著者
内山 八郎 テイラー マーク 井上 弘樹
出版者
The Japan Association of International Liberal Arts
雑誌
日本国際教養学会誌 (ISSN:21894183)
巻号頁・発行日
vol.7, pp.2-13, 2021 (Released:2022-09-06)
参考文献数
15

This study commences with statistical data analysis of Japanese adults’ self-assessment of their English reading comprehension and various explanatory variables. Data from the Japanese General Social Survey (JGSS) were analyzed in two stages. In the first stage, a series of bivariate analyses were conducted with demographic, socio-economic, and lifestyle-related indicators as independent variables and self-assessed reading comprehension in English as the dependent variable. In the second stage, several multivariate models were constructed to determine which model best accounts for the effects on the dependent variable. The variables in the category of lifestyle-related factors—which includes the degree of information technology (IT) utilization—surfaced as predictive of the variable on self-assessed reading comprehension in English for Japanese adults. Subsequent to the analyses, implications and possibilities of IT as a reading resource for Japanese adult learners of English are discussed.
著者
飯島 渉 橋本 雄太 市川 智生 五月女 賢司 中澤 港 井上 弘樹 高橋 そよ 後藤 真
出版者
青山学院大学
雑誌
基盤研究(A)
巻号頁・発行日
2023-04-01

COVID-19のパンデミックの歴史化をめぐっては、個人的な記録や記憶など、感染症対策への反応を示す資料群の整理・保全が必要である。そのための仕組みとして、国立歴史民俗博物館が運用しているクラウドソーシング・デジタル・プラットフォームを援用し、「コロナ関係資料アーカイブズ」(仮称)を構築・運用する。COVID-19のパンデミックの感染状況などの基本的な状況を示すデータを組み込む。中澤港(神戸大学)が整理・公表してきた時系列的な感染の推移データを基本とし、国別の状況も組み込む。持田誠(浦幌町立博物館)、五月女賢司(大阪国際大学)、高橋そよ(琉球大学)の収集資料などを、デジタル化して組み込む。
著者
市川 智生 福士 由紀 平体 由美 星野 高徳 前田 勇樹 戸部 健 井上 弘樹 趙 菁
出版者
沖縄国際大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2020-04-01

本研究は、従来の医療社会史の中心的課題であった感染症対策ではなく、近代化の過程において健康とされる状態がどのように認識されてきたのか、すなわち「健康観」の歴史的解明を目標としている。日本(アイヌおよび琉球・沖縄を含む)、中国(上海、天津)、植民地統治期および戦後の台湾と朝鮮・韓国がその対象である。歴史資料の収集・検証とこれまでに利用してきた感染症関係資料の再検証をもとに、左記の地域を専門とする研究者が共同で歴史研究を実施する。政治、文化、社会経済、自然環境などに影響された多様な「健康観」形成の歴史を明らかにし、現代社会への継承のあり方まで特定する。
著者
井上 弘樹
出版者
公益財団法人 史学会
雑誌
史学雑誌 (ISSN:00182478)
巻号頁・発行日
vol.125, no.8, pp.61-87, 2016

本稿では、一九六〇年代から七〇年代の台湾での寄生虫症対策と、そこでの日本の医療協力に焦点を当て、医学分野において日台関係が再構築される過程を分析した。従来の研究では、一九四五年から一九五〇年代の台湾医学界の様々な場面に植民地期からの連続性が確認され、一九五〇年代から六〇年代にかけては、「米援」の下で台湾医学界の「アメリカ化」が進み、医学体系の「脱日本化」が図られたことが指摘されている。その一方で、一九五〇年代以降に日台医学界の関係の再構築が進展したことは等閑視されている。当該時期の日台の医学分野における関係の再構築をめぐる本稿の議論は、中国国民党政権と「米援」の下で台湾医学界の脱植民地化が進む中で、日本がそこにどう関わったのかという問題に通じる。<br>一九五〇年代以降、米援の下で台湾の医学制度や組織の「アメリカ化」が進展したことは確かである。ただし、それは必ずしも台湾と日本の医学界の関係断絶を意味せず、特に戦前の人的関係に支えられた学術交流という場面で、日台医学界の関係は再構築された。この関係は、一九七〇年頃に政府間の制度化された医療協力へと移行する。寄生虫症対策に限れば、当時の台湾では米援終了や国際機関からの寄生虫症対策支援の中止、及び疾病対策の変化に伴い、寄生虫症対策の技術や資金が不足していた。一方の日本は、寄生虫症対策の経験を生かした海外医療協力を推進し始めた時期にあった。<br>こうした状況下に始まる日本の医療協力は、環境衛生改善を中心とする台湾の従来の寄生虫症対策から、学校保健を基盤とする定期的な集団駆虫政策への転換を後押しした。ただし、台湾医学界でも回虫症研究や対策が着実に進められており、その成果は医療協力を含む寄生虫症対策に生かされた。他方、日本の寄生虫学界は、台湾での医療協力を通じて東アジアに再び活躍の場を見出し、その成功経験はその後の日本の寄生虫学の世界展開に繋がった。