著者
市川 裕 佐藤 研 桑原 久男 細田 あや子 高井 啓介 月本 昭男 高橋 英海 菊地 達也 長谷川 修一 葛西 康徳 江添 誠 牧野 久実 小堀 馨子 鎌田 繁 中西 恭子 土居 由美 嶋田 英晴 志田 雅宏 櫻井 丈 小野 塚拓造 山野 貴彦 アヴィアム モルデハイ
出版者
東京大学
雑誌
基盤研究(A)
巻号頁・発行日
2013-04-01

ユダヤ教の歴史を調べていくと、のちに出現する二つの一神教、キリスト教とイスラーム、を生み出す基盤になっていることがわかる。宗教学の歴史は信仰を基盤とする西欧のキリスト教を宗教の一般モデルとしたため、このモデルから外れる諸要素は関心から外れた。しかし、イスラームとラビ・ユダヤ教はそれぞれ、シャリーアとハラハーを特徴とする啓示法の宗教であり、預言者に啓示された神の意志は、日常生活の行動様式を詳細に規定している。これら一神教の二つの異なる類型がともに古代ユダヤ社会に起源を有することを示して、一神教の歴史全体を動態的に理解する道筋を示すことは、人類の宗教史を考察する上で文明史的意義を持つものである。
著者
市川 裕 佐藤 研 桑原 久男 細田 あや子 上村 静 高井 啓介 月本 昭男 土居 由美 勝又 悦子 長谷川 修一 葛西 康徳 江添 誠 牧野 久実 高久 恭子
出版者
東京大学
雑誌
基盤研究(A)
巻号頁・発行日
2017-04-01

今年度の主たる実績は、以下の三つに分けられる。第1に、2017年8月に、イスラエルのテル・レヘシュ遺跡で、シナゴーグの全容を解明する発掘調査を実施した。これによって、本シナゴーグは、モーセ五書の巻物を置く台座と思われた石は、天井を支える支柱の礎石であることが判明し、全体は簡素な矩形の部屋に過ぎないことが明らかとなった。ここから、シナゴーグの用途を、安息日のトーラー朗読にのみ限定して考える必要がないものと想定された。第2に、出土した西暦1世紀のシナゴーグの発見がもたらす意義に関して、同時代的、宗教史的、比較宗教学的視点から、研究成果を持ち寄って、公開シンポジウムを実施した。シンポジウムの全体テーマは、「イスラエル新出土シナゴーグから 一神教の宗教史を見直す」である。( 2018年3月2日(金) 13時-18時 東京大学本郷キャンパス 法文1号館 113教室。)第3に、シナゴーグがユダヤ社会において果たした役割の変遷を、古代から中世にかけて考察するシンポジウムを実施した。シンポジウムの全体テーマは「ユダヤ共同体とその指導者たち -古代から中世へ-」である。(2018年1月21日(日)13:00-18:00 東京大学本郷キャンパス法文1号館113教室。)カイロで発見されたゲニザ文書から推定される、中世旧カイロ市(フスタート)のシナゴーグと共同体の関係について、イスラエル人の専門家の知見を得られたことは、歴史的変遷を明らかにするうえで非常に有益であった。
著者
細田 あや子
出版者
東京大学文学部宗教学研究室
雑誌
東京大学宗教学年報 (ISSN:02896400)
巻号頁・発行日
vol.10, pp.71-88, 1993-03-30

Der Bericht "Martha und Maria" im Lukasevangelium ist sowohl in textkritischer als auch ferninistisch - theologischer Hinsicht recht umstritten. Bisher wurde die Haltung Marias, die das Wort Jesu hbrt, positiv beurteilt. Marthas Haltung hingegen, die nur die hauslichen Arbeiten verrichtet, hat man eher negativ eingeschatzt. Wenn man diesen Bericht jedoch unter literar - kritischen, redaktionsgeschichtlichen und rezeptionstheoretischen Aspekten untersucht, wird Lukas eigentliche Absicht deutlich. Das durch das Dienen gekennzeichnete Verhalten von Martha steht nicht einfach Verhalten Marias negativ gegenliber, sondern Lukas miBt auch Martha eine positive Bedeutung bei. Das Ergebnis der literar-kritischen Exegese ist, daB Lk10, 42b im Gegensatz zu 10,42a ein redaktioneller Zusatz ist. Lukas fugt die Passage hinzu, um die Leserschaft seine Idealvorstellung von christlichem Verhalten zu vermitteln. Beide Frauen, Martha und Maria, werden als Modell fur christliches Handeln betrachtet. Aber nicht nur diese beiden Schwestern, sondern auch andere Figuren des Lukasevangeliums fungieren als Modell fur richtiges oder falsches Verhalten. Wenn man das ganze Evangelium als Erzahlung liest, wird deutlich, daB der "Martha und Maria"- Bericht im Zusammenhang mit lukanischen Absicht zusehen ist. Er steht bezeichnenderweise am Anfang des Reiseberichts, der von Jesus als Wanderprediger erzahlt. Dadurch ist die Szene, die im Haus von Martha und Maria spielt, von besonderer Wirksamkeit. Es wird nahmlich schon gleich zu Beginn auf die besondere Beziehung zwischen demjenigen, der predigt, und den Empfangern dieser Predigt hingewiesen. Auf diese Weise lenkt Lukas die Aufmerksamkeit der Leserschaft auf Aspekte, die von der bisherigen bibelwissenschaftlichen Forschung noch nicht ausreichend berlicksichtigt worden sind.
著者
細田 あや子
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.85, no.2, pp.555-582, 2011-09-30 (Released:2017-07-14)

ヨーロッパ中世のキリスト教美術のなかから、マリア信仰や三位一体という教義が視覚化された彫像、マリアやアンナ信仰が反映された画像、ベネディクト派女子修道院で用いられた画像、ヨセフ崇拝に基づいたイエス降誕の図を取り上げ、このような造形物が信仰生活においてもたらす教育的機能・効果を考える。さまざまな画像から、正統な教義とはなっていなくとも、民衆の信仰や霊性に根ざした図像は、人びとに宗教の教えを理解させ信心を深めるために役立ったであろうことは推測される。とくに家族にかかわる画像などからは、家族のつながり、子どもの教育への配慮といった意味も読み取れる。宗教のなかの表象造形は、人びとの信仰心に基づいて生成、受容され、民衆の霊性を表現したものととらえることができるが、そこには信仰の教化、強化に役立つ機能も大きな意味を持っており、視覚イメージの効用の多様な可能性が指摘されうる。