著者
髙良 沙哉 Takara Sachika 沖縄大学人文学部福祉文化学科
出版者
沖縄大学地域研究所
雑誌
地域研究 (ISSN:18812082)
巻号頁・発行日
no.13, pp.133-152, 2014-03

本稿は、裁判所が認定した「慰安所」内外における旧日本軍人による性暴力の被害事実を明らかにして、「慰安婦」訴訟の意義を示し、国家や国民が理解すべき旧日本軍による加害責任を再確認する。そして元「慰安婦」に対する、日本政府の戦後補償責任を追及する際の課題を判決に基づいて明らかにする。「慰安婦」訴訟で裁判所は、いわゆる「河野談話」に基づいて、「慰安婦」の徴集、「慰安所」の設置・管理における日本軍の関与、責任を認めた。また、各訴訟で認定された被害事実を検討すると、公文書に基づく吉見義明分類における、「純粋の慰安所」にも、統制のある「慰安所」と統制の曖昧な「慰安所」があることがわかり、また「慰安所」外における性的虐待の実態も明らかになった。そして「慰安所」内における性暴力の許容と促進が、「慰安所」外での性的虐待を誘発した様子も明らかになった。判決では、除斥期間や国家無答責の法理等の障害に阻まれ、被害者たちに対する戦後補償責任は認められなかった。戦後補償を行うには、日本政府、日本国民が加害の歴史に向き合うことが不可欠である。また、戦後補償を行う現憲法上の根拠を明確にし、国家無答責の法理等の障害をどのように超えるかが課題である。There are two objectives to this paper.1. The first purpose is to show the fact that sexual violence of the inside and the outside of the"comfort clubs" system was caused by the Japanese army. This paper also makes clear the meaning which the "comfort women" trials give. The Japanese government and Japanese people have to understand the Japanese army's responsibility for the sexual violence in the times of world warⅡ.2. The second purpose is to clarify the unsolved problems concerning the responsibilities of the Japanese government for the Compensation to the acts of sexual violence in the time of the world warⅡ.In the "comfort women" trials, the Japanese courts ascertained the participation and the responsibility of the Japanese army for the levy of the"comfort women", the management of the"comfort clubs"system. And the courts showed the two types of the "comfort clubs" in the "Just comfort clubs". The courts showed the another type of the victims,"sexual abuse". The Judgments also clarified that the sexual violence inside the "comfort clubs" caused the sexual abuse outside the "comfort clubs".The judgments rejected the responsibilities of the Japanese government for the Compensation to the acts of sexual violence in the time of the world warⅡ on the grounds of the deadline for the statutory exclusion, and of the principle of the national excuse of the responsibility.For the responsibilities of the Japanese government for the Compensation to the acts of the sexual violence in the time of the world warⅡ, the Japanese government and Japanese people have to learn the history of the sexual violence by the Japanese army. It is unsolved problems to clarify the constitutional grounds for the responsibilities in the time of the world warⅡ, and to overcome the deadline for the statutory exclusion and the principle of the national excuse of the responsibility.
著者
川瀬 和也 Kazuya KAWASE 宮崎公立大学人文学部 Miyazaki Municipal University Faculty of Humanities
雑誌
宮崎公立大学人文学部紀要 = Bulletin of Miyazaki Municipal University Faculty of Humanities (ISSN:13403613)
巻号頁・発行日
vol.28, no.1, pp.1-12, 2021-03-10

本稿の目的は、行為者性に関する階層理論を整理し、その射程を明らかにすることである。現代行為論においては、心的態度の階層によって自律を説明し、これを通じて行為者性とは何かを明らかにしようとする階層理論が影響力を持っている。本稿では、H. G. フランクファートの階層理論、M. E. ブラットマンの計画理論、C. M. コースガードの実践的アイデンティティに訴える理論の三つを、心的態度の階層性に加えて何が必要だとされているかという観点から整理する。また、特にブラットマンの計画理論と、コースガードの実践的アイデンティティに基づく理論を比較し、両者において人格の同一性についての理解の違いが問題となっていることを示す。また、人格の同一性の捉え方によって、「操作の問題」への応答が変わることを明らかにする。これを通じて階層理論にとって人格の同一性をめぐる問題の重要さが増していることを明らかにする。
著者
福田 稔 Minoru FUKUDA 宮崎公立大学人文学部 Miyazaki Municipal University Faculty of Humanities
雑誌
宮崎公立大学人文学部紀要 = Bulletin of Miyazaki Municipal University Faculty of Humanities (ISSN:13403613)
巻号頁・発行日
vol.29, no.1, pp.157-177, 2022-03-10

This study assumes that the focus interpretation is involved in the major subject of multiple subject constructions of Japanese and argues that the focused elements with phonetic effects cannot be dropped and must be phonetically externalized. In doing so, it draws on three studies, namely Kuno (1973a, b), which focused on the interpretation of the nominative case marker gain standard Japanese, Miyagawa (2010), which focused on the Feature Inheritance analysis for the focus interpretation, and Nishioka (2013, 2018), which focused on case markers such as ga and no in the dialect used in Kumamoto Prefecture of Japan. If the subjects fail to receive a focus interpretation, the omission of ga and no is allowed because they circumvent the externalization condition on focused elements. The same analysis can be extended to the focused accusative case marker. It 1s inferred from our proposal that the fact that case markers aside from the nominative and accusative ones cannot be dropped is arguably connected with the availability of the focus interpretation induced by feature inheritance.
著者
大賀 郁夫 Ikuo OHGA 宮崎公立大学人文学部 Miyazaki Municipal University Faculty of Humanities
雑誌
宮崎公立大学人文学部紀要 = Bulletin of Miyazaki Municipal University Faculty of Humanities (ISSN:13403613)
巻号頁・発行日
vol.28, no.1, pp.1-31, 2021-03-10

幕末期、諸藩にとって他藩の動向を正確に掌握することは、自藩の取るべき道を決定する指針になる最重要課題であった。 本稿では日向延岡藩を対象に、同藩が作成した文久二年の「風聞書 乾坤」の内容分析を通して、藩の探索システムを明らかにした。延岡藩では城附西方の高千穂・飛地宮崎郡・豊後にそれぞれ役所(代官所)が置かれ、そこを拠点に周辺諸藩の探索が行われた。各役所から届く風聞書の内容は多岐にわたり、情報提供者も上級武士階級から一般庶民に至るまでさまざまであった。 延岡藩が特に重視した探索対象藩は、薩摩藩・熊本藩それに豊後岡藩であった。「風聞書 坤」には九州諸藩の諸侯の評価が記されているが、評価が高いのは唐津藩世子小笠原長行・蓮池藩主鍋島直紀であり、岡藩主中川久昭や熊本藩主細川韶邦・久留米藩主有馬頼咸の評価は低い。この時期藩主の資質が求められていたことがわかる。文久二年という限定した期間の風聞書ではあるが、当時の民衆が諸侯や藩のあり方をどのように捉え評価していたかは、幕末期の地域社会を知る上でも重要である。
著者
見城 育夫 けんじょう いくお Kenjo Ikuo 沖縄大学人文学部福祉文化学科
出版者
沖縄大学人文学部
雑誌
沖縄大学人文学部紀要 (ISSN:13458523)
巻号頁・発行日
no.22, pp.51-59, 2019-03

2018 年度介護保険制度改正に伴う自立支援・重度化防止に向けた取り組みについては,ここに至る過程において様々な議論が行われてきた。今改正のこれまでの議論の整理及び改正の論点と今後の課題について文献分析を基に考察することにしたい。
著者
寺町 晋哉 Shinya TERAMACHI 宮崎公立大学人文学部 Miyazaki Municipal University Faculty of Humanities
雑誌
宮崎公立大学人文学部紀要 = Bulletin of Miyazaki Municipal University Faculty of Humanities (ISSN:13403613)
巻号頁・発行日
vol.27, no.1, pp.103-119, 2020-03-06

本稿は、女子の友人関係トラブルに対する教師の介入を検討することで、友人関係というインフォーマルな関係性が教師の介入に影響を受けること、そうした介入にジェンダー・バイアスが存在し、結果的に女子の関係性が劣位に置かれることを明らかにする。 先行研究は、ジェンダーの視点、インフォーマルな関係性、教師と児童生徒の再帰的関係のうち、いずれか一つが欠けている。これらの課題を克服するために、本稿では、女子の友人関係トラブルに対する教師の介入に着目する。分析に際して、Francis・Paechter(2015)が提示する三つの視点を用いている。 分析の結果、以下の三点が明らかになった。第一に、児童の関係性にかかわる教室秩序の形成にとって教師たちの理念や介入が重要であることである。第二に、児童間関係に対する教師たちの認識や介入に、ジェンダー・バイアスが歴然と存在し、女子たちは「関係性を重視する」という認識が、教師たちの介入を方向づけていたことである。また、教師たちは女子たちの関係を「ドロドロしたもの」と認識し、解決すべき課題にしているからこそ、何らかのトラブルが発生した場合、「トラブルの発端である関係性」そのものに焦点を当て、トラブルだけでなく女子たちの関係性にも介入していく。第三に、教師たちはケアの倫理が立ち現われやすい関係性に焦点化した介入を行いながら、その解決には自律的な主体であるという捻れた責任を女子に負わせていたことである。
著者
川瀬 和也 Kazuya KAWASE 宮崎公立大学人文学部 Miyazaki Municipal University Faculty of Humanities
雑誌
宮崎公立大学人文学部紀要 = Bulletin of Miyazaki Municipal University Faculty of Humanities (ISSN:13403613)
巻号頁・発行日
vol.28, no.1, pp.1-12, 2021-03-10

本稿の目的は、行為者性に関する階層理論を整理し、その射程を明らかにすることである。現代行為論においては、心的態度の階層によって自律を説明し、これを通じて行為者性とは何かを明らかにしようとする階層理論が影響力を持っている。本稿では、H. G. フランクファートの階層理論、M. E. ブラットマンの計画理論、C. M. コースガードの実践的アイデンティティに訴える理論の三つを、心的態度の階層性に加えて何が必要だとされているかという観点から整理する。また、特にブラットマンの計画理論と、コースガードの実践的アイデンティティに基づく理論を比較し、両者において人格の同一性についての理解の違いが問題となっていることを示す。また、人格の同一性の捉え方によって、「操作の問題」への応答が変わることを明らかにする。これを通じて階層理論にとって人格の同一性をめぐる問題の重要さが増していることを明らかにする。
著者
亘 純吉 Junkichi WATARI 駒沢女子大学人文学部映像コミュニケーション学科
出版者
駒沢女子大学
雑誌
駒沢女子大学研究紀要 (ISSN:13408631)
巻号頁・発行日
no.17, pp.325-360, 2010-12

The aim of this study is to consider the visual image of analyze "the image of women recorded on move films and slide shows" that have recorded the Movement for the Improvement of Living in the post-World War II Era from the view of cultural anthropology. To summarize : 1. The Movement for the Improvement of Living raised the status and increased the influence of women in the family through the specific experiences of developing products such as the improved Kamado (a cooking stove), at the same time had them aware of the power of associated movements united by the new values. 2. The films and slides shows used in the Movement for the Improvement of Living as well as the films that recorded the movement are both produced under the ideology of the modern western rationalism. The movement is an expression of the paradigm that "social participation" and "self-discovery" relate strongly to each other. 3. The Movement for Improvement of Living had not turned its attention to the socio-political structure that had produced poverty in farm and mountain villages. The movement failed to recognize the situation that the villages were marginalized and trapped in poverty, and it did not involve the ideological liberation toward the social reform within itself. Therefore, the movement could not bear a possibility to become a popular social movement that could change the situation of the villages.
著者
大賀 郁夫 Ikuo OHGA 宮崎公立大学人文学部 Miyazaki Municipal University Faculty of Humanities
雑誌
宮崎公立大学人文学部紀要 = Bulletin of Miyazaki Municipal University Faculty of Humanities (ISSN:13403613)
巻号頁・発行日
vol.25, no.1, pp.1-26, 2018-03-09

幕末期の一連の政治史において、薩摩・長州・土佐・越前各藩など雄藩が、重要な役割を果たしたことは言うまでもないが、藩全体の八割を占めた九万石以下の小藩はいかにして幕末期を乗り切り、維新を迎えたのだろうか。本稿では、日向延岡藩七代藩主であった内藤政義が記した自筆『日記』から、元治~慶応期に譜代小藩である延岡藩の動向を考察した。政義の交際は、実家の井伊家、養子政挙の実家太田家、それに趣味を通じて交流のあった水戸徳川家など広範囲にわたる。元治元年七月の禁門の変以降、二度に及ぶ長州征討に政挙が出陣しているが、江戸にいる隠居政義は高島流炮術や銃槍調練に励む一方、政局とはかけ離れた世界に居た。政義は梅・菖蒲・桜草・菊観賞に頻繁に遠出し、また水戸慶篤と品種交換や屋敷の造園に勤しんだ。在所からの為替銀が届かず藩財政は破綻に瀕しており、慶応三年末、薩摩藩邸の焼き討ちを契機に政義は在所延岡への移住を決断する。六本木屋敷に養母充真院を残したまま、翌慶応四年四月、政義は奥女中や主な家臣家族ともども品川を出船し延岡へ向かった。幕末期の譜代小藩の動向を窺うことができる。
著者
吉井 美知子 よしい みちこ Yoshii Michiko 沖縄大学人文学部
出版者
沖縄大学人文学部
雑誌
沖縄大学人文学部紀要 = Journal of the Faculty of Humanities and Social Sciences (ISSN:13458523)
巻号頁・発行日
no.18, pp.11-24, 2016-03-07

ベトナムでは初の原発建設計画が進められている。南部のニントゥアン第一原発をロシアが、第二原発を日本が受注し、着工は2022 年以降とっている。原発に関する世論調査等は一切行われていない。外国人による現地取材や調査も非常に難しい。そこで本研究では立地地元ではなく、国内外の離れた場所で暮らす地元出身者への聴き取り調査を実施した。これにより現地出身者の意見を明らかにする。調査の結果、学歴が中卒以下の人々の多くは、フクシマ事故や故郷に建つ原発の計画を知らず、意見も持たないことがわかった。また高卒以上の人々は放射能への不安、人材不足の懸念からの反対が多く、日本には原発ではなく再生可能エネルギーへの支援をという声が集まった。立地地元に情報が行き渡らず、高学歴者の間で計画への反対意見が多いなか誰ひとり意見発信ができない。言論の自由のない国を狙って原発を輸出する日本の、道義的責任が問われている。Vietnam prepares to build its first nuclear power plants (NPP) in Ninh Thuan Province, Russia andJapan as the suppliers.This study conducted interviews with the locals of Ninh Thuan and nearby areas who temporarily stayand work in major Vietnamese cities or overseas to acquire their opinions on the NPP.Results showed that those with low-level education lack knowledge of and opinions about nuclearproject. Those with higher-level education oppose the project and have concerns about nuclear disaster, butlack the ability to express their opinions.Japan's targeting of countries without freedom of expression for NPP project places its moralresponsibility in question.