著者
外川 昌彦
出版者
国際日本文化研究センター
雑誌
日本研究 (ISSN:09150900)
巻号頁・発行日
vol.53, pp.189-229, 2016-06

本稿は、1891年に大菩提協会を創設し、世界的なブッダガヤの復興運動を組織したスリランカの仏教運動家アナガーリカ・ダルマパーラ(Anagarika Dharmapala、1864―1933)と、当時の日本人との関わりを検証している。特に、1902年に九ヶ月に渡りインドに滞在した岡倉天心が、その滞在中に関わりを深めてゆくブッダガヤ問題の背景を、浮き彫りにしようとするものである。 そのため本稿では、特にダルマパーラの仏跡復興運動と厳しく対立したヒンドゥー教シヴァ派の僧院長であるマハントや、宗教的中立性を標榜し、現地の争点には不介入の立場をとった絵領インド政府によるブッダガヤ問題への対応の経緯を検証し、ダルマパーラが仏跡復興に取り組んだ1891年から、天心がブッダガヤを訪れた1902年までの約十二年間の大菩提協会の活動の経緯を検証する。 岡倉天心のブッダガヤ訪問は、これまで主に美術史的な観点から、アジャンター・エローラなどの仏跡探訪の延長として理解され、ブッダガヤでの活動について検証する研究は限られていた。他方、ダルマパーラの日本人との交流も、これまで釈興然や田中智学らの仏教者との交流は注目されてきたが、ダルマパーラの仏跡復興運動の文脈における天心との接点については、やはりその検証は限られていた。 しかし、九ヶ月に渡るインド滞在中に、天心は三度に渡りブッダガヤを訪れており、その間に、日本人巡礼者のためのレストハウスの建設を計画し、実際に、ヒンドゥー教僧院長のマハントとの土地取得の交渉を行っていた。九ヶ月のインド滞在中に天心が三度も訪れた場所は他にはなく、それは天心のブッダガヤへの、並々ならぬ関心を物語るものとなっている。 そこで本稿では、1891年以来、大菩提協会を組織してブッダガヤ復興運動をリードしたダルマパーラの活動を縦軸に据え、マハントや英領政府、及び日本人との関わりを横軸として、ブッダガヤ復興運動に関わる岡倉天心の意図を検証する。具体的には、1891年から1902年までのブッダガヤにおける仏跡復興の運動を、本稿では次の三つの時代に分けて整理する。 すなわち、①1891年に始まるダルマパーラの大菩提協会によるブッダガヤ寺院の買い取り運動と英領政府首脳部のダルマパーラに対する認識、②日本からブッダガヤ寺院に寄進された仏像をめぐる、1895年のダルマパーラによる大塔内陣への安置とマハントによるその撤去問題をめぐる係争関係、及び、ビルマ・レストハウスへの仏像の安置をめぐる英領政府と大菩提協会の対応の問題、③新たなレストハウスの建設と仏像の安置先の問題をめぐるダルマパーラ、マハント、英領政府の三つ巴の関係と、その中で日本人のためのレストハウスの建設を計画した、1902年の岡倉天心によるブッダガヤ訪問とマハントからの土地取得の交渉の経緯である。 これまで、ブッダガヤでの大菩提協会の活動は、特に1895年の大塔内への日本の仏像の安置問題が注目されてきたが、むしろ本稿では、日本の仏像の安置先をめぐる問題を、ブッダガヤ寺院内のレストハウス問題の一部として検証する。それによって、ダルマパーラの運動の行き詰まりを打破する可能性としての、岡倉天心による新たなレストハウス建設の意義が検証される。
著者
三尾 稔 杉本 良男 高田 峰夫 八木 祐子 外川 昌彦 森本 泉 小牧 幸代 押川 文子 高田 峰夫 八木 祐子 井坂 理穂 太田 信宏 外川 昌彦 森本 泉 小牧 幸代 中島 岳志 中谷 哲弥 池亀 彩 小磯 千尋 金谷 美和 中谷 純江 松尾 瑞穂
出版者
国立民族学博物館
雑誌
基盤研究(A)
巻号頁・発行日
2006

文化人類学とその関連分野の研究者が、南アジアのさまざまな規模の20都市でのべ50回以上のフィールド調査を実施し、91本の論文や27回の学会発表などでその結果を発表した。これまで不足していた南アジアの都市の民族誌の積み重ねは、将来の研究の推進の基礎となる。また、(1)南アジアの伝統的都市の形成には聖性やそれと密接に関係する王権が非常に重要な機能を果たしてきたこと、(2)伝統的な都市の性格が消費社会化のなかで消滅し、都市社会の伝統的な社会関係が変質していること、(3)これに対処するネイバーフッドの再構築のなかで再び宗教が大きな役割を果たしていること、などが明らかとなった。
著者
外川 昌彦
出版者
国際日本文化研究センター
雑誌
日本研究 (ISSN:09150900)
巻号頁・発行日
vol.60, pp.39-94, 2020-03

本稿は、近代日本を代表する美術家・岡倉天心のアジア美術史に関する認識の転換を、1902 年のインド滞在中のベンガル知識人との多様な思想的交流の経緯を通して検証する。岡倉にとってインド美術史の探求は、ハーバート・スペンサーの社会進化論やヘーゲルの発展段階論に基づく芸術の単系的な発展モデルを克服し、アジア諸美術の「自然な成長」やその相互交渉を捉える視点を与えるものとなっていた。本稿では、岡倉がギリシア美術の影響を離れたインド美術の内発的発展という新たな視点を獲得する鍵となる人物が、近代インドを代表するヒンドゥー教改革運動家ヴィヴェーカーナンダであると考え、ヴィヴェーカーナンダとの交流を通して岡倉が、インドの美術や歴史に関わる新たな認識を深めてゆく経緯を、日本とインドに残された当時の資料を対比して検証する。本稿の構成は、以下の通りである。第一章は、日本の仏教美術とギリシア美術の類似性という美術史上の争点についての岡倉の視点の変遷を検証し、本稿の課題を位置づける。第二章は、岡倉天心の生涯を検証するこれまでの伝記的研究を整理し、本稿の課題の背景を明らかにする。第三章は、岡倉のアジア美術史観の変遷を、社会進化論やヘーゲル美学の影響を通して検証し、インド訪問後のその視点の変化を検証する。第四章は、岡倉とヴィヴェーカーナンダの相互の影響関係を検証する手掛かりとして、両者の著作に見られる共鳴関係を検証する。第五章は、インド美術に関心を深めたヴィヴェーカーナンダの、当時のインド美術のギリシア起源説への批判的なまなざしを検証する。第六章は、両者の思想的な影響関係を、仏教の伝播や社会変革の思想としての仏教などの論点を対比して検証する。第七章は、インド美術の独自の発展を捉えようとする両者の問題関心の共有を検証し、その影響関係の広がりを跡付けて、まとめとする。
著者
外川 昌彦
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.80, no.1, pp.25-43, 2006-06-30 (Released:2017-07-14)

異質な宗教文化の接触や混交は、従来「シンクレティズム」と呼ばれて説明されてきた。日本では「神仏習合」としてなじみのある「シンクレティズム」概念は、しかし宗教学者や人類学者の間で様々な批判にさらされている。本報告では、ベンガル地方の聖者信仰に見られる多元的な宗教実践が構成される条件を明らかにすることで、「シンクレティズム」概念の再検討を試みるものである。具体的には、バングラデシュ東部のモノモホン廟での多元的な宗教的実践のあり方を検討し、聖者廟をめぐる地域社会の多様な言説を検証する。特に、シンクレティックな理念を体現する聖者としてのモノモホンの宗教性を尊重しつつ、同時にイスラームの観点を強調するイスラーム知識人の見解が検討される。これらの分析から、モノモホン廟を中心としたシンクレティックな宗教世界の構成が、一方で信徒による多元的な宗教的実践を可能にする条件を与えると同時に、他方では異なる解釈を通した多元的な言説の生成をも妨げないという意味で、近代のコミュナルな対立とも容易に結びつくことが明らかにされる。
著者
外川 昌彦
出版者
東京大学東洋文化研究所
雑誌
東洋文化研究所紀要 (ISSN:05638089)
巻号頁・発行日
vol.159, pp.322-360, 2011-03-28

This paper addresses Mahatma Gandhi's views on the Japanese in the 1930s throught the analysis of exchanges between Gandhi and rev. Fujii Nichidatsu (Fujii Guruji), who is the founder of the Japanese Buddhist sect, Nipponzan Myohoji. Fujii met Gandhi at his ashram in Wardha on 4 October 1933 and stayed there for two months. Thereafter, the two promoted intimate relations, which were described in Fujii's diary in detail and have so far been the topic of various arguments by scholars. However, this study examines Fujii's descriptions using other records on Gandhi, and from the background of Indo-Japan relations in the 1930s. In particular, the author discusses Gandhi's different attitudes towards Fujii's disciples and explains why Fujii and his disciples were able to maintain an intimate relation with Gandhi in spite of his critical opinions on the Japanese army's aggression against China.
著者
外川 昌彦
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.86, no.4, pp.563-583, 2022-03-31 (Released:2022-07-20)
参考文献数
72

本稿では、バングラデシュのイスラーム主義を掲げる宗教政党と、それを「原理主義」として批判し、世俗主義を標榜するNGO団体との関係を、1990年代を中心とした多様な相互交渉と対立の過程を通して検証する。公共領域でのイスラーム的価値の実現を求めるバングラデシュの宗教政党と、社会開発への取り組みを通して公共領域から宗教の分離を試みるNGO団体との、互いの参照や批判を通した二極政治の形成過程を跡付ける。 一般にイスラーム主義は、社会のイスラーム的変革を求める政治的イデオロギーや運動とされ、日本語ではバイアスを含んだ「イスラーム原理主義」に代わる用語として用いられるが、実際には、改革運動からジハード主義までを含む多様な用法が見られ、たとえば、日本人7名が犠牲となった2016年のダカ・テロ事件では、イスラーム政党・団体は一括りにイスラーム主義とされた。しかし、イスラーム主義が、西洋近代の「世俗」概念との対比から、それを逸脱する「宗教」運動として一元的に規定されると、それはかつての「原理主義」と同様の問題を内包するだろう。本稿では、バングラデシュの二極政治の構成が、「公共領域」の変容をも導く経緯の検証を通して、イスラーム主義を、「ムスリム社会が国民国家や市民社会を構成する過程で、イスラーム的価値を政治的イデオロギーとして再認識し、実践する運動」と定義する。
著者
外川 昌彦
出版者
日本南アジア学会
雑誌
南アジア研究 (ISSN:09155643)
巻号頁・発行日
vol.2017, no.29, pp.61-91, 2017

本稿は、近代インドのヒンドゥー教改革運動を主導し、ラーマクリシュナ教団を創設したスワーミー・ヴィヴェーカーナンダの宗教観の変遷を、特に仏教への言及を手掛かりとして検証する。ヴィヴェーカーナンダは、1893年のシカゴ万国宗教会議では、ヒンドゥー教をヴェーダーンタ思想を根幹とする合理的で体系的な宗教として西欧世界に紹介したことで知られ、今日ではグローバル化するインドの国民意識を体現する愛国主義者としても注目されている。そのヴィヴェーカーナンダの仏教への言及を、本稿では、次の4つの時期に区分して検討する。①シカゴ宗教会議における仏教との類縁性を通したヒンドゥー教の紹介、②3年半の欧米での活動を通した仏教を包摂するヒンドゥー教という観点の提示、③1897年のインド帰還後の「仏教的退廃」に関する認識の背景、④最晩年に言及された、仏教とヒンドゥー教との関係についての「全面的革命」という認識の問題である。
著者
外川 昌彦
出版者
日本文化人類学会
雑誌
民族學研究
巻号頁・発行日
vol.62, no.3, pp.315-339, 1997

本稿は, インド西ベンガル州のひとつの村落社会を事例に取り上げ, かつてこの地方で強力な覇権を揮っていたヒンドゥー王権と村落社会との関係を考察している。調査地は, インド亜大陸に分布する51の女神の聖地のひとつであり, その村落寺院は中世王権の寄進地を基盤にすることで, 複雑な祭祀体系が今日でも観察可能である。本稿は, 一年半の村落での住み込み調査の資料と, 英領期の土地資料とを統合することで, 村落社会の内部の視点から, 王権が村落の社会生活に深く関与している様子を描き出している。特に, 寺院の祭祀組織が, 王から村落のサーヴィス・カーストに賜与された寄進地と役割配分とに基礎付けられていることが示された。ここでは, 寺院の奉仕者は, 女神祭祀の役割を担うべく王によって任命されたサーヴァントなのであり, 宗教的でかつ政治的なこのような王の役割配分を通して, 王権の正統性が確立されることが論じられた。このような, 南アジア社会に固有の社会的歴史的条件に根ざした政治システムの考察は, 今日の世俗主義(secularism)と宗派主義(communalism)という図式的な対比にも再検討を迫るものとなるだろう。論文は, 8章で構成されている。序論では, 従来の王権論の議論を整理し, 村落社会との関係についての具体的な事例に基づく考察の必要性が論じられる。2章では, 調査村の概況が述べられる。3章では, 女神の聖地の特徴と王の寄進地が検討される。4章と5章は, 女神寺院での実際の儀礼過程が取り上げられる。6章では, 上記の資料に基づいて, 王権の正統性の確立過程が考察される。7章では, 特に, 調査村の独立後の変化に焦点が当てられる。最後に8章で, 結論が述べられている。
著者
外川 昌彦
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.80, no.1, pp.25-43, 2006-06

異質な宗教文化の接触や混交は、従来「シンクレティズム」と呼ばれて説明されてきた。日本では「神仏習合」としてなじみのある「シンクレティズム」概念は、しかし宗教学者や人類学者の間で様々な批判にさらされている。本報告では、ベンガル地方の聖者信仰に見られる多元的な宗教実践が構成される条件を明らかにすることで、「シンクレティズム」概念の再検討を試みるものである。具体的には、バングラデシュ東部のモノモホン廟での多元的な宗教的実践のあり方を検討し、聖者廟をめぐる地域社会の多様な言説を検証する。特に、シンクレティックな理念を体現する聖者としてのモノモホンの宗教性を尊重しつつ、同時にイスラームの観点を強調するイスラーム知識人の見解が検討される。これらの分析から、モノモホン廟を中心としたシンクレティックな宗教世界の構成が、一方で信徒による多元的な宗教的実践を可能にする条件を与えると同時に、他方では異なる解釈を通した多元的な言説の生成をも妨げないという意味で、近代のコミュナルな対立とも容易に結びつくことが明らかにされる。
著者
外川 昌彦
出版者
日本文化人類学会
雑誌
民族學研究 (ISSN:00215023)
巻号頁・発行日
vol.57, no.2, pp.174-196, 1992-09-30

本稿は, ベンガル・ヒンドゥの最大の年中行事であるドゥルガ・プジャの祭祀組織の分析を行っている。今日のドゥルガ・プジャの拡大は, 祭主と崇拝者とが一元化したコミュニティ・プジャの確立によって, もたらされたと考えられる。そのことは, イギリス植民地統治の前後にわたる, ヒンドゥ王権の祭祀, 英領期の富裕層の祭祀, 独立運動下の民衆の祭祀組織を通して検討され, 祭主と崇拝者の差異化とその一元化という祭祀構造の変化が指摘される。更に今日のコミュニティ・プジャにおける, 人々の主体的な参加と自立的な祭祀組織の形成を, カルカッタ市街地の調査事例を踏まえて検証する。歴史的事例と調査事例とは対照され, そこに階層化と平等化の構造的ベクトルが作用していることが指摘される。王権の解体と人々の自立的な祭祀の解釈が, この祭祀組織の構造変化をもたらし, 今日のドゥルガ・プジャの拡大を可能にしたことが示されるであろう。
著者
中谷 哲弥 外川 昌彦
出版者
奈良県立大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2008

近年、経済成長によって注目される南アジア地域のうち、インドとバングラデシュを取り上げて、経済成長にともなう中間層の台頭と人々のライフスタイルの変容に関して調査研究を行った。具体的には観光と宗教という側面から調査研究を行い、その結果、いずれの国においても、よりレジャー的な観光が拡大する傾向にあることや、消費社会に融合するような形で宗教が埋め込まれ、ひとびとに受容されるようになっていることが判明した。