著者
吉川 肇子 Kikkawa Toshiko
出版者
江戸川大学
雑誌
Informatio : 江戸川大学の情報教育と環境 = Informatio
巻号頁・発行日
vol.20, pp.3-4, 2023-03-30

本稿では,教育におけるゲームの活用について述べた.まず,ゲーミング・シミュレーションという分野の簡単な定義を紹介した上で,教育的活用について検討した.ゲームによって学べることについては多様であるものの,本稿では,主に正解を学ぶこと,問題の構造を学ぶこと,問題意識の共有,感情体験について紹介した.次いで,ゲームで学ぶことの利点を3 点紹介する.それらは,自己効力感を持てる学習ツールであること,問題の構造が学べること,ゲームを作って学ぶことができることである.他方,ゲームが教育現場に導入されるにつれ,その学習効果に対する誤解も少なからず生まれているようにも思われる.それらのいくつかについて取りあげることによって,なぜゲームを教育に活用することが意義のあることなのかについて検討した.その鍵となるのは,「ゲームの勝利条件」であって,これを精査することが,より効果的なゲームの活用につながる.
著者
下平 拓哉
出版者
江戸川大学
雑誌
江戸川大学紀要 = Bulletin of Edogawa University
巻号頁・発行日
vol.33, pp.349-359, 2023-03-15
著者
阿南 透 谷部 真吾 中里 亮平
出版者
江戸川大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2011-04-28

日本の都市祭礼を対象に、祭礼の中で起こる事故や暴力の解決法とその変化について、8つの祭礼を例に研究した。以前は祭礼における暴力が当然視され、当事者によって解決する慣例が存在したが、戦後は警察と行政の関与を招いた。このため多くの祭礼は暴力を抑制する方向に変化したが、一部の祭礼は、高度成長期以後、場所と時間とルールを決めて対戦する「競技化」の方向に変化したことが明らかになった。
著者
田畑 恒平 西条 昇 木内 英太 植田 康孝
出版者
江戸川大学
雑誌
江戸川大学紀要 = Bulletin of Edogawa University
巻号頁・発行日
no.26, pp.291-300, 2016-03

クラウドとビッグデータ,人工知能などの情報通信技術(ICT)の発達によって今後必要となる能力や人材が今までとは大きく異なってくる。多くの人がそう感じ始めているが,問題であるのは,その動きがかなり急速なことである。必要とされる能力が急ピッチに変化するならば,その変化に応じた能力開発も急ピッチで行っていく必要がある。もちろん大学教育の内容も大きく変革していかなければならない。急速な時代変化に合わせた大学教育の変革の必要性を感じた植田・木内・西条・田畑[2015]は,「エンタインメント」と「インフォメーション」を融合させた上位レイヤー概念として,「インフォテインメント(Infotainnment)」を定義した。本学マス・コミュニケーション学科「エンタテインメント」コースにおいては,「ハロウィンパーティ」の企画および実際に自らが仮装して歌や踊りなどのパフォーマンスを行う「エンタテインメント」の要素と,イベントをライブストリーミングで配信するという「インフォメーション」の要素を融合させた教育を2015 年10 月30 日に実践した。動画配信サービスは,ユーザーが投稿した動画を共有する「動画共有」と,ユーザーがライブ放送を共有できる「ライブストリーミング」の2 つから成るが,前期(2015 年5 月8 日)に行った動画共有サービス「Vine」による実習に加えて,後期でライブストリーミングによる実習も付加することにより,動画配信サービスに対する知識とスキルを学生は習得してくれたことを確認できたため,本稿に事例紹介する。LINE がスマホで動画を配信す「LINE ライブ」は,2015 年12 月10 日に始まったばかりのサービスであるが,視聴者は対話アプリ(日本国内は5,800 万ユーザー)と別の専用アプリをダウンロードすることにより,公演中のコンサートをスマートフォンでどこでも見ることが可能である。ドワンゴが手掛ける「ニコニコ生放送」サービスに続く生中継サービスが登場することにより,テレビに代替するサービスになると注目されていたが,インディーズアイドル「原宿駅前パーティーズ」による2015 年12 月24 日限定のクリスマス公演は128 万8,000 視聴という驚異的な数字を記録し実証する形になった。また,テイラー・スウィフトやアデルが世界ツアーの映像を「アップル・ミュージック」でコンサート映像を独占配信したり,リアーナが世界ツアーの映像をサムソン「ミルクミュージック」で,コールドプレイがロサンゼルスで行ったコンサート映像をJay-Z「タイダル」で配信したりするなど,人気アーティストが積極的に活用するようになっている。「ライブストリーミング」は,テレビ番組では視聴者が少なくて放送できないようなリアルタイムの映像を届けることができるため,テレビ番組に飽き足らず「テレビ離れ」を進めた若者世代が視聴するメディアに位置づけた結果,テレビの求心性は解体しその啓蒙機能は著しく減衰,レガシー化されつつある。更に,レッド・ブルやコカ・コーラなどの有力広告主が「ライブストリーミング」に対してテレビを代替するメディアとしての有効性と成長性に期待し,この流れに拍車を掛けている。このようにライブ配信は,ライブアイドルにとって不可欠のサービスになっており,芸能事務所や音楽関係を志す学生が多いエンタテインメントコースにおいては習得することが求められる重要技法の一つに位置づけられる。
著者
清水 一彦
出版者
江戸川大学
雑誌
江戸川大学紀要 = Bulletin of Edogawa University
巻号頁・発行日
no.26, pp.159-172, 2016-03

出版とは情報を編集して公開する行為である。出版行為の結果としての出版物には,書籍,雑誌,ムック,コミックス,新聞,そして印刷メディアからの拡張である電子書籍,電子雑誌などがある。江戸川大学マス・コミュニケーション学科出版研究ゼミナールでは,新聞記事制作も出版行為の一部として千葉日報社主催のチバ・ユニバーシティ・プレス(CUP)に参加している。本稿ではCUP の教育効果を個別的に論考する。具体的な教育的効果としては,①体感的にジャーナリズム的な思考を獲得できること,②新聞に書くことでうまれる責任と社会的影響を実感できること,③メンタル面でのストレスが連帯感と技術習得をうながすこと,そして④取材量の確保ができることの4 点があげられる。
著者
大矢 裕一
出版者
江戸川大学
雑誌
江戸川大学紀要 = Bulletin of Edogawa University
巻号頁・発行日
no.30, pp.251-255, 2020-03

社会的厚生は,個人の効用の集積であり,社会全体の望ましさを示すものである。公共経済学ではこの社会的厚生を最大化させる制度設計のあり方がこれまで議論され,社会的厚生を最大化させることが政府の役割であることが認識されている。しかし,周知されている通り,「市場の失敗」及び「政府の失敗」によって,社会的厚生の拡大が抑制・毀損される。これらのことに加え,事業の許認可における行政の判断の誤りによって社会的厚生の拡大が阻害され得る。本研究は,事業に対する行政の許認可に関して,社会的厚生毀損の要因を行政と市場との関係から検討し,社会的厚生を確保するための,市場に対する行政の役割を明確にする。 行政は事業の許認可権限を持つため,行政は実質的に企業の市場参入を規制(審査)する権限を持つことになる。言わば,行政は企業の市場参入への門番(ゲートキーパー)の役割を果たすことになる。公害等負の外部効果を発生させる事業者,食品衛生の維持に不備のある事業者や危険物を適切に処理する能力を有しない事業者等,不適切な事業者に対して,また,事業の許認可をめぐり事業者間で競合となった際に社会的厚生の最大化に適さない事業者に対して,市場参入への事業の許認可を行政が与えることを,本稿は「行政の失敗 (administrationfailure) 」という概念で示す。「行政の失敗」の要因は,事業の審査に関する法の不備,行政と事業者との情報の非対称性,行政(官)の審査能力の欠如,事業審査の際の行政への贈賄が考えられる。外部不経済を発生させる無許可操業や,国民生活に弊害を及ぼす薬物の売買等の犯罪行為に対する取締りの不備も,予算と人員の制約を受けるが,それらを取り締まる立場にある警察行政という観点で「行政の失敗」と言える。
著者
小原 裕二
出版者
江戸川大学
雑誌
江戸川大学紀要 = Bulletin of Edogawa University
巻号頁・発行日
no.29, pp.233-238, 2019-03

近年政府の様々な会議においてIT パスポート試験を拡充することが示されている。そのため,企業人事担当者からは採用時に,学生のIT リテラシーを証明するものとして高く評価される資格であり,入社までに取得していることが望まれている。本稿では,情報文化学科における取組みについて報告する。本年度のIT パスポート試験の合格者数は19 名 (2019 年1 月末時点)であり,昨年度の合格者数を上回る結果となった。さらに,上級資格である基本情報技術者試験に2 名合格することができた。このことは,学生の資格取得に対する意識が向上した結果である。また,学習する環境としてエドクラテスを活用してe-Learning サイトを開設することができたことは大きな成果である。
著者
浅岡 章一 福田 一彦
出版者
江戸川大学
雑誌
江戸川大学紀要 = Bulletin of Edogawa University
巻号頁・発行日
no.27, pp.329-334, 2017-03

様々な認知機能に与える乱れた睡眠習慣の悪影響は,多くの実験や調査によって明らかにされてきている。乱れた睡眠習慣と学業成績との関連も国内外を問わず多数の研究で確認されていることから,学校現場における睡眠教育の必要性も以前から指摘されている。しかし,学校現場における睡眠教育の現状においては不明な点も多い。そこで,我々は子どもの健康教育の担い手と考えられる養護教諭 (保健室の先生) を対象として,睡眠に対する正しい知識の有無と睡眠教育の現状に関する調査を行った。さらに睡眠の正しい知識の教育現場への普及方法に関する示唆を得ることを目的として,養護教諭が睡眠教育のために睡眠の専門家からどのような支援を必要としているのかについて「ニーズ調査」を合わせて実施することとした。調査の結果,養護教諭は睡眠教育の必要性を高く考えているが,実際に学校現場では睡眠教育を頻繁に実施できていないと考えられた。信頼できる情報を載せたWeb サイトやテキスト・スライドの必要性が高く評価されており,睡眠に関する正しい情報を収集し難い事が教育現場における睡眠教育の実施を妨げている一因と考えられた。
著者
中村 真 中尾 花奈子 西村 律子
出版者
江戸川大学
雑誌
江戸川大学紀要 = Bulletin of Edogawa University
巻号頁・発行日
no.30, pp.267-280, 2020-03

本稿は,衝動性が意欲低下を媒介して間接的に適応感の低さに影響するというモデルを考案し,その妥当性を検討することを目的に行われた実証的研究である。首都圏の四年制大学で心理学系学科に所属する学生を対象に質問紙調査を実施し,モデルの検証を行った。まず,衝動性,意欲低下,適応感の3 つの変数のうち,1 つの変数を制御変数とし,他の2 つの変数間の偏相関係数をすべての組み合わせで算出した結果,「衝動性」→「意欲低下」→「適応感の低さ」という因果関係を示唆する結果が得られた。これをふまえて,衝動性が意欲低下を促し,意欲低下が適応感に負の影響をもたらすことを示す因果モデルの検証をパス解析により探索的に行った。その結果,総じて,男女に共通して「思考・行動の制御不全」「熟慮・集中力の欠如」に特徴づけられる衝動性が,大学生活における意欲の低下を媒介して,適応感の低下を促すという想定した通りの因果関係が裏付けられた。 以上の分析結果に基づいて,衝動性から意欲低下および適応感に至る心理的プロセスについて考察し,今後の研究の課題を述べた。
著者
吉永 明弘 寺本 剛 山本 剛史 熊坂 元大
出版者
江戸川大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2016-04-01

学術雑誌『環境倫理』を発行した。2016年度に、小平の住民運動、福島第一原発事故後の双葉町長の避難に関する諸問題、吉野川河口堰に関する住民投票について、キーパーソンにインタビューを行い、ローカルな環境倫理を現場から掘り起こすことを試みた。それらを今年度は原稿にまとめ、解題もつけて雑誌に掲載した。並行して、勁草書房より、吉永明弘『ブックガイド環境倫理』と吉永明弘・福永真弓編『未来の環境倫理学』を刊行した。これらによって、過去の環境倫理学や環境論をレビューすること、最先端の環境倫理学の議論を紹介すること(原発に対する応答、世代間倫理、環境徳倫理、未来倫理、気候工学、環境正義、人新世における倫理など)が達成された。1年間に3冊の本を刊行することができ、関係者に献本したところ、たいへん好評だった。
著者
植田 康孝
出版者
江戸川大学
雑誌
江戸川大学紀要 = Bulletin of Edogawa University
巻号頁・発行日
no.28, pp.85-105, 2018-03

アイルランド出身の劇作家ジョージ・バーナード・ショーは「老いるから遊ばなくなるのではない。遊ばなくなるから老いるのだ」と残し,人は感情から老いることを諭した。明るい社会を構築するためには,夜遊びを楽しむ元気で健康な大人が必要であり,日本でも,「夜の活力」を維持する努力が欠かせない。高齢者は若者に比べ夜間の屋外活動時間が短いため,社会の高齢化に伴い日本の夜間経済(ナイトタイム・エコノミー)が縮小しつつある。訪日外国人客からは,日中には観光に忙しいが,夕食後は時間を持て余すため,日本の都市について「夜,遊べる場所が少ない」との不満が聞かれる。夕食後の午後8時から午前3時までの時間帯は飲食やカラオケが主体となっているが,訪日客の本時間帯における消費は少ない。欧米では,ミュージカルに音楽ライブやダンスなど,大人が深夜まで楽しめる「クラブ文化」が根付き,「ナイト・エンタテインメント」(「夜遊び経済」)が盛り上がって来ている。年間4,000億円とも言われる「ナイト・エンタテインメント」市場の創設に向け,ナイト・エンタテインメントを楽しむモデルケースが求められている。 本稿は,「子供向けエンタテインメント」に対する抑制された「遊び」に対する反発として,「遊び」の原点である「快楽」を求める「ナイト・エンタテインメント」の「飲酒」を取り上げる。時に「ナイト・エンタテインメント」に有用性は認められず,その享受者は後ろめたささえ感じて来た。実際,大衆が楽しむ多くの「ナイト・エンタテインメント」は低俗なものとして,高級文化に対置され,一段低く見なされた。なお且つ学術的研究の対象からも排除され,時に低級なものとして揶揄の対象となる傾向があった。映画や文学,スポーツなど「子供向けエンタテインメント」には有用性があるとされ,「ナイト・エンタテインメント」は堕落的,金銭浪費的であると捉えられた。 本稿で扱う「飲酒エンタテインメント」には,人口減少,少子高齢化,若者のお酒離れなどマイナストレンドが進む。エンタテインメントの選択肢が数多く存在する21世紀にあって,居酒屋での飲酒は現代人には時間的に長過ぎるエンタテインメントであり,衰退傾向にある。例えば,ビール市場は1994年をピークとして,近年は下落基調が継続し,ピーク時の4分の3になった。また,日本酒の消費量は直近40年間でピーク時の3分の1にまで減少している。しかし,近年,人工知能により大幅に品質改善が進み,SNSでの高い評価を受けて,国内需要の見直しに留まらず,日本製ワインや日本酒の輸出も増加傾向にある。ワインや日本酒の輸出増加の恩恵を受け,原料となるブドウや酒米の生産量も増加に転じている。飲酒エンタテインメントにおいて,人工知能技術の導入による技術革新を発端として,輸出→生産増→原料生産増加という経緯を経た「第6次産業化」が進行中であることは,ナイト・エンタテインメントに新時代(人工知能やロボットなどを上手に利用する「テック社会」)の到来を促している。
著者
植田 康孝 菊池 修登
出版者
江戸川大学
雑誌
江戸川大学紀要 = Bulletin of Edogawa University
巻号頁・発行日
no.27, pp.141-165, 2017-03

世界的な人工知能研究者のレイ・カーツワイルは,人工知能が人間の情報処理能力を上回る特異点「シンギュラリティ」に至ると,人間生活は後戻りできないほど変容する,と指摘する。現時点で,人工知能の脅威を間近に感じるところで生活している人は少ない。2030 年と推定される「シンギュラリティ」が到来すると,私たち一人一人今の将棋界のトップ棋士のように失職リスクやアイデンティティについて嫌でも考えさせられるようになる。本稿は,そのような近未来の私達の状況を先取りした将棋界について考察する。将棋に限らず,人工知能があらゆる分野で人間を凌駕する時代(「シンギュラリティ」と呼ぶ技術的特異点)になり,私たち人間は,人工知能の存在をどう受け止めれば良いのか。それは,翻って人間の本質,存在意義を問う問題でもある。「SF だけの話だろう」と疑う一方で,オセロ,チェスから将棋へ,今や囲碁まで,コンピュータがプロ棋士に勝つ現実が生まれている。人工知能の発達は留まるところを知らず,いつ誰が,現在の棋士が置かれているような状況に立たされるとも限らない。将棋界がヒントになることもあるはずである。 「人工知能」とは何か。「人間の知能とは何か?」が研究されていないため,「人工知能」に関する明確な定義はない。人工知能を研究する開発者は人間のような知性を持った人工物(コンピュータ)を作ることを目指している。「人工知能研究者は常に出来ないことに取り組んでいる」という「命題」は正しい。「人間に出来て機械に出来ないこと」を機械に出来るようにする研究が「人工知能」である。そのため,「機械に出来るようになったこと」は「人工知能」の定義から抜けて行く。コンパイラ,数式処理,オートコンプリート,かな漢字変換などは,かつて「人工知能」であったが,現在は「人工知能」とは呼ばれない。「人工知能がトップ棋士より強くなった」ということになれば,「将棋」と「囲碁」は「人工知能」の研究テーマから抜けていくことになり,いずれ「人工知能」と呼ばれなくなる。かつて飛行機で,自動操縦と人間の操縦のどちらが信頼できるのかという議論があったが,現在ではほぼすべてが自動操縦で済むようになっている。いずれ自動車も自動運転になって行くと予想される。「将棋」で人工知能が人間と対局する「電王戦」において,人工知能が人間の能力を上回る「シンギュラリティ」に対し,棋士,ファンの間に「受容」する側面と「焦燥」する側面が両立する。電王戦によって,将棋ファンが増える,新しい棋譜が生まれるなどの「受容」面がもたらされる一方,「チェス」「囲碁」とは異なる精神(作法)の不在や棋士のアイデンティティにつき「焦燥」する面がある。 人工知能が発達しても,人間の聖域として「創造性」が残されると指摘する人が少からずいるが,実は「創造性」においてこそ,人工知能が人間を凌駕する領域であることが,将棋界から分かって来る。バリエーションやコンビネーションを駆使し,これまでトップ棋士が指さなかった新手が次々と生まれている。同様に芸術家たちが手掛けて来なかった独創性の高い音楽や絵画や詩を作ることも人工知能であれば,可能であることが分かって来ている。将来的には美的センスを理解し創造する人工知能が出現することは間違いない。むしろ,人間の感性の幅が狭いため,人工知能による独創的な作品を受け入れられかどうかの方が課題となる。ヒトは自らの学名を傲慢にもホモ・サピエンス(賢明なヒト)と名付けたが,ホモ・スタルタス(愚かなヒト)になる瞬間である。