著者
SI Si
出版者
愛知県立大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2011

偶然現象の確率論的研究においては、その現象を記述する確率変数のシステムに対して、それと同等な情報を持つ「独立」な確率変数系を構成し、扱う現象をそれら関数として表し、その解析を行って、与えられた偶然現象を解明する。独立確率変数系には時空のパラメータがつくが、その確率分布は、パラメータに関して定常性など好都合な性質を要求すれば、ガウス型とポアソン型の2種類となる。ガウス型の場合はよく知られているが、ポアソン型の場合、とくに空間パラメータのときは、解明すべき事が多い。安定性を持つ場合に、詳しい確率論的性質を調べ、その応用として安定過程の場合の不変性や双対性などについて研究成果を得た。
著者
大野 出 松宮 朝 島田 健太郎 平野 多恵 小平 美香 加藤 みち子
出版者
愛知県立大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2010-04-01

本研究の最終年度にあたり、これまでに送付し、返信を得られた寺院からの回答を各宗派ごとに、その回答を数値化し、なおかつグラフ化し、その回答を整理かつ分析を行った。宗派別に言うと、天台宗、真言宗、曹洞宗、臨済宗、黄檗宗、日蓮宗、法華宗である。その結果として、最も御籤に対して積極的な関与をしている宗派が天台宗であることが判明した。ついで御籤に積極的に関与しようとしている宗派が、真言宗であることも同時に判明した。
著者
川畑 博昭
出版者
愛知県立大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2014-04-01

本研究では、ペルーの憲法裁判所が2000年代半ばから積極的に権利保障機能を果たした事実を、憲法裁判所自身の広報活動と憲法訴訟手続法の制定から捉えた。1990年代後半とは異なる政治社会環境がそれを可能とした。ペルーの憲法学はこの現象から、社会問題の解決を憲法裁判所に求める傾向(法の憲法化)や従来とは異なる憲法をめぐる政治の可能性(新たな立憲主義)を見出していることがわかる。最終年度は、ペルー先住民文化と憲法裁判所に焦点を当て、比較の観点から、アメリカ石油パイプライン建設先住民反対運動の研究に着手した。
著者
川端 有子
出版者
愛知県立大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2005

本研究は、十九世紀イギリスの児童文学-雑誌読み物、宣教文学、冒険小説、家庭小説など-における、アングロ・インディアン(在印英国人)の子ども像を抽出し、イギリスと植民地インドの歴史的関係のコンテクストにおいて、二つの文化の狭間に宙吊りにされた子どもたちの文化変容の過程、そしてその経験がより広い文化現象のなかにどう位置づけられるかを探るものである。本報告書で分析の対象とした作品は、フランシス・ホジソン・バーネットの『小公女』、『秘密の花園』、ルーマ・ゴッデンの『河』、メアリー・ノートンの『床下の小人たち』であるが、それと同時にその背後に存在した、いまはもう忘れられた作品、『六歳から十六歳』『女王さまのために』『黄金の沈黙』との相互関係も考察した。さらに、現代の作品である『煙の中のルビー』、『バラの構図』などにも言及し、アングロ・インディアンの子どもという設定が、現実的なものから文学的装置となっていく過程を追った。この研究はまた、異人種間のみならず、男性・女性、異なる階級間、おとな・子どものあいだに働いている不均等な力関係をも明らかにしていくことになる。今後もさらに、ゴッデンのほかの作品や、M.M.ケイ、ポール・スコットなどアングロ・インディアンであった人々の作品や、声を上げ始めたジャミラ・ギャビンなど、インド人作家の作品を通して探っていきたいテーマである。というのも、21世紀にはいっても、なおかつオリエンタライズされた「インド」イメージは廃れていないからである。
著者
與那覇 潤
出版者
愛知県立大学
雑誌
若手研究(B)
巻号頁・発行日
2010-04-01

本研究は過去、および同時代の日本人たちが明治維新に対して抱いていた複雑な感情を掘り起こすことを目的としている。しばしば言われる、日本人は自らの近代化の成功を誇りとしてきたとする通説的見解に反して、本研究は、多くの日本人の思想家・表現者たちが明治維新に対してむしろ両義的、ないし時として敵対的な姿勢を示してきたという事実を明るみに出す。具体的に取り上げられるのは、小津安二郎、内藤湖南、山本七平などの作品である。
著者
梶原 克教
出版者
愛知県立大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2005

イングランド、アイルランドから、カリブ海諸島を経て北アメリカにまで広がる英語圏の文化、とりわけ植民地主義以降の文化を、環大西洋圏文化として位置づけ、そこに見られる共通性として、おもに以下の2点が挙げられることを立証することができた。(1) 1960年代以降の当該文化圏文化においては、形式・媒体を通じて伝えたい意味を表現するのではなく、特定の形式・媒体自体を利用すること自体に重点が置かれている点。(2) 表現形式において俗に身体性と呼ばれるものが、言語においては「比喩的」次元と異なる「形体的」次元と関係がある点。
著者
大野 誠
出版者
愛知県立大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2009

ニュートンの錬金術研究の痕跡は彼の『光学』(1704 年)に残されている。それはこの著作の付録「疑問 31」に留まらず、本論の第2篇第3章命題7と命題 10などに見いだせる。ニュートンは物体の色彩から粒子の大きさを見積もろうとしており、彼の中で光学研究と錬金術・化学研究は密接な関係にあった。 『光学』の本論は 1670 年代の「光学講義」などに基づいているので、ニュートンにおける光学と錬金術の関係は 1660 年代末には始まっていた。ニュートンの手稿史料 Add.MS. 3975 を検討した結果、この頃、ニュートンの錬金術・化学実験に圧倒的な影響を及ぼしていたのはロバート・ボイルであることが分かった。
著者
鎌倉 やよい 深田 順子 米田 雅彦 熊澤 友紀
出版者
愛知県立大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2008

脳卒中急性期には誤嚥性肺炎発症のリスクが高い。肺炎発症と唾液中分泌型免疫グロブリンA(sIgA)・炎症性サイトカイン(IL-6)・上皮成長因子(EGF)・口腔内細菌との関係を検討した。脳卒中患者14名(79.5±9.0歳)を対象に、非肺炎群6名、肺炎群8名に分類した。唾液を第5~13病日の隔日10・14・18時に採取し、ELISA法・real-time PCR法で測定して群間比較した。その結果、唾液中sIgA(唾液中sIgA濃度×唾液量)は肺炎群に有意に高かった(ANOVA ; p<0.01)。IL-6・EGFは群間比較では差を認めず、EGF濃度はsIgA濃度と相関を認めた(rs=0.574-0.900)。非肺炎群の2名に肺炎球菌の増加を認め、肺炎群では抗生物質が投与されて、肺炎球菌・常在細菌とも減退して(6名)、緑膿菌の増殖(4名)を認めた。
著者
小林 邦和 大林 正直 呉本 尭
出版者
愛知県立大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2011

本研究では,先ず他者の状態や行動の予測を行う状態・行動予測モデル,他者の行動政策の推定を行う政策推定モデル,他者の行動意図の推定を行う意図推定モデル,複数の感覚刺激の中から特定の刺激のみに着目する注意生成モデル,ヒトの情動を模倣した情動生成モデルをそれぞれ構築した.次に,それらのモデルと学習・推論システムを統合し,マルチエージェントシステムにおける協調行動の創発を指向した脳情報処理模倣型統合システムを開発した.同時に計算機シミュレーションとロボット実験により,本システムの性能評価を行った.なお,成果は,学術論文23編,学会発表(国際会議,国内会議)69編,図書6冊として公表した.
著者
日置 雅子
出版者
愛知県立大学
雑誌
紀要. 地域研究・国際学編 (ISSN:13420992)
巻号頁・発行日
vol.39, pp.99-124, 2007

In der europaischen Geschichte gab es die Zeit der Hexenverfolgung, die zwar auch ein Phanomen seit dem Mittelalter war, aber in der fruhen Neuzeit, insbesondere am Ende des 16. Jahrhunderts und in der ersten Halfte des 17. Jahrhunderts als eine groBe Welle aufgetreten ist. Fast uberall in den Dorfen und in der Stadten wurden viele Menschen, meistens Frauen, unter falschen Verdacht als Hexen hingerichtet und verbrannt. Auch in Deutschland war es naturlich nicht Ausnahme, wo sich die Verfolgungen vielmehr entschieden mehr, langer und grausamer entwickelten. Eines der fruhesten Beispiele vor 1600 war das Kurfurstentum in Trier. Extra zwischen 1586 und 1594 verlief die erste Welle der peinlichen Hexenprozesse. In diesem Sturm passierte das Ereignis von Dr. Diedrich Flade, der als Statthalter des Kurfursten und SchultheiB in Trier die hochste Stelle in der Trierer stadtischen Verwaltung hatte. Er kam doch wegen der Denuntiation in Verdacht als Hexe und wurde zum Ende des Prozesses hingerichtet. Das Gerucht seines Prozesses und der Trierer Hexenverfolgung verbreitete sich sensationell im ganzen Reich, so dass man den Fall in Trier als "Reichskhundig Exempel" nannte. Es handelt sich in diesem Aufsatz um die politisch-sozialen Hintergrunde dieses Prozesses von Dr. Flade. Darin habe ich die politische Auseinandersetsung zwischen dem Stadtrat und dem Domdekanat gesehen. Dr. Flade und der Stadrat waren der Meinung gegen die Hexenverfolgung. Dazu noch soll die Bedeutung seines Prozesses von der Seite der Hexenverfolgung selbst suchen.