著者
内村 和至
出版者
明治大学人文科学研究所
雑誌
明治大学人文科学研究所紀要 (ISSN:05433894)
巻号頁・発行日
vol.49, pp.1-26, 2001-03

私はここしばらく秋成にかかずらわっているが、秋成の紀貫之批判を理解するうえで、秋成が編纂に深く関わった荷田春満の遺稿集『春葉集』(寛政十年刊)付録の春満版仮名序に注目すべきではないかと考えるようになった。それで、春満の仮名序研究の大体をまとめてみようと思ったのだが、この問題設定からは参考とすべき資料がなきに等しい。実のところ、仮名序研究にかぎらず、門人の聞書や筆記を中心とする春満の資料はほとんど整備されていないのである。確かに、春満の著作について三宅清の浩瀚かつ細密な研究、『荷田春満』(以下①)・『荷田春満の古典学』第2巻(以下②)が備わってはいる。しかし、三宅の所説は春満の著作と合わせ読まないかぎり十分に理解できない部分が多く、端的に言えば、それは『春満全集』の解説にこそふさわしいものである。
著者
内村 和至
出版者
明治大学人文科学研究所
雑誌
明治大学人文科学研究所紀要 (ISSN:05433894)
巻号頁・発行日
vol.57, pp.1-23, 2005-03

私はここしばらく国学の問題圏を巡っているが、国学史においてはどうにも契沖の座り心地がよくないような気がしてならない。と言っても、現在、国文学研究の枠内では春満などよりも契沖を重んじるのが普通である。つまりは、芳賀矢一の所謂「日本文献学」の始祖として契沖を位置付ける見方である。それに異論はないが、契沖が国学思想史とどう関連するのかは、実はそれほど明瞭に論じられてはいないように思う。言うまでもないが、思想史的連関とは、師弟関係や交友関係に還元されるようなものではない。つまり、契沖と国学の関わりは、契沖が下河辺長流を継いで『万葉代匠記』をものしたとか、水戸学派とつながりを持っていたといった水準で済まされる問題ではないということである。
著者
佐藤 清隆
出版者
明治大学人文科学研究所
雑誌
明治大学人文科学研究所紀要 (ISSN:05433894)
巻号頁・発行日
vol.58, pp.179-212, 2006-03

2001年の国税調査によると、イングランド中部の一多民族都市レスターの全人口は約28万人で、エスニック・マイノリティは約10万人(36.1%)である。そのなかでもっとも多い割合を占めているのが、南アジアのインド系の人びとである。約7万2000人(25.7%)である。割合は低いとはいえ、インド系以外に、パキスタン系、バングラディシュ系、ブラック・カリビアン、ブラック・アフリカン、中国系なども住んでいる。宗教人口では、キリスト教が一番多いが、その割合は44.7%とすでに半数を割っている。キリスト教徒以外では、ヒンドゥー、イスラーム、シクの割合が多く、三つの宗教合わせて29.9%である。これらの宗教以外では、数は少ないが、ユダヤ教、ジャイナ教、仏教、ゾロアスター教、バハイ教などを信仰する人びとが住んでいる。
著者
渡辺 響子
出版者
明治大学人文科学研究所
雑誌
明治大学人文科学研究所年報 (ISSN:05433908)
巻号頁・発行日
vol.42, pp.50-50, 2001-07-13

本研究は,小説の中に芸術家が描かれ,芸術作品の内部において芸術の逆照射が行われるという,十九世紀に入ってフランスの文学界で顕著に見られるようになった現象を考察するものである。これは,十七世紀に宮廷を舞台にした物語が生まれたのとは,全く異なるレベルの事件である。1830年の七月革命は,1789年のフランス大革命と比べると,世界史的には影響が少なかったかもしれないが,フランスにおける真の市民社会の誕生・発展にとっては大転換期となった。小説・芸術が場パトロンの手から離れて,ひとりだちし始める時期であるとも言えよう。十九世紀が小説の世紀と呼ばれるまでになった背景には,この革命とその戦利品,そしてこれによって失ったものを考えないわけにはいかない。