using cards about each peer's self-evaluation, it was clarified how four specific function areas of Ikoiba relate to the peer students' changes and its factors. As a result, their changes were categorized into two types; one is intractive change against themselves, and the other is interactive change against other people. The former includes self-reflection skill and critical thinking skill and the latter includes listening skill, expressing skill and the positive attitude to meet other people. The factors of such changes are thought to be "meeting and exchanging", "talking together under the safe atmosphere with the rules of listening" "deep communication from the heart". Co-operation with the nurses made Ikoiba a space for meeting and exchanging, and facilitated peers to think of their present and their future. Workshops functioned as an opportunity to talk together without fear under a safe atmosphere with rules of listening. It also offered them time and space to raise self-awareness. Counseling activity for the senior high students became an opportunity for the peers to put into action what they already learned and found in Ikoiba. Such results suggest us that youth gathering space building in cooperation with adults facilitated peers to expand their inner mind, grow their human relationship building skill and to think of their future life.
著者
久佐賀 真理 俵 恭子 大草 理美子
出版者
九州看護福祉大学
雑誌
九州看護福祉大学紀要 (ISSN:13447505)
巻号頁・発行日
vol.5, no.1, pp.117-127, 2003-03

思春期・青年期保健対策の有効な手段として推奨されているピア・カウンセリング活動の育成と、ボランティアの主体的活動に向けた支援のあり方を検討するために、1年間仲間(ピア)共育活動を行ってきた6人の若者(男性3 女性3/平均年齢21歳)を対象に、活動の継続理由を調査した。その結果、継続理由は二つに分類され、「活動を通じての自己実現」「出会いと目標の発見」「社会的スキルの学習」という学びと自己の成長がもたらす活動動機と、「対話」「日常的な関わり」「仲間意識」という仲間とのつながりがもたらす継続の力で、両者は「成長への確信」を生み出していた。 今後ピア活動が主体的になっていくためには、傾聴や対話の力を若者同士の関係の中で実感し、自分や仲間の他に社会に目を向け実践され深められていく必要があることがわかった。The purpose of this study was to investigate why youths continue their peer activities taking initiative and leadership. By analyzing interviews of six youths (3male, 3female;the average age is 21), 8components were discovered;4related to motivation, which are 'self-realization through the activities,' 'dialogue,' 'encounter with other people and discover goal,' and 'social skill acquisition'; and 4related to the power of promotion, which are the 'opportunity for learning,' 'daily relationships,' 'peer connectedness,' and 'potentiality for self-development'. Those took effect of 'affirmation of development'. To initiate effective peer activities in the future it is recommended that the following components be used, 'encounter with other people,' 'dialogue,' and 'skill and opportunities for social participation,' and that the use of 'the learning opportunities,' and 'interactive relationships,' should be considered, and practice and experience in the society.
著者
山本 孝司 久保田 治助
出版者
九州看護福祉大学
雑誌
九州看護福祉大学紀要 (ISSN:13447505)
巻号頁・発行日
vol.12, no.1, pp.79-90, 2012-03

「大人になる」というテーマは、今日の日本の若者問題を論じる際のキーワードともなっている感さえある。「大人になる」ということは、他方で「子どもではなくなる」という意味合いを含んでいる。つまり「大人になる」ということ自体が、ある種の子ども性の否定のうちに成り立っている。 近代以前、こうした「大人化」については、制度としてシステム化されていなくとも、子どもたちは共同体の一員として、無意識的に社会教育を受ける機会が多々用意されていたのである。近代以降、「大人化」のプログラムは学校教育が中心的な場となり、そうしたコミュニティのなかでの「大人化」の取り組みは姿を消してしまった。それどころか、今ではコミュニティそのものが解体され消滅してしまっている。 このような時代を背に、「大人化」の問題は、社会教育の分野を筆頭に「市民性」(citizenship)の問題として再浮上している。もっとも、言葉として「市民性」は頻繁に耳にするようになったものの、その内実についてはいまひとつ定かになっていない。 そこで本稿の目的とするところは、近代以降「市民性」がどのように論じられてきたかをレビューした上で、あらゆる位相でボーダレス化している今日にあって、「大人化」という視点からあらためて「市民性」を捉え直すことである。There are a variety of remark theories about "Grow up" in not only the field of education but also various fields. The theme "Grow up" becomes a key word when the young person problem of Japan of today is discussed. "Grow up" It is a meaning "It is not child and become it". The chance to receive Social Education unconsciously had been prepared for childrena lot as a member of the community before modern ages. The school training came in a center place as for the program of "Change to the adult" since it was modern. And the approach of "Change to the adult" in the community has disappeared. On the contrary, the community is dismantled now and it disappears.. The problem of "Change to the adult" has surfaced again as a problem of citizenship with the field of Social Education at the top against the backdrop of such an age. It is not clarified though "Citizenship" is frequently heard as a word of the contents. The purpose of this text is to try to catch "Citizenship" again from the aspect "Change to the adult" in today.
著者
山本恵子 宮川健治 野々佳子 原口輝美 松永あけみ
出版者
九州看護福祉大学
雑誌
九州看護福祉大学紀要 (ISSN:13447505)
巻号頁・発行日
vol.8, no.1, pp.103-111, 2006-03

日本の高齢者施設は、高齢化・重度化・認知症の増加が問題視されている。そのような状況で、施設利用者の安全を確保するのには、職員の協働は不可欠であるといえる。また多くの文献で職員数や知識の不足が、転倒要因として列挙されている。しかし、その実態や対策について研究したものは少ない。そこで本研究では、自身で危険回避が困難な方が多い高齢者施設における転倒予防策のうち、多職種の協働による転倒予防の必要性を先行研究より明らかにすることを目的とした。 文献検索の結果、連携の実態と転倒予防効果については、国内外問わず数は少なく、実態調査が殆どであった。それによると多職種が情報共有・アセスメント・評価の過程で協働することは、転倒予防に効果的であると報告している。海外文献では、情報共有の有効性や、リスクマネジメントの視点で協働の重要性をあげ、医療事故のエラーの原因として高齢者自身の問題以外に環境要因をあげ、その中に職員の知識・技術の差や、情報伝達の不備なども指摘されていた。 職種間協働の不備は、業務の問題点でありかつ、高齢者の転倒要因であることは言われているが、望ましい協働の方法やその効果について具体的に研究されたものは殆どなかった。職種間協働は、転倒予防の視点で重要であり、今後、増加する認知症高齢者の安全を守る上でも職種間協働の研究は不可欠であるといえる。高齢者施設での転倒予防では、協働の方法やその効果の検証は急務であり、重要な研究テーマとなることが示唆された。The purpose of this research is making the necessity for the fall prevention by collaboration of many occupational descriptions clear from precedence research. Because, by dementia, many of users are difficult to avert a risk by themselves. Most researches which did not ask domestic outside but were concretely verified about the method of desirable collaboration or its effect suited. As for the research verified concretely, about the method of desirable collaboration, or its effect, in and outside the country was very slight. lt being able to say at present is that the defect of communication of information causes an accident. Moreover, there were also two or more reports that it was effective for fall prevention that many occupational descriptions collaborate in the process of an information share, assessment, and evaluation. It was suggested from these things that maintenance of collaboration between occupational descriptions is pressing need