著者
遠藤 大哉
出版者
江戸川大学
雑誌
江戸川大学紀要 = Bulletin of Edogawa University
巻号頁・発行日
no.25, pp.105-124, 2015-03

新東京五輪を間近に控え,日本の「スポーツ力」が世界から注目されている。トップ・アスリートの国際的な活躍だけでなく,各国からは,日本の一般市民のスポーツ・ライフの質にも深い関心が寄せられている。文科省の調査結果では,日本人成人の約50%が「週に一回はスポーツをしている」となっているが,現実に町で調査をしてみると,これをはるかに下回るのが実情であることが判明した。いわば「頭でっかち」の危惧のある日本のスポーツ力を改善し,向上していくための一つの手段として,地域に根差したスポーツNPO のさらなる普及と発展が,かねてから叫ばれていた。そこで,実際にスポーツNPO を立ち上げ,運営してみるとどうなるのか,どのような課題や,表面からは見えない問題点が見えてくるのかを,神奈川県藤沢市に「NPO バディ冒険団」を2001 年に設立し,ここまで約13 年間,「手作りの地域密着型スポーツNPO」のモデルとして調査研究してきた。本論は,この実験研究を基盤にした,スポーツNPO の運営と課題について述べるものである。第1 章ではまず,立ち上げた「NPO バディ冒険団」の当初成功と,その後の失敗について報告し,地域に根ざしたNPO 作りの難しさを検証する。また,この実体験をもとに,神奈川県のスポーツNPO 全体の実態を調査してみると,基本的には大規模,小規模2つの形態があり,そのどちらを選択して,軸のぶれない経営(運営)をすることが決め手になることが結論付けられた。第2 章では,実際の収支を含めた現在の「NPO バディ冒険団」の運営の実態と,第1 章で述べた"大規模"型のスポーツNPO との運営や目的,手法などの違いを検証し,「手作りのスポーツNPO」にとって重要なのは,ボランティアのスタッフをどの程度確保できるか否かにかかっていることなどを結論づけた。このほか,リピーターの参加者や,「主催者と参加者是認」ではなく,あくまでの一人対一人の対応,言い換えれば精神的心情的な結びつきが小規模のNPO の生命体であることを導きだした。第3 章では,地域の一般市民はどのようなスポーツ活動を現実に行っており,スポーツNPO に対してどのような役割を望んでいるかを藤沢市で実施した「スポーツ・ライフ実態調査」の集計結果をもとに参加者の立場から検証した。その結果,現実にスポーツ活動を行っている成人市民はおよそ4 人に1 人であり,政府機関の発表値より下回っていることが判明した。地域スポーツNPO 側から見ると実際の市民スポーツ活動をさらに量的・質的な両面から推進する必要があり,スポーツNPO がその推進の一助となる責務を負っていると結論付けた。第4 章では,予測できなかったリスクやトラブルについて,これも実体験からの報告と今後の指針をまとめた。神奈川県葉山の御用邸の前でオーシャンスイム(海での遠泳)大会を主催した際,生命の危険は全くなかったが,一人の男性が溺れかけ,一応救急車を要請したところ,場所柄もあって地元の警察署だけでなく,県警,皇宮警察まで出動し,大変な"事件"となった。また,どこにも報じられてはいないが,海浜での大会主催は,サーファーたちとのトラブル回避作業,地元産業(漁業)関係者との折衝(有料)などの特有の問題があることも,論文の一部として報告する。第5 章では,こうした現実の"荒波"を超えて,どのような「手作りの地域密着型のスポーツNPO」を目指すべきなのか,収支のシミュレーションを含めて検証していきたい。
著者
小坂 勝昭 斗鬼 正一 阿南 透 宇野 正人 越智 昇
出版者
江戸川大学
雑誌
一般研究(B)
巻号頁・発行日
1993

平成6年2-3月、5月、7〜8月と数次にわたる現地調査を実施した。調査対象地は島根県隠岐郡西ノ島町浦郷地区を中心に、必要に応じて西郷町、五箇村、島前中ノ島の海士町も併せて調査対象とした。調査手法は徹底した「聴き取り、面接法」をとり、部落のキ-・パースンから情報収集し、それらを基礎に分析枠組を構想した。これまでおこなった調査研究の内容は(1)隠岐諸島の社会史研究、(2)各研究分担者の研究領域に従い、文化人類学的、社会学的、文化史的、宗教社会学的な研究をおしすすめてきた。具体的には、(1)隠岐の近代化の進行の中で、マスコミ情報の与えてきた影響とともに近代以降の第三次産業の発展、とりわけ観光産業の振興は隠岐の発展と産業化に影響を与えてきたが、とくに若者人口の流出(向都現象)に典型的にみられる人口流出の増加とともに観光客の流入増などが全体としての人的交流の著るしい増加を結果した。とくに観光地化にともなう隠岐社会の変動の分析をおこなった。(2)隠岐の過疎化対策としての若者宿の新築と地域振興に及ぼす効果の測定、町起こし運動としての隠岐全国トライアル大会」の町の活性化に及ぼした影響と効果分析。(3)隠岐諸島の種々の祭札や宗教的行事の社会的機能を宗教社会学的、文化人類学的な観点から明らかにすること。(4)町村合併にともなう部落組織の変容、及び便益の配分をめぐる政治的勢力関係の分析、(5)明治維新時の文化変動ともいうべき宗教改革(廃仏毀釈)の影響、以上のような問題意識にもとづき研究をすすめてきた。そして研究成果の一部として、越智、小坂、斗鬼、阿南の共著として「隠岐諸島の社会変動に及ぼした諸要因-隠岐郡西ノ島町の調査研究ノートから-」を著わした。この論文は江戸川大学紀要「情報と社会」NO.5.1995.(2月20発行)に発表された。(13-35頁。)
著者
土器屋 由紀子 岩坂 泰信 梶井 克純 山本 正嘉 山本 智 増沢 武弘
出版者
江戸川大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2006

2004年に無人化された富士山測候所を有効に活用し、国際的な視点に立って、多方面に開かれた総合研究施設とすることを目的として調査研究を行った。主要な行事としては、2006年11月22,23日に国際ワークショップ/シンポジウムを開催した。以下に内容を要約する。(1)富士山は工業発展の著しい東アジア大陸の東に位置しており、偏西風の通り道であり、大気汚染の観測サイトとしての価値は大きい。(2)富士山測候所の施設はまだ十分利用可能であり、利用されずに放棄されるのは資源の無駄と考えられる。最近、中国のWaliguan山、台湾のLulin山に大気化学観測地点が新設されている。ハワイのマウナロア、さらに中央アジアの山などを含めた高所観測ネットワークの中で富士山の観測が不可欠である。(3)航空機の宇宙線被爆の観測にとっても、富士山はユニークな連続観測地点である。(4)日本で唯一永久凍土が確認された富士山におけるコケ類の調査は地球温暖化を目視できる「指標」であり、今後、より詳しい継続的な観測には測候所を基地として利用することが望ましい。(5)富士山頂で7年間サブミリ波望遠鏡による冬季観測を成功させた技術を活かすことによって、天文学並びに超高層大気化学への利用が可能である。(6)高山病の原因の究明や高所トレーニングにとって富士山測候所は有用な施設である。(7)脂質の代謝機構の解明や、耳の蝸牛機能に対する低圧低酸素環境の影響など医学研究にも測候所の施設は有用である。(8)廃止になった筑波山測候所を生き返らせ、リアルタイムの気象データの配信を含めて水循環の研究に用いている筑波大学の業績に学ぶところが大きい。(9)新しい分析化学的な手法や新素材の開発・応用などにも低温・低圧の高所研究施設として測候所は利用できる。
著者
阿南 透
出版者
江戸川大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2004

本研究は、近代日本の都市祭礼について、変遷を時系列に沿って分析していく試みである。特に明治期から昭和戦前期までに作られた祭礼や、一回限りの奉祝行事・記念祭、さらには祭礼に類似したスポーツイベントを対象として、成立事情や変化、内容の特徴を考察し、近代日本の社会変動と文化変容にも関連づけて理解を試みた。本研究の成果は次のとおりである。1.昭和初期に新しい祭礼が続出するが、京都の「染織祭」、神戸の「みなとの祭」、大阪の「商工祭」など京阪神の大規模な祭礼の例を紹介し、成立事情と内容の特徴をまとめた。2.昭和大礼における市民による奉祝行事について、京都府の例を紹介するとともに、警察の警備記録から全体像を推測し、その祝祭性を明らかにした。3.近代に成立した北海道における神社祭礼について、札幌祭を例に成立史を描き出し、祭礼が必要とされた事情を推測した。4.地域の大規模な年中行事となっているスポーツイベントについて、祭礼との類似性を、戦前期の釧路市民大運動会を例に明らかにした。5.戦後に発展した青森ねぶた祭と仙台七夕まつりについて、戦前と戦後の相違点を比較した。その上で、仙台七夕まつりに関して、戦前の復活期の様相を詳細に跡付けた結果、復活した年が通説よりも1年早いことが明らかになった。6.これらの個別事例の成果を通じて、近代の祭礼の成立と展開について、特徴を試論としてまとめた。