- 著者
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中西 恭子
- 出版者
- 朝鮮語研究会
- 雑誌
- 朝鮮語研究 (ISSN:13472690)
- 巻号頁・発行日
- vol.9, pp.61-89, 2022-02-22 (Released:2022-03-31)
本稿の目的は、周時經によってㅎパッチムが提唱されるまで、それに相当する音‘X’はどのように表記されてきたか、また“朝鮮語綴字法統一案”(1933)成立までの十数年間、ㅎパッチムをめぐる国語(朝鮮語)学者・文学者らの実践はどうだったのかを調査することにより、同パッチムに対する母語話者集団の意識をさぐることにある。
まず、開化期の表記法統一の過程でㅎパッチムと並び問題となった‘ㅌ, ㄲ, ㄳ, ㄵ, ㄾ, ㄿ, ㅄ, ㅋ, ㅆ, ㄽ, ᇚ’各パッチムの、歴史資料での出現状況を調べてみた結果、現在用いられていない‘ᇚ’以外はすべて母語話者集団の意識のなかに、少なくとも潜在的には存在していたことがわかった。それに対し、ㅎパッチムは周時經以前に出現事例がなく、‘X’の存在は後続音の表記等により確認するほかない。‘X’は[ㅎ]で連音化することが多いとはいえ、‘ㅅ’や‘ㄴ’(または‘ㄷ’)で表記されたり、何ら表記に反映されなかったり、また稀には存在の痕跡だけを残す、そのような音であった。‘X’が特定の音価と認識されていたとは言いがたい。
また、“한글論争論説集(下)”を対象に、当時ㅎパッチムがどれだけ実践されていたかを調査した結果、ㅎパッチムを肯定しつつも実用例がなかったり、過剰に用いられる例が観察された。それが執筆者による選択の結果であったか出版社側の方針によるものだったか判然としない場合もあるが、いずれにせよ開化期の知識人にとってもㅎパッチムは自然な意識の発露だったわけではなく、「終聲復用初聲」という大原則のもと、他の議論に埋もれる形で採用に至ったものと言える。