著者
森本 元
出版者
立教大学
雑誌
若手研究(B)
巻号頁・発行日
2008

多くの動物で雄のみに見られる特徴的な形質は、性選択の結果であると考えられている。だが、一部の鳥類では、若い雄が雌に似た外観、いわば鮮やかな雄と地味な雌の中間的な色彩であることが知られている。本課題では、この地味な羽色がもつであろう同性内選択(雄間闘争)における利益と不利益について研究を行った。その結果、侵入者の色彩の違いに応じて、なわばり所有者の反応(攻撃行動)が変化することを示唆できた。これは、雄の羽色の違いが、雄同士の闘争に信号として機能していることを示唆するものである。
著者
木下 毅
出版者
立教大学
雑誌
立教法学 (ISSN:04851250)
巻号頁・発行日
vol.12, pp.16-122, 1972-09-20

一イギリス法に伝統的な共通的錯誤の考え方によれば、「契約の目的物の存在に関する当事者双方に共通の錯誤は契約を無効とするのであって、契約にもとづいて支払われたものは、これを取り戻すことができる」とされている。問題は、両当事者がともに契約の基礎的事実について錯誤に陥っていたときは、その事実の性質が何であろうと、常に契約が無効であると解すべきか、それともそれより狭く、目的物の存在に関する共通的錯誤の場合にかぎって無効であると解すべきであるか、という点にあった。この点に関し、チェッシャは次のような問題提起をしていること、本節の冒頭において述べたとおりである。すなわち、「実際に生じた問題が、目的物の不存在(res extincta)と権原の不存在(res sua)の場合に限定されるならば、共通的錯誤という独立した法理の存在を示唆することは余計なことになる。なぜなら、契約の不成立を錯誤それ自体に帰することは不必要なことだからである。したがって、表見上の契約は、イギリスにおいてもローマ法と同様、単に契約の目的物が存在しないことを理由に無効となるということになろう。しかしながら、目的物の不存在と権原の不存在の事例は、より広範な法理に基礎をおいたより広いカテゴリーのいくつかの例である、と従来示唆されてきた。すなわち、両当事者がある根本的事実に関して錯誤したときは、常に当該錯誤は契約の存在にとって決定的となる、と示唆されてきたのである。もしこの見解が先例によって支持されるなら、コモン・ローは、共通的錯誤という独立した法理を承認していることが認められなければならないことになる」と。したがって、共通的錯誤という独立した法理が認められるか否かは、目的物の存在以外の基礎的事実に関する共通的錯誤が契約の法的拘束力を否認しうるか否かにかかっている。二ところで、右に述べてきたところからも明らかであるように、共通的錯誤の事例とされているもののうち、(1)目的物の現実的存在に関する錯誤および(2)目的物の擬制的存在に関する錯誤が根本的錯誤となることが示唆されたであろう。右の二つの場合のうち、目的物の擬制的存在に関する錯誤とは、アトキン裁判官のいう「ある性質の存在」に関する錯誤のことであり、イギリス法上は、目的物の擬制的存在を理由として契約の法的拘束力を否認するためには、当該錯誤が共通的錯誤であることを要し、次節において明らかにされるごとく、一方的錯誤である場合には契約の法的拘束力は否認されない。アトキン裁判官をしていわせれば、「契約の目的物の性質に関する錯誤は、一層困難な問題をひきおこしている。このような事例では、錯誤は、それが両当事者の錯誤であり、かつ、その性質がなければ、目的物をそれが信じられていたものと本質的に異ならしめるようなある性質の存在に関してでないかぎり、同意に影響を及ぼすものではない」のである。前述のゴムパーツ対バートレット事件、クリフォード対ワッツ事件、スコット対クルスン事件、およびシェイク兄弟会社対オクスナー事件の四事件は、かかる数少ない目的物の擬制的存在に関する共通的錯誤の事例といえよう。これらの事例は、目的物の性状に関する錯誤のうちの特殊な事例であり、いずれも「ある性質の存在」に関する共通的錯誤があった事例である。換言すれば、目的物の性状に関する錯誤が、「存在」に関している場合に、法は共通的錯誤を理由として契約の法的拘束力を否認してきた、といってよい。かくしてイギリス法は、原始的不能(res extincta, res sua)と目的物の性状に関する錯誤(error in substantia)という全く相異なる法理を、「存在」に関する両当事者に共通の錯誤という決定規準を用いて、一つの独立した法理として発展させてきたということができる。三では、以上の諸事例において錯誤による法的構成が強調されてきた理由は、一体何であろうか。この点は、英米錯誤法の歴史に関してすでに指摘しておいたごとく、共通的錯誤の法理が大陸法的な錯誤理論の影響を受けて成立したという系譜的理由によるものと思われる。しかし、この法理は、その後独自の発展をとげ、イギリス法に伝統的な固有の法理と呼ばれるまでにその独自性を有するに至った。この法理がいかなる点で大陸法的錯誤理論からの独自性を有するかといえば、それが黙示的停止条件と同一の法理に基づいているという点においてである。このように、共通的錯誤の法的構成は、比較法的には大陸法系にみられないユニークなものであり、その法理の根底をなしている考え方は黙示的停止条件というドイツの行為基礎論の先駆的発想である。共通的錯誤を、法的保護という機能的観点から、わが国を含めた大陸法と比較してみた場合、その第一の態様である目的物の現実的存在に関する錯誤の場合には、法的保護の範囲はかなり類似しているが、動産売買法六条の規定からも明らかであるように、不能が規定されていても、約束者(売主)の善意が契約義務からの免責の要件となっており、他方、不能な事項について現実的な履行の請求権を認めることは理論的に不可能であるとしても、マックリー事件にみられるように、履行に代る損害賠償の請求権を認めることは可能であり、したがって、原始的に不能な事項を目的とする契約についても、損害賠償債務の成立を認めて契約を有効とする道が開かれている。このように、イギリス法においては、原始的不能→契約の当然無効といった法的ドグマは存在していないのであり、かかる場合にも両当事者間の関係を比較衡量して契約の拘束力から免責するという点にその重点がおかれているとみられる。第二の態様である目的物の擬制的存在に関する錯誤の場合には、それに対応する大陸法上の目的物の性状に関する錯誤の場合に比して、その法的保護の範囲はきわめて限局されているといってよい。そしておそらくその最大の理由は、イギリス法では大陸法にみられない善意不実表示の法理が、錯誤と詐欺の中間に位置する第三の法的カテゴリーとして、その間隙を埋める機能を果たしているからであると考えられる。この善意不実表示の法理は、当事者の意思というよりもむしろ禁反言に基づく当事者の関係を重視する関係理論に、その法理的基礎を有している。この第三の独立した法的カテゴリーである善意不実表示の法理を度外視してイギリス錯誤法を論ずることは、法を機能的に比較するかぎり、あまり意味がないと思われる。一イギリス契約法における一方的錯誤に関する決定規準は、すでに述べてきたところからも明らかであるように、サヴィニー的な同一性・属性の二分法にその基礎をおいている。すなわち、一方的錯誤により契約の法的拘束力を否認しうる場合を、サヴィニーの影響を受けたポロックおよびアンスン以来の伝統的分類にしたがつて、取引行為の内容と区別された取引行為の種類に関する錯誤、当事者の属性と区別された当事者の同一性に関する錯誤、および、目的物の性質と区別された目的物の同一性に関する錯誤の場合に限定してきた。そして、サヴィニーのいわゆる第四のカテゴリーに属す目的物の性状に関する一方的錯誤を、法的拘束力を否認する根本的錯誤の分類から排除し、この種の問題解決を、錯誤と詐欺の中間的型態である善意不実表示(an innocent misrepresentation)の領域に移したのである。したがつて、イギリス法に特有な善意不実表示の法理が存在しているために、サヴィニーの同一性・属性の二分法による錯誤の決定規準を、心理的な動機の問題に介入させることなしにより徹底しえたと評することができよう。ローソンによれば、イギリス法は、目的物の性状に関する一方的錯誤に対し、法的拘束力を否認する法的効果を与えるべきである、と示唆したことは未だかつて一度もなかつたのである。また他方において、取引行為の種類に関する錯誤、当事者の同一性に関する錯誤、目的物の同一性に関する錯誤を理由として契約の法的拘束力を否認しうるためには、一方当事者の錯誤を相手方が知つていたかまたは知りうべき理由を有していたという禁反言の法理に基づく当事者間の関係に基礎をおいた解決をはかろうとしている点が注目される。二しかし、総じて、イギリス法における一方的錯誤の領域においては、大陸法的な意思理論の影響はかなり強いものがあつた。特にサヴィニーに傾倒したポロックの影響は、一時はコモン・ロー的伝統を圧倒する程強いものであつた。しかしながら、彼は比較法的アプローチの危険を十分認識しており、そのことの故に、彼の比較法学の基礎は、サヴィニーの理論のなかにイギリス法的要因を識別することにあつたともいえよう。ローソンが指摘しているように、確かに「イギリス法は、当事者の誘因となる錯誤の種類と合意を排除する錯誤の種類との間のサヴィニーの区別を継受してきた」ことは事実であるが、サヴィニーの本質的錯誤と動機的錯誤の決定規準を、取引行為の種類とその内容、当事者の同一性とその属性、目的物の同一性とその性質というより客観的規準におきかえ、心理的要素を含む目的物の性状に関する錯誤を一方的錯誤のカテゴリーから排除することにより、サヴィニーの理論をより徹底しえたと評価することが可能であろう。そして今日の動向としては、前述したローソンの学説やデヴリン裁判官の判決意見に代表されているごとく、錯誤の問題を両当事者間に発生した損失と利得の再配分という原状回復法的観点から解決していこうとしているように見受けられる。かかる動向は、意思理論から関係理論への移行の一側面として把握し評価することも許されよう。換言すれば、錯誤の法制度は、当事者の意思に基づく制度から、当事者間の関係を合理的に規律する客観的な制度に変容しつつあるということができる。
著者
海老澤 有道
出版者
立教大学
雑誌
史苑 (ISSN:03869318)
巻号頁・発行日
vol.13, no.2, pp.122-150, 1940-01
著者
佐藤 里香
出版者
立教大学
巻号頁・発行日
2014

21世紀社会デザイン研究科比較組織ネットワーク学専攻
著者
保柳 睦美
出版者
立教大学
雑誌
史苑 (ISSN:03869318)
巻号頁・発行日
vol.29, no.2, pp.82-111, 1969-01
著者
深町 晋也
出版者
立教大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2016-04-01

2019年度は、前半の期間を中心として、日常的迷惑行為の中でも特に親密圏における問題事象の研究を行った。その基本的な柱は4つに分けることができる。第1の柱は、前年度に引き続き、両親間における子の奪い合いと拐取罪の成否に関する研究である。前年度までに行ったドイツ語圏を中心とする広汎な比較法的検討の成果として、2019年度は、我が国におけるこの問題に関する最高裁判例の分析を行いつつ、なお解決されていない問題点を明確化し、その解決のための方法論的基礎を模索する論稿を公表した。第2の柱は、前年度に引き続き、家庭内における児童に対する性的虐待を中心とした性犯罪に関する研究である。2019年5月に、国立臺灣大学における招待講演・ディスカッションを行い、台湾における問題状況との比較検討の上、我が国の家庭内における性的虐待の問題点について分析した。第3の柱は、2019年5月に開催された日本刑法学会第97回大会のワークショップにおいて、児童虐待に対する刑事法的規制のあり方につき、親の有する懲戒権との関係で分析を行い、また、そうした研究の成果を公表した。従来、親の懲戒権は一定の限度での子に対する体罰をも許容するものと解されてきたが、児童虐待防止法の改正による体罰禁止規定の導入を受けて、こうした懲戒権にいかなる制約が生じ、また、それが刑法上の違法阻却事由にいかなる影響を与えるのかといった点について、比較法的分析や我が国の判例・裁判例分析を通じて一定の結論を示した。第4の柱は、日常的迷惑行為の刑法的規制を考える上で重要となる刑事立法学に関する研究である。ドイツにおける麻疹予防接種「義務化」を巡る議論を丹念に渉猟することで、親の有する子に対する権利・義務と子に対する予防接種「義務」との緊張関係について分析・検討を加えた論稿を公表した。
著者
矢島 有希彦
出版者
立教大学
雑誌
史苑 (ISSN:03869318)
巻号頁・発行日
vol.59, no.2, pp.56-69, 1999-03
著者
神橋 一彦
出版者
立教大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2021-04-01

国や地方公共団体の設置する公共施設は、日常社会における私人の表現や集会の場として重要な存在となっている。もっとも、そのような公共施設の使用をめぐっては、単なる施設管理にとどまらない、当該施設において行われる表現・集会の内容や事実上の波及効果などをめぐって、使用不許可などの規制がどこまで許容されるかといった法的問題が生じ、現に紛争も起きているところである。本研究は、かかる問題を検討するにあたっては、行政法における公物法・営造物法と憲法における人権論との間の理論的架橋が必要であるとの認識の下、比較法的な研究をも踏まえ、この両法分野を総合した統一的な公共施設法の構築を試みるものである。
著者
河野 哲也 寺田 俊朗 望月 太郎
出版者
立教大学
雑誌
挑戦的萌芽研究
巻号頁・発行日
2013-04-01

本研究は、日本において哲学実践を確立することを目的とする。哲学実践とは、主に対話という方法を用いて、実社会のさまざまな問題について哲学的に議論し、相互理解や問題解決に至る活動である。成果としては、子どもの哲学では、全国で20箇所をこえる学校や図書館、児童館などで哲学対話を行い、数校で定期的な実践として教育に組み込むことに成功した。この3年間で子ども哲学はかなり全国的に普及した。哲学的カウンセリングは海外から研究者を招聘して導入した。企業内哲学対話はプログラムを開発し、パイロット講座を開くことができた。重要な著作の翻訳と導入書の出版ができた。哲学対話のNPOと哲学プラクティス連絡会を設立した。
著者
宮本 馨太郎
出版者
立教大学
雑誌
史苑 (ISSN:03869318)
巻号頁・発行日
vol.22, no.1, pp.37-51, 1961-09
著者
石坂 浩一
出版者
立教大学
雑誌
史苑 (ISSN:03869318)
巻号頁・発行日
vol.46, no.1, pp.p137-156, 1987-05